ジネンカフェだより

真のノーマライゼーション社会を目指して…。平成19年から続いているジネンカフェの情報をお届けします。

ジネンカフェVOL.137レポート その5

2020-03-15 13:40:25 | Weblog
【今日の優生思想】
優生保護法は既に廃止され過去の事にみえるが、今も続いている問題である。法律はなくなっても「社会にとって障害のある人はいない方がいい」という考え方はそのまま根強く残っている。 「障害・疾病がない方がいい」は容易に「障害・疾病のある人はいない方がいい」に転換されやすい。再び繰り返さないためには、強制不妊手術の被害について歴史の闇に消えさせず、なぜ起きたか過去を検証する必要がある。そして市民、特に医療・福祉・教育専門職が過去の歴史を学ぶ機会を設けることが必要である。優生思想=ナチスの専売特許ではない。 

*優生思想の理想
 「人間の淘汰を出生前に完了させることを目ざしてきた」(2019,市野川容孝)
  NIPT(新型出生前診断)、PGD(着床前診断) などの技術で実現されようとしている。命を選んでよいのか?
*「すでに生まれている障害者の人権・尊厳は守ろう。だが、これから生まれてくることは防ぐ。この二つはぶつからず、両立できる」というダブル・スタンダードは本当に成り立つのか?


【障害の社会モデル】
ポール・ハント 筋ジス 施設入所者
 障害者にとっての真の問題は、身体ではなく社会から隔離されていることだ!
マイケル・オリバー 障害の社会モデルを提唱
障害の個人モデル(個人的悲劇モデル)では、障害を「個人の心身機能の制約」
 →解決方法としては個人の身体への介入。
「障害者」が、悲劇の犠牲者にも、スーパーヒーローにもならない道を追求するものとして、障害の社会モデルを提唱した。
障害の社会モデルとは、「あるグループの人々(=障害者とされる人)に制約を強いている物理的・社会的な環境」→解決方法としては社会的環境の改善 
身体的差異・機能障害(=インペアメント)と障害(=ディスアビリティ)を認識論的に切り離す。
障害=不幸を否定し、障害者の生を全肯定。個人のインペアメントではなく社会のディスアビリティの解決に焦点をあてる。 

【参考文献】
・大橋由香子「〈証言〉優生保護法によって傷ついた女たちの経験から」『世界』2018年4月号(岩波書店)

・科研費研究『障害女性の障害女性をめぐる差別構造への「交差性」概念を用いたアプローチ』http://www.nabe-labo.jp/wwd/index.html
・M..オリバー&B.サーペイ著 野中猛監訳 河口尚子訳『障害学にもとづくソーシャルワーク 障害の社会モデル』 2010年(金剛出版)
DPI日本会議、DPI女性障害者ネットワーク編『障害のある女性の生活の困難 複合差別実態調査 報告書』2012年3月 

・名古屋市市民局 『障害を持つ女性の生活実態調査』昭和57年3月
・新里宏二 「〈なぜ訴えたのか〉不妊手術強制 万感の怒りこめた提訴』『世界』2018年4月号(岩波書店)
樋口恵子 「引揚女性の「不法妊娠」と戦後日本の「中絶の自由」」2018年『戦争と性暴力の比較史へ向けて』(岩波書店)所収。
・毎日新聞取材班『強制不妊-旧優生保護法を問う』2019年3月(毎日新聞出版)
・優生手術に対する謝罪を求める会編 『増補新装版 優生保護法が犯した罪』2018年2月(現代書館)

・優生思想を問うネットワーク制作 DVD『忘れてほしゅうない~隠されてきた強制不妊手術』2004年制作
ハンセン病回復者支援センター制作・著作DVD『ハンセン病療養所で受けた私の被害 断種・堕胎』2019年制作・ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書 2005年3月
https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/kenkou/hansen/kanren/4a.html

• 雑誌
「特集 旧優生保護法と現代」,『精神医療』2019,No.93 (批評社)
「特集やまゆり事件から3年のいま 優生思想の源流をたどる」 『精神保健福祉ジャーナル 響き合う街で』 2019年7月号(やどかり出版)
・「特集 優生保護法と女たち」戦後の女性記録継承プロジェクト・福岡女性史研究会編 『福岡 女たちの戦後』第4号2019年8月


• 国連報告書
• OHCHR, UN Women, UNAIDS, UNDP, UNFPA, UNICEF, WHO, 2014“Eliminating forced coercive and otherwise involuntary sterilization”
    Special Reporter of the Rights of Persons with Disabilities(Catalina Devandas  Aguilar) 2017,“Sexual and reproductive health and rights of girls and young women with disabilities   

・ その他      ・レーベンスボルン計画については、 『ヒトラーの子どもたち』(フランス    
2017年制作、母親一人で育てられたフランス人男性が老年になって自らがレーベンス
ボルン計画でドイツ兵との間に生まれたことを知るドキュメンタリーがNHK BS世界のド
キュメンタリーでも紹介。
デンマークのミステリー作家ユッシ・エーズラ・オールスンは『特捜部Q―カルテ番号64』 
(2010年作。翻訳は2014年ハヤカワ・ミステリ文庫上・下巻) で断種を題材にし、あと 
がきで1929年から1967年までに、およそ1万1千人(主に女性)が不妊手術を受け、
その半数が強制と推測、と記している(2019年映画化)

ジネンカフェVOL.137レポート その4

2020-03-15 13:32:39 | Weblog
【なぜいま裁判なのか? 1】
2018年1月30日に優生手術の被害者の佐藤由美さん(仮名)が提訴し、それが、大きく報道され一般に知られるようになったのだが、実は1997年9月には「強制不妊手術に対する謝罪を求める会(以下「求める会」)が発足し、国に対して強制不妊手術の実態解明と被害者に対する謝罪と公的補償を求める活動を行ってきた。また飯塚淳子さん(仮名)、佐々木千津子さん(故人)等の被害当事者が粘り強く声をあげてきたことが、提訴の実現の背景にある。

理由1.記録の散逸による証明の困難/実態解明の困難
行政に資料が保存されていない。国に報告された不妊手術の件数のうち個人名が特定されたのは3割(2019年3月1日厚労省の発表では、5400名)。医療機関においても記録の保管期間(5年間)が過ぎて廃棄されている場合が多い。公文書の保管・保存の問題性。記録の廃棄⇒法に訴える上で大きな障壁になったため。

理由2.差別への恐怖で声をあげられず
 強制不妊手術を推進した当時の資料には、障害があることに恐怖を感じさせるような差別的表現が見受けられる。
 被害を知られると、さらなる差別にさらされる(結婚などに支障が出る)ために配偶者に話していない人も。
 また差別は本人のみならず家族・親族にもおよぶため、被害を訴えられなかった。
理由3.自ら訴えることのできない人たちが被害者に
被害者の多くは、本人が自らは訴えることが困難な重度の知的障害、精神障害、身体障害のある人であった。本人を権利擁護する人の不在。(なんら説明を受けておらず被害を認識していない人たちも存在)
  
【提訴までの経過1】
• 1996年6月『母体保護法』が議員立法で成立。謝罪も補償も国会で議論されず。
• 1997年8月 スウェーデンの強制不妊手術、被害者に補償が検討されていることが報道
• 1997年9月「強制不妊手術に対する謝罪を求める会(以下「求める会」)設立。強制不妊手術の実態解明と被害者に対する謝罪と公的補償をもとめる要望書を厚生省に提出。
• 厚生省の回答は、「当時は合法で、既に法改正もなされた。もし法にそぐわない事例があれば具体的に示してほしい」だった。
• 1997年11月「求める会」は強制不妊手術被害者ホットラインを実施。それでつながったのが飯塚淳子さん(仮名)。
• 1997年12月 飯塚淳子さんは宮城県に対して自らの優生手術についての個人情報の開示請求。宮城県からの「不存在通知」に対して異議申し立てを行ったが、飯塚さんの書類が含まれると考えられる昭和37年度分のみ処分した、として、異議申し立ては1999年3月に棄却された。
• 1999年に「優生手術に対する謝罪を求める会」に変更。

【提訴までの経過2】
・ 1998年 国連の人権規約委員会へ日本政府が提出した第4回政府報告書に対するカウンターレポートをDPI日本会議が提出。強制不妊手術の問題を盛り込む。
・ 2003 年9月『優生保護法が犯した罪―子どもをもつことを奪われた人々の証言』(現代書館)を発行(2018年2月に追加資料も加えて増補新装版を発行)。
・ 2003年12月8日、飯塚淳子さん、佐々木千津子さんと求める会メンバーが国会議員に要望書の内容を伝える。
・ 2004年 優生思想を問うネットワーク制作 DVD『忘れてほしゅうない~隠されてきた強制不妊手術』

【提訴までの経過3】
2016年2月CEDAW(女性差別撤廃委員会)へのロビー活動
• DPI女性障害者ネットワーク:1986年障害女性の自立促進と優生保護法撤廃を目指して活動開始。優生保護法が母体保護法に改正された後、一時活動を休止。2007年DPI世界会議韓国大会を機に再始動。肢体不自由、聴覚、視覚、精神などの障害女性が集まり、障害者差別と女性差別を重複する複合差別解消の課題に取り組む。      
• SOSHIREN:1982年中絶の条件から「経済的理由」を削除する動きを阻止するため発足。現在は刑法・堕胎罪の撤廃をめざして活動している。
2016年3月 CEDAW(女性差別撤廃委員会)より勧告→ 国会で厚労大臣が「被害者ご本人から職員が事情を聞く」と答弁。厚労省と被害者・「優生手術に対する謝罪を求める会」との面談が実現。だが「当時は合法だった。調査も謝罪も補償もしない」という見解は変わらず。

【提訴までの経過4】
・ 2013年 飯塚淳子さん(仮名)が新里弁護士と出会う。
・ 2015年6月 飯塚さんが日本弁護士連合会に人権救済申立(新里弁護士の支援による) → 日弁連が申立を受けて意見書を発表2017年2月16日
 日弁連ホームぺージ https://www.nichibenren.or.jp/activity/document/opinion/year/2017/170216_7.html 
 
・ 2017年2月 日弁連の意見書についてのTV報道で被害者家族の佐藤路子さん(仮名)が新里先生にコンタクト。被害者の佐藤由美さん(仮名)について情報公開請求で不妊手術を受けた記録となる行政資料が出てきた。
・ 2018年1月30日、佐藤由美さん(仮名)が国損害賠償を求める仙台地裁に提訴へ。被害者として初めて。 

【提訴後の動き】
・ 2018年3月:国会で自民党の尾辻秀久議員を会長とする、「優生保護法下における強制不妊手術について考える議員連盟」(超党派議連)が発足。同時に自民党の田村憲久議員を座長とする自民・公明両党の与党ワーキングチームが発足。
・ 厚労省 母子保健課より 都道府県に資料の保全・調査を依頼する通知。県の行政機関(公文書館、保健所、児童相談所、更生相談所など)。医療機関、福祉施設(障害者施設、児童福祉施設、婦人保護施設、保護施設など)。
・ 2019年4月24日:一時金支払いについての法案が成立。(国の責任はあいまいなまま。ハンセンのように地方自治体の実態調査を行う委員会の設置もなし)。320万(←交通事故等で生殖機能を失った場合1000万基準。裁判は1100万~3380万)。中絶の被害は対象外。

【優生保護法被害裁判について】
佐藤さんの提訴後、全国(仙台、札幌、東京、静岡、大阪、神戸、福岡、熊本)で相次いで提訴、現在原告が24人に。
 くわしくは優生保護法被害弁護団ホームページ
      http://yuseibengo.wpblog.jp/
2019年5月28日 仙台地裁 判決
 優生手術が憲法違反であることは認める。
被害者が国家賠償法に訴えるのが困難だったのは認める。
• しかし
除斥期間(20年)を過ぎているとして、被害への賠償は却下。
      国の立法不作為も認めず(リプロダクティブ権についての国会・司法の議論が不十分だったとして)
高裁へ控訴

【リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖の健康と権利)とは?】
• 1994年 国際人口開発会議「カイロ行動計画」で提唱。性と生殖の健康を、子どもを産む機能だけに限らず、女性の生涯にわたる健康に関する権利としている。産むことだけを評価するのでなく、産むことも産まないことも同等に保障するとしている。人間の生殖の過程すべてで、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態にあること。安全で満ち足りた性生活を営み、子どもを産む可能性をもち、子どもをいつ何人産むか産まないかを決める自由をもつ。自ら選択した安全な避妊に関する情報、手段を得る権利、安全に妊娠出産できる権利を含む。すべてのカップルと個人がリプロダクティブ・ヘルスを享受する権利をいう。差別、強制、暴力を受けることなく生殖に関して決定する権利であり、女性には性と生殖に関することがらを、健康という視点から、生涯にわたり保障される権利。

【障害×女性(ジェンダー)差別の複合化】
・ 日本では「堕胎罪」で人工妊娠中絶を禁止。その上で「優生保護法(母体保護法)」が例外規定として中絶が可能な条件を規定。この2つの法律を使って産まれてくる生命を統制する形。現在の母体保護法でも判断するのは医師であって、女性本人の意思にもとづく、という文言はない。
・ 強制不妊手術の被害者約7割が女性。
・ 優生保護法の制定時は「障害のある人が障害のある子どもを産む」、「障害=不幸」と考えられていたが、現在では「どの人にも障害のある子どもが生まれる可能性がある」、「障害のあるなしと幸・不幸は直接の関係はない」、と認識が変わってきている部分もある。にもかかわらず、女性に対する「障害のない子を産んで育てるべき」という規範はいまだ強固である。女性の身体が「産む機械」としてモノ化され、胎児の障害の有無により産むか産まないか選択を迫られる状況は変わっていない。子どもに障害があってもなくても子育てに支援が得られる社会が望まれている。

【国連人権機関による強制不妊手術の報告】
• 障害者の権利にかんする特別報告者 カタリナ・デヴァンダス 
• 2017年7月「障害のある女性と少女のセクシャルおよびリプロダクティブ・ヘルス/ライツに関する報告書」
• “障害のある少女や若い女性は、優生思想・月経の管理・妊娠を防ぐなどの様々な理由から、他に比べて著しく強制的・非自主的な不妊手術の被害にさらされている。” 。
• “調査によると、障害のある女性や少女の不妊手術は、一般の人々に比べると3倍もの高い割合が続いていることを示している”
•  国連は、障害のある人々への強制不妊手術が“拷問”であると認識している。にもかかわらず、多くの国々の法律のシステムは裁判官、ヘルスケアの専門職、家族、後見人などが、障害のある人々の“本人の利益のために”ということで不妊手術の手続きに同意することを許している。
• 親や後見人は、障害者が性的被害にあいやすいことから、望まない妊娠を防ごうと考える。しかしながら不妊手術は、性的被害を防ぐものではない、そのような性的被害から守る義務をなくすものでもない。
• 知的障がいのある人に将来生まれるであろう子どもを育てるための必要な支援を提供するかわりに、不妊手術が、知的障がいのある人の子どもがうまれて生じるだろうケアの負担を防ぐ方法として、提案されている。
• 不妊手術に関して、法や政策の適用が自己決定の代行から支援つき自己決定にとって代わること、そして個人の自律(オートノミー)、希望、指向を尊重することを促している。

【国連人権機関から日本への勧告】
1998年11月<自由権規約委員会による勧告> 
「障害を持つ女性の強制不妊の廃止を認識する一方、法律が強制不妊の対象となった人達の補償を受ける権利を規定していないことを遺憾に思い、必要な法的措置がとられることを勧告する。」
2014年  1998年勧告を実施すべきという勧告
2016年3月<女性差別撤廃委員会による勧告> 
「締約国が優生保護法の下での女性の強制不妊手術という形態での過去の侵害の程度に関する調査研究を行ない、加害者を起訴し、有罪となった場合には適切に処罰するよう勧告する。委員会はさらに、締約国が強制不妊手術のすべての被害者に対し、法的救済措置へのアクセスの支援を提供する具体的措置をとり、賠償およびリハビリテーションのサービスを提供するよう勧告する」

ジネンカフェVOL.137レポート その3

2020-03-15 13:28:19 | Weblog
【旧優生保護法下での強制不妊手術】
旧優生保護法下での強制不妊手術は3つに分類できる(利光惠子氏による)
1. 本人の同意を要さない不妊手術
2. 本人の同意によるとされたが実質的に強制だった不妊手術
3. 法が認める範囲をこえた本人の意志によらない不妊手術


1の本人の同意を要さない不妊手術とは、優生保護法の第4条遺伝性疾患とされた人を対象に、「公益上必要と認めるとき」、医師が申請し、優生保護審査会が認めれば、本人(や保護者)の同意がなくとも強制的に不妊手術を行うことを合法化した。。、第12条:遺伝性でない精神病や知的障害のある人を対象に、保護者の同意と優生保護審査会の決定によって実施した。

2の本人の同意によるとされたが実質的に強制だった不妊手術は、第3条:遺伝性とされた疾患や障害の他、ハンセン病の患者に適用され、本人と配偶者の同意により実施されている。また、ハンセン病の療養所では、結婚(夫婦部屋への入居)の条件として不妊手術が提示された。隔離政策の維持の目的で患者同士の結婚を認め、女性の性・ケア役割を利用するも、「ハンセン病の根絶=ハンセン病回復者に子どもを作らせない」政策であった。
このハンセン病回復者の隔離政策は1996年「らい予防法」が廃止されるまで続いた。

3の法が認める範囲をこえた本人の意志によらない不妊手術は、対象者について、法が認める範囲をこえ“不良な子孫”とみなされた人たちに広く適用され、被害が拡大した。法が認めた方法(=精管・卵管の結紮)以外の方法、子宮・卵巣・睾丸の摘出や、違法とされた放射線照射も行われた。ずさんな手術による後遺症も報告されている。ハンセン療養所では医師資格のない者による男性の不妊手術や、臨月に近い時期での中絶(実質的には嬰児殺し)が行われていた。

<身体障がい者が施設入所の条件として>
身体障がい者が施設入所をする場合に、職員や介護スタッフが生理の世話をするのが大変ということで、生理をなくすために子宮摘出等の手術が行われた。さらに禁止された卵巣への放射線照射が実施された例も(故佐々木千津子さん)あった。しかし、これは婦人科手術という名目で実施され、優生保護法下の優生手術として報告されていない事例もある。

<精神障がい者が退院や結婚の条件として>

精神科病院に入院中、妊娠しても育てられないということで中絶、また退院の条件として不妊手術の提示をしていた。(法の廃止後も起きている)

<知的障がい者の地域生活や結婚の条件として>
知的障害の女性が性的被害で妊娠することを防ぐため。社会として知的障害女性を性的被害から防ぐ対策を取るよりも、個人の身体に介入する方向で対処がはかられた。また施設から退所する男性に対しても実施していた。

<聴覚障がい者の結婚の条件として>
全日本ろうあ連盟の調査(2018年3月25日~12月31日)によれば、136名が被害。『障害を持つ女性の生活実態調査』昭和57年3月 名古屋市市民局(p35)より抜粋。「結婚には直接反対はされなかったものの子どもを産まないという条件つきで結婚した聴覚障害者は5人にのぼる。」

【社会的養護の子ども】
貧困や家庭環境等により学校を長期欠席したり、非行傾向のある子どもが、“精神薄弱・精神疾患”とみなされ、不妊手術を受けさせられたこともあった。


【被害が広がった背景】
恣意的な医学的認定
優生保護法には「遺伝性」の医学的認定を適切に行う仕組みがなく、医師一人の判断で可能。医師の専門知識(遺伝等の知識)は問われず。恣意的な認定になってしまった。

2術式の拡張の容認
28条「何人も、この法律の規定による場合の他、故なく、生殖を不能にすることを目的として手術又はレントゲン照射を行ってはならない」→学術研究は「故なく」ではない、つまり正当な理由があると解釈。学術研究の名の下に違法な放射線照射が行われた可能性が高い。

3法務府によるお墨付き
1949年9月 厚生省から法務府への問い合わせ
 →1949年10月法務府からの回答
「真にやむをえない限度において、身体を拘束したり麻酔薬を用いたり、だましたり(欺罔)してもよい」との回答。不妊手術の強制は基本的人権の制限を伴うが、「不良の子孫の出生防止」という公益上の目的のためには、憲法の精神に背かない、との通知が出された。(1953年厚生省事務次官通知、1949年10月11日法務府 法制意見 第一局長回答)

4国策としての学校教育
教師から「障害者は子どもを持つべきではない」といわれた人もいた。
愛知県で使われていた1961(昭和36)年の『保健体育』の教科書にも優生思想を肯定し、遺伝性疾患とされた人との結婚を忌避すべきとの記述がある。


【全国の優生手術報告件数】
優生手術の報告件数は本人の同意なしの第4条・12条の約1万6500件と第3条の約8500件を合わせると約2万5000件。人工妊娠中絶は、遺伝性約5万1276件、ハンセン病7696件で合わせると約5万9000件。優生手術、人工妊娠中絶の報告件数を全て合わせると約8万4000件にも及んでいる。

【愛知県の状況】
そんな中で愛知県の状況は、愛知県の衛生年報によれば4条201件、12条54件、 3条440件(遺伝性362件、ハンセン病78件)となってはいるが、半数の記録(氏名)が残っている宮城県に比べて愛知県の場合、記録がほとんど廃棄されている。残されているのは1966(昭和41)年から 1971(昭和46)年までの6年間8回分の優生保護審査会の資料のみ、これにより60名(女52男8)の氏名が判明した。20歳未満の未成年が20人。知的障害の少女に対して「性的風俗異常行動が認められる。生理の手当ができない」「男子労務者の往来が多く誘惑される」「性的に無知無関心であるため、将来が非常に危険」などの言葉があり、少女を性被害から守るという名目で、少女の身体に介入する形での対処がとられた。

【優生保護法から母体保護法へ】
1972年になって「優生保護法の一部を改正する法律案」が出されるものの、ふたつの反対運動に遭い廃案になった。その改正案は中絶の条件から「経済的理由」を削除しようとするものだったが、中絶の99%が経済的理由で、実質的に中絶を不可能にするものだとして女性運動からの反対に遭い、胎児に障害がある場合の中絶「胎児条項」の導入も障害者運動が起こり、廃案になったのだ。障害者運動の中心は〈青い芝の会〉だったが、こんな声明を出している。

 「障害者」は殺されるのが当然か!
「障害者の生き方の「幸」「不幸」は、およそ他人の言及すべき性質のものではない筈です。まして「不良な子孫」と言う名で胎内から抹殺し、しかもそれに「障害者の幸せ」なる大義名分を付ける健全者のエゴイズムは断じて許せないのです。(・・・中略・・・)私達は「障害児」を胎内から抹殺し、「障害者」の存在を根本から否定する思想の上に成り立つ「優生保護法改正案」に断固反対します。」

女性運動と障害者運動、この二つの運動は互いに対峙する中で、「産める社会!産みたい社会を!」障害児だって産みたいと思ったら産んで育てられる社会であればいい。という見解を示す。1994年カイロで開催された国連の国際人口・開発会議では、性に関しても産む・産まないについても特に産む当事者の女性には自分で決める権利がある、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と自己決定権)を人権として提示されるように決議。障害者のピアカウンセラーの安積遊歩さんが優生保護法の実態(障害者の存在を否定するものであること 現在でも強制不妊手術が行われていること)を世界にアピール。これに対して国際的な批判が巻き起こった。1996年に優生保護法は廃止され母体保護法へ移行した。


ジネンカフェVOL.137レポート その2

2020-03-15 13:23:07 | Weblog
【優生思想の浸透―アメリカ】
自由の国と言われているアメリカでも、1907年(明治40年)にインディアナ州で世界初の断種法が制定され、それが全米32州に広がってゆく。そして隣国カナダ(アルバータ州)でも制定され、1970年代までに施設の精神障害者など全米で6万3千人以上が断種手術を受けさせられたという。また、1920年代から60年代の公民権運動の頃まで、異人種間婚姻禁止法や、北欧・西ヨーロッパ以外からの移民を制限する法律が存在した。  

【優生思想の浸透―ヨーロッパ】
優生思想といえばナチスドイツを思い浮かべるが、ヨーロッパにおいてドイツだけが優生思想を信奉していたわけではない。ドイツだけではなく、スイス、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、エストニア、アイスランドなどでも断種法を制定させている。加えてヒューストン・S・チェンバレンが『19世紀の基礎』(1899)で、ゲルマン人の優越性と人種反ユダヤ主義を唱え、全ヨーロッパ民族を「アーリア人種」と呼び、西洋文明をユダヤ人種の手から救ったのはアーリア人の指導的存在だったチュートン人(ドイツ系民族)とした。それはどこにも根拠のない非科学的な説明であったが、それを信奉したのがヒトラーだった。

【ナチスの優生政策】
優生学を信奉したヒトラーは「ドイツ民族、即ちアーリア系を世界で最優秀な民族にするため」に「支障となるユダヤ人」の絶滅を企て、600万人以上おユダヤ人が犠牲になったことは詳しく知られている。それが強制収容所等でのホロコーストだが、一方で1935年に開始された「レーベンスボルン(命の泉)計画」では、アーリア人(金髪碧眼)の未婚の若い女性をSSナチス親衛隊員と強制的に結婚させ、「ドイツ民族の品種改良」を試みた。また、1980年代になって、ホロコーストの前の‘リハーサル’として、20万人以上の障害のあるドイツ人らが殺害されたこと、それに医療従事者もかかわっていたことが、知られるようになった。

【ナチスの障害者への断種・強制的安楽死政策】
ナチスは1933年に「遺伝子病子孫予防法」を制定し、遺伝病患者が存在することによって国家予算が消費されていくことを訴えるキャンペーンが行われ、精神的または肉体的に「不適格」と判断された30万人以上に対して強制断種を行った。そして1939年には「T4作戦」を開始している。病院や施設に収容されていた人々をガス室等で強制的に安楽死(殺害)させたのだ。これに対して1941年になってフォン・ガーレン司教がナチスの安楽死政策を非難し、政府より中止命令が出された。しかし、中止命令後も、終戦まで障害者の強制的安楽死政策は続き、20万人以上が殺害されたという。

【日本への優生思想の導入】
優生思想が日本に導入されたのは、1930(昭和5)日本民族衛生学会の創設が契機であろう。1940(昭和15)に『国民優生法』が制定され、遺伝性とされた疾患のある者の断種(優生手術)を規定した。実施されたのは5年間で454件であった。戦時下の「産めよ増やせよ」政策では、中絶は施術者と女性(相手の男性は不問)は刑法堕胎罪に問われるだけでなく、非国民な行為とされた。日本において優生政策にもとづいて強制不妊手術が実施されたのは、むしろ戦後の1948年(昭和23年)に成立した優生保護法の施行の後である。

【優生保護法】
1948(昭和23)年に制定された「優生保護法」には、2つの目的があった。一つ目は「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」優生手術(優生上の理由にもとづく不妊手術)であり、二つ目が「母性の生命健康を保護すること」人工妊娠中絶について規定であった。1949年に中絶の適応に「経済的理由」が導入され、実質的な中絶の合法化(1955年には1年間で117万件中絶)がなされることになる。1952年に、4条(遺伝性の疾患)に加え、12条(遺伝性以外の精神病や知的障害)の強制不妊手術も新設されて、戦前の国民優生法よりも対象者を広げ、優生政策は強化されていった。1996(平成)8年になって廃止され、優生的文言を削除し『母体保護法』へと名称が変更になった。

【中絶が合法化された時代背景】
世界に先駆けて日本で中絶が合法化されたが、20年後の欧米の女性運動のように「産む・産まない自由」を求める運動があったわけではない。堕胎罪はそのままで条件付きでの中絶が合法化されたのである。その時代背景は、戦地からの復員・引揚者(約600万人)による人口増加と食糧難があり、、ヤミ中絶で命を落とす女性が多かったのだ。それに加えて表立っては議論されていないが、戦時性暴力、引揚女性の性被害による「不法妊娠」がある。

【戦時性暴力と引揚女性の性被害による「不法妊娠」】
戦時性暴力、引揚女性への性被害に対する「不法妊娠」は後を絶たず、優生保護法が成立する前の昭和20年8月厚生省は国立大学医学部責任者を召集し中絶実施の密命を出していた。九州大学グループの国立福岡療養所と国立佐賀療養所、二日市保養所(京城帝国大学系の医師らによって自主的に設立。泉靖一。皇族が訪問)九州大学グループと二日市保養所で1000件以上(正確な数字は不明)の中絶手術が行われた。

この引揚女性の性被害に対する関心が、戦後初の女性国会議員の一人で福岡県の産科医の福田昌子氏を動かし、加藤シヅエ氏、谷口彌三郎氏とともに優生保護法の提案することにつながっていった。。

【厚生省からの指示】
当時の厚生労働省(当時の厚生省)の指示に、「異民族の血に汚された児の出産のみならず家庭の崩壊を考えると(中略)これを厳しくチェックして、水際で食い止める必要がある」「極秘裏に中絶すべし」という文言があったという。
性的暴行を受け妊娠してしまった女性を救うというより「民族の純粋性を保つ」という優生的な目的が重視されたのではないか。


【優生政策の強化】
戦後の日本では、こうして中絶の合法化と同時に優生政策の強化が図られた。熊本医専の産婦人科教授で自民党参議院議員の谷口彌三郎氏は、「産児制限を進めれば、優良な人々は社会状況を理解し家族計画により子どもの数を制限しようとするが、不良な人々は欲望のままに子どもをつくり続け逆淘汰が起きる」という民族の逆淘汰論を主張した。

ジネンカフェVOL.137レポート その1

2020-03-15 13:10:09 | Weblog
ジネンカフェVOL.137は、異例尽くしの拡大版になった。先ずテーマが『多様性の時代に生命はなぜ優劣を求められる〜私たちの内なる優生思想を越えて』という、ジネンカフェ史上一番重いテーマを取り上げたこと。加えてゲストに立命館大学生存学研究所客員研究員の河口尚子先生をお招きして、優生思想の歴史や本質、日本での導入の経緯や問題点などお話いただいたアカデミックな回になったこと。そして新型コロナウイルス感染拡大への懸念から、行政がらみのこうした集会が次月と中止や延期になる、まるで厳戒態勢の中で行ったこと。また、そのせいか史上初の参加者の少なさだったことも挙げられよう。しかし、その数少ない参加者の分、ひとりひとりの中に大切なものを届けることが出来たのではないかと自負している。それはワークショップの雰囲気や、ジネンカフェの開始前に暗い表情で会場へ入って来た参加者の人が、終了時には憑きものが落ちたように朗らかな表情になって帰って行かれたことを見ても明らかだろう。

【河口尚子先生のプロフィール】
河口尚子先生は社会福祉士でもあり、精神障害者社会復帰施設、民間病院、作業
所等に勤務後、スウェーデン・イギリスに留学。
2006年リーズ大学大学院障害学(Disability Studies)専攻修了。訳書に『障害学に
もとづくソーシャルワーク:障害の社会モデル』(2010年,金剛出版)。専門は障害学・社会福祉学。現在は、障害/女性のどちらの分野からも中心課題とされず後まわしにされがちな障害のある女性のかかえる課題/生きづらさや、戦後1996年まで存在した優生保護法の下での強制不妊手術の問題に取り組んでおられる。

【優生思想とは?】
「優生思想はいろんな言い方があるでしょうが、他人にとっての損得・価値によって、時に人を生まれないようにし、時に死んでもらおうという考えです。そして単に考えでなく、実践がある」社会学者で生存学者の立岩真也さんは、毎日新聞2019年12月18日インタビューでそう答えている。「単に考えではなく実践がある」ということだが、今日は過去にどのような事がなされてきたのか、をふりかえりたい。

【優生思想の源流】
優生思想はもともと『優生学』から来ている。その優生学(eugenics)とは 1883年(明治16年)フランシス・ゴルトン(イギリス、ダーウィンのいとこ)が提唱した。天才は後天的な努力ではなく遺伝による。人間の遺伝素因を重視して、遺伝子のうち優良とされているものを増加させて劣等とされるものを減少させようとする。ダーウィンの進化論・自然選択説を、人間社会においてもあてはめて、生物淘汰による進歩を促すべき…という考えで、当初は社会を改善しようとする進歩派の人が支持しした。植民地支配を背景に“人種”主義とも結びついていた(人間には進化の進んだ人種と、進化の遅れた劣等人種がいるとして生物学的な優劣をつけた。)またドイツではアルフレート・プレッツが1895(明治28)年に「個人ではなく、集団・民族全体として優良な形質を後の世代に引き継ぐこと」に主眼をおいた『民族衛生学の基本指針』を出版、提唱した。この民族衛生学と優生学とはほぼ同義である。20世紀初頭にはアメリカ、ヨーロッパ、北欧などに浸透し、優生思想は大きな支持をえることになった。