ジネンカフェだより

真のノーマライゼーション社会を目指して…。平成19年から続いているジネンカフェの情報をお届けします。

ジネンカフェVOL.140レポート

2020-10-19 17:29:10 | Weblog
今年は新型コロナウイルス感染拡大のためにジネンカフェも変則的な開催になっているが、またもや二ヶ月ぶりの開催である。8/1に開催する予定になっていたVOL.140を、今月10/3に行った。ゲストは、身内も身内、NPO法人まちの縁側育くみ隊の事務局・金森菜月さん。金森さんは昨年の11月から事務局に入ったフレッシュな方である。こういう若い方がNPO業界に入っていただけるのは極めて貴重なことであろう。しかし、この金森さん、実はこれまでまちの縁側育くみ隊と全く縁がなかった訳ではないのだ。そこら辺は追々と明らかにして行こう。タイトルは『デザインと市民活動とわたし』

【戦場カメラマンに憧れて…】
金森菜月さんは名古屋学芸大学の出身。大学ではデザインではなく、写真や映像関係を学んでいた。それというのも金森さんはカメラマンの長倉洋海さんに憧れて、戦場カメラマンになって世界の紛争地を飛び回りたかったのだという。長倉洋海さんは紛争地帯の子どもたちの写真を撮られていて、写真集なども何冊か出版されておられる。しかし、それをお母様に話したら「そんなことはやめてくれ」と泣かれてしまったそうだ。それはそうだろう。戦場カメラマンは紛争地に出向いて、そこで起きていることをカメラに収め、真実の姿を世界に発信してゆくのだ。絶えず危険が付きまとう。ましてや金森さんは女性だから、親としては二重の意味で気が気ではなかったであろう。小さな頃から身体が弱く、心配をかけたお母さんに泣かれしまった金森さんは、そこまでして戦場カメラマンになろうとは思わず、かといってこの先写真で生きてゆくにはどこかのフォトスタジオに入らなければ食べてゆけない現実もあった。

【トリエンナーレ、まちの縁側育くみ隊との出会い】
そんな折も折、名古屋の中心部・錦二丁目エリアが街まるごと『あいちトリエンナーレ2013』の会場になることが発表され、NPO法人まちの縁側育くみ隊もそのアートの祭典を盛り上げるため、あいちトリエンナーレ2013まちなか展開拡充事業共同事業体の事務局として協力することになったのである。幾つかのコースを選定して期間中まち歩きをしたり、百人の参加者さんが各自お気に入りの名古屋の風景を使い切りカメラで撮って、それをコンテスト形式で発表する名古屋百人百景を行った。その共同事業体「まちトリ」のスタッフとして、当時大学を卒業したばかりだった金森さんも応募して働いてくれていたのである。まち歩きの案内人はもちろん、様々なチラシやパンフレット、記録集の編集・作成に関わってくれていたのだ。

【フォトスタジオかNPOの事務局か】
時は経ち、2019年のこと。NPO法人まちの縁側育くみ隊の新代表になった名畑恵氏から「事務局としてNPOに関わってくれないか?」という打診があった。まちの縁側育みく隊の事務局になるということは、即ち錦二丁目エリアマネジメント株式会社のスタッフも兼ねるということだ。NPOだけではとても真っ当な人件費も出せないからである。しかもNPO法人の事務局の仕事は多岐に渡っており、雑多な仕事をこなさなければならない。〈わたしに務まるのか?〉〈名畑さんはなぜわたしに声をかけてくれたのだろう?〉〈けれども、あのトリエンナーレ以来、まちづくりに興味を持ち始めているのも確か…〉そんないろいろな想いが錯綜していたが、金森さんには「声をかけられ、頼られた以上、最善を尽くそう!」というモットーがあり、まちの縁側育くみ隊の事務局に入局したのであった。

【彼女の感性はどこから来ているのか?】
入局してからもうすぐ一年になるが、目覚ましい活躍ぶりである。デザインの仕事だけでまちの縁側育くみ隊の収入の5〜6割程度は稼いでくれているのではないだろうか? 今年2月に催したジネンカフェ拡大版のチラシも、彼女の手になるものである。デザインが全く出来ない私が言うのもなんだが、金森さんのデザインにはストーリ性を感じられるのだ。もっとわかりやすく表現すると、どうしてこういうデザインにしたのか、なぜここにこのようなアイテムを置いたのか、その意図がわかりやすいのだ。もちろんそれはクライアントの意図を汲んでそうしているわけで、想いやテキストをデザインとして表現できる感性は身びいきではなく実に凄いことだと思う。金森さんのこのような感性はどこから来ているのだろう?

【一日中でも図書館にいられるほどの本好き】
金森さんの両親は共働きで、幼い頃から近くに住む祖父・祖母の家に預けられることが多かったという。その祖父・祖母の家にはそれはそれは大きなスライド式の本棚があり、そこにいろいろな本がギッシリと並べられていた。その本たちを一冊一冊本棚から抜き出しては表紙を眺めたり、本の匂いを嗅いだり、ページをパラパラ捲ったりして遊ぶことが少女の頃の金森さんの日課であった。もちろん字が読める年頃になると、そこにどんなことが綴られているのか興味津々で読み耽ったことだろう。そうして金森さんはいつしか本好きになり、いまでは一日中図書館にいても平気な大人になった。テキストからクライアントの想いや意図を読み取る能力、それは幼い頃からのこうした読書体験から来ているのではないだろうか。それに加えて写真の構図を学んだこと、〈まちトリ〉での経験、それらが糧となって現在の金森さんのデザイン力を育んでいるのではないだろうか? そう、人生には無駄な経験などひとつもないのだ。

【本が好き過ぎて…】
私自身が本好きだから解るのだが、本好きにも二種類のタイプがいるように思う。本という存在、そこに綴られている物語や文体を読むことが好きで、読書することが食事をするとか、飲み物を飲むとか呼吸をするとかと同じになっているようなタイプの人間と、とにもかくにも装丁を含めた本という存在が愛しくてたまらない人間。前者はそれが別に本という形でなく、最近流行の電子書籍みたいなものでも読めれば構わないと思うだろうし、後者は断然紙の本に拘りを感じているだろう。金森さんは後者なのだ。そして本が好き過ぎるあまりに自分で装丁して本を作ってしまったという。その本の装丁は鉛シートで設えた箱の中に写真と文章とでコラージュされたカードを30〜40枚程組み込んだ作品で、中身の本の内容は「記憶をテーマに構成した、誰かの日記やモノローグのようなもの」だそうだ。『the last thing』と題されたその本は、《日本ブックデザイン賞2017》コンペに応募し、ブックデザイン・セルフパブリッシング部門で入選を果たしたという。
http://apm-nagaoka.com/bookdesign/jbd2017/
授賞式の前後に作品の展示会があり、金森さんも自分の作品を観に行かれたのだが、それ以来ご無沙汰をしているそうだ。

【機会があれば今後も装丁の仕事に関わりたい】
金森さんはNPOまちの縁側育くみ隊事務局や錦二丁目エリアマネジメント株式会社の事務局スタッフの仕事もこなしながら、機会があればまた本の装丁に関わりたいという。長年懸案になっているジネンカフェ本、まだ出版出来るのか定かではないのだが、もし出版されることが決まれば彼女に装丁をお願いしても良いかと思っている。