ジネンカフェだより

真のノーマライゼーション社会を目指して…。平成19年から続いているジネンカフェの情報をお届けします。

ジネンカフェVOL.098レポート

2015-11-29 22:16:26 | Weblog
毎年10月はお休みをいただいているので、一ヶ月ぶりのジネンカフェとなる。VOL.098のゲストは、NPO法人ポパイの事務局・山口光さん。光さんはまた、ポパイさんのコンセプトである〈MO-YA-CO〉の発案者であり、そこから展開したMO-YA-CO UNIQUE PRODUCCT! の担当者でもある。また、光さんは歌手でもあり、いろいろなミュージシャンともライブ活動を行っている。ちいさなひとたちとの暮らしを楽しくする音楽〈おうちうた〉を届けるクジララのメンバーとして活躍する他にも、作詞、訳詞、朗読、イベント企画・障がい者との表現活動を行っている。NPO法人ポパイやMO-YA-COのことは、いままでも何度か取り上げ、幾人かのゲストさんがお話下さっているので、ここで詳しくは繰り返さない。ただ、ポパイさんがMO-YA-COプロダクトを立ち上げてからもう随分時が流れ、その展開にはめざましいものがある。光さんには特にその中でも初の海外進出を含めた、この二ヶ月間の出来事を語っていただいた。お話のタイトルは『わたしを発揮する』

【事務局スタッフとはいうものの…】
冒頭で繰り返さないと書いておきながら、その舌の乾かぬうちにポパイさんの説明を少しだけ。NPO法人ポパイさんは、もともとは名古屋市北区に本部をおいている知的に困難を抱えている方たちの生活介護、就労支援を行っておられるNPOで、事業規模を年々幅広く展開させ、現在は西区にお菓子づくりと販売の拠点を、熱田区にも居宅介護とショートステイの施設をもっている。成長著しい法人である。山口光さんは現在でこそ法人の事務局スタッフのひとりとして働いておられるが、法人の初期の頃にはご主人が法人の理事長ということもあり、イベントの時など人手が足りない時などに手伝う程度であった。本格的に働き始めたのは二年ほど前からである。事務局スタッフとはいうものの、事務仕事やPC作業の苦手な光さんは、もっぱらイベントや、ポパイさんの法人コンセプトにもなっているMO-YA-COプロジェクトの担当をされており、最近ではMO-YA-CO UNIQUE PRODUCT!の担当者として活動をしておられる。

【MO-YA-COとは?】
MO-YA-COとは、名古屋弁の(もやい)から来ている。これは(分けあう)とか(分かちあう)というような意味をもつ方言で、不思議なことに名古屋だけではなく日本全国に(もやい)という言葉が使われているようだ。想像するに日本の国土は狭く、島国でもあることから人々が日々の幸を分かちあうことを是とする風土が培われ、全国的に根付いているのかも知れない。ポパイさんではこれを法人のコンセプトにされているわけだが、イベントを行うにしても、アートの展示会を行うにしても単独で展開することはなく、地域や企業とか他の事業所などとコラボすることを前提に運営されているのだ。光さんはその担当を買って出たという。今回のテーマとも関連するのだが、人には不得手というものがあり、(適材適所)という言葉もある。それは仕事のことに関してたけではなく、生きるうえにおいての光さんの基本姿勢のようなもので、それがポパイさんでの仕事にも表されたという感じであろう。

【MO-YA-COはカタログ販売から始まった】
もともとMO-YA-COプロジェクトは、カタログ販売から始まったらしい。光さんのご主人であるポパイの理事長・山口未樹さんがあるとき、通販をしたいと言い始めた。でも、とりあえず先ずはカタログ販売を始めてみようと、光さんにカタログの制作を頼んだのだそうだ。その頃は光さんも現在のように毎日勤めているわけではなく、イベントの時に人手が足りないと手伝いに行く程度だったので、そのカタログの仕事もその延長線上で頼まれたのだ。光さんはデザイナーさんと話しあいながらそのカタログを作ったわけなのだが、その時にデザイナーさんから、一言でわかりやすく、コンセプトが話せる、語れるプロジェクト名をつけた方がよいのではないかと提案されたそうだ。その頃からポパイさんは自分たち以外の外の人たちと関わるということをしていて、それはなぜかと言うと障がいをもつ人たちはどうしても社会的にボーダーが出来てしまいがちだ。外に出にくかったり、関りが少なかったり、特に知的に障がいがあると、もう自宅と施設の行き帰りだけで終わりという感じになってしまうことがよくある。それを打破し、世の中を変えてゆくには待っていても仕方がないので、こちらから出て行っていろいろな方と関わったり、福祉の専門家やボランティアをしたい人だけではなく、ちょっとしたことでも手伝って下さる方がいれば…という感じで動いていたので、そのデザイナーさんに提案された時に「ポパイが目指していることはそういうことだな」と光さんは思ったという。自分たち以外の他と関わること。ただ毎日を生き生きと暮らすことだけではなく、積極的に社会と関わってゆくこと。そういう世の中を作ってゆく一端を担う。そういうことだなと、ご主人と光さんは改めて認識したのだ。それを表す言葉で他者に語れる名前はないだろうかと考えた時に、光さんは名古屋弁がいいなと思ったという。名古屋の事業所であるから、名古屋弁の「もうやあこ」がよいではないかと閃き、それを光さんがローマ字表記にしたのだという。その頃から光さんは「世界進出」を見据えていたらしい。国内のみならず、積極的に世界とも関わってゆきたいという意思の表明が「MO-YA-CO」という表記にした理由なのだそうだ。当初は友達のお店のコーヒー豆とポパイさんのお菓子との抱き合わせとか、そういう抱き合わせ商品を4セット作って「分けあいっこ」「持ちあいっこ」という意味を含めて販売していた。それが後々法人のコンセプトになったわけだ。MO-YA-COプロジェクトから、MO-YA-CO UNIQUE PRODUCT!が派生して現在に至っている。そしてポパイさんは現在でも単体では動かない。必ずどこかとコラボしているのだ。商品を開発するにしてもデザイナーさんとあえて組んだり、どこかのお店の人と組んだりしているという。

【まぼろしのようで】
そのポパイさんでは10月上旬にMO-YA-CO UNIQUE PRODUCT!の一環で、『まぼろしのようで』と題されたアート展示会+イベントを白川ビルにオープンした空間で、オルタナティブ・アートミュージアム∠45°との共催で行った。これは降って湧いたように突然決まったもので、ポパイさんのHPを担当されている方から「伏見に全く新しいスペースが新装オープンするけれど、本格的にオープンするまでに一ヶ月猶予があるのでなにかしないか?」という話があったという。もともとはポパイさんのHPを担当されているデザイナーさんや、その空間のデザインを手がけたデザイナーさんに持ちかけられた話だったらしいが、以前から何かするのならポパイさんと一緒にしたいと言ってくれていた人たちからのお誘いだったので、準備期間が3週間しかなかったけれど、引き受けて実現した展示会+イべントだった。この前にも新栄町のスタバでの展示会や、栄の明治安田生命ビルでのイベントや、法人自体のお祭りなどもあり、実に気ぜわしい期間であったという。私も感心してみているのだが、もともとポパイさんは展示会やイベントが多い上に、障がい者の生活介護事業所として日中活動の支援もされている。そのせいかよく「法人としてどうやってやりくりしているのか?」と尋ねられるらしい。実はこの一週間後ぐらいに北欧はフィンランドのヘルシンキで展示会の予定があり、光さんはそちらの準備もしなければいけなかったのだが、そのために予定を空けてあったので、せっかくいただいたお話だから…という気持ちもあったという。

【過密すぎる展示会スケジュールの理由】
その展示会+イベントはポパイさんの主催で、オルタナティブ・アートミュージアム∠45°との共催で、MO-YA-CO UNIQUE PRODUCT!の事業として行われることになった。オルタナティブ・アートミュージアム∠45°とは、障がいをもつアーティストの作品を集めた美術館を作ろうという主旨のもと活動している団体で、光さんのご主人もそのメンバーのおひとりなのだ。光さんはアートの方はそれほど詳しくないので、アート作品の展示の方はご主人とオルタナティブ・アートミュージアム∠45°のメンバーに任せて、光さんはその期間中に行われるイベントを担当した。そのスケジュールが過密で…。ボーダレスアートに関するトークイベントとパーティーは、ボーダレスアートの展示会ということで行うことは決めていたのだが、なにしろ準備期間が3週間しかなく、チラシが完成したのが展示会当日の1週間前で、告知期間が事実上その1週間しかなかった。これはボーダレスアートの展示会とトークイベントだけではひとが来ない可能性がある…との懸念から、二階を展示スペースにあて、一階で日替わりのイベントを行うことにした。話を持って来てくれたHPデザイナーの方や、店舗デザイナーの方おふたりのやりたいことも取り入れて、『みんなのお産』という映画を観る会や、助産師さんを招いて40代の女性の生き方を語りあう会や、長野で有機農法で野菜を育てている人を招いて、お話してもらったあとで全員でサンドイッチを作って食べる会をもったり、光さんは歌手でもあるのでライブをしたり、お子さん向けのアートワークショップ、ポパイさんで販売しているお菓子を作っている利用者さんを招いて、子どもたちと一緒にまぼろしの山を作って食べてしまう会とか…。12日間という短い展示会の期間中に、いろいろな人たちを巻き込んだイベントを組み込んで行ったのだ。それが功を奏して展示会『まぼろしのようで』は、いろいろな方たちに来て貰うことが出来て成功裡のうちに終わったのだった。

【フィンランドへ】
前日まで『まぼろしのようで』の処理仕事をしていた光さんは、取るものも取りあえず次の日の航空機でフィンランドへと旅立った。国際親善協会の催し物で毎年どこかの国で〈ジャパン・ウィーク〉が開かれているのだが、たまたま今年がヘルシンキで行われるということで、交流のある福祉職の方がフィンランドに行きたい…という話から、せっかくフィンランドに行くんだから、自分たちでも何かやれれば…という話になり、それではその〈ジャパン・ウィーク〉に併せて商品や作品の展示会をしようということになったのだ。その展示会はポパイさんだけではなく、複数の福祉施設や雑貨屋さんや個人が集まって作っている「OTSU」というグループで開催することになった。そのメンバーのひとりとして光さんも参加したわけだ。一概に作品や商品の展示会とはいっても、ポパイさんのように独自で商品開発をしているところもあれば、障がいをもっている人の作品をデザイナーさんが使っているところもあり、実にバラエティーに富んでいたという。ただ、残念だったのは当初予定していたヘルシンキ中心地の観光スポットの中にあるアールト大学のギャラリーが取れなくて、そこなら何もしなくても大勢観に来ていただけると踏んでいたのだが、急遽決まった会場がヘルシンキの郊外にあるその大学のサテライトキャンパス内のアートデザインファクトリーという施設だったことだ。場所が中心地から離れていることもあるし、集客もそれほど期待出来ず、そのキャンパスに通っている学生さんがメインの客筋だった。実際にそれほどひとの流れはなかったのだが、たまたまスロヴァキアの大統領が視察に訪れていて、黒服の集団がウロウロしていたから「なんだろう?」と思ったら、その黒服集団は大統領のSPだったらしく、その御一行様が観に来てくれたり、フィンランドはデザインでは最先端の国で、そのアートデザインファクトリーも世界的に注目をされている施設なのだそうで、このときも韓国のテレビ局が取材 に来ていたが、関心のある人たちが観に来てくれたかと言えばそうでもなく、それが少し残念だったという。

【異国でのファッションショー】
その中でも、愛知県内の福祉施設の利用者さんが描いたデザインを、そのまま麻布で仕立てた洋服や小物類を作っている大須の〈まめ〉さん(お店自体はもう閉められて、今後は〈とわデザイン〉として再出発する)のデザイナーさんの作品でファッションショーを行ったそうだ。モデルは光さんたちがしたり、とわデザインさんの知りあいでフィンランドの中学生が来てくれたりもしたそうだ。中学生とはいっても、日本人の大人よりも足が長くて雰囲気も大人びていたという。次の日にはその格好でヘルシンキのまちを歩いて、展示会の宣伝に務めたそうだ。

【フィンランドで体当たり行商?】
しかし光さんは、実はその展示会の会場にはあまりいなかったという。ポパイさんからはふたり行ったので、もうひとりの方は展示会場に張り付いて、光さんは何をしていたのかと言えば、商品を携えて営業活動にまわっていたのだ。デザインファクトリーの他にも展示をさせてくれるところがあったのでそこに行ったり、飛び込みで事情を説明して商品のプレゼンをさせてくれないかと交渉したり、美術館のミュージアムショップとか、個人店など10カ所以上はあたったという。ポパイさんの商品への反応はいまのところゼロだが、他の事業所さんの商品に対する反応があったそうだ。光さんにしてみれば複雑な心境だったろう。ポパイさんの商品はどちらかと言えば〈洋風〉な商品で、反応があったのは〈和〉のティーストの商品だった。欧米の人たちからすれば〈洋風〉なものは、却って面白みに欠けるのだろう。しかし、フィンランド人は日本人と気質が似ているのか優しくて、道を尋ねても丁寧に教えてくれるし、飛び込みで商品を売り込みにまわっても門前払いをされることがなかったという。今まで行った国々では冷たい感じの対応だったのだが、フィンランドでは英語が流暢に話せなくても話を最後まで聴いてくれる優しさがあったそうだ。街でも安心して過ごせていたという。

【フィンランドのまち事情】
異国の地でひとりで行商にまわっていた光さんだったが、フィンランドの街中の交通事情はすこぶる充実していたという。地下鉄も走っている。バスも走っている。トラム(路面電車)も。その上本数が多いのだそうで、社会保障とかインフラが充実しているせいか、中心地から泊まっていたところまで地下鉄で4区間離れていて、ひとりで恐る恐る乗っていたのだが、危険なことは全くなかったという。光さんはヨーロッパではよくある部屋貸しのシステムを使ってマンションの一室を借りて滞在していたらしい。後から判明したことによると、そこはリッチな層ではない人たちが住まうまちで、光さんが滞在していたマンションの一階にダーツバーやカラオケ屋があり、夜な夜な男性が店の前でたむろしては煙草を吸ったりしていた。光さんはその光景を見ながら、怖々毎晩自分の部屋に戻っていたのだとか…。

【展示会を終えてオランダへ】
フィンランドでの展示会の会期を終えて「OTUS」のメンバーは帰国したのだが、光さんだけはヨーロッパに残り、せっかくここまで来たのだからとオランダに向かった。なぜオランダなのかと言えば、それには光さんのもうひとつの〈顔〉が関係している。歌手活動もされている光さんは、小さい子どもさんとの暮らしを楽しくする「おうちうた」という曲集のライブも行っている。その「おうちうた」を作った方がオランダの人で、七年ぐらい前にその方が「おうちうた」を日本語でも歌ってほしいという意思をもっていることを、オランダ在住のお友達から伝え聞いた光さんは、なにがなんだかわからないまま引き受けられてやり始めたのだ。始めた頃は下の娘さんが生まれる前後のタイミングだったので、あまり大々的には活動することはできなかったそうだが、三年ぐらい前から〈クジララ〉という三人のユニットを組んで活動しておられる。今回はその中のふたりが揃い、「おうちうた」作者を訪問することにしたのだ。五年前にその作者が日本に来ているのだが、せっかく近くまで来ているのだから会いたいと思ったのだとか。フィンランドからオランダへは航空機で二時間、運賃もフィンランドからそのまま日本へ帰っても、オランダを周遊してもそれほど変わらない料金だったという。もうひとりのメンバーは、日本から飛んで来られた。作者を訪問したついでに現地でライブが出来ないかといろいろな伝手を使ってメールのやりとりをしたところ、オランダの日本人幼稚園でライブが出来ることになったのである。

【チューリップ学園】
そのライブを行った〈チューリップ学園〉は、アムステムダムの隣町、アムステムフェーンにある私立の日本人幼稚園で、公的な補助なく運営されているという。三十年前に音楽留学をしたご主人と仕事でオランダに行った奥さんが知りあい、現地で結婚して立ち上げられた幼稚園なのだそうだ。ちいさな子どもが集中していられるのは45分が限界なのだそうで、光さんたちもそれにあわせて45分のプログラムでライブを行ったのだが、子どもたちの方からアンコールを要求されたり、「えっ、もう終わりなの?」という顔をされ、日本にいる子どもたちとは違う表現の仕方に驚くと共に、ひとりのアーティストとして素直に嬉しかったという。

【オランダのまちは自転車天国?】
光さんたちは街歩きも楽しんだ。オランダという国はとにかく自転車が多く、どんなに田舎の方でも自転車道が完備されているそうだ。自転車版の配達車も走っているし、日本のベビーバギーのように子どもを乗せる箱がついた自転車もある。木製の自転車も。アムステムダムの街は旧いまちだから通りも狭いのだが、その中をトラムが走り、自転車が走り、車も走っている。通りの真ん中にトラムの停留所があるとして、そこでトラムを待っていると、その直ぐ背中側を車が通り抜け、更に車線を違えて自転車が走り去ってゆく…といった感じ。だから道を横断する時に名古屋だと車だけに気をつければよいが、アムステムダムではトラムに自動車、それに加えて自転車にも気をつけなければならない。オランダの街角でよく売られているのは、フリッツである。いわゆる日本でいうフライドポテト。日本ではハンバーガーショップか居酒屋に行かなければ出て来ない食べ物だが、オランダでは街角で何気なく売られているという。日本のたこ焼きのように。それも注文するとビールサーバーのような機械からフライドポテトの上にサワークリームのようなマヨネーズが滝のように降り注がれるとか…。それが一般的で、中にはケチャップとか、ピーナッツソースとか、カレーソースをかけて食べる人たちもいるそうだ。

【大久保的まとめ】
あれは何年前になるのだろうか。私がNPO法人ポパイさんのことを知ったのは。確かサッカーのワールドカップ・アフリカ大会が開かれた前年だから、2009年のことだ。知りあいにポパイさんの職員がいた。その職員さんを通じて彼女が勤めている事業所主催で映画観賞会を催したいので、ぜひ実行委員会に名を連ねてくれないかと頼まれたのだ。それはもうひとつのワールドカップ、知的障がい者のサッカー世界大会を目指す、日本代表のドキュメンタリー映画だった。その実行委員会には私の他にも、ポパイさんの役員でも会員でもない人が関わっていた。今更ながらに考えるのは、そのころからポパイさんは現在のMO-YA-COの先走りのようなことを考えておられたのかなと思う。そのときに理事長の山口未樹さんと出会い、光さんとも出会ったのだ。それから度々ポパイさんの展示会などに伺う機会があり、その目覚ましいMO-YA-CO、若しくはMO-YA-CO UNIQUE PRODUCT!の事業展開には「よくやられているなあ」という驚きと共に刮目してみていた。
一般的な福祉事業所は自分の利用者さんのことや、自分の事業所の運営のことだけで精一杯で、ポパイさんのような他とコラボしてゆくことを前提に事業を展開させてゆくところは珍しい。しかし、光さんも言われていたように、そうしないと福祉の事業所は社会からひとり浮き上がった状況になりかねない。そう、福祉事業とは本来自己完結してはいけない種類のものなのではないだろうか? しかし、現実的にはそれを解りながらスタッフ不足でそこまで踏み切れない事業所も多いだろうこともよくわかっている。ポパイさんの強みは、やはり何と言っても理事長が思うことをよく理解し、それに専属で応えることが出来る光さんの存在が大きいと思う。どちらかといえば芸術家肌の未樹さんに対して、本来が歌手である光さんは社交的であり、動きまわったり、交渉したりすることも厭わない。正に夫唱婦随であろう。ポパイさんが志しているのは〈福祉〉を軸にした〈まちづくり〉であり、〈社会をリハビリ〉することなのだ。光さんはいう。「色々なところで、様々な人たちが自分たちの仕方で輝けばよいと思う。そうすれば必ず美しく誰もが住みやすい世の中になる」と。そう、障がいの有無に関わりなく、ひとは誰もが潜在能力をもっている。しかし、障がいをもっていると、なかなか自分の中に眠るその能力に気づかないものだし、気づいていてもどうしてよいのかわからなかったりする。ポパイさんを含めて、障がい者の就労支援をされている事業所さんには、そのような観点からひとりひとりが〈私を発揮できる〉ような引き出し役を担ってもらいたいと思っている。

ジネンカフェVOL.099のご案内

2015-11-16 21:04:48 | Weblog
ジネンカフェVOL.099
日時:12月5日(土)14:00~16:00
場所:くれよんBOX
ゲスト:堀圭美(コミュニティ・ユース・バンク momo ボランティアスタッフ「momoレンジャー」)
タイトル:“人”にやさしいエコな取り組みと、お金で投票するということ
参加費:500円(お茶代別)
ゲストプロフィール:
環境問題や住民参加型の農村開発など“持続可能な開発”について大学で学ぶ。在学中は、スタディーツアーの参加(フィリピン/貧困・開発、ドイツ・フランス/エコなまちづくり)、市民農園で野菜作りと環境教育、フェアトレードの啓発、ジャワ地震の募金と現地視察など様々な活動をし、食への関心も高くベジタリアンカフェでアルバイトしていた。
 地方銀行に勤めるも2年で辞め、名古屋市市民活動推進センターに転職するが、お金の使い方に強く関心を持ち、「コミュニティ・ユース・バンク momo」にボランティアとして入って活動4年目となる。

コメント:
私が見てきた、“人”にやさしいエコな取り組みをご紹介し、それらを応援するお金の使い方について、みなさんと考えを共有できたらと思っています。
<こんな話をしようかなと思っています>
○ドイツの環境首都・フライブルクと、フランスの“車より人を大切にする”ストラスブールのまちづくり
○“外国人でも、アレルギーを持つ人でも食を楽しめる”100%ベジタリアンなカフェと、食のピクトグラム
○わたしたち一人ひとりのお金の使い方“買い物=投票”の考え
ほか、その場の流れや質問に応じて、様々な事例を出せたらと思います。