ジネンカフェだより

真のノーマライゼーション社会を目指して…。平成19年から続いているジネンカフェの情報をお届けします。

ジネンカフェVOL.143レポート

2023-07-19 15:13:54 | Weblog
あ、あ、暑い。まだ7月が始まったばかりだと言うのに、この暑さ。何か年々夏が凶暴化してはいないか? 今年の夏はコロナはもちろん、インフルエンザやヘルパンギーナやRSウイルスなどが流行っている。季節性インフルエンザの流行って冬だけかと思いきや、そうではないらしい。ヘルパンギーナやRSウイルスは子どもに多い病気だが、大人にも感染するので皆様もお気をつけて。さて、今月のゲストは、一般社団法人南知多ユニバーサルビーチプロジェクト理事のはなさん。もちろんこれは本名ではない。本名は高倉詩織さんという。はなというのは以前小劇団に所属していた頃からの愛称で、いまでもそう呼ばれることが多いそうだ。なので、ここでもそう呼ばせてもらおう。タイトルもはなさんらしさ全開で『はなの解体新Show!』とぶっ飛んでいる。さあ、始まり、始まり…。

【実はいいところのお嬢さん?】
はなさんの出身地は大分県の日田市。大分県の北西部に位置しており、福岡と熊本との県境の市である。ご実家は料理屋を営んでいたので、幼い頃から酒どっくりを持ってお客さんにお酌をして周っていたらしい。根っからのサービス精神に溢れていたのだろう。だから当然お客さんからも可愛がられ、両親と過ごす時間よりも周りの大人たちと過ごす時間の方が多かったという。それは現在でも変わらず、おじさんの方が話しやすいとのこと。高倉家にとっては四十数年ぶりに生まれた女の子ということで、何を言っても周りが思い通りにさせてくれて、他人を疑うことを知らない子だった。毎日日替わりでいろいろな人の家に泊まりに行くような、陽気で愛嬌がある子どもでもあったらしい。

【少女から大人の女性への意識的な変貌】
はなさんが4歳の頃、お母さんの実家でもある愛知県に移住することになり、その頃からやっと落ち着いて両親と弟さんと生活するようになったという。弟さんがいて、後に妹さんも生まれるのだが、そんな中で子ども心にも〈キチンとお姉ちゃんらしくしないといけない〉と思い、長女らしい性格になって行った。特にはなさんはお父さんの教えを忠実に守る子で、他人のために動くとか、他人の嫌がることを進んでするとお父さんが褒めてくれたから、歓心を引きたくて周りにあわせるような性格に変わっていったらしい。その頃のエピソードだが、6年生の時に子ども会で「小学1年生の面倒をみなさい」と言われて、同世代の子たちは自分たちだけで遊んでいたのに対し、はなさんだけは「面倒をみなきゃいけない」という意識が先に立ち、下級生たちとずっと過ごしていたそうだ。それが嫌だったとか、自分だけが犠牲になったという感覚ではなく、それはそれで自分で選択したことなので楽しかったという。それはもう「お父さんの歓心を引きたくて」というレベルを越えて、少女から大人の女性に意識的な変貌を遂げつつあったはなさんの責任感の現れではなかったろうか。

【はなさんの意識の中には…】
そのエピソードにおけるはなさんの意識の中には、6歳下の妹さんの存在もあったかも知れない。弟さんの下に生まれた妹さんは、軽度の知的障がいと難聴を持っていた。喋るのもそれほど得意ではなく、独特の世界の中で生きていて、自分には「他人のためになることをしなさい」とか、「他人が嫌がるようなことを進んでしなさい」と厳しかったお父さんも、妹さんに対しては何をしても許すような溺愛ぶりだったという。その妹さんが保育園に入園する前に大府学園(愛光園の施設)へ療育に通っていたので、はなさんも妹さんについて行って一緒にレクリエーションや行事に参加されていたのだ。そこで出会った知的障がいや自閉症の子どもたちとふれあってゆくにつれ、屈託もなく自分を慕ってくれる姿が可愛くて、自分は大人になっても障がいのある子たちと一緒に過ごす人になりたいと思った最初のきっかけであった。

【世間は合わせ鏡みたいなもの】
その想いを持ったまま学生時代を過ごし、福祉の専門学校に進みたいと思っていたが、親から反対されて、保育ならギリギリ療育もできることを調べて保育の専門学校に進み、その頃に小劇団にも入った。その後は就職したり、結婚したり、離婚したりと、ちょっと濃いめの人生を送って来ている。しかし、どのライフステージにおいても、不思議と〈悲しいなあ〜〉とか、〈苦しいなあ〜〉とか、〈どうして自分だけこんな目に…〉と思ったことが一度もないそうだ。周りの人たちによくしてもらったからだという。世間は合わせ鏡みたいなものだと思う。周りの人たちが助けてくれるのは、はなさん自身が周りの人たちを直接的・間接的問わず助けているからではないのだろうか? ご本人が自覚されているかいないのか、定かではないけれど…。

【南知多ユニバーサルビーチプロジェクト設立の経緯 その1】
南知多ユニバーサルビーチプロジェクトを理事長の入山淳さんと立ち上げたのは、そういう過去からの福祉への思いとは直接的な関係はない。友人にサーファーの人がいて、その人から「アダプティブサーフィン」というものがあるとSNSの動画を通して教えられ、「これは凄いなぁ」「面白いなぁ〜」と思ったことがきっかけだった。その投稿主を辿って行ったら、現在はもう現役を退いているのだが、世界で二連覇している内田一音さんという方で、いま思うととんでもない方に声をかけていたんだという感じなのだけれど、はなさんにしてみれば海のアクティビティーを障がいを持っているが故に出来ないことが凄く不思議で、それを出来る方向性で追求されている人がいる。その人の話を聴きたい一心で突っ走って声をかけたのだという。内田さんはそんなはなさんたちの気持ちに応え、現在は兄弟プロジェクトになっているのだが、兵庫県神戸市は『須磨ユニバーサルビーチプロジェクト』の代表・木戸さんと、東海市でカフェを経営されている車いすサーファーのマサさんを紹介してくれたという。

【南知多ユニバーサルビーチプロジェクト設立の経緯 その2】
はなさんが初めて「アダプティブサーフィン」に触れたのは、マサさんの内海で行われている『つるやピースフルカップ』で、この時は知りあいの障がいのある子と一緒に行ったわけだが、その子は5月に脳の病気を発症して車いすの生活になったので、お母さんは毎年5月が来る度に凄く辛かったそうだ。5月は我が子の病気が発覚した月だと思い込んでいて、毎年5月になる度に憂鬱になっていたけれど、その「アダプティブサーフィン」のイベントに来て5月の思い出が幸せなものに変わった。いままで辛かった5月が来るのが楽しみになりましたという話を聞き、凄く感動したそうだ。ただ海に入れたというだけでこんなにいろいろな人が感動出来るんだということで、どうしてもこの活動を続けて行きたいという想いが強くなり、入山さんと一般社団法人南知多ユニバーサルビーチプロジェクトを立ち上げるに至ったのである。

【障がいがあってもなくても一緒に楽しめる方法の追求】
2019年6月26日に第一回目のユニバーサルビーチを行い、いろいろな方の協力を受けつつ活動を続けている。南知多ユニバーサルビーチプロジェクトと名乗るぐらいなので海の活動がメインではあるものの、田んぼや畑の収穫体験やパラスポーツ体験などもされていて、障がいがあってもなくても一緒に楽しめることがモットーなので、出来ないことがあればどうしたら出来るのかとか、その人が楽しく出来る方法を追求されているという。

【はなさんにとって普通のこと】
パラスポーツの体験会をしていると、子どもたちが車いすに触れることで車いすの生活の大変さはもちろん、どういう工夫をして生活しているのかなとか、どんな風にしたらもっと暮らしやすくなるのかなとか、自分で体験して考えてくれる。もし自分がこれから先に障がいが出てきて車いす生活になっても楽しめることがあるよとか、友達や家族が車いすの生活になった時でもいろいろな体験が出来るよということを知っていて、そこから波及して自分達が想像もつかないような、いろいろな可能性を若い人たちが考えるきっかけになればいいなと思い、活動しているとか。先天的に障がいのある人が危ないからやらなくてもいいよと言われて、選択できない狭い世界ではなくもっと可能性があり、はなさんが出来ないことでも出来ることが多いこともあるし、はなさんの方が障がいのある人に助けてもらう場合もある。そんなふうに社会の一員同士として助けたり、助けられたりすることが自然で、はなさんにとっては普通のことなのだと思っていて、ボランティアに来る若い子たちにもそんなふうに伝えているという。

【支援という言葉への違和感の正体】
そんなはなさんは現在障がい児支援の現場で働きながら、これまた障がい児・者支援と呼ばれる団体で活動しているわけだが、ご自身では支援という言葉に違和感を感じているらしい。ご自分では友達がたまたま障がいを持っていたり、車いすを使っているとしか考えられないので、その友達の全てを支えてあげようとは思ってないという。仕事のことで知的に障がいを持つ人に分かりやすく伝えることは大切なことだけれど、もうよい大人なのに子どもに話すような口調で伝えるのはどうかと思い、「それは大人としてどうなんですか?」と怒る時もあり、コンプライアンスの関係で上司から注意されることもあるとか。

【障がい者は社会的弱者か?】
これは筆者も以前経験があるのだが、友人同士の障がいのある人とない人が遊びに行き、カフェとか食べ物屋に入ってオーダーすると、お店によってはレシートを障がいのない人の側に置いてゆくところがある。恐らくそれは障がいのある人とない人が友人同士とは思わずに〈庇護される側〉と〈庇護する側〉という図式で捉えているからで、当人同士の責任ではないものの、中には〈障がいのない人〉にお金を払って貰うのは当然だという〈障がいのある人〉もいるから話は複雑になる。でも、それもこれもその人が悪い訳でもなく、そんなふうに思わせる社会風潮がおかしいのだと思う。学校で行う福祉教室などもはなさんたちの時代は障がいのある人たちのことを〈社会的弱者〉と捉え、〈助けてあげなければいけませんよ〉という言葉が何度も出てきたような気がする。確かに出来ないことも多いけれど、そこだけをクローズアップして障がいのある人たちを〈弱者〉と呼ぶのは如何なものかと、はなさんは思っている。小さな子に優しくするような感覚で障がいのある人にも優しく接しようということなのだろうが、〈優しくしよう〉というところの伝え方が、全てをやってあげようという解釈になってしまっている。それが偏った福祉を生み出す土壌になっているのではないか?

【〈きょうだい児〉のデメリット面ばかり取り上げてどうする?】
はなさんがそういう感覚で〈障がいのある人〉をみられるのは、〈きょうだい児〉だったからで、最近各マスコミが〈きょうだい児〉をクローズアップして、いかにも可哀想なもののように報道しているのを視るに連れ、そんなに〈きょうだい児〉のデメリット面ばかり取り上げてどうするんだと思う。もちろん〈きょうだい児〉だから出来なかったこともあるとは思う。南知多ユニバーサルビーチプロジェクトのイベントにも「お姉ちゃんに重度の障がいがあるので、その弟くんは海に来たことがなかった」「海に行きたいとは思っていても、お姉ちゃんのことを考えると言えなかった」「それがこのイベントのおかげで家族揃って海に来ることが出来た」そんな〈きょうだい児〉もいるけれど、それは一つの事象であって、それを可哀想なことのように捉えてしまう周りがいることで、〈きょうだい児〉は可哀想だという流れになる。そうではなく〈きょうだい児〉だからこそのスキルやメリットにも目を向けるべきではないかと、はなさんは思うのだ。例えば〈きょうだい児〉であるが故に言葉が分かるとか、どういうところで困っているのか想像が出来るとか…。「〈きょうだい児〉だから大変だったね」ではなくて、「〈きょうだい児〉なんだ。すごいね。いろいろなことを知ってるね」という流れになる方が自然なのではないかともはなさんは思っている。

【福祉とは何だろう?】
そうは言うものの、改めて「福祉とは何か?」と問われると、答えが見つからない。はなさんも福祉実践教室に行かれるということで、児童や生徒さんに伝える側として学ぶこともあるのだが、皆さんが一応に言われるのは「ふだんの くらしの しあわせ」だとか。確かに福祉という漢字には「福」も「祉」も「しあわせ」という意味がある。誰の幸せかと言えば、誰でもない総ての人たちの幸せを希求する、その取り組みのことを一般的に「福祉」というのだろう。しかしそれを調えるのは行政の話だし、家庭の貧富の問題も出て来るのでそこら辺はフラットにみられないところがあるが、同じような経済状況の家庭では優も劣もないので、男性だろうが女性だろうが、若かろうが高齢だろうが、障がいがあろうがなかろうが得手不得手があるし、自分の得意なところは皆んなに伝えて行けば良いし、不得手なことは出来ないと訴えて助けて貰えば良いし、お互いに支えあう。もっと自然に、呼吸するように「ああ、出来ない」「わかった。やっておくよ」という感じが福祉の理想なのではないか? あとは行政的な部分で足りないところは行政が補ってくれれば…と、はなさんは思っている。

【公共交通機関の割引制度も謙虚な気持ちで…】
その行政的な配慮の部分で過剰になり過ぎてはなさんが不思議に思っているのは、公共交通機関の割引制度だという。割引を受けられるのは障害者手帳を持っていて、その等級が一種(重度)か二種(中程度)の人に限られる。また、各交通機関や地域によっても多少割引率が違ってくるが、不可解なのは鉄道の場合。障がい者が1人で利用する場合乗車距離が100Kmを越えなければ割引(子ども料金)にはならないのに対して、介助者が付き添っている場合はたった1駅の乗車でも割引になるのだ。つまり介助者が付き添っている時は二人で一人分の乗車賃になるということだ。それに比べて地下鉄やバスは、1人で乗車しても例え1区間でも割引(子ども料金)が受けられる。もともとは経済的に不利益を被ることが多い障がい者の外出に関わる負担を軽減し、社会参加の機会を増やすことを目的とした割引き制度なのだが、どうして各公共交通機関によってこんなにバラつきがあるのか? また、鉄道を1人で利用する場合乗車距離が100Kmというのは、何を基準にした数字なのだろう? 筆者も若い頃からよく1人で外出していたので、鉄道(私鉄)は正規の乗車賃で乗り、地下鉄は割引き乗車券で乗っていたが、最近は時々病院に行く時など家族が付き添ってくれることがあり、「いいのかな?」と思いながらも二人で一人分の割引き運賃で乗っている。中には「半額になって得だから…」という感覚の人も多いが、それは先方の配慮であって当たり前のことではないということを当事者の方も分かってくれるといいなと、はなさんは思っている。

【障がい児・者支援界の異端児?】
ここまで読んでこられてはなさんの人柄や福祉観などお分かりいただけたかと思うが、福祉へのご自分の理想と現実とのギャップはあっても、ご自身のやりたいことを貫き通してしまっているので、現場でも異端児扱いされているという。「はなさん、それはダメだよ」と言われることが多いらしい。はなさん曰く「他の人たちの福祉観や支援観が間違っているとは思ってない。誰かにいろいろとやってあげることも大事なことだし、最初にそういう気持ちで入って行くのも否定することはない。でも、障がい者支援は子育てと同じでやり過ぎてしまうと、その人を殺してしまう。何も出来ない人にしてしまうと思うんです。どこかで手を引かなければいけないところはあるので、それをどこまでするかは人それぞれ違って来る。子育てにしても過干渉の親もいれば、放任主義でも全部子どもの自主性に任せるという親や、大事なことだけ口を挟んでくる親もいる。いろいろなタイプの親がいるように、支援者にもいろいろなタイプがいて、それに合う子が当てはまって行けば良いかな。あとは人材が集まると良いですよね。そうすれば障がいのある方達の可能性の部分、自分らしく生きやすくなるのではないかな。選択肢が少ない気がします。施設にしても…」

【よそ者・若者・馬鹿者の発想力を福祉界にも】
かくいう筆者もはなさんと同じような福祉観を持っている。大学で福祉を学んだからといって福祉の道に進まなくても良いと思っていて、その逆に学校で福祉を学んでいない人でも福祉の世界に入って来ても構わないのではないかと思っている。もっとも筆者も系統立てて福祉を学んだ訳でもない。ただ、障がい当事者として感じていることを発信したり、自分を信じたまま市民活動をしているだけの人間なので口幅ったいのだが、まちづくりの世界ではその地域をより良くして行くには、よそ者・若者・馬鹿者の視点や発想力が必要だといわれている。それはどの分野にも言えることで、先入観がなくフラットな視点でその世界をみられる人に関わってもらった方が、その世界がもっと広がり、より良いものになって行くような気がするのだ。

【深淵を覗く者は、その深淵からも覗かれている】
もちろんそれには弊害もあるだろう。例えば現在はなさんは知的に障がいを持つ人たちとカフェで働いているのだが、お客さんから「あなたも大変だね〜。カフェをしながらこの子たちのお守りをしないといけないもんね」と言われるという。はなさんは心の中で「この子たちはお給料を貰ってるんだけどな。だから働けるところは働いて貰うし、そこには優もなく劣もない、私はこの子たちのお守りをしているつもりもないんだけど…」と思いながらも、やはり周りの人はそういう目で見るんだなと感じているという。また、はなさんが掛けられて嫌な言葉に「いいことしてるね」という一言がある。はなさんにしてみれば、「ご覧の通り日焼けして、私も一緒に遊んでますけど…」と思われているとか。電動車いすを使っている筆者も、障がいのない友人と遊びに行くこともある。当人同士は友人だから一緒にいたり、話したり、食事をしたりして楽しんでいるのだが、周りの人からみたら完全に〈介助者〉と〈介助される人〉だよなと笑えてくる時もある。若い頃はそれが気になっていた。しかし、いつの頃からか〈そんなふうにみたい人はそうみればいいや〉と思うようになった。そうなのだ。〈障がいがある者〉〈障がいがない者〉という視点を気にしていたのは、なんていうことはない、自分自身だったのである。ドイツの哲学者ニーチェも言っているではないか。深淵を覗く者は、その深淵からも覗かれていると。考えてみれば当人同士の関係性など、見知らぬ他人が知らないのは当たり前のことなのだ。そんなふうに思えるようになったら、なんだか肩の荷が降りたようで楽になった。筆者も時々街の中で見知らぬ人から「頑張ってるね」と声をかけられることがある。そういう時にはまた来たかと思い、ニッコリ笑って「はい。ありがとうございます」と応えることにしている。声をかけて来てくれた人には罪はない。本当にそう思われていらっしゃるのか、いい人アピールなのかは知らないけれど。

【将来的にはお節介を焼くお婆さんになって、笑いの絶えない居場所を作りたい】
はなさんは南知多ユニバーサルビーチプロジェクトの活動を通じて、いろいろなボランティアの子たちが関わってくれて、福祉の考え方を伝えて行ければ…と思われている。いま来てる子たちははなさんの考え方が面白くて好きだと言ってくれて、他のボランティア団体ではなくうちが一番楽しいと言ってくれる子がいたりして、それははなさん自身の励みにもなるし、そういう子がどんどん増えて行けば良いと思っているそうだ。それにははなさんも若い感覚や感性のまま活動して行けたらと思っている。個人的には小さくて汚い小料理屋をやって、いつも同じ人が居る…みたいな場所を作りたいそうだ。常連さんしか来ないような、行くところがない人しか来ないから癖が強い人しかいないような、そんな小料理屋さんで「あんた、最近野菜食べてないでしょう?」とかお節介を焼くお婆さんになって、笑いの絶えない居場所を作りたいという。