ジネンカフェだより

真のノーマライゼーション社会を目指して…。平成19年から続いているジネンカフェの情報をお届けします。

ジネンカフェVOL.087レポート

2014-11-27 13:04:02 | Weblog
VOL.087のゲストは、錦二丁目のカフェ〈MITTS COFFEE STAND〉のオーナー・阿部充朗さん。阿部さんは、趣味でパンを焼くお母さんの影響を受けて、子どもの頃からパン屋さんになることを夢見る。高校卒業後、大阪のパンの専門学校に進学。授業の時に飲んだコーヒーが美味しかったことがきっかけでコーヒーに興味を持つ。卒業後大手製パン会社に入社。四年半勤務し退職。以後コーヒー店とパン屋を転々とし、平成24年7月にMITTS COFFEE STANDを開店させた。喫茶店文化が色濃く残っている伏見、錦二丁目長者町界隈において、コーヒー豆へのこだわりと、独自の審美眼や直感、哲学を持って空間づくりや経営にあたり、伏見・長者町周辺で働くOLさんやサラリーマンなどに人気を博している。また、お店に地域で活躍しているカメラマンの写真を飾ったり、地域のイベントにも積極的に出店したり、店内でのイベントも受け入れて、地域との連携も深めている。お話のタイトルは『開店3年目にして思うこと。地域との関係性。コーヒー業界の”今” と ”これから” 』


【すべてはパン屋さんになる夢から始まった…】
冒頭にも書いたように、阿部さんがMITTS COFFEE STANDをオープンさせたのは2年前の夏のことだが、もともとはパン屋さんをめざしていたのだそうだ。それは物心ついた頃からの夢で、野球少年がプロの選手に憧れたり、正義感が強い子どもが警察官に憧れたりするのと同じで、パンを焼くお母さんの後ろ姿をみながら育った阿部さんが、パン職人に憧れるのは必然であった。しかし、子どものことなので途中で他の職業へと心揺らぐことはあったそうだ。高校生になって今後の進路を決める際、大学へ行くことに漠然とした疑問を感じていたので、配布された100冊ほどの専門学校のパンフレットのなかに、パン職人の専門学校の案内を見つけた瞬間、〈そう言えば僕はパン屋になりたかったんだ…〉と、子どもの頃の夢を思い出したという。

【パンから珈琲へのシフトチェンジ】
そうして阿部さんは一年間大阪の専門学校に通い、名古屋に戻ってきて、敷島パンの子会社に就職した。その頃は〈自分はパン屋になる〉ものだと思っていたという。そこで5年間働いていたが、子どもの頃からパンが好きで、おとなになってもパン業界に長らくいたせいもあり、若気の至りでもうパンのことはもうわかった気がしてきたという。それよりは趣味で続けていた「珈琲」を極めてみたくなった。勤めていた会社を辞める前の三ヶ月間、残っていた有給を使ってヨーロッパに行き、有名なブランドの研修にも参加させてもらった。これがよい経験になったという。日本に帰ってきて珈琲店に勤めようとしたのだが、これがなかなかみつからない。大手の珈琲メーカーの募集ならあったのだが、もう少しこだわっているところがよかったので探していたけれど見つからず、結局アルバイト募集をしていた金山の喫茶店に勤めたという。
【金山の喫茶店】
そこは本当にただ偶然に求人が出ていたので応募したというだけの店で、特別にこだわってはいなさそうだったけれど、よい豆を使い、コーヒーを一杯、一杯入れていて、何よりマスターが面白い人だったそうだ。まだ入りたての阿部さんを掴まえては、経営のことや珈琲店のことをドヤ顔で話して教えてくれたという。いまとなってはそのマスターの教えてくれたことが身にしみているそうだ。その時は回り道に見えたとしても、自分が選択した道であるならば決してそれは無駄なことではないのであろう。

【再びパンの世界へ戻るも馴染めず…】
阿部さんご自身はそれが接客業初体験だったので、お客さんに「いらっしゃいませ」というところからスタートしたのだが、二年が過ぎた頃に〈俺はこの先どうして行くんだろうか…?〉と思い悩み、もう一度パン業界に戻ったそうだ。この時も大手のパン企業に就職できたのだが、二年間パン業界から離れていたせいか、朝二時に起きて、三時に出社して、ヘマをすれば先輩たちに蹴られる…といった、以前はそれが当たり前に思っていたパン職人の世界に馴染めず、半年間で辞めてしまったという。阿部さんにとって、それが人生初の挫折だった。高校時代は野球部だったので多少の厳しさには慣れている筈だったが、このときはどうにも耐えられず、ドロップアウトしてしまったという。

【再び、珈琲の道へ】
そうして再び珈琲の道に戻ろうとした阿部さんだったが、こだわっている珈琲店は大体マスターがコーヒーを入れるので、30歳前の男子を雇う必要がなく、それでもドトールが全国展開しているセルフ店に勤めることができ、フリーターをしながら名古屋や東京のセミナーに行ったりして珈琲の勉強をしていたそうだ。2年間ぐらいは、そうして懸命に働いた。ドトールに勤めた時は店長にも恵まれ、阿部さんの事情を考えてくれてシフトを組んでくれたので、目一杯働きながら、珈琲の状態を舌で判別する〈カッピング〉という技術を磨くセミナーに参加することができた。焙煎にしろ、抽出にしろ、舌が確かであれば技術は後から付いてくるだろうという目算があってのことだった。

【家族から背中を押されて…】
そうして2年が過ぎた頃、阿部さんは再び自問し始めたという。〈俺はこの先どうするんだろう…?〉セミナーに参加し続けていたのでお金もないし、どうしようと…。そんなとき、お母さんから「もうそろそろ自分でやってもいいんじゃない? 私も協力してあげるから…」と言われたという。こうして家族から背中を押される形で、阿部さんは独立することになったのだ。どうせ自分の店を構えるのなら、自分好みの装飾にして、自分が気に入った珈琲を出す店にしたい…とは、何かしらのお店を構えたいと思っている誰もが考えることだろう。阿部さんもその例にもれず、妄想しながら働いてきたところもあり、ある程度条件があれば独立出来るだろうとの自信もあった。阿部さんは、とにかく自分の〈好きなもの、こと〉を全部つぎ込もうと、独立に向けて動き出した。

【錦二丁目を選んだ理由】
阿部さんは珈琲の中でも〈エスプレッソ〉や〈カプチーノ〉が好きで、エスプレッソが出せる店にしたいと思っていた。エスプレッソを出している店は名古屋ではあまりなく、エスプレッソマシーンは高価なので、それを入れているお店は日本でもまだ少ないのだ。しかし、阿部さんはエスプレッソがやりたくて珈琲の勉強を重ねてきたので、どうしてもそれはゆずれないことだった。かつエスプレッソが受け入れられる街で開店したいと思っていたという。エスプレッソが受け入れられる街、それはオフィス街だろうということで、千種から名駅にかけての店舗物件を探すことになった。一番の希望地は名駅だったが、名駅はなかなか個人が独立開業するにはなかなかハードルが高いところで、大体抽選になるのだが書類だけで落とされてしまうのだそうだ。そうして半年ほど探しても見つからず、あるとき「こんな物件、阿部さんの好みじゃないよね?」と紹介されたのが、錦二丁目の現在のMITTS COFFEE STANDがある物件であった。どうして阿部さんの好みではないと思われたのかと言えば、もともと繊維問屋だったところなので中が広く、公称で30坪(実際には20坪しかなかったらしい)もあったためだが、入り口付近の天井が高く奥に行くほど低くなっている物件だったからだ。面白いと思った阿部さんはほぼ即決で決めたという。広さ的にも家賃も妥当だったし、あまり物件探しが長引くと独立開業する気持ちが薄れてしまうのではないかと思ったからだ。そう。どんなことにしろ、タイミングというのはとても重要なことなのだ。

【錦二丁目を選択した背景には…】
こうして(MITTS COFFEE STAND)をオープンさせた阿部さんだったが、最近街のことに関わることが多くなり、錦二丁目に関心があったのでこの街を選んでオープンしたのだろうとよい風に誤解をしている方もおられるかと思うが、そうではないという。ただ、全然なかったわけではなく、次年にこの街がトリエンナーレの舞台になることは知っていて興味もあったし、名古屋で美味しいパン屋さんを探そうと思うとデパートに行かなければなかったりするが、〈ゑびすビルパート2〉に名古屋のパン業界で有名な〈グルマン〉が入っていて、阿部さんは昔からパンを求めにきていたという。もう少し遡れば高校生の頃、学校でTシャツを作ることになり、地元でも作れるのに〈ゑびすビル〉で作ってもらった背景があるのだ。

【オープン前から評判になっていた】
〈MITTS COFFEE STAND〉の話題は、オープン前から錦二丁目界隈でも広がっていたという。錦二丁目とはいってもお店があるのは一番人通りが多い長者町通りから二本筋を隔てた桑名町通り桶屋町であり、しかも〈カフェ・ド・クリエ〉さんの並びだということでそんなところにオープンして大丈夫かと心配する声と、珈琲にこだわっているらしいぞ…という期待する声と両方あり、結構注目されていた。阿部さんによればオープン当初の売り上げをみると、よくこんな数字で営業していられたな…というほどのものだったそうだが、それとは逆に美味しいコーヒーの評判は長者町雀たちの話題になっていたのだ。自分が働くところの近くに美味しいコーヒーを出す店が出来たというだけで、クオリティー・オブ・ライフが上がると言う人もいたほどに…。錦二丁目というところは昔からの繊維問屋街として有名だが、丸紅とか商社も多く、そうした土地柄も幸いしたのだろうと、阿部さんは分析している。

【まちと関わるきっかけ】
〈ミッツコーヒースタンド〉さんでは、地元のカメラマンの写真を展示したり、地元のグループが主宰するもの作りワークショップを受け入れたり(時々自らの主宰で行うこともある)、コミュニティカフェのような動き方をすることもある。そもそものきっかけは、〈長者町ゼミ〉の人たちであった。〈長者町ゼミ〉とは、錦二丁目長者町の魅力に目覚め、この街を舞台に本気で遊んでいる人たちで構成されているグループである。その中のひとりが、あるとき「わたし、こんな地図を作ったのですが、置いていただけませんか?」と、手作りのマップを持ってきたのだという。店を営業していると道を尋ねられることも多いのだが、阿部さん自身が錦二丁目に店を構えたばかりで説明をするのに必要性を感じていたので、置いてもらうことにした。その前後から長者町の人たちが足を運んでくれるようになり、その人たちからまちでハチミツを作っているという話を聞いた。阿部さん自身は甘い飲み物はあまり好きではないのだそうだが、スタッフからメニューに季節的な商品(マロンラテとか、ハチミツラテ)を入れた方がいいと云われていたので、まちでハチミツを作っているならそれを使えばよいのでは? と思い、商談のためにハチミツを作っているビルに乗り込んで行ったことが、まちと関わることになるきっかけだったという。ハチミツとの出逢いがまちと関わるきっかけになり、〈ゑびす祭り〉や〈トリエンナーレ〉にも関わっている。営業面からもあそこは地元のものを使っている、地元のイベントに協力してくれている…という認識が広まることで、いまの客層に繋がっているのではないかと阿部さんは感じている。


【打倒! カフェ・ド・クリエではなく】
だからオープン当初は「打倒! カフェ・ド・クリエ」というノリで営業してきたが、いまでは客層のすみ分けが出来ているので、「カフェ・ド・クリエ」がなくなると、いままで「カフェ・ド・クリエ」に行っていた客層が「ミッツコーヒースタンド」に流れてくる可能性もあり、そうなるともとから「ミッツコーヒースタンド」を贔屓にしてくれていた客層が来づらくなってしまうのではないかと感じていて、両者が共栄共存して行ければよいと思っている。実は阿部さんも「カフェ・ド・クリエ」へ行くこともあるそうで、「カフェ・ド・クリエ」のスタッフも「ミッツコーヒースタンド」に来ることがあるそうだ。丸の内周辺の「カフェ・ド・クリエ」はフランチャイズ店が多く、その店舗のオーナーの個性が前面に出ているところがあって面白いという。

【即決・即断、経験がもたらす感度の良さ】
お店を決める時も、地元のハチミツを使う時も、阿部さんは即決・即断で話を進めて、結果的にそれがよい方向に展開してゆく…。他者からみるとそれが不思議に思えるらしいが、阿部さん自身も自分が優れていることは〈感がよい〉ところだという。その〈感の良さ〉とか〈物事を決めるセンスの鋭さ〉は経験から来ていることが多く、阿部さんに限らず私たちは何事かを選択しなければらない場合、大概の場合経験に基づいて判断を下しているのだ。経験の積み重ねである。これが多い人ほど〈自分〉に確固たる自信を持ち、信念に基づいて選択したり、行動できる。ただそれが他者には見えないところで培われているため、他者からみると何とも不思議に思われるのだ。〈自分〉というものは、その時その時で変わりゆくものだが、核となるものがある人は揺るぎない自分の物差しをもつことが出来る。阿部さんにも、その物差しが自分のなかに明確に存在するのであろう。阿部さんはその基準は〈好きか、嫌いか〉だとおっしゃっていたが…。

【まちに対する想い】
阿部さんは、いままでまちに対して想うことなど考えたことがなかったという。振り返ってみれば名駅から栄にかけてのエリアでしか働いたことがなく、春日井が地元でありながら春日井では働いたことがない。一度だけ春日井の喫茶店の手伝いをしたこともあったが、あまりもの商売の違いに愕然とし、〈俺は春日井では独立出来ないわ…〉と思ったという。春日井の人間なのに名古屋が好きで、高校の頃から大須で買い物をしていたぐらい。金山も、栄も、名駅も好きで、名古屋のために何か出来ないかと考えている。名古屋はやはり魅力的で面白い街だと思うが、何かちぐはぐ感が拭えないという。大須も、長者町も、円噸寺も頑張っているけれど、ほかとの連携を嫌う側面もあり、そこを外部から何とか繋げられないかと活動を始めたそうだ。その糸口として〈ゑびす祭り〉に出す〈グルメ屋台〉の飲食部門の手伝いをしたり、来春から納屋橋で行われている〈ナヤマルシェ〉の手伝いをすることになっているという。その他、〈名古屋〉や〈栄〉を発信しようという主旨の〈大ナゴヤ大学〉や〈ソーシャルタワープロジェクト〉にも共感を覚え、円噸寺の〈パリ祭〉に続いて〈ソーシャルタワーマーケット〉に参加した。このイベントは名古屋祭りの一角で催されており、音楽あり、飲食店のブースあり、クラフトや陶芸作家さんのマーケットもありの複合イベントで、名古屋祭りとソーシャルタワーマーケットでは出演するミュージシャンの層も違えば、客層も全く違っていて、結構面白かったという。

【名古屋をもっと面白くしたい!】
お母さんからの影響と欧米文化への憧れから、もともとパンマニアだった阿部さんは、コーヒーマニアになり、そのお母さんや家族の応援もあって〈ミッツコーヒースタンド〉をオープンさせた。これらは現在でも一般の人たちには負けないほどにマニアックだという自負はあるものの、コーヒーへの熱は冷めつつあるという。オープン当初は多店舗展開も考えていたが、現在ではまるで興味がない。多店舗展開させてゆくには、スタッフを雇わなければならない。優秀なスタッフに恵まれればよいけれど、そうではないとそれで閉店してしまうお店のケースを何例も見てきているので慎重になっていることもある。阿部さんの関心の指向性は現在、自分と同じように好きなことをして生きている人たちを支援したり、いろいろな文化を育み、名古屋をもっと面白い街にする方向に向いているそうだ。カフェを営業しているのも〈喫茶店文化〉を育むことに繋がっている。名古屋、殊に錦二丁目界隈はもともとまちの中に〈喫茶店〉が必要とされ、それが文化として根付いている土地柄なので、育む必要はないけれど、もとからあるものをそのまま守ってゆくことだけではなく、若い世代にも受けるような新しい形として発信してゆくことも文化を継承してゆくことだと思っている。そういう点で飲食店は自分の〈好きなこと〉が出来る職種だと思うが、絵で食べてゆくことは、相当に難しく、その人はただそれだけで食べていけるわけがない。でもカフェの壁を貸して展示スペースにすることはわけもないことなので、そういう支援の仕方もあるのではないかと思っている。阿部さんには、最近〈メッセンジャー〉をしている友達が出来た。自転車で食べてゆくこともかなり難しい。自転車屋をオープンさせなければいけないので、それも難しい。でも、〈自転車文化〉を広めることが、〈メッセンジャー〉として生きているその人を支援することに繋がるのではないか。自動車文化が根強い名古屋で自転車文化が活性化することは、単純に考えても面白いことなので阿部さんは近頃でそれも支援をされているという。

【大久保的まとめ】
87回も行ってきたジネンカフェで、阿部さんははじめてお迎えする分野のゲストさんである。それもコミュニティカフェとはいえ、普通に営業しているカフェで、他のカフェのオーナーがご自分のお店について語る…という、あり得ない状況を快くお許し下さったくれよんカフェのスタッフさんに先ずはお礼を申し上げたい。私(大久保)がMITTS COFFEE STANDさんのコーヒーと出会ったのは、おそらくオープンされて間もない頃だった。育くみ隊の事務局が、まだ丸の内のビルにあった頃のことだ。そう、テイクアウトの形で出会ったのである。お店に行く機会が増えたのは事務局が長者町に移り、様々な機会にいろいろな人たちとの打ちあわせや、トリエンナーレ巡りの休憩所としてよく入るようになった。お店のドアが自動ドアで、チェアウォーカーでも入れるという安心感もさることながら、店内の雰囲気がとても心地よく、先日も友人と訪ねたのだが、居心地が良すぎてコーヒー一杯でついつい長居をしてしまった。時間を忘れさせてくれる雰囲気が、MITTS COFFEE STANDさんにはあるのだ。その魔法はおそらく、阿部さんがこれまで培われて来られた価値観とか、生きるうえにおける美意識とか、そんなものが凝縮されて現れているからなのだろう。私は、人はみな自分を表現しながら生きる〈アーティスト〉であると思っている。阿部さんはパンづくりに始まり、コーヒーにはまり、そして現在は名古屋のまちをもっと面白くしたいと意気込んでおられる。つまりはご自分を表現するのに、貪欲な方なのだと思う。しかしその貪欲さは、決してご自分だけが目立てばよい。ご自分だけが賞賛されればよいというエゴイスティクなものではなく、周囲の人たちや物事にもそのまなざしは向けられているのだ。それぞれの生き方で、みんなが生き生きと輝けばよい。そのための貪欲さでもあろう。阿部さんにはどんどん貪欲さを発揮してもらって、すべての人が自分なりの生き方で輝けるような支援をしてもらいたいものだ。しかし、本業のMITTS COFFEE STANDの方も忘れないように。あの美味しいコーヒーが飲めなくなるのは、何とも淋しいから…。

ジネンカフェVOL.088のご案内

2014-11-04 08:25:09 | Weblog
ジネンカフェVOL.088
日時:12月6日(土)14:00~16:00
場所:くれよんBOX
ゲスト:坂元邦晴さん(認定NPO法人WAFCA 事務局長)
タイトル:『企業と非営利団体が共に発展するには!
    ~つながる楽しさ、難しさ~』
参加費:500円(お茶代別途)

ゲストプロフィール:
(株)デンソーに入社後、営業や人事の業務に携わる。
2010年1月より、WAFCAの事務局長に。
企業で培ったスキル、ノウハウを活かして団体運営を行っている。
2年で会員を、1,000名から2,000名に増やした実績を持つ。
共感者を増やすプレゼン研修に定評があり、依頼多数。
企業とNPOをつなぐ橋渡し役として、日々奔走している。

コメント:
企業とNPO各々の強みを発揮すること。
一方で、各々が譲り合うこと。
事務局と現場が分かり合うこと。
日本とアジアが、尊敬しあうこと。
・・理想と現実のはざまで、揺れ動く私がいます。
参加者の皆さんと、共有する時間を持てたら幸いです。

お問い合わせ/お申し込み
TEL:052-733-5955(くれよんBOX)
E-mail jinencafe@yahoo.co.jp

主催・共催:NPO法人まちの縁側育くみ隊、かたひらかたろう・NPO法人くれよんBOX