ジネンカフェだより

真のノーマライゼーション社会を目指して…。平成19年から続いているジネンカフェの情報をお届けします。

ジネンカフェVOL.100レポート その3

2016-02-29 21:29:06 | Weblog
私への質疑応答が終わると、続いてこの日のメイン、まちの縁側育くみ隊の代表・延藤安弘氏による『世界の縁側めぐり』幻燈講演会が始まった。延藤安弘氏のことをご存じの方もおられるかと思うが、ご存じない方のためにここで少し紹介しておこう。

延藤 安弘(えんどう やすひろ)氏は、1940年、レンゲ畑ひろがる大阪に生まれる。幼いころから絵本好き。北海道大学工学部建築工学科卒業、京都大学大学院建築学専攻(修士課程)修了。熊本大学教授、千葉大学教授、愛知産業大学教授、国立台湾大学客員教授等を経て、現在、NPO法人まちの縁側育くみ隊代表理事。京都のコーポラティブ住宅ユーコート、熊本のもやい住宅Mポート、神戸の真野地区まち育て、世田谷のまち育て、千葉・高知・長野・北海道・中部圏等、全国各地の住民主体のまち育てにかかわってきており、まちの縁側活動が各地で育ってきている。現在名古屋都心錦二丁目長者町地区で、「まちの会所」世話人代表として、コミュニティデザインにかかわっている。『まち再生の術語集』(岩波書店)『こんなまちに住みたいナ-絵本が育む暮らし・まちづくりの発想』(晶文社)等著書多数。

延藤氏の講演は自らが関わられたまちづくりの事例や絵本を使い、スライドと〈延藤節〉と呼ばれる独特の語りで紹介してゆくスタイルだ。わかりやすい手法で、人々の心の中に灯火をひとつひとつ点してゆくように、自分の住み暮らすまちとひとに対する愛着を呼び覚まさせ、人々をまち育て活動へと誘ってゆくのである。今回の幻燈会は、題して「生命の欠如を満たすあたたかい居場所づくりー世界の「まちの縁側めぐり」―」

延藤氏は「世界の縁側めぐり」に入る前に、先ずは詩人の吉野弘さんの【生命は】という詩の一節を引用し、「まちの縁側とは何なのか?」のレクチャーを始めた。

生命は
それ自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花もめしべとおしべが揃っているだけでは
不十分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

そう、花がそうであるように私たちもひとりで生まれてきたわけでは
、ひとりで生きているわけでもない。またひとりで育つこともできない。花が育つには太陽の光や慈雨や虫や獣や鳥たちが落として行ってくれる養分が必要なように、そこには数え切れないほどの他者との出会いや、関わりあいがある。出会い、関わりあった他者が多ければ多いほど、ひとは心豊かに育ってゆけるものなのだ。それと同じで地域を育み、豊かなものにしてゆくにはヒト・モノ・コトのゆるやかなつながりが大切で、そのつながりを通して私たちひとりひとりの生命の欠如を、ふかふかとしたあたたかさで満たしてくれる居場所のことを「まちの縁側」と呼ぶのである。

【何のためのまちの縁側なのかー絵本『私たちのてんごくバス』】
延藤氏は続いてイギリスはボブ・グレアム作の絵本『私たちのてんごくバス』の世界に分け入って行った。それはこんな物語だ。

あるまちの通りの真ん中にバスが棄てられていました。このおんぼろバス、なぜか〈天国行き〉と書かれてあります。いままでバラバラだった人々も、それを見つけてバスの周りに集まってきました。主人公の女の子・ステラも大喜びでバスの中に入り、月明かりの下に照らし出されゴミ溜めのような車内を眺めながら「このバスはもしかして私たちのものになるかも?」と呟きます。それを聞いた人々は駆け寄り「えっ、誰のものだって?」と興奮気味に聞き返します。ステラは、決心したように宣言しました。「そうよ! これは私たちのものよ!」

人々と共にバスを家の前に運んで行ったステラだったが、家の敷地からはみ出しているのを仕事から帰ってきたお父さんから「これは道路交通法違反だぞ」と窘められます。しかし、ステラは「それは大人の考え方だわ。私は私のやり方でやるんだから…」と言い返します。

子どもの発想は大人の硬直した常識を越えて状況を切り開く力を孕んでいる。

翌日子どもたちは一日中バスの周りで遊び、でんでん虫はバスのボディーに白い道を作り、つぶれたエンジンルームにはツバメが巣を作っていました。真夜中になると暴力的な落書きをして社会的環境問題を起こしているバンダリズムの若者たちがやって来て、早速バスに落書きを始めます。そんな若者たちを見つけたステラのお母さんは〈落書き〉という行為自体を咎めず、逆に「あんたたち絵が上手いなあ~。でも今日はもう夜も遅いから、明日の朝おいで」と誘いました。

ステラの下書きでその落書きは綺麗な絵になりました。社会問題を招く悪い若者を叱り飛ばすのではなく、あらゆる子ども、おらゆる人間には表現する力、生きる力があるのだという、いわば集約的正義の考え方に基づいて地域の人々の間をつないでゆく縁側発想。やがて大人たちもみんなが好きなものを持ち寄り、集まってくるようになりました。お年寄りは柔らかいものが好きで触りたいだろうからと犬を連れて来る人。壊れたサッカーゲームを持ってくる子、棄てられているものでも、そこに地域の宝を持ってゆけば〈まちの縁側〉になる! 

ケンカをする子どももいる。デートをする若者もいる。お年寄りはやはり犬のお腹をさすりに来る。幻燈会をやりに来るおじさんもいる。日曜日の朝にはインド人がバスの屋根に上ってシタールを弾き、アラブ人はBBQを楽しみに来ていた。そこには、世界中の文化が響きあっているのです。

するとそこに、うなりをあげてレッカー車がやってきました。レッカー車から降りてきた産業廃棄物処理場の所長・ジョンは、何事が起きたのかとジョンの周りに集まってきたステラたちに通告します。「おい、このバスおまえの家の敷地からはみ出しているじゃないか! 道路交通法違反だから運んでゆくぞ。運んで行って、産業廃棄物として処分しなきゃならん」と。もちろんステラも黙ってはいません。「このバスは私たちのまちの縁側なんだから、そんなこと言わんといて」。しかし、「おまえたち、法律が読めんのか? 違法車は処理場でぺちゃんこに潰してしまうんだ」とジョンは聞く耳を持ちません。いまにもレッカー車で〈天国行きバス〉を運んで行こうとしています。

怒りにワナワナと震えるステラの頬は、真っ赤に染まりました。しかし、ステえラは怒りの感情をどうにか鎮めると、冷静になってこう言いました。「おじさん、私とサッカーゲームしませんか? おじさんに壊れてない方のサイドにしてあげる。私がゴールキーパーの壊れているサイドにするから…。その代わり私が勝ったら、このバスは私のものよ」ジョンは珍しいものを見るように目をすぼめながら、ステラにこう言います。「おまえ、どうしてそんなに俺と勝負がしたいんだ。俺も暇ではないんだぞ」ステラは言います。「あのバスの壊れたエンジンルームにツバメが巣を作っているから…」

いざ、勝負!

そして勝負を決したのは、すべてゴールを決めたステラでした。負けたジョンはバスに駆け寄り、エンジンルームを覗いてみると、ツバメの子がタマゴから孵ったところでした。ジョンはステラに言います。「わかったよ。おまえの言うとおりにしてやる」そう告げてバスをそこに置いたまま、レッカー車と共に去って行ったのでした。ステラはもちろん、周りの子どもも大人も快哉を叫び、今度は〈天国行きのバス〉をステラの家の裏庭に運んだのでした。家々の周りを隔てるように取り囲んでいた塀を取り除き、広場をつくりました。
そうしてその中心に〈天国行きバス〉を置いてお祭りのように歓待したのでした。夜露を孕んだ草むらにはでんでん虫がゆったりと散歩を楽しんでいます。ステラはふとときめきを覚えました。「あの雀の子ら、そのうちに空を飛んで行くわね!」

物語は、ここで閉じられる。地域の棄てられているところに、みんなで宝物を持ち寄るとそこか〈まちの縁側〉になる。しかし、そこに行き着く過程は子どもの発想に学ばなければいけない。そして闘わなければ、〈まちの縁側〉は出来ない…。そんなメッセージがこの『私たちのてんごくバス』の中に込められているかのようだ。

ジネンカフェVOL.100レポート その2

2016-02-26 14:30:18 | Weblog
最初のプログラムは、私(大久保)の「100回を振り返って」スライドショーであった。時間的な制約のある中での〈振り返り〉ということで、100回すべてを紹介するわけにもいかないが、ジネンカフェプロジェクトがめざしているものや、100回を迎えるにあたっての私の感慨や、これまでお越し下さったゲストさんの傾向などを簡単にお話させていただいた後、
スライドショーによってこれまでのジネンカフェの場面を映し出して行った。下記に掲げられたものは、当日私が読み上げた全文だ。

『まちの縁側育くみ隊の大久保です。本日はお忙しい中お越し下さり、ありがとうございます。ジネンカフェは、障害者と健常者とわけ隔てされることなく、多様な人々が混ざりあい、互いを理解しあいながら、助けあって生きていける。そんな社会にしていきたいとの願いから、私たちまちの縁側育くみ隊とくれよんBOXさんとかたひらかたろうさんの三団体の協働により、2007年1月からスタートしたプロジェクトです。事情あって今年度からかたひらかたろうさんがプロジェクトチームから降りられましたが、初期の頃のスタッフと冗談のように「出来たらいいよね」と言っていた100回目を今回迎えることとなり、私としても感慨深いものがあります。これまで福祉分野だけではなく、まちづくり、環境分野、海外支援分野、災害支援、アート支援グループ、劇団の代表、ラップアーティスト等々、延べ110名ほどの方々のお話を伺い、ゲストさんや参加者さんと対話をし、時にはバーベキューや、カレーパーティーや、鍋パーティー、トリエンナーレ開催中の長者町ツアーなどのリクレーションを重ねて参りました。こうした分野に関係なく、多種多彩なる人々がひとつのテーマに基づいて対話を交わすイベントは、愛知県でもそれほど多くないのではないかと自負しております。また、ジネンカフェがきっかけになり、ひととひと、ひとと活動とが繋がったり、自分の来し方を顧(かえりみ)られて、それまでの活動の整理がつけられ、自分の無意識の想いに気づかれたゲストの方も多く、逆に感謝されたこともありました。ジネンカフェが、そんなふうに私たちの意図を越えたところで、人々のお役に立てているのであれば、100回も続けてきた甲斐があるというもので、私自身としてはこれに過ぎる歓びはありません。前口上はこれぐらいにして、ここからはこれまでのジネンカフェの懐かしい場面をスライドショーにしてお届けしましょう』

スライドショーは、タイトルを「100回を振り返って」。サブタイトルに「これまでの物語と、これからの物語」とつけて、100回の中のダイジェストを映しだし、事務局長の名畑との掛け合いで時折解説を加えて行った。

そして最後にこのコーナーの締めくくりとして、これまで続けて来られたのもゲストの方々のおかげでもあるし、参加者さんのおかげでもある。それに何よりもスタッフのおかげでもあるので、その三者に対する感謝の言葉と共に、今後もジネンカフェプロジェクトは続いてゆくこと。今後ともよろしくお願いしますとの言葉で閉めた。

『これまでジネンカフェにゲストとしてお越し下さった皆様、ご参加下さった皆様、そしてスタツフとして関わって下さった皆様、どうもありがとうございました!
ひとにはそれぞれそのひとの物語があるように、ひとびとの想いが交差するプロジェクトにも物語があります。ジネンカフェという物語は、まだまだ続きます。ソーシャル・インクルージブな明日に向かって…。どうぞこれからもよろしくお願い致します』

スライドショーのコーナーが終わると、私に対する質疑応答に移った。

Q:100回も長く続けるコツは何ですか?
A:ほどほど。良い加減にやることです。あまり細かいことは気にせず、淡々とやることですね。硬い芯はほんの少しの衝撃を受けただけでも折れてしまいますが、しなやかな芯はなかなか折れないものです。それと同じだと思います。

Q:僕の印象では8割方が女性だった気がしますが、それは大久保さん、何か意識されているのですか?(笑)
A:比率的に言えば確かに女性が多いのですが、たまたまです(笑)

Q:100回のうちの大半のゲストさんは大久保さんが探してきたと思うのですが、どこからそんなに大勢の人たちを探して来られたのでしょう?
A:私もそれは自分でも不思議なのですが、おそらくそれは私が〈福祉〉に軸足をおきながらも、〈まちづくり〉にも片足を入れているからだろうと思っています。福祉に特化してしまうと幅が限られて来てしまいますが、〈まちづくり〉は総合芸術と同じであらゆる分野を内包していますから、それだけ出会う人たちも多いわけで…。知りあったひとの知りあいを頼んだり、様々ですね。それが私の強みだと思っています。

Q:100回のうちに印象に残っているゲストさんは? また第1回目はどんなゲストさんだったのですか?
A:印象に残っているゲストさんはいろいろいらっしゃいますが、第1回のゲストの方は、岡崎にお住まいの、私と同じ脳性まひという病気でありながら詩人でもあり、当時【明日の風文学賞】の代表をしておられた栗木宏美さんという女性の方でした。現在はやはり岡崎で障がい者がいつまでも住み慣れた地域で暮らしてゆけるグループホームの建設を進める活動をしておられます。

Q:この活動を長くして来られて、周囲のひとたちの変化は何かあったでしょうか?
A:こういうひとがいました。それまで自宅に閉じ籠もってばかりだったチェアウォーカーの方が、たまたまジネンカフェに参加されて自分と同じような障がいをもった方が話したり、いろいろなことを考えたりしている姿と出会って感化されたのか、それ以降も積極的に外出されるようになったと聞いていますし、これまで障がい者と出会ったことがなかった様々な分野の方たちが障がいをもった方々に出会い、ひとつのテーマをめぐって語りあうことということは、福祉分野としてあまり行われて来なかったので、そういうところで評価されているのかなと思っています。

ジネンカフェVOL.100レポート  その1

2016-02-23 14:43:28 | Weblog
朝のうち降っていた篠突くような雨は、午前中の早くにあがってくれた。そればかりではなく日差しも時間を追うごとに明るくなってきて、春の陽気を思わせるぐらいに暖かい。まるで天も記念すべきこの日を祝福しているかのようだ…とは、言い過ぎか。

2016年2月14日、巷では「バレンタインデー」と呼ばれ、日本中で愛とチョコレートが飛び交うこの日、会場のブラザーコミュニケーションスペースでは、ジネンカフェVOL.100が始まろうとしていた。そう、初期の頃のスタッフと、夢を物語るように「出来たらいいよね」と言っていた100回記念! テーマに【What? まちの縁側~みんなが安心して楽しく暮らしてゆけるまちをめざして】を掲げ、ゲストにNPO法人まちの縁側育くみ隊の代表理事・延藤安弘氏をお迎えしての企画である。

この企画には二つの意図があった。ひとつは、私たちの法人名にもついている〈まちの縁側〉であるが、まちづくりを生業にしていたり、まちづくりをフィールドに活動している人たちは〈まちの縁側〉と言われて、それがどんなものを意味する言葉なのかわからない人はいないだろうが、一般のひとや福祉系の若い人たちに〈まちの縁側〉という言葉を話してもピンと来るひとは少ないだろう。

そもそも〈縁側〉というのは、旧い日本家屋にみられる外と内とをつなぐ空間のことで、顔なじみのご近所さん同士がフラッと立ち寄り、お茶を飲みながら世間話の花を咲かせたり、一緒に編み物などの作業をする地域コミュニティの場でもあった。しかし、現代の住宅事情からこのような〈空間〉が失われて来ている。それに伴って地域コミュニティの崩壊が始まった。内側に家を閉ざし、閉じ籠もることによってひとびとは自らのこころをも閉ざして行き、昨今のご近所トラブルや若者のコミュニケーション能力低下などの問題を引き起こす原因のひとつともなっている。〈縁側〉とはその家にとっては〈あそび〉でもあり、〈余白〉でもあるのだ。その〈縁側〉のような空間(場)をまちの中に広げて行こう。それが私たちの法人名の由来でもあり、社会的ミッションでもある。

しかしながら〈縁側〉そのものが消えて久しい昨今、言葉としての〈縁側〉も知らず、イメージすら出来ない人々が増えているのも確かなこと。悩ましい問題や痛ましい事件が頻発しているこの社会情勢にあって、いま一度〈まちの縁側〉とは何なのか? 〈まちの縁側〉の果たす役割、様々な形態等々を延藤安弘氏にレクチャーしてもらった上で、延藤氏が見てきた世界のまちの縁側について幻燈会として紹介していただく。そして参加者ひとりひとりの理想の縁側を語りあうワークショップを展開して行こうというものだ。

もう一つの意図は、もともと〈ジネンカフェ〉というプロジェクトは、〈まちの縁側〉の発想から生まれたものだ。というよりも、〈まちの縁側〉の中に、既に〈ソーシャル・インクルーション〉の理念が含まれているのである。だから100回目を記念して〈ジネンカフェ〉の生みの親である〈まちの縁側〉の発想をより多くの人たちと共有したいと思ったのである。その上でジネンカフェに参加してもらうと、より深くジネンカフェプロジェクトがめざしているものが理解していただけるのではないだろうかと考えたのだ。

前口上が長くなった。それでは早速、当日のプログラムに沿ってまとめて行くことにしたい。



ジネンカフェVOL.101のご案内

2016-02-17 16:13:59 | Weblog
日時:3月12日(土)14:00~16:00
場所:くれよんBOX
ゲスト:染野徳一(名古屋市社会福祉協議会 認知症連携担当)
タイトル:認知症 いっしょに知って、学んで、考えよう
参加費:500円(お茶代別途)
ゲストプロフィール:
将来、福祉の仕事をしたくて福岡から日本福祉大学に。地域の方やボランティアさんといっしょに活動できる地域福祉やまちづくりの仕事がやりたくて、名古屋市社会福祉協議会に入職し、区社協や地域包括支援センター、名古屋市社協ボランティアセンターで勤務。2012年から現職。現在は、「認知症」をテーマに、地域福祉の視点から地域住民と専門職が力を合わせて、共に取り組める「地域における認知症ケア」を考えながら、日々実践中。
コメント:
最近、テレビや新聞などでよく話題になる「認知症」。10年後には、「700万人以上の方が認知症」と言われています。認知症は、早期診断や対応に結びつかないまま症状が進行してしまうことで、困りごとが増えたり、周囲との関係性が悪くなって、生活がしづらくなってしまうくなってしまう場合があります。そのため、認知症の正しい理解、周囲のさりげないサポート、そして少し先を見据えた「認知症への備え」がとても大切になります。今回は、認知症という病気のことや地域にある支援やサービスについて、みなさんといっしょに考えたいと思います。

主催・共催/NPO法人まちの縁側育くみ隊・NPO法人くれよんBOX