ジネンカフェだより

真のノーマライゼーション社会を目指して…。平成19年から続いているジネンカフェの情報をお届けします。

ジネンカフェVOL.124レポート

2018-07-13 10:43:30 | Weblog
今年の梅雨は例年に比べて期間が短かったのに、西日本では記録的な雨量となり、多くの地域で土砂崩れや川の氾濫などの被害が出ている。被害に遭われた方々、お見舞い申し上げます。またお亡くなりになられた方々、月並みな言葉しか出て来ませんが、お悔やみ申し上げます。被災されたまちや人々が平穏を取り戻し、再び何気ない日常生活を取り戻されますよう、衷心ながらお祈り致しております。さて、今年の2月、立春を待っていたかのように、当法人の代表・風のひと、延藤安弘氏が本当の風になってしまわれました。延藤安弘氏にはジネンカフェ100回を迎えるにあたり、お話を賜りました。飄々と、しかし熱情を込めて世界のまちの縁側の様子を語る姿は、未だに記憶に新しいところです。謹んでご冥福をお祈り致します。ということで、今年度から当法人も体制が新しくなります。ジネンカフェも100回を越えたことですので、今年度からゆったりとしたスパンで開催して行こうと思っています。よろしくお願いします。早速5月はお休みさせていただきました。6月16日に行ったジネンカフェVOL.124のゲストは、愛知県精神障害者家族会連合会事務局スタッフ、昭和区発達障害児親の会のびたくらぶ副代表の塚本由紀子さん。精神保健福祉では先進国と云われているイタリアへ二年前に娘さんと研修旅行に行かれた際のレポートです。タイトルもズバリ『イタリアを訪問して』

【親子でイタリア研修ツアーへ】
塚本由紀子さんは、お仕事で愛知県精神障害者家族会連合会事務局スタッフをされている傍ら、昭和区発達障害児親の会のびたくらぶ副代表や、名古屋市社会福祉協議会の権利擁護の関係の仕事をされておられる。というのも、娘さんに重度の知的障害と、精神障害・自閉症があるからだ。そういうお仕事や活動の関係もあって、一昨年東京のNPO法人ソテリアさんが企画されたイタリアのボローニャへの研修ツアーに親子で参加されたそうだ。娘さんは初めての海外旅行だったので、イタリアに行く前に簡単なイタリア語を憶えたのだが、主治医の先生に相談したところ「入国審査の時に英語でも構わないから自分の娘さんの障害を説明出来るといいよ」と塚本さんもアドバイスされたという。娘さんは小さな頃に睡眠障害やその他の症状が激しい時期があり、その頃にはまさか親子でイタリアに行けるなんて思ってなかったし、一般の旅行社が企画したツアーでは参加出来なかっただろうと思っているという。

【なぜイタリアなのか?】
イタリアという国は、冒頭にも述べたように精神保健福祉が最も進んだ先進国と云われていて、バザリア法という法律によってイタリア国内には公立の精神科病院がひとつもないという。それ自体が日本では考えられないことなのだが、塚本さんは実際にその現場をみてみたいと思ったそうで、東京ソテリアさんからこの企画の話を聞いた時、ぜひ参加したいなと思ったという。因みにバザリア法とは1978年に可決された精神医療・福祉に関する法律で、精神科病院廃絶を訴えた精神科医フランコ・バザーリアから来ている通称である。精神科病院の新設、すでにある精神科病院への新規入院、1980年末以降の再入院を禁止し、予防・医療・福祉は原則として地域精神保健サービス機関で行う。治療は患者の自由意志のもとで行われているという。

【親子で出かけた理由】
親子で研修旅行に出かけたのには、前向きな理由とそうではない理由とかあった。前向きな理由としては、娘さんに海外をみせたいという母としての想いである。ご自分が若い頃に海外へ行く経験があったら、その後の人生ももっと変わったものになったのではないかと思っていたからだ。もうひとつのあまり前向きではない理由として、娘さんの預け先がなかったためだった。当事者も参加を募っていたツアーだったので、思いきって親子で参加されたのだそうだ。

【ドイツ経由でイタリアへ】
企画したのは東京のNPO法人なのだが、中部国際空港セントレアからルフトハンザ機で、ドイツを経由してイタリアへと向かった。さすがにイタリア料理の本場だけあって食事はみんな美味しかったのだが、その量やサイズが半端ではなく、食べきれないほどだったという。

【精神保健局】
イタリアに入って最初に向かったのは、昔の病院だった建物を政府が使っている精神保健局であった。そこの代表やドクターとミーティングをして、精神保健局の中にある施設でラジオ番組に出演させてもらったという。番組はある単語から連想される言葉を挙げてゆくというもので、それを通訳さんがイタリア語に直して伝えて下さり、放送されるという番組だった。キーワードが〈ケア〉〈精神病院〉〈小川〉〈自由〉という言葉を連想して収録してもらい、イタリア全土に流れたとか。そのラジオ局も精神障害者の社会復帰のために運営されているところで、ボローニャ大学のメディア学を教えている先生がコーディネートをされているということだった。

【サポートファミリーの方たちとの交流】
イタリアでは一般の家庭の空いている一室を借りて、精神障害者の人たちが生活をするという制度があるそうだ。ニーズは多様にあり、若い精神障害者の方たちだと社会復帰へのステップアップの一環として利用する方もいるし、年齢が高い方だと終の住処として誰かと住んでみたいという、そういったニーズもあるとか。部屋を提供する側も、利用する当事者側も、いろいろな指向や希望があるので、それらを調整してマッチングしてゆく事務局が〈サポートファミリー〉である。マッチングだけではなく、事後の支援もされているとのことだ。

【イルファロ編集室、ロンディーネのディ・ケアセンターへの訪問】
『イルファール』は、精神障害当事者の方たちが自分たちで編集し、発行している雑誌である。その編集室の見学をさせてもらい、ロンディーネのディ・ケアセンターも訪問させてもらったそうだ。ディ・ケアセンターにはいろいろなプログラムがあるのだが、スポーツをしていたり、夏にはキャンプなどもしているとか。縫製などの仕事もしていて、ちょっとしたカバンが日本円に換算して2,000円程度で購入することも出来る。支援員の方は芸術なら芸術の、スポーツならスポーツの専門家が就いているそうだ。

【この日の昼食】
運営はボランティアがされていて、食事も基本的に無料。出せるひとが出せる金額を支払うというシステムになっているらしい。ここの食事も美味しかったのだが、やはり量が多すぎたそうだ。

【精神科病院をなくしたといっても…】
精神科病院をなくした国とはいっても、やはりそれに該当する施設はあり、塚本さんたちが訪問されたのは重度より少し軽い精神障害の方が入院している施設であった。主に統合失調症の方が多く、触法障害者の方も入所されているとのことだ。

【アルチペラゴ居住施設】
居住施設はひとつの建物の中に部屋が幾つもあり、日本で言えばグループホームのようにそこに住んでもらうという感じ。ただ、日本のグループホームと違うところは、夜間は職員が帰ってしまって入所者の方だけになるところで、これが大きな支援のポイントだということだった。それは塚本さんたちが宿泊された研修所のようなところでもそうだったという。因みに一般的なホテルはそんなことはないそうだ。

【やはりイタリアはワインの国?】
塚本さんがこのツアーで驚いたのは、頻繁にワインが出て来ることだった。昼食にもワインがついてきたし、おやつにもワインが出たという。さすがは美食とワインの国でもあるイタリア。

【アルコバレーノ協会】
イタリアは精神障害者の方たちの日中活動支援も盛んな国で、この協会でも印刷をしたり、陶芸やガラス細工などを製作していたという。また、レストランや宿泊事業もされているとのこと。塚本さんがこの研修旅行中、一番美味しいと感じたのはこのレストランのホワイトソースで肉が入った餃子のようなパスタだったそうだ。これらの施設はその昔動物を飼っていたところを改装して使っているということで、レストランや宿泊施設にもその名残の〈牛マーク〉が残っていたりするそうだ。イタリアの協会の方々とも交流をし、予定にはなかったが野鳥好きな方が突然来られて、急遽野鳥見学会が催されたりした。

【もちろん市内観光も】
そういう施設だけではなく、もちろんボローニャの市内観光にも出かけ、有名なポルチコや街の中央に聳える塔にも登ってきたという。

【一日だけの自由行動はベネチアに】
一日だけ自由行動日があったので、塚本さん親子は水の都ベネチアに行って来たそうだ。

【Dove(ドーベ) mia(ミア) figlia(フィッリヤ) 事件】
この研修旅行の主目的は10月10日の『精神保健ディ』に参加することがメインで、東京ソテリアさんが持って来た生け花やお抹茶などを披露したそうだ。塚本さんの担当がお抹茶だったので会場でお茶を点てていて、ふと気がついたら娘さんがいなくなっていた。驚いて会場中をイタリア語で「Dove mia figlia!」と叫びながら探したそうだ。娘さんは直ぐに見つかった。愛知県の長久手市からも〈ゆったり工房さん〉がさをり織りの織り機を持って来ていて実演していたのだが、そのブースで楽しそうにさをりを織り、籠を作っていたそうだ。異国の地で娘さんがいなくなり、焦って「Dove mia figlia!」と叫びつつ探しまわる塚本さんに対して、とうのご本人は少し離れているとはいえ、同じ会場内で楽しそうに籠を作っていたのである。塚本さんは、あとから自分は何をしていたのだろうと思ったという。

【イタリアの買い物カゴ】
塚本さん親子が宿泊した施設はイルビリーナ地区にあり、周辺には門のところには番犬がいて、その門と玄関との間の距離が離れているような豪邸が多くて、ドラマなどに出て来そうな地区だったという。買い物に行ったスーパーは普通のスーパーだったのだが、買い物カゴの形状や使い方が日本のそれとは異なり、カゴの持ち手の部分を延ばして、カゴを引きずるような形で使うものだったそうだ。

【また、イタリアに行ける日まで】
帰りはやはりドイツを経由して羽田に着き、名古屋へというルートを辿って戻ってきた。イタリアに行って、親子共々イタリア好きになってしまったという。イタリアに行く前は何にしても日本のものが一番だと思っていて、「メードイン〇〇」という余所の国のものを見るだけでもちょっと遠慮してしまうところもあったが、何か勿体ない人生を送ってきてしまったなあ~という後悔の想いがあるという。イタリアにはまた行きたいと思っているので、毎朝イタリア語のラジオ講座を聴いているそうだ。伝えることも喉元まで出ているのに何一つ伝えられないもどかしさが悔しかったし、哀しかったのだ。それが原動力となってイタリア語を習得しようと、毎朝聴いておられるそうだ。

【大事なのはひととの出会い、繋がり、想いである】
このツアーに参加させていただいて思ったのは、ひととひととの繋がりや、出会いや、想いが本当に温かく、大事だなと改めて思ったという。


ジネンカフェVOL.125のご案内

2018-07-02 20:31:50 | Weblog
ジネンカフェVOL.125
日時:8月4日(土)14:00~16:00
場所:くれよんBOX
ゲスト:高野 仁美さん(【パンで幸せのお手伝い】株式会社永楽堂)
タイトル:「地域コミュニティの中心としての喫茶店の可能性」
参加費:500円

ゲストプロフィール:
 喫茶店のモーニングを食べて育った生粋の名古屋っ子。この喫茶店文化を守りたいと、喫茶店に向けた業務用パンの専門メーカーである永楽堂へ就職。現在は、喫茶店向けのパンやメニューの企画・開発をメインに担当。

コメント
 家の離れに近所のお年寄りが集まり、ギターを片手にみんなで歌ったり、将棋をしたり、おしゃべりしたり。 時には小さい子どもを連れたお母さんが休憩に来たり、小学生がおばあちゃんたちに宿題を教えてもらいに来たり。そんな場所で、おいしいコーヒーを淹れていつでもみんなを出迎える…そんなおばあちゃんになることが私の将来の夢です。
 さて、昔ながらのまちの喫茶店には、そんな地域コミュニティの中心として活躍する可能性があるのではないでしょうか。会社のコミュニティの中心としてオープンした永楽堂社内カフェの例もご紹介しながらお話ししていきます。

お問い合わせ/お申し込み

TEL:052-733-5955(くれよんBOX)
E-mail:jinencafe@yahoo.co.jp