ジネンカフェだより

真のノーマライゼーション社会を目指して…。平成19年から続いているジネンカフェの情報をお届けします。

ジネンカフェVOL.144レポート

2023-08-10 09:23:16 | Weblog
こういうことを書くと年代が丸わかりになってしまうのだが、筆者の若い頃森村誠一氏の『人間の証明』という作品が映画化され、作中にも登場する西条八十氏の『麦藁帽子』の一節がCMで流れされていた。

「母さん、ぼくのあの帽子どうしたでせうね? ええ、夏、碓氷から霧積へいくみちで、渓谷へ落としたあの麦藁帽子ですよ」

そう、現在は8月夏の真っ只中。「夏」という季節から連想されるものは幾つもあるが、旧い人間の筆者はその代表格に「麦藁帽子」をイメージしてしまう。でも、吉田拓郎氏も歌ったように最近では「麦藁帽子」をかぶった子ども達を見掛けない。風鈴の音も聞こえて来ないし、蚊取り線香特有のあのにおいも漂って来ない。聞こえてくるのは今を生命の盛りと鳴く蝉の声ばかり。街から季節的な情緒が失くなって久しいが、今月のゲスト・萩平乃愛さんは夏らしい、涼しげな装いで登場して下さった。そう、今月は夏休み企画として学生さんに登場してもらおうと思って、高校生の乃愛さんに白羽の矢を立てさせていただいた。筆者と乃愛さんの出会いについては、ご自身がお話されているのでそちらの方に委ねたい。お話のタイトルは『「生きづらさ」から生きやすい社会へ』

【人を笑顔にすることが好き】
萩平乃愛さんは現在17歳、愛知県立刈谷高等学校の3年生。趣味は映画鑑賞と可愛い服やパフォーマンスを見ること。乃愛さんは小さな頃から人を笑顔にすることが好きだったのだが、最近になって要するにそれは「人の役に立つこと」が好きなんだろうなと気づいたという。

【英語が使いたくて、名大のプロジェクトに参加する】
ディズニーが好きだった乃愛さんは、高校に入学するまで就職するのならディズニーに入社したいと考えていた。でもディズニーはアメリカに本部を置く企業なので英語力も必要だと思い、高校に入学して英語にも力を入れようと決意を固めていた。そんな時に学校から名古屋大学で『英語を用いて地球規模の問題に取り組もう』というプロジェクトの紹介があった。本来そのプロジェクトの肝は〈地球規模の問題を考える〉ことにあったのだろうが、当時の乃愛さんは〈英語を使う〉というところに目が行ってしまい、応募資格が英検2級以上(高校卒業程度)となっていたにも関わらず、とりあえず応募してみたら選考に通り、名古屋大学のプロジェクトに参加することになったのだった。

【自分の視野の狭さを思い知らされる】
そのプロジェクトでは名古屋大学だけではなく、いろいろな大学の教授の社会問題に関する講義があり、提示された問題について各グループで考えてプレゼンテーションをしたり、3カ月程度で社会問題についての研究をしていたという。集まった人たちはそれぞれに社会問題に関心のある人ばかりで、その中にいて乃愛さんはご自分の視野の狭さを思い知らされることになる。また、このプロジェクトに参加して社会問題に関心のある人がこんなにたくさんいるということも知ったし、その問題自体もこれまでとは違って身近に感じられるようになったという。

【乃愛さん、キャリア支援を知る】
乃愛さんのグループはソーラーパネルの設置と、設置する時の環境破壊を含めた地元の人たちとの摩擦をどれだけ軽減して再生可能エネルギーを作り出して行くかという研究をしていた。その一環で環境活動家の方にインタビューをしている時に、たまたま偶然子どものキャリア支援をされている方がいらして、そこで初めて乃愛さんは〈キャリア支援〉というものを知ることになったのだ。

【キャリア支援プログラムにエントリーする】
名大のプロジェクトは1年間で終了したのだが、高校2年生になった乃愛さんは1年前の自分とは違っていろいろな社会問題に目を向けるようになり、もともと自分が好きだった「人を笑顔にしたい」という気持ちもより一層強くなっていたので、それを叶えるためにまた何か活動したいと思っていたところに、名大のプロジェクトの時に知りあった子どものキャリア支援をされている方から声をかけて貰い、キャリア支援プログラムにエントリーしたのであった。

【サービス業は今の自分の気持ちとはちょっと違うな】
最初はディズニーなどのサービス業の仕事について知りたいと思っていたので、サービス業の方々にインタビューを行っていたのだが、人を笑顔にする点やサービス業にも興味はあったものの、何となく自分がやりたいこととはちょっと違うなと感じていた。そんな乃愛さんの戸惑いに気づいたのか、そのキャリア支援の講師の方が「自分のモヤモヤとか気になることとか、自分が助かったらいいな、自分はこういうことがあると助かるなということをテーマに考えてみたら?」というアドバイスをして下さったという。

【みんながそれぞれに生きづらさを持っている】
そうして考えている時に、現在は大分考え方が変わったけれど、自分の最初のポイントは「人を笑顔にしたい」ということだったので、障がいのある方やマイノリティーの方々をお手伝いできることがないかと考えていたのだ。しかし迷いもあった。例えばよく聞くようにバスの中で高齢者と思しき人に座席を譲ろうとしたら、その人のことを返って高齢者としてみていることになり、失礼になってしまうのではないか? そういうどうすれば良いのかわからないモヤモヤを解決できるようなことがあると良いなと思って、活動されている方にインタビューをしてゆく中で筆者とも知りあったのだ。それがマイノリティーとか、バリアフリーとか、乃愛さんが最近考えている「みんながそれぞれに生きづらさを抱えているな」と思うきっかけにもなったという。

【自分の生きづらさにも気づき、他者の生きづらさをも感じる】
「みんながそれぞれに生きづらさを抱えている」と気づきを得たのには、もう一つのきっかけがあった。最初はマイノリティーの方々の役に立ちたいと思っていた乃愛さんだったが、キャリア支援プログラムの中には〈自分についても目を向ける〉という題目もあり、そうして行くうちにそれまでご自分の長所でもあり、生きる軸だと思ってきた〈人の役に立ちたい〉という性質は、二律背反で自分を苦しめていることに気付いたという。自分では大丈夫だと思ってきたことでも、学校の先生たちから言われて初めて自分は大丈夫ではなく、苦しかったのだと気付いたのだという。人の役に立ちたい気持ちが強く、自分のことを犠牲にしてまで動いてしまうところがあり、それは多分に家庭環境から影響を受けていたのだろう。人というのは不思議なものだ。どんな環境下にあってもそれが日常的になっていれば至極普通のこと、当たり前のように意識下に刷り込まれる。しかし、一旦それが普通ではない特殊なことなのだと指摘されるや、もう以前のようにその環境が普通のことだとは感じられなくなるものだ。当人にとってどちらが幸せなのか、それは当人にしか解らないことだろう。しかし、筆者は乃愛さんが自分が置かれた特殊な環境に気付けて良かったと思う。前に進めるからだ。その上、名大のプロジェクトやキャリア支援のプログラムによるインタビューにより、悩んでいたり、苦しんでいるのは自分だけではないことも知った。そして同じ悩みや苦しみや生きづらさでも、その人によって度合いが違ったり、大変だと思っていることも違うことも。では、そのそれぞれの悩みや苦しさや生きづらさをどうすれば解決させられるのだろうか? 百人いれば百通りの苦しみや生きづらさがあるから、一律に解決できるものではないだろうが…。

【SNS全盛期だけど繋がりづらい現在の世の中】
乃愛さんは現在のご時世、コロナ禍ということもあって、なかなか人と話しづらいなと感じているそうだ。ジネンカフェのようなそれぞれの生き方を知って、自分の中に多様な視点や価値観を取り入れられる場があれば良いけれど、友達同士では「自分はこんなふうに生きてきました」なんて話し合うことは出来ないと思うし、そういう場がないと自分の価値観しかわからないから、実際には苦しんでいても自分は別に大丈夫だと思って余計に苦しくなってしまうという。それと名大のプロジェクトに参加して思ったことなのだが、SNSが普及してきているからプロジェクトの参加もリモートが多く、グローバルな視点からみると全国や世界各国から参加出来て良いのだが、ネットやSNSをしていない子からすると飛び出しづらいのではないかと思う。乃愛さん自身はたまたま学校で告知があったから参加出来たのだが、それがなかったら名大のプロジェクト自体にも参加していなかっただろうし、スマホも高校生になってから持ち始めたので使い方も解らなかったし、それで何かを調べる発想もなかったという。今思えば中学生の頃は本当に狭い世界で生きてきた感じがして、出ようと思えば出られるとは思うけれど、そこに出るという発想が持ちづらく、方法も限られるので〈出られる人〉と〈出られない人〉がいたりする。SNS全盛期ではあるけれど、現在は返って繋がりづらい社会でもあるなと十代の乃愛さんは思っている。

【ジネンカフェのような「場」があればいいな】
まだ17歳と若い乃愛さんの将来的な夢は、いろいろな人たちの考え方や価値観が共有出来る場があれば、もっと生きやすくなるかなと考えているという。堅苦しい感じではなく、ジネンカフェのように集まって気軽に話せるような「場」。帰り道とかに〈ちょっと楽になったな〉と思えるような「場」が出来ると良いなと思っている。そこで「してあげる」のではなく、自分も「あったらいいなあ」と思っている方なので提供するのではなく、一緒に作れるような「場」。仕事にするのではなく、みんなと一緒に出来たら嬉しいし、それをするには自分もまだ学ぶことも多いと思うので、いろいろと学んで行きたいと思っているという。