VOL.101のゲストは、名古屋市社会福祉協議会認知症連携担当の染野徳一さん。染野さんは福岡県のご出身。もともと地元でボーイスカウトの活動をされていて、福祉の仕事に就きたいと思っていたそうだが、染野さんが大学受験をされる頃、九州では福祉を学べる大学が少なく、日本福祉大学を受験して合格した。大学卒業後に地元へ帰ろうかとも考えたのだが、現在も昔も九州は全体的に景気が悪く、そのまま名古屋に残って名古屋市社会福祉協議会に就職した。福祉の仕事といってもいろいろあり、学生時代から福祉施設でのボランティアとか、実習も経験したこともあったが、染野さんは地域の中でみんなが安心し、楽しみながら暮らして行けるお手伝いが出来るといいなという思いから、社会福祉協議会の仕事を選ばれたという。区社協で地域の高齢者の方と仕事をしたり、名古屋市社会福祉協議会ボランティアセンターでは3.11の被災者支援をしたり、現在の認知症のことも地域の人たちと関われる仕事をさせてもらっているので嬉しく思っているという。お話のタイトルは『認知症、いっしょに知って、学んで、考えよう』
【認知症は誤解されている】
テレビの健康番組などでもよく取り上げられている認知症だが、まだまだ世の中に誤解されている点が多いのではないかと、染野さんはいう。先ず一点目は〈認知症って何か特別な病気〉だと思われている点だ。データーでみると全国の高齢者の中で認知症の方が462万人もいて、10年後には700万人になると云われている。それに加えてMCI(軽度認知障害・物忘れがあったり、物事を理解することが難しくなったりして、少し生活に支障がある程度の状態の方)が400万人いるのだ。その400万人を単純に700万人と足してみると1,100万人にもなる。この数字は日本の人口の1割に相当するそうで、そうなって来ると認知症というのは誰か特別な人がなるのではなくて、誰もがなるかも知れないし、誰もが関わりをもつことになるかも知れない症状とも言えるのだ。一人暮らしの高齢者の方もいるが、介護する家族等々を含めると、1,000万人が2,000万人にもなる…。10年後にはそのような状況になると予測されているとか。
【認知症になったからといっても…。】
先頃行われた内閣府の調査による「認知症になったら、地域で住み続けたいか、施設に入所したいか」およそ半々だったらしい。その中でも「認知症になったら地域で生活してゆけない」と考えている人が40%もいるということだ。認知症に対する不安の中でも「いままで自分がしてきたことが出来なくなってしまうのではないか?」と思っている方が半分ほど。それ以上に不安に思っていることが「家族に身体的、精神的な負担をかけるのではないか?」と思っている方が75%もいる。〈自分のこと〉よりも〈他者のこと〉を気にかける方が多いという数字が出ている。日本人らしいといえば言えるのだが、これはあまり好ましい状況ではない。確かに出来ないことが多くなるかも知れないけれど、認知症になったからといってすべて誰かに負担をかけながら生きてゆくわけではない。認知症によって受ける障害は脳の中の一部分、物忘れがあっても周囲の人々が理解してくれて「まあ、良いんじゃない」と思って、自分でもそう思えたり、忘れたことを誰かが「あれ、忘れているんじゃないの?」と教えてくれれば、全然問題なく普通に生活してゆけるのだ。
【認知症になっても地域で生活している人たち】
実際に認知症と診断されながらも、発症前とは多少異なるが、それほど変化はない生活を送っている人たちがいる。テレビ東京の『ガイアの夜明け』とか、NHKのドキュメンタリー番組などにも出演しているトヨタ系のディーラーの丹野さんの場合、39歳で認知症を発症された。現在42歳で中学生と高校生のお子さんがひとりずついらっしゃる。39歳の時に人の顔が憶えにくくなったり、自分がしたことを忘れてしまったりする中で、気づいて受診したら認知症だという診断が下されたのだ。しかし、いつも朗らかに微笑みながら生活されている。現在65歳の中村しげさんは56歳の時に認知症と診断された。公務員をされていたが、ある時、無意識のうちにお店のものを持って行ってしまったという。表面的にみれば万引き行為なので公務員を解雇されそうになったのだが、それは前頭側頭型認知症の症状のせいだということがわかって罪には問われずに復職され、退職をされた。現在は日本全国を趣味のカメラをもって旅をされているそうで、撮った写真を見せながら講演活動で活躍されているという。現在55歳の青山さんは若年性認知症。仕事をされたいという意欲が強い方で、子どもと車に関わる仕事をされたいという希望もあり、認知症の方々が働きに来られるディ・サービスで近くの自動車屋さんの車の洗車をする仕事をされていたり、名古屋市でいうトワイライトみたいに学校の放課後に子どもたちと遊ぶ活動もされているそうだ。
【周囲の人々の理解とサポートがあれば…】
丹野さんの場合、社長さんの顔も忘れてしまうらしい。社長が来て話かげても丹野さんはわからないので、あとで周りの人に「あの人、誰?」と尋ね、周りの人たちも面倒臭がらずに「社長だわ」と教えている。そういうことを繰り返しているので、丹野さんは支障もなく生活していられるのだ。社長さんも丹野さんのことを理解されているので、そのことで咎めることはないそうだ。丹野さんも忘れ物をしないように二冊のノートをつけているとか。日々の記録と、やるべき仕事の手順を書いたものと。それを毎日確認するという作業をしながら仕事をされているのだ。中村さんの場合も全国を旅する時にはパートナーさんがいらっしゃり、その方と一緒に旅をされておられるという。このように例え認知症になったとしても、周りの人たちの理解とサポートがあれば、この方たちのように生き生きと生活してゆけるのだ。
【認知症は物忘れだけではない】
とはいうものの、本人の症状を理解することも必要だけれど、認知症にはいろいろな症状が現れるので〈物忘れ〉だけが認知症の症状ではないということを知っておいてほしいと、染野さんは思っている。認知症の症状として物忘れの他に、見当識障害や失行が特徴として挙げられる。見当識障害というのは、症状の進行に伴い、先ずは〈時間〉の見当がつかなくなり、場所の見当がつかなくなり、症状の進行すると人の顔が解らなくなることをいう。もっと進行すると家族の顔さえ解らなくなってくる。また記憶は新しいものから順に忘れてしまうので、例えば80歳の方が40年分の記憶が曖昧になると、自分は40歳だと思ってしまう。自分は40歳なのに旦那さんが80歳だと、それが自分の旦那さんだと思えないわけだ。しかし、その症状はずっとあるわけでもなく、その時の脳の状態によって出てくるのだ。失行というのは、行為とか行動とかがどうしてよいのか一瞬出て来ず、フリーズしてしまうことをいう。トイレでの用の足し方がわからない、洋服の着方がわからない、ご飯の食べ方がわからない等々がこれにあたる。
【認知症の原因となる疾患―アルツハイマー型】
認知症は必ず原因となる疾患がある。有名なのはアルツハイマー型だけれど、老人斑や神経原繊維変化が海馬を中心に脳の広範囲に出現し、神経細胞を死滅させて行く病気で、海馬を中心に脳の萎縮がみられるという。この疾患が原因の場合は〈物忘れ〉が顕著に出てくる。次に出てくるのが〈物盗られ妄想〉。これはモノがなくなったことを、誰かが盗ったのではないかと思ってしまう症状。これも基本は〈物忘れ〉から始まるという。例えば大事なものを机やタンスの引き出しに入れたとする。でも〈物忘れ〉がある場合、引き出しに入れたことを忘れてしまったら、ここに置いてあったものがなくなってしまったのだから、誰かが盗ったのではないかという発想になる。その時に関係がうまくいってない人が身近にいた場合に、「あの人が盗ったのかも?」という妄想に繋がってゆく。それは誰かが持って行ってしまったという疑惑よりも、自分がここに置いた筈のモノがなくなってしまったという不安の方が強いのだという。それが何回も起こると更に不安な気持ちになり、疑いたくなくても誰かを疑いたくなるのだ。そういう〈物忘れ〉が中心に起こって来るのがアルツハイマー型の認知症の特徴。
【レビー小体型認知症】
レビー小体という特殊なものが出来ることにより、脳の神経細胞が死滅してゆくのがレビー小体型認知症。はっきりした脳の萎縮はみられないが、パーキンソン病などから引き起こることが多く、よって物忘れは目立たない。しかしながら他の人には見えないものが見えたり、自律神経が少し弱くなってくるので一日のうちで気分の波があったり、血糖や血圧が不安定になるので気分が悪くなりやすく、うつ症状も出てくるのがこの型。アルツハイマー型は記憶を司る海馬が障害を受けるのだが、レビー小体型は後頭部の見たものを判断する部分が障害を受けるので幻視などがみえて来るというわけだ。
【三つの点が顔に見える】
ただでさえ人の脳の認識機能はファジーなところがあり、どこかに三つの点があるとそれを人の顔のように見せる錯視を起こさせるが、レビー小体型認知症になるとそれがより顕著に現れて来るのだ。カーテンなどの波打っているところも顔にみえ、そこに人がいると錯覚してしまう。最近は認知症の2割ほどの方がこの型で、増えて来ているという。しかしこれが正しく診断されないままに、アルツハイマー型だと診断されて対応されている方々もいる。レビー小体型認知症の方々は自律神経が弱く、薬に過剰反応を起こしやすくなるため、誤った処方されてしまうと、それによって気分が落ち込み、動けなくなることもある。だから認知症の診断は、専門医のいる病院で正確に受けてもらうことが大事だという。
【血管性認知症】
脳梗塞や脳出血などが原因で、脳の血液循環が悪くなり一部が壊死することから起こって来る認知症。まだら認知症とも呼ばれていて、〈物忘れ〉の他にも手足の麻痺、感情のコントロールがうまくいかないなどが特徴として挙げられる。脳梗塞を発症するごとに状態が進行してゆく。
【認知症の型によってサポートの仕方も異なって来る?】
一概に認知症といってもこういった三つの型があり、それぞれ出現する症状も異なって来る。それを知っておくことは、サポートする上で大切なことだという。例えばレビー小体 型認知症の場合、物忘れはなく、パーキンソン症状が出ていて、歩く時に転倒しやすくなっているなら、気分がよい時の外出の際に歩行をサポートしてあげるとか、関わり方も違って来るので、これもぜひ知っておいてもらいたいと染野さんはいう。
【徘徊という言葉】
3月1日の夜からニュースなどである裁判の判決が報道されていた中で、〈徘徊〉という言葉が頻繁に出てきたが、〈徘徊〉って厳しい言葉だと染野さんは思っている。〈徘徊〉を辞書で調べてみると、「当てもなくさまよい歩く」とあるが、認知症の方の徘徊はそのような状態ではない。それも誤解されていることのひとつだという。現在いる場所がどこなのかわからないため、行きたいところに辿り着けないということはある。以前していたことや人が曖昧になってしまうと、その人がそこにいるのではないかと思って探しに行ったりとか、実際にはその人が横にいても過去の記憶と混乱して別のところにいるのではないかと思ってしまったり、もう済んでいる予定をまだしてなかったと思い込み、やりに行こうとして出かけるのだけれど場所がわからなかったり、予定が済んでしまっているので目的の人がいなかったりすると、その場所に行っても目的が果たせないわけで…。例えば子どもをもつ親であれば、子どものために外出先から早く帰らなければと思って家に帰る。しかし、実際にはその日子どもはお祖母ちゃんの家に泊まりに行っていていない。記憶に障害をもっている人はそこが曖昧になっているので、家に帰っても子どもがいないとなると、親なら探しにゆくのが当然の行動。そして探しているうちにそこがどこなのか解らなくなってしまったりすることもある。それをもって〈徘徊〉と言われてしまうのは、なんだか違うような気がすると染野さんはいうのだ。確かに目的があるのなら、それは「当てもなくさまよい歩く」こととはほど遠い行動だろう。そうなのだ。徘徊している人にはその人なりの理由が、目的があるのだ。ただそれがその人以外にわかっていないだけのことなのだ。
【徘徊のもうひとつの理由】
認知症による徘徊には、もうひとつの理由があるという。その場の居心地が悪い場合、そこに居たくなくて出かけてしまう場合もある。人と一緒に居たくない気分の時に、無理矢理人の輪の中に入れられると気分も悪いし、話したくもないからどこかに行きたいなと思ってしまうこともあるだろう。それを伝えられればよいのだが、伝えられなくて外に出かけて行って場所が解らなかったり、時間が解らなかったり、エピソード的な記憶が曖昧になっていると道に迷ってしまう状況になるのだ。
【闇雲に否定せずに声を掛ける…】
前述したように徘徊する人たちは、ただ無目的に歩きまわっているわけではない。何らかの目的があるのに、その目的が果たせないまま混乱して歩きまわっている状況にあるのだ。そういう状況にある人に、現在の状況を否定しても本人は納得出来ないだろう。子どもがいるから早く帰らなければ…と思い込んでいる人に、「今日あなたのお子さんはお祖母さんの家に泊まりに行って留守だから、早く帰らなくてもよいのですよ」と言っても、本人はなかなか納得出来るものではない。そこら辺は難しいところなのだが、それを理解した上で徘徊している人に声を掛けて下さるとよいかなと、染野さんはいう。
【今後認知症の方を介護する中で考えて行かなければならないこと】
その徘徊中の認知症の方が起こした鉄道事故を巡って最近報道されていたのは、鉄道会社がその方を介護されている奥さんと息子さんに損害賠償を請求した事案の裁判で、鉄道会社から奥さんと息子さんに対して720万円の賠償請求があり、第一審では息子さんには責任はないとの判断で奥さんだけに360万円の賠償が求められた。今回3/1の最高裁では奥さんも見守ることが難しかったのではないかということで、鉄道会社からの賠償請求は退けられる判決が出されたのだ。それというのもこの奥さんも〈要介護1〉という状態で、〈要介護4〉の旦那さんの介護をしていたという現状があり、そのような判決が出たのではないかと云われている。しかし、これはケースバイケースで、今回はこのような判決が出されたけれど、健康な人が介護をしていた場合にこういうケースが起きてしまったら、やはり賠償請求がされてしまうかも知れない。だから今回のケースはよかったが、ほかの状況で介護をされているご家族には手放しでは喜べないところもある。しかしご本人さんも出かけたいという気持ちがあって出かけて行くわけで、外出先で事故に遭ってしまうことは認知症の方に限らずあるわけで、そこをどういう風に考えて行けばよいか? 今回は相手が大きな企業だった最高裁の判決に従って賠償金を請求することを諦めた形だが、これが個人と個人だった場合にどうなるのだろうなという思いもある。今後認知症の方を介護したり、関わって行く中で考えられて行かなければいけないことで、社会的な救済措置も講じて行かねばならない問題だろうという。世の中の流れとしては認知症の方を家の中に閉じ込めておくのではなく、ご本人も、介護されているご家族も、安心して出かけられるためのシステムを作って行こう…ということになってきているようだ。
【介護する家族の気持ち】
認知症の方を介護するご家族も、自分の親や身近な人に物忘れがあったりしても、なかなか受け入れられないところがある。特に家族の場合はその傾向が強く、〈昔のお母さんなら出来たから、きっと言えば出来る筈だよな〉と思ってしまう。それが病気のためにそうなったのであれば、病気の受け入れや、これからの生活をどうしてゆくか考えて行かねばならないので、染野さんたちもお話を聴きながら支援されているそうだ。認知症に限らずいきなり現実を突きつけられて、それをすんなりと受け入れられる家族も少ないと思うので、ご家族の立場に立った支援を心がけている。中にはなかなかSOSが発信出来なくて、〈どうして自分だけがこんなことをしなければいけないんだろう…〉と思いながら介護される時期もあるのではないかという。
【病気を受容する上でのプロセス】
認知症に限らず癌や障害や突然の身内の不幸など、受け容れがたい現実を受容する上における心理ステップには5段階のプロセスがある。先ずは〈ショック期〉目の前の現実にショックを受けて、茫然自失になる。続いて〈否定期〉。これは何かの間違えだ! こんな筈はない! とばかりに現実を否定する。〈混乱期〉目の前の現実を否認できない事実と受け止めて、怒りや悲しみで心がいっぱいになり、激しく落ち込む。次に〈解決への努力期〉。感情的になったり、落ち込んでいても何も変わらないと知り、前向きな解決に向かって努力しようとする。そして最後に〈受容期〉が来る。価値観が変わり、現実を積極的に受け容れて前向きに生きようとする時期だ。染野さんたちが関わることになるのはご本人、若しくは介護しておられる方からの連絡を受けてということになるのだが、SOSは〈混乱期〉の早い段階で出していただけるように、周りの人たちが声掛けをして行くということも大事だという。〈混乱期〉が長引くと、ご家族も大変なので、ご本人が〈混乱期〉を早く抜けられるように、若しくは少しは気持ちが落ち着かれたりするような支援をしていかないといけない。そのために介護されておられる家族の方も、早めのSOSを出していけるよう、いろいろな機関の情報を知っておいてもらえれば…と思っているという。
【認知症の方のご家族のサポートは…】
染野さんたちが支援されておられる中で、やはり家族の方がなかなか受け入れられなくて、頑張った挙げ句発症から二、三年経って「もう無理になったから…」と相談にみえる方々が多いとか。認知症というのは少しずつ出来ないことや、サポートされることが増えて来る病気なので、早めに相談して対応していかないと余裕が段々なくなってきてしまうのだ。そういう状況もあり、認知症の受容の問題はご家族だけではなかなか解決出来ないので、周りの人たちがサポートしてもらえるとありがたいし、ご本人と同じようにご家族の方を周りの方がサポートしてゆくことが大事だと云われているそうだ。
【とにもかくにも早めの受診や対応を】
認知症は前述した三つの病気以外にも、原因として疑われる病気がいろいろとある。頭を打って血液が脳内に溜まってしまう病気や、水が溜まってしまうこともある。しかし、そういう病気は治療すれば改善される場合もあるという。ニュースなどで言われている〈治る認知症もありますよ〉と言われているのがこのことで、これは緊急に受診しなければいけないので、何か気になることがあれば早めに受診して治療してゆくことが効果的であり、それに加えて生活のしづらさに対する対応と、周りの人たちのサポートがあれば状態は
落ち着いて来るので、そういう意味でも早めの受診、対応をお勧めしたいとのことだ。
【家庭内でも自分のことは伝えておく】
それと同時に歳を重ねるごとに、家庭内で家族ひとりひとりの情報や意思を共有しておくことが必要だと染野さんはいう。〈通帳はどこにあるのか?〉とか、〈将来どうしたいのか?〉とか、〈どんなものが好きで、どんなものが苦手なのか?〉食べ物の好みだけでは、趣味や趣向品などのこと。一緒に暮らしていても案外知らないこともあるし、身近な存在だからこそみえないこともある。最期は家で過ごしたいとか、嫌いな食べ物があってこれだけは食べたくないとか、そういうことを周りの人たちが知っておかないと、晩年の生活が楽しいものにはなってゆかない。認知症の早期発見、症状の進行を遅らせる薬、そしてサポートを受けつつも、自分のことを周りの人たちに伝えてゆくことにより、少しでも安心して楽しい生活が送れるのだ。それをしておかないと嫌なことを押しつけられたり、行きたくないところに入所させられたりする状況になり兼ねない。前述した三人の方々も周りの人たちに出来ないことを伝えられていて、周りがそういうことを理解しながらサポートしてゆくが大事だという。
【地域全体で理解し、サポートしてくれれば】
認知症になると自分でものを伝えることが苦手になる。コミュニケーションを取ったり、相手の立場に立って考えたりすることが苦手になってくる。そういう状態なので周りの方がその方の行動の意味を理解して、想像して関わることが大事になってくるのだ。これは別に難しいことではなくあたりまえのことなのだが、そういう〈認知症の方の立場に立つ〉ということが行われないまま、「認知症は怖いよね」とか「認知症になったら嫌だよね」という言われている。しかし、病気の特性を考えても周りのサポートがあればそれほど困ることもないのではないかと思われることでも、大きく捉えられてしまっているのが現状だという。ご家族や周りの人たちはもちろん、介護職や医療職の方だけではなくスーパーで仕事をされている方とか、銀行員などの方々が〈認知症ってこういうものだよね〉ということを理解されていれば、全然関わり方が変わってくるのだ。お金の計算がちょっと苦手だということであれば、本人が許せば支払いの時に少しサポートしたり、お金の計算をメモに書いて「おつりは幾らですよ」ということを渡してくれるだけで、その人は普通に生活してゆけるのである。それぞれの立場からご本人の話を訊いて「何が出来るのだろうか?」ということを考えて貰えれば、それでケアできるのでその地域全体で取り組んでくれればよいなあと、染野さんは思っている。
【最後に】
認知症のことを正しく理解することも大事。けれどもそれよりも、先ずはその人のことを理解してあげられるとよいという。自分の家族や友だちが認知症になった時に、別に認知症になったからではなくて、その家族なり、友だちと楽しみたいからできることは何だろうと考えるのが先だと思うので、その方の〈出来ないところ〉だけではなくて、一緒に〈出来る〉ところを見て行ったりとか、声を掛けてゆくことも大事だし、さりげなくサポートしていただける環境が必要になってくるのではないかという。現在名古屋では安心して出かけられるまちをめざして、徘徊して行方不明になった方を探すサポートや、安心して出かけられるようなカフェの場を作って行ったりしている。また認知症の理解を広めるためにオレンジリングの活動もしている。これは仕事の場で活かしてもらったり、地域で支えるための基本的な認知症の理解講座を受けて「認知症サポーター」になってもらおうというもので、養成講座を受けた人に証としてオレンジリングが渡される。現状では7万人の方が受講されているという。認知症の方がゴミを出す曜日が解らないと、ご近所の方が「〇〇さん、今日はゴミを出す日だよ」と教えてくれる地域も出てきている。笑顔でさりげなく手伝って下さる方がいると、その地域で安心して暮らして行けるし、若年性認知症の方でも、高齢者の認知症の方でも、自分の得意なものをいろいろな場で活かせる取り組みも進んでいるそうだ。コミュニティカフェとか地域の活動でも、例えば手芸が好きだった方が認知症になられて少しやりにくくなった時でも順番を通して行うことは難しいにしても、一手順ごとに伝えてゆくと手芸に限らずいろいろなことが出来る状況がある。そういったことを周りの人が理解をして声をかけてくれると、その方の得意なことをみんなが必要としている中でやっていけるので、認知症に対する誤解を解消してゆくことが大切なのだ。もしも家族や友人が認知症になったからといって遠ざけるのではなく、それを理解した上で地域の仲間として関わって行ってほしいと、染野さんはお話を結ばれた。
【大久保的まとめ】
染野徳一さんとは、NPOの事務局がまだ東区にあった頃からの知りあいで、東区社協におられた時は福祉活動計画の担当職員と委員として、名古屋市協ボラセンにおられた時は直接的に関わりはなかったが、ボランティア情報誌の編集委員として市社協に度々顔を出していたので、その折りなどに顔をあわせる機会はあった。そして今回の企画を考えていた時、染野さんが〈認知症連携担当〉という部署に移られていることを思い出したのだ。認知症のことは以前から関心があった。二十数年前に亡くなった父親がやはり、パーキンソン病から認知症を発症し、寝たきりの状態で体力も弱っていたのだろう。肺炎をこじらせ入退院を繰り返していた。最期には私の存在すらも忘れてしまったかのようだった。当時はこれほど認知症に対する知識もなかったので、父親がおかしな言動を取った時などに信じられなくて叱りつけてしまったことがあるのだ。いま思えば父親のおかしな言動の理由もわかり、どうしてもっと優しく接してあげられなかったのだろうかと反省している。そんなこともあったので、認知症理解に対する思い入れは、障がい者理解に対するそれと同じぐらいにもっている。いや、今回の染野さんのお話を聞いて、認知症を理解することは、障がい者を理解することでもあり、強いていえば〈人間〉を理解するのと一緒なのではないかと思った。染野さんも言っておられたが、認知症への理解は広まりつつあるとはいえ、まだまだこれからであろう。このブログの一文が、細やかながらもその一助になることを願ってまとめにかえたいと思う。