ジネンカフェだより

真のノーマライゼーション社会を目指して…。平成19年から続いているジネンカフェの情報をお届けします。

ジネンカフェVOL.124ご案内

2018-04-26 13:33:32 | Weblog
ジネンカフェVOL.124
日時:6月16日(土)14:00~16:00
場所:くれよんBOX
ゲスト:塚本由紀子さん
タイトル:イタリアを訪問して

ゲストプロフィール
愛知県精神障害者家族会連合会事務局スタッフ
昭和区発達障害児親の会のびたくらぶ副代表

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精神保健福祉の先進国と言われるイタリアの現場を見たいとの思いから一昨年10月親子でボローニャへの研修旅行に参加。重度の知的障害と自閉症を持つ娘は海外旅行はもちろん飛行機も初めて。不安の方が大きかったのですが…この旅行で分かった事はすべての経験は必ず生きる力になるという事。イタリアの魅力、見学した施設の事みな様にお伝えしたいと思います。
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ジネンカフェVOL.122レポート

2018-04-15 10:11:51 | Weblog
毎年3月のジネンカフェは、2月の拡大版の余波を受けて、参加者があまり振るわない傾向にある。暦の上ではもう春だが、まだ寒いということもあるだろう。3月3日は雛まつりである。あとでご紹介するが、祭りとまちづくりとは親和性があり、切っても切り離せない関係にある。ということで、ジネンカフェVOL.122のゲストは、名古屋都市センター調査課職員の濱内洋孝さんと、元名古屋都市センター調査課職員の小林広樹さんだ。名古屋市内で市民活動をされていない方々には、名古屋都市センターといってもそれがどういうところで、どういうことをしているのか、わからないところだろう。名古屋市民にもそんな名称は聞いたことも見たこともないと言われる方おられるだろう。そこでお二人のお話のタイトルも『名古屋都市センターって何をしているところ?』と、直球である。

【名古屋都市センターって?】
名古屋市の金山総合駅の西口(アルナル金山とは反対側)を出て、右側に見えるボストン美術館が入っている金山南ビルの13階に、名古屋都市センターの事務室がある。沿革を記すならば、平成3年7月に財団法人名古屋都市センターを設立。平成11年3月に現在の金山南ビルに移って来た。時を経て平成22年4月に財団法人名古屋都市整備公社と合併し、平成24年4月に名称を、現在の公益財団法人名古屋まちづくり公社へと変更した。行政ではないけれど、名古屋市の外郭団体である。

【都市センターって、なにをしているの?】
その都市センターの事業として、主に三つがあげられる。①まちづくりに関する調査・研究。②まちづくりに関する情報収集・提供。③まちづくりに関わる人材育成・交流である。つまり名古屋市内におけるまちづくりの支援をされているのだ。

【まちづくりってなに?】
それでは、その肝心要の、「まちづくり」とはなんであろう? どんなことが、まちづくりだと言えるのだろうか? 濱内さんは某国の鬼城(誰も住む人のいないか、住む人の少ない高層マンション群)を引きあいに出して、建物などハード面がいくら立派でも、そこに人が住んでいなかったら、生活の匂いが感じられなかったら、そこは「まち」とは言えないのではないか? という。そうなのだ。まちは、人々が集い、生活をするからまちになるのだ。例え立派なハードがあろうとも、そこに誰も住んでなかったら、そこはまちとは言えないのである。そしてまちづくりとは、そこに暮らす人々が心を通わせ、住みやすい地域にして行こうとすることを言うのだ。しかもそこには分野はない。歴史や文化や教育、環境に福祉…。人の営み全てがまちづくりと言えるのだ。そしてそれを硬い言葉で表現すれば都市計画と言ったりもする。また、こんなことを言う人もいる。行政が主導する都市計画を街づくりと言い、市民主導で行うのがまちづくりなのだと。因みに「まちづくり」という言葉には、ふたつのキーワードが隠れている。「ちく」「まつり」である。つまり「祭り」がある「地区」にはコミュニティがあり、まちづくりも盛んだとされるのだという。

【都市センターのまちづくり支援】
それではその都市センターのまちづくり支援とは、具体的にどんなことをしているのかと言えば、〈まちづくり団体の活動の支援〉をしたり、「まちづくり講座」を開いて〈まちづくりをしたい人〉を応援しているのだ。「まちづくり講座」は毎年定期的に開催されているし、まちづくり団体の活動も助成金という形で支援されているのだ。ヒト・オモイ・イノチを大切にし、育んでゆくのには、モノ・カネ・セイドが必要だったりするのである。実際、ジネンカフェも24年度に名古屋都市センターの《地域“魅力”アップ部門》の助成を受けているし、まちの縁側育くみ隊本隊も《まち“夢”工事部門》での助成を受けている。来年度も助成金募集をするそうだ。今後は活動初期の団体に力を入れるため、地域“魅力”アップ部門は廃止されて、1回限りであった《はじめの一歩部門》がリニューアルし、《スタートアップ部門》となり、30年度限定の予定で、《まち”夢”工事部門》を募集するとのこと。締切終了は5月22日。申請にあたっての条件など、詳しくは、名古屋都市センターのHPに記載の情報を見ていただき、お問い合わせ下さい。とのこと。

【まちづくり活動を考えるワークショップ】
そうした助成金情報とあわせて、参加者のみなさんにそれぞれにしたいまちづくり活動をろ考えて貰おうと、濱内さん考案のワークショップを行った。当日の参加者のひとりひとりに、縦横二本の線で4升に区切ったA4のシートを配布する。シートの4つの升には「いつ、どこで」「どんなことを」「何のために」「どのように」と記してあり、真ん中の円形には「誰に」という言葉が記されており、その5つのマス目をそれぞれに埋めて行くという作業であり、書けた人から発表して行った。くれよんさんのお庭に車いすでも移動可能なウッドデッキを造って、地域の人たちも気軽にカフェに来てもらえるようにしたいという方。地元の地域に高齢者のためにいつでも、どんな時でも、気兼ねなく使える憩いと交流の場が欲しいという方。小規模な音楽施設、ライブハウスなどはバリアフルなところが多いので、バリアフリーなライブハウスが欲しい…という方。みなさん、様々な想いを発表された。目的は違えど、それぞれの想いの底流にあるものは、他者とのつながりだったり、交流や憩いだったりするのが興味深かった。そのうちのひとつでも実現するとよいなあ~と思う。






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ジネンカフェVOL.121レポート④

2018-03-31 22:02:21 | Weblog
パネルトークが終了し、10分間の休憩を挟んで第二部ワールドカフェへと移った。今回のファシリテーターは、Keramago Works:ケラマーゴ・ワークスの白川陽一さんと、名城大学 ナゴヤドーム前キャンパス 都市情報学部の学生さん・西山和寛さん。白川さんはジネンカフェではもうお馴染みだが、現在は名古屋市青少年交流プラザをはじめ、若者の成長に関わる多くの場で、対話と学びのファシリテーターを務める。個々の自立や社会参画を育むための、家でも職場でもない第三の居場所(サードプレイス)づくりがテーマ。各種ワークショップの企画やコーディネーターとしても活動する人だ。西山さんは高校時代から名古屋市青少年交流プラザで活動をしていた若者で、白川さんとも職員と利用者として顔をあわせた。人と人が繋がり、協同することで地域課題を解決することに関心をもち、他者との「対話」をデザインし促進するファシリテーションについて勉強している最中で、今回の拡大版では白川さんと共にファシリテーターを務めてもらうことになった。

第一ラウンドの問いは「パネルトークの話を聞いて、あなたが思ったことや、考えたことは?」
第二ラウンドが「あなたは〈ふだんのくらしのしあわせ〉を、どんな時に感じますか?」
第三ラウンド「今日参加して感じたことは? 持ち帰って伝えたいことは?」

それぞれのラウンドもみなさん、真剣に熱く語りあう姿がみられ、対話すること自体を楽しんでいるようだった。今回ワールドカフェ初体験の方が多かったようで、事後アンケートにもいろいろな人たちと語りあうことが楽しかったと記してくれている人が多かった。寡聞ながら福祉系の取り組みで、ワールドカフェを行ったとは聞いたことがない。これはジネンカフェの特色になっているから、次回も続けよう。
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ジネンカフェVOL.121レポート③

2018-03-31 21:58:47 | Weblog
パネルトークのラストを飾るのは、半田市内の小学校~高校までの福祉教育に障がい当事者として関わり、子どもたちに人間が持つ可能性を伝えておられる、人まちクラブはんだ代表・杉江徳長さん。杉江徳長さんは1963年、愛知県半田市に生まれ、99年から総合的な学習の時間への協力を始める。2000年、福祉実践教室等に関わり始め、2003年にボランティアグループ「人まちクラブはんだ」設立。13年、半田市地域福祉計画推進委員会委員。17年、半田市障がい者自立支援協議会委員及び、権利擁護部会副部会長に就任されておられる。お話のタイトルは『ふくし共育の実践報告』

【ふくし共育とは?】
福祉教育の取り組みを語るのに〈ふくし共育〉とタイトをつけて紛らわしいのだが、半田市では福祉教育のことをふくし共育と呼んでいる。それは〈教育〉というものが「教え」「育む」ものに対して「共に」「育み」「育まれ」ようとする双方向の福祉教育をめざしているからだ。知らない人がみて、よく「誤字ではないか?」と言われるのだが、意味があってあえて「共育」という文字を使っているのである。

【ふくし共育に関わったのは…】
杉江さんが学校で行うふくし共育に関わるようになったのは、いまから20年ほど前の1999年だった。最初は総合的な学習の時間に協力を始めるようになった。始めた当初は学校側から直接依頼されることもあって、ちょっと戸惑うこともあったが、そんな形で協力を重ねて行ったのだ。翌年の2000年から半田市社会福祉協議会の福祉実践教室に関わり始める のだが、この頃は社協さんが行っていた旧い形(講話と疑似体験のセット)の福祉実践教室が行われていた。また、現在でこそ社協さんが学校やボランティアのコーディネーター役として〈ふくし共育〉を計画し、実施しているのだが、当時は統一された指揮系統がなかったために、学校側が行う〈総合的な学習の時間〉と、社協さんが行う〈福祉実践教室〉とが混在していて、別々のものとして動いていた感じだったという。

【地域福祉推進委員会の委員としても活動】
2003年に「人まちクラブはんだ」を設立して、社協さんがここのグループに…という形で、杉江さんが改めてふくし共育に関わることになり、2010年には〈ふくし共育〉が「地域福祉推進計画」に盛り込まれ、こちらの委員としても活動することになったのだという。

【半田市内のふくし共育の実情】
今年度の人まちクラブとはんだの活動として関わっているふくし共育の実施校数としては、市内にある小学校14校の内11校。中学校が6校ある内の1校。高校の4校の内2校となっている。小学校でも全校に関わっているわけではなく、社協さんがコーディネートをしていても、学校単位の教育方針の違いもあって、肢体不自由者への理解ということではなく、ほかのものに特化して教育しているところもあるので、学校数と関わっている学校とは開きはあるそうだ。小学校に比べて中学・高校と少なくなっているが、授業時間がなかなか取れないという事情もあって、今年度で言えば中学校は1校、高校は2校予定があるそうだ。

【福祉とは何か?】
半田市社協さんの福祉実践教室では、小学生でも読めるように〈ふくし〉とひらがなで表記するようにしていて、杉江さんも講話で子どもたちに「ふくしって何だろう?」と問いかけてみるそうだ。すると大概の子どもから「福祉とは障がいのある人や、高齢者のためにあるもの」というような答えが返って来る。それに対して「そうではないんだよ。ふくしとは、誰もがその対象で、普段の暮らしの幸せについて考えたり、実行することなんだよ」ということを社協さんの担当者や、
ふくし共育コーディネーターの方が全体講話で子どもたちに伝えている。しかし、「普段の暮らしの幸せ」とは言っても、抽象的で小学生にはあまりピンと来ないので「いつもの生活が笑顔であふれる毎日の生活」と言葉を換えて伝えるようにしている。学校によっては全体講話の時間が取れない場合もあるので、そういう場合には杉江さんの担当のお話の中で伝えるようにされているそうだ。

【実際にどんなことをされているのか?】
福祉実践教室の中では〈ワーク〉という授業形態も取り入れていて、子どもたちが「自分に出来ること」を考えて出したり、杉江さんが「みんなのために出来ること」を出しあって考えたりしている。このワークでは杉江さんが生活の中で困ること、出来ることなどを伝えて、それに対して子どもたちがそれぞれに意見を出しあうという進め方をされているとか。車いすの体験学習も半田の場合は、車いすに乗って動かす体験ではなく、お手伝いをする体験ということで教えているそうだ。段差を越える体験も最初は普通にマット一枚分を越えさせて、次にそれを三枚分にして杉江さんも手動車いすに乗り換えて、子どもたちにどうすればよいのかを考えて貰っている。子どもたちは最初マット一枚分で乗り越えられたから、三枚分の高さでも自分だけで乗り越えられると思うと困るので、マットの高さを変えて二回やるのだ。実際、子どもたちに訊いてみると、三枚分の高さでも「自分達で出来ます」という答えが返って来る。そうした時に杉江さんは「車いすに乗っている人に怪我をさせてはいけないけれど、お手伝いをする人も怪我をしてはいけないんだよ。それでも出来るかな?」と、もう一度問いかける。最終的には「自分たちに出来ること」の答えとしては「周りにいる大人を呼んで来よう」というところに繋がってゆくように持ってゆくのだそうだ。

【大切なのは普段の暮らし、地域の中で出会うこと】
体験型重視の福祉実践教室からふくし共育に変わって、杉江さんは一方向の福祉ではなく双方向のふくしへと変わったと感じているそうだ。大切なのは学校内のふくし共育の時間だけではなく、普段の暮らし、地域の中で出会うことなのだと思っているのだ。因みに杉江さんの自宅は小学校の校門のすぐ前にある。その実践という意味で杉江さんはできるだけ子どもたちの下校時にあわせて外出するようにしているとか。(登校時は難しいので)そうすることによってふくし共育で出会った子どもたちが声をかけてくれたりして、福祉の輪が広がってゆくことを願っているという。3月から5月にかけて半田市では毎週どこかで山車が出るお祭りが催される。杉江さんもお祭り好きなので、あちらこちらのお祭りに出かけては写真を撮っているのだが、車いすが人混みで動けなくなった時にも、お祭りをしている派手な髪の色をした若い衆でも「手伝いましょうか!」と声をかけてくれたりするそうだ。そんな時、これもふくし共育の成果かなと思うのだとか。

【これも僕ができるふくし共育】
杉江さんは両手が不自由で、足で写真を撮ったりする。そうして撮った写真をプリントしたり、ポストカードにして多くの人に観て貰うのも、自分のできるふくし共育かなと思っている。
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ジネンカフェVOL.121レポート②

2018-03-31 21:00:22 | Weblog
名古屋市社会福祉協議会、福祉教育担当者・村田敏明さんに続いてパネルトークに登壇していただいたのは、名古屋市立小学校通級指導担当教諭の安藤英吾さん。安藤英吾さんは、名古屋市生まれ名古屋市育ち。大学卒業後、愛知県立特別支援学校(知的・肢体不自由)、私立高校の教員、名古屋市立中学校特別支援学級を経て、現在「名古屋市立小学校 通級指導担当者」として子どもたちの教育にあたっている。発達障害児の認知特性について関心があり、名古屋市内の教員チーム「やけどの会」を立ち上げ、各学校現場の問題解決に取り組んでいる。また、本年度より名古屋市立大学大学院「人間文化研究科こころの発達に関する研究」にて「通級指導の効果」についての研究を進めておられる。文部科学省「発達障害に関わる教職員育成プログラム開発事業」研修テキスト執筆者でもあり、心理検査士の顔も持っておられる。お話のタイトルは『教育の中で伝えたい障がいの意味―ジネンカフェの福祉教育によせて』

【通級指導って何だろう?】
安藤さんがご指導されている発達障害児通級教室とは、10年~11年ぐらい前から始まった新しい教育指導形態で、まだまだ認知度は低いところもあるが、これからどんどん広がって行って多くの人に知って貰い、必要な子どもたちに必要な通級指導が行っていければと思っているという。その「通級指導」というのは、通常の学年・学級に在籍していながら、例えば何曜日の1時間目だけ二年生のAくんが「通級指導教室」へ学びに来て、その子の障がい特性に応じた指導をしてゆくことを言う。2時間目は5年生のBくんが自分の教室から抜け出して来て「通級指導教室」へと学びに来る。いわば保健室のような教室があって、そこに子どもたちが通いに来ているという。基本的には指導教諭と通級指導教室に通う子どもは、1対1が望ましいと云われている。なぜならば子どもたちの障がい特性がひとりひとり違うので、なかなか大勢を指導するのは難しいと云われているのだ。しかし、安藤さんが指導されている学校では希望者が多く、安藤さん1名に対して38名の子どもが通って来ている。そう、基本通りに一対一で指導しようとすると、どうしても指導出来ない子どもが出て来てしまう。それは公共性に鑑みてよくないので、現在はグループでの指導が増えて来ているそうだ。

【グループで指導した方が効果が高い?】
安藤さん自身は、グループで指導した方が効果がより高い思うことも幾つかあると感じている。1対1だけがその子にとって効果的な指導法になっているか、というよりかは少人数、10人ぐらいの単位の方が教育的効果が高いなと思うこともあると、実際にご指導されながら安藤さんは感じているという。

【通級指導教室に通う子どもの特徴①】
通級指導教室に通う子どもたちは、自閉症(ASD/自閉症スペクトラムや学習障害(LD/限極性学習症)・注意欠陥多動性障害(ADHD)など、何らかの発達障害を抱えた子どもたちだ。それぞれの障害特性は、自閉症(ASD/自閉症スペクトラムは、コミュニケーション・社会性・想像性の欠如、他者の心情を想像することが難しく、その場の状況を考えて発言することも難しかったり、いわゆる空気が読めない子とレッテルを貼られることがよくあり、限定的な興味・関心、こだわり行動なども特徴として挙げられる。例えば(牛乳)が特別に大好きで「〇〇牛乳、△△牛乳はあそこに売っていました」「あそこのスーパーでは××牛乳が売っています」「最近この牛乳が入りました」そんな話を安藤さんに嬉しそうにして来るという。それに対して安藤さんも「そうなんだ。以前はどんな牛乳が置いてあったの?」などと会話を繋げてゆくそうだ。電車が好きな子も多く、数字などにも興味を持つ子が多いという。こだわり行動は、この道ではないと帰れないとか、通級指導教室に来ても、このルートでしか自分の教室に帰らないとか。こういうこだわり行動があると、例えば「今日は雨が降っているのでこちらから行きなさい」と言っても、こだわりがあるためになかなか素直に従ってくれず、結局は雨に濡れてしまったりするのだ。そのこだわりを少しでもやわらかくして行ってあげるのが自分の仕事かなと安藤さんは思っておられるとか。

【通級指導教室に通う子どもの特徴②】
学習障害(LD/限極性学習症)とは、読む・書く・話す・聞く・計算する・推論するのうち、特定の物の習得や使用に著しい困難を生じる症状を差す。例えば読み書き、国語に関しては何も問題はないけれど、算数に関しては〈「11」の次の次の数字は何ですか?〉と訊いた時に、数字を順番に追って行かないとパッと答えが出て来ない子どもや、国語の読みに関してはOKなのだが、書くことに関して特別に嫌悪感を抱いてしまう子どももいる。その子たちが算数に接することが嫌いにならないように、その子たちが文字を書く作業を嫌いにならないように工夫して指導方法を考えるのが自分の役目だったりすると安藤さんは言う。

【通級指導教室に通う子どもの特徴③】
注意欠陥多動性障害(ADHD)とは、注意欠如多動症とも呼ばれているが、不注意で宿題をやったけれど家に忘れて来たとか、多動衝動症は、落ち着きがなかったり、頭に浮かんだことを思わず言ってしまう、思わず手が出てしまう、足が出てしまって対人トラブルに発展してしまう…こういうようなお子さんが通級指導教室に通っているそうだ。

【結局、通級指導とは…】
これらの様々な特徴がある子どもたちが、様々に通級指導教室に来て、様々な学びをしてまた自分の教室へと戻って行く。そうして元気に、楽しく学校生活を通常学級の方で過ごせるように指導する。それが通級指導教室なのだという。

【どんな指導をされているのか?~ユニバーサル教育の視点から】
安藤さんは通級指導の中で、ユニバーサル教育の視点をいつも頭の中に描きながら指導をされているそうだ。ユニバーサル教育とは、誰にとってもわかりやすい。誰にとっても使いやすい。そういうことがユニバーサルデザインと呼ばれたりするが、安藤さんのいうユニバーサル教育もそれと同じなのだ。例えば部屋の電気のスイッチは大体高い位置にあるかと思うが、ユニバーサルデザインの視点からすると、子どもでも車いす使用者でも使える位置に配置することとされている。子どもや車いす使用者にも使いやすいということは、即ち大人にも使いやすいということなのだ。これがユニバーサルの視点だろう。安藤さんのユニバーサル教育には、5つのポイントがある。『ルールの明確化』『視覚化』『ソーシャルスキルトレーニング』『運動トレーニング』『アンガーマネジメント』これらを意識しながら指導されているという。

【ルールの明確化①】
言葉で伝えようとしても、子どもたちにはなかなか伝わらない時があるので、イラストや文字にして示すことが多いそうだ。文字にすると何がよいのかと言えば、こちらから言うことがブレないのだ。文字に書いてあるものを子どもに伝えるので、「先生、教室のルール、この前はこう言ってたけれど、今日は違うことを言ってるじゃん」ということを防ぐために、自分にとっても言うことがブレないのでよく使っているという。例えば《〈教室のNG〉は2つあるよ。音―誰にとってもちょっと気になるよね? 音がしていると、どうしてもそちらの方に意識してしまって先生や友だちの話が聞けなかったりするよね? 音はNGね》《気になる動きー授業中に動きたい気持ちもわかるよ。でもいろいろな動きをすると、後ろの席の人たちが気になっちゃうよね? 動きたいと思っても、授業中はぐっとがまんできるといいね》そんな話をしたりしているという。

【ルールの明確化②】
全国的にみてみると、平均的に学力が高いのは秋田県だというデーターがあるそうだ。どうして秋田県は学力が高いのかと分析してゆくと、どうも秋田県の子ども一人ひとりが徹底的に聞く態度が身についているというところに集約されるとわかった。先ずは〈聞く〉という力を育てなければ、その後に発展させてゆくことは難しいだろうということで、『めざせ、聞き名人』という教材を作っているという。子どもたちに聞き名人になるには「何見て」「何よく」「何ながら」聞くのがよいですか? ということを、イラスト付きのフリップで問いかけるのだ。いま通級教室に来ている子どもたちは「かおをみて」「しせいよく」「うなずきながら」と答えてくれるそうだが、「目をみて」ではなく「かおをみて」にしているのには理由がある。自閉症の子どもの中には〈他者の視線〉が怖いという子がいるという。そういう子どもには「別に目を見なくてもいいよ。先生のほっぺたでもいいよ。おでこでもいいよ。あごでもいいよ。みみでもいいよ。顔の一部分、そこを見ていれば、相手からすればこちらを見て話を聞いてくれているなと思ってくれると思うよ」と指導されているのだ。それと同時にNGな聞き方も示すという。〈割り込み聞き〉自分が話している時に「先生、先生、昨日どこそこに行きました」と言われると話しづらいので。〈ごそごそ聞き〉低学年だとよく目の前にある鉛筆や消しゴムや筆箱を触ってしまい、触っている間はそこの話が抜けて行ってしまっていることが多いので、これもNG。〈ほじり聞き〉これはウケ狙いで、子どもたちがイラストを見て笑ってくれるので書いたそうだ。鼻の穴をほじりながら聞くのも態度がよくないので。もうひとつは〈ふせ聞き〉机に顔を伏せて聞くのもNG。安藤さん自身は頬杖ついたり、椅子に浅く腰掛けているぐらいは許しているそうだが、伏せ聞きは体の成長にとっても歪んだ成長を助長する可能性もあるのでNGにしているそうだ。

【可視化―ワンフレーズカード】
安藤さんは指導法のひとつとして『ワンフレーズカード』という教材を独自で開発し、作っているという。これは友だちなどからキツい言葉で言われた時に、ADHDの性質をもつ子どもの場合、瞬間的に衝動性が高いので手が出たり、言い返したりしてしまうことがよくあるので、それを回避させるために「キツいことを言われた時こそ」と書かれたカードの裏に「落ち着いて」と書いてあり、キツいことを言われた時こそ落ち着いて、なにを相手に話せばよいのか考えて話そうねと指導しているそうだ。また、低学年に多いのだが、友だちが発言した時、「ああ、嘘つき」とクラス全体で言ってしまうことがあるのだそうだ。
そうした時に表に「嘘と勘違いは違う」と書かれたカードを示して、いまの発言は本当に嘘なのかな? ひょっとしたら勘違いかもしれないよ。嘘と勘違いの違いは何だろうか? 
と問いかけながらカードの裏を見せるのだ。そのカードの裏には嘘と勘違いの説明が書いてある。そして嘘はわざとごまかすこと。知っていてわざとごまかすことが嘘だよね。ひょっとしたら知らなかったかもしれないよ。知らずに間違えちゃったのは嘘かな? と言って、子どもたちに考えさせるそうだ。そうすると「ああ、嘘だ」と言っていた子が「ひょっとしたら嘘ではなかったかも知れないです」と言うので、「そうだよね。じゃあ一回そう思った時に勘違いかも知れないと考えられるようになるといいよね…という話をするそうだ。こういうカードはたくさんつくってあり、その時その時に応じて子どもに示すようにされているという。

【可視化―タイムタイマー、気持ちの温度計】
通級指導教室に通って来る子どもの中には、時計が読めない子がいる。何か課題を出して「じゃあ、5分間ね」と解答時間を示しても、時計が読めずに時間の概念が持てない子のために、赤い印をつけたタイムタイマーを日々使うそうだ。「赤いところがなくなって行けば行くほど終わりの時間が近づいているよ」そんな風に子どもに説明しているという。〈気持ちの温度計〉と名付けた教材も、よく使うそうだ。自閉症の子にしても、学習障害の子にしても、自分の気持ちの高ぶりまで一瞬でMAXに行ってしまったりするそうだ。走る速さや歩く速さと同じで、気持ちにも幅があるんだよ。自分が嬉しい100%と、イライラ100%の間には、気持ちには幅があるんだよということを教えるのだ。幅があるということを教えることによって、イライラ100%へ一気に行くのではなくて、いまの友だちからの嫌な一言でここぐらいまででぐっとブレーキをかけて止められるといいね。そこからどうして行けばよいのか考えよう…ということで、物事には幅があるという指導をされているそうだ。

【ソーシャルスキルトレーニングー表情の変化への対応】
ドナ・ウイリアムズさんという自閉症の女性が書かれた『自閉症だったわたしへ』の中に、「ひとの顔がみんなマネキンのように見えます」という一節がある。通級指導教室に通う子ども達の中にもやはりひとの表情の読み取りが弱い子がいるそうで、もともとはお正月の遊びの福笑いのために作った教材をこれは使えるなということで、いまでは『表情の読み取りの学習』のメイン教材として使っているという。女性の顔が描かれているものなのだが、もともとが福笑いなので目や眉や口が自由に動かせるようになっている。眉を下げて、目尻も下げると、悲しい顔になったりするので、「この表情は、どんな感情を表しているでしょうか?」というように使う。そしてこの教材で示した後は、安藤さんが実際に同じ表情を作って見せるのだそうだ。「いま僕はどんな表情をしていると思う?」と、真剣に叱っている時にも子どもたちに表情を読ませるトレーニングをされているのだ。〈僕はいま怒っているよ。どうして怒っているのか〉説明した後に、先ずはイラストでわかりやすく、その後実際の人間で教えるようにしているという。

【気持ちのラベリング】
安藤さんが指導されている子どもたちは、やはり気持ちに関しての学習が弱い子どもが多いのでいろいろな気持ちを、この気持ちってこういうときになる気持ちだよねということを学習させているそうだ。いまの子どもに顕著なのは嫌なことがあった場合、「ウザい」の一言に集約してしまったり、友だちの嫌な言葉に対して「黙れ」という言葉で返してそれで終了させてしまったりすることが多く、言われた時にどんな気持ちになったのかということを考えさせて、その気持ちになったときには相手にどう応えれば良いのだろう? そんなことを学習の中で進めているという。〈ネガティブな気持ちになることもあるよね〉〈ポジティブな気持ちになることもあるよね〉〈それはどんな時かな?〉例えば子どもたちと「モヤモヤってどんな気持ち?」というやり取りをしていて、「言おうかな、やめておこうかな? と思った時にモヤモヤするよね」「じゃあ、ウンザリってどんな気持ち?」「何度も何度もされてもう嫌だな。そんな時にウンザリっていう気持ちになるよね」というような学習をすると、いままでは友だちのことを「ウザい」って言っていた子どもが、「ちょっといま何回も言われてウンザリします」という風に表現が変わったということもあるそうだ。そのように地道な教育を続けて行くなかで、子どもの遠慮が見えてくる。そんなふうに安藤さんは感じている。

【運動トレーニング】
子どもたちには、運動トレーニングも行っている。発達障害児にはどうしても手先の不器用さや、大きな運動が苦手な子もいるので、手先の細かい運動のトレーニングとして(マナービーンズ)という教材を使っているとか。向かいあった子どもたちに、箸でいろいろな形をした豆を移動させるゲームで、箸で掴みやすい豆から掴みにくい豆まで様々に揃っている。それを繰り返すことによって、手先の不器用さが改善されてくるのだ。向かいあってするのは、それにより勝敗へのこだわりも学ばせることも出来るのだが、勝負そのものよりもゲームそのものを楽しもうということで「ワンフレーズカード」も作ってあり、「勝負へのこだわりよりも、ゲームを楽しむということを大事にしようね」そんな声かけをしながら、続けているという。

【アンガーマネジメント】
怒りの感情への衝動。どうしても子どもたちは怒りに対して衝動的に言う、行動を起こすことが多い。安藤さんが子ども達に伝えていることは「怒っては駄目か?」というところだそうだ。子どもたちには「怒ってもいいよ。おとなの僕でも怒る時もあるよ。でも、怒り方を考えるよ」と伝えているという。(怒ってもいいけれど、どう伝えるかを考えよう)と話をしているのだ。怒っている時には呼吸が速くなって、心臓はドキドキ、頭はチンチコチンになるよね? じゃあ怒っている時は、あえてその逆をやろう。速い呼吸をゆっくりにさせるためには何がいい? ドキドキしている心臓を落ち着かせるには何をしたらよいのだろう? 深呼吸すると落ち着いたりするよね? そんなことを考えさせたりするそうだ。その子によって違うのだが、深呼吸の代わりにお呪いをいう方が効果的な子どももいる。怒りに対してどう接するか。そんな学習もされているという。

【通級指導における福祉教育―ちがいの捉え方】
通級指導教室においても、福祉教育は行っている。違いについてどう捉えるか? 違いってなに? 違っていいの? 違っては駄目なの? というところを、子どもたちに考えさせている。障がいの理解についても、いろいろな障がいがあることを知り、そこが一番子どもたちに伝える時に大事にしていることだそうだが、発達障害という障がいを抱えて通って来ているその子どもたち自身が、自分で自分のキャラクターを知ること。それが今後いろいろな困難に向きあった時に、どう自分が対応して行くかに繋がって来ると思うので、自分のことを自分で知る。自己理解に力を入れて教えられているそうだ。

【絵本を通してー『かっくん』】
そのような福祉教育の授業によく使う教材に『かっくん』という絵本がある。小学生なので教材もやはり視覚的にわかりやすい絵本などを使われるとか…。『かっくん』というのは、こういうストーリーだ。みんなが丸い形をした世界で、ある家族の中に四角い形の子どもが生まれ、「かっくん」と名付けられる。みんなとは形は違うけれど、お父さんもお母さんも「かっくん」のことが大好きでした。でも、丸い形をした友だちとおしくらまんじゅうをすると「かっくん」の角が当たって痛いので、みんなとは遊べず仲間はずれにされてしまいます。「かっくん」は何とか丸くなろうと、鏡の前で自分の体をくねくねしますが、やはり丸くはなりません。そのうちに「かっくん」はみんなの邪魔にならないよう、一番後ろを歩くようになります。みんなが先に行って、ひとりだけ後からついてゆく「かっくん」。しかし、みんなと遊びに行った先で、突然周りが暗くなります。するとどうでしょう? 「かっくん」の体が明るく光っているではありませんか。そうです。「かっくん」の体は、周りが暗くなると光るように出来ていたのです。帰る時には「かっくん」が道を照らすために、一番先頭を歩くことになりました。「かっくん」が光った瞬間に、みんなから「すごいじゃん、かっくん」と言いました。ここでいままでの(四角い〉だけの違いから、〈光る〉という違いの転換が描かれているのだ。その日からみんなの「かっくん」を見る目が変わりました。「かっくん」は相変わらず四角いままだし、そのほかには何も変わってはいません。変わったのは、みんなの見る目。ここが福祉教育の中で、子どもたちに伝えてゆく視点ではないかと、安藤さんはいう。いろいろ居るよ。まん丸、太っちょ、四角に、おちび、みんな違うけれど、みんな、みんなで遊ぼうよ。そんなふうにこの絵本は締めくくられている。

【「かっくん」を通した指導の狙い】
安藤さんが「かっくん」を通して子どもたちに学ばせたかったことは、違いはあること。違いがあってもよいこと。違いを理解して、それをどう捉えるか。「かっくん」において、最初「四角い」という違いを捉えた時には「丸い子どもたち」の中になかなかうまく入れなかった「かっくん」。しかし、違いの転換があった。暗いところで「光る」という違い。この転換で「丸い子どもたち」の中に入ることが出来た。その違いの転換を補助してあげるのは、子どもたち自身が出来ることが一番だけれど、そのサポートの役割としてはそこに教師がいたり、周りの大人がいてもよいのかなと感じている。正解は何なのかを考えること。ひょっとしたら正解というものはないかも知れないと思っているものの、正解とは何なのかということを考え続けることは必要なのかなとは、安藤さんは言う。

【種をまこうー人権冊子を通して行った指導】
人権冊子『種をまこう』を使っても、安藤さんは通級指導教室の子どもたちに福祉教育を行っている。人権教育の中で「福祉教育」を取り上げる取り組みで、障がいについての読み物の中で、多様性について考えるきっかけを作る…ということで、その中で「ぼくらにできること」という文章がある。それはこんなお話だ。博物館のエレベーターに車いすの青年が乗ってきた。中にいる人たちはみんな奥に詰めた。しかし、その車いすの青年は「ちょっと後ろの鏡を見せてくれませんか?」という。すると近くにいた人が「なんだよ、せっかく詰めてやったのに」と呟く。それを聞いた青年は「すみません。でもその鏡は、車いすの人が後ろ向きで出るときに後ろが安全かどうか確認するためのものなんです」と言った。それを聞いたみんなは鏡の前を空け、誰かがドアの延長ボタンを押した。この文章を書いた主人公と友人は、エレベーターを降りた後に、その車いすの青年に話しかける。「さっきは直ぐに動けなくてごめんなさい。鏡が車いすの人のためにあるなんて知りませんでした」すると青年は笑いながら、こう答えた。「いいんだよ。それより力を貸してくれたことが嬉しかったよ。僕もさっき思いきってみんなに話しかけてよかった」青年は主人公たちの顔を見ながら続けて言う。「僕は車いすでもみんなと同じように生活したいんだ。自分で出来ることは自分でしたい。でも、どうしても周りの人に力を貸してもらわなければならないことがあるんだよ」主人公たちは青年のその言葉を聞いて〈ぼくらにできることってなんだろう?)と考えました…。

【知らなければ何も出来ない】
授業でも実際に「自分たちにできることって何だと思う?」という話をして行きながら展開させているという。文章の中に車いすの青年が出て来て、主人公たちに言う言葉「みんなと同じように生活したいんだ」「自分でできることは自分でやってみたいんだ」というセリフをホワイトボードに書いて、「車いすに乗っていたらできないことって何ですか?」みたいなことを、子どもたちとやりとりするのだそうだ。「階段は難しいと思います」「そうだよね? じゃあ、目の前に階段があったらどうしたらいい?」そんなことを子どもたちと考えてゆくそうだ。自分たちができることを考えさせる。知らないと、考える土俵に立てないことを知る。エレベーターの中に鏡がなぜあるのか? 鏡の必要性を知らないと、車いすの人がエレベーターに乗ってきた時に、鏡を見せようという行動に繋がってゆかないと思うので、先ずは《知る》ということを意識して教えるようにしているとか。知らなければ行動に移せないことを知る。そんな授業を行っているそうだ。

【「自己理解」を通した指導】
また、〈障がい〉というものを理解させるために、『障がいってなに?』という本を活用し、障がいについての理解を深め、自分への理解を深めることにつなげているという。本の中では障がいをもった子どもが登場し、「ぼくのことをおしえてあげる」ということで、自分ができることやできないことを紹介しているページがあるそうだ。その子は「こんなことが得意で、こんなことが苦手だよ」と自己理解が出来ているので、自己紹介も出来る。そこにヒントを得させて、実際に通級指導教室の子どもたちにも様々な障害について知り、考えるきっかけをつくり、自分にはどんな特徴があるのか、自分研究を行って行こうよ。そんなふうにして、自分研究のプリントを配布して、自分はこれはできるけれど、これは苦手だなあ。じゃあ苦手なことをする時にどうする? ということを考える…ということを授業の中で行っているという。

【まとめー安藤さんの考える福祉教育とは】
〈ちがい〉を捉え、〈障がい〉について知る。〈自分〉のことを知り、〈他者〉のことを知る。自分には何が出来るのかを考えること。正解はそこにはないかもしれないけれど、考え続けることが大切なのかなと、安藤さんは考えている。
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ジネンカフェVOL.121レポート①

2018-03-31 20:51:09 | Weblog
ジネンカフェの年に一度の〈拡大版〉。この日はここ数年の中でも一番天候に恵まれ、寒さも緩やかな日よりでした。そう、イベント日和と言い換えてもよいかも知れません。事実、私たちが会場を借りた名古屋市総合社会福祉会館でも、幾つかのイベントやセミナー、勉強会などが催されていました。我々のジネンカフェVOL.121は、その建物の大会議室をお借りし、『障害のあるひととないひとの間には何かある?~あなたの知らない福祉教育の世界』と題して、第一部で社会福祉協議会の福祉教育担当者の方や、学校教育の現場でご指導されている教師の方、福祉教育ボランティアの方をゲストにお招きして、福祉教育の現状を学ぶと共に、それぞれの想いに触れ、いま一度障がいのある人とない人の相互理解の必要性を確認した。そして第二部のワールドカフェにおいて参加者の皆様と対話をし、それぞれの想いを共有した。

第一部パネルトークの一番手は、名古屋市社会福祉協議会の福祉教育担当者・村田敏明さん。村田敏明さんは2014(平成26)年に名古屋市社会福祉協議会に入職し、ボランティアセンターに配属され、現在まで福祉教育等を担当。福祉教育では、区社協福祉教育担当者会や福祉学習サポーター養成研修等の企画、運営に携わっていらっしゃる。福祉教育と言えば学校で行われるイメージが強いが、それを推進・実施しているのが各県、各市町の社会福祉協議会である。トークのタイトルは『福祉教育の可能性は無限大!? ~福祉教育のこれまでとこれから~』

【社会福祉協議会とは?】
福祉教育の話をする前に、社会福祉協議会の説明をしなければならない。村田敏明さんはそう思ったのだろう。それはその通りで、社会福祉協議会の存在なくしては、福祉教育は語れない。地域ではよく略して〈社協〉と呼ばれている社会福祉協議会は地域福祉の推進を図ることを目的とする、公共性・公益性の高い民間団体で、これは全国の都道府県・市区町村にある。名古屋市のような政令指定都市には、市社協と区社協がある。地域福祉の推進と言っても幅広く、ボランティアセンターというところでは、ボランティアの相談や需給調整を行ったり、学校への福祉教育体験の依頼や調整を行っている。その他にも介護保険のことや、地域の方々や福祉関係団体、福祉施設、企業、行政などと協働しながら、福祉のまちづくりを進めている。

【福祉とは、何だろう?】
そもそも福祉とは何か? といえば、福も祉も〈しあわせ〉や〈ゆたかさ〉を意味する言葉で、学校で子どもたちに教える時には「福祉」の頭文字を取って、分かりやすく「ふだんの くらしの しあわせ」と伝えているが、めざしているところは〈誰もが安心して自分らしく、しあわせに暮らせるような社会の実現〉そういったことが「福祉」に込められた願いであろう。因みに「福祉」の反対語を、ある学校の子どもが「戦争」であると答えたという。なるほど戦争になれば、「普段の暮らしの幸せ」なんて吹き飛んでしまうだろう。貧困もそうだし、疾病もそうだ。家庭不和、その他、「普段の暮らしの幸せ」を脅かすことは幾らでもある。それに対して「福祉」という言葉には、〈しあわせなまちをつくる〉という願いも込められているのだ。

【福祉教育とは?】
社協が進めている福祉教育の概念としては、地域に住む住民が地域の課題に目を向け、主体的に解決に向けて取り組むための「福祉意識を育む土壌づくり」なのだが、簡単に言えば皆が自分らしく暮らせるまちを作ってゆくために、場をつくり、皆が学んだり、考えたり、知ったりするような時間を作る、そういうことをあわせて「福祉教育」と呼んでいるとか。一般的に福祉教育と聞くと学校で行うものだと思われがちだけれど、例を挙げると最近ひとり暮らしの高齢者が増えているが、そういう方々にいわば制度の隙間で買い物に行けないとか、いろいろな困りごとが発生してくる。そうした方々が抱える困りごとに対して制度や行政のサービスでは対応出来ないとなると、昔なら隣近所の付き合いで助けあっていたけれど、近頃では隣近所の関係性が寸断されていたりして、地域住民の方やボランティアさんやいろいろな人たちがその方々の生活を支えて行かなければならない時代に来てしまっている。そういう地域の様々な課題に関心を寄せたり、生活の上での課題を解決するための意識を高め、地域で助けあい、支えあいながら共に生きるための力を高めよう、社協が推進する福祉教育にはそうした願いが込められているという。

【これまでの福祉教育プログラム】
名古屋市では、1983年から国庫補助の「社会福祉協力校事業」で福祉教育の実施がはじまり、車いすやアイマスク・高齢者疑似体験などが行われるようになった。名古屋市の場合、16区の区ごとに社協があるので、その区社協に学校から依頼があり、担当の職員さんやボランティアさんや当事者の方も含めて〈どういう授業をしていこうか〉話しあってプログラムを決めてゆく。それが「福祉教育プログラム」と呼ばれるものなのだ。現在行っているプログラムメニューは、車いす疑似体験・手話・点字・ガイドヘルプ・盲導犬・高齢者疑似体験。いろいろなメニューをしているのだが、車いすやアイマスク、高齢者の疑似体験のみを実施しているケースもある。しかし、これで子どもたちの感想を聞いてみると、「年は取りたくない」「健康でよかった」「大変だった」「障がいのある人にあったら、優しくしてあげよう。声をかけよう」という言葉が出て来るという。この感想は果たしてよいのか悪いのかと考えてみると、〈障がいのあるひとの気持ちになってみよう〉〈高齢者の気持ちになってみよう〉と実施した疑似体験なのに、子どもたちの感想を聞くとマイナスのイメージが強く、そのような人たちのことを「大変な人」「かわいそうな人」という、一方的な負のイメージを植え付けているのではないか? との疑念が湧いて来るのだ。

【福祉教育プログラムを企画する時に大切なこと】
そうではなくて、もう少し何を子どもたちに学んでほしいのか? 学習の狙いを明確にすることが必要で、疑似体験したからといって障がいのある人や高齢者の気持ちが理解出来る筈がない。それではどうすればよいのか? 身近にいる人たち、障がいのある人たち、高齢者、認知症の方、そういう様々な方への思いやりの心を培ってほしい。車いすの取り扱い方を身につけてほしいなど、子どもたちに学んでほしいことを明確に打ち出すことが必要。それに対応するプログラムを作ってゆくことが大切なのではないか。

【当事者との交流】
加えて現在の学校での福祉教育では、〈講話〉という形で体育館などに集まって当事者の方のお話を聴講することがある。それによって障害についての話だったり、生活上の困難なことを話してもらい、その障害に対する理解を促す一助になっているのだが、せっかく当事者の方が来ているのだから一方的な話だけでは勿体ないと感じていて、障害者としてではなく、自分や自分のお父さんやお母さんと変わらない人間としての見方も子どもたちにしてほしいところもある。そのためには言葉のキャッチボールが必要で、ぜひ当事者の方と子どもたちとの言葉のやりとりをしてほしいなあ~と村田さんは思っているという。障害について学ぶことも大切だけれど、障害はその人の一部分であって全てではないし、人間性とか考え方や想いとも無関係なので、障害をもっているから…ではなく、障害をもっていても…というところを感じ取れる学びの方が大切なのではないかと、村田さんは言う。

【社会の動向もそうなってきている】
社会の動向をみても、WHOが1980年に発表した『国際障害分類(ICIDH)』では、障害というものを単に個人の疾病・疾患と捉えていて、「何が出来ないか(能力障害)に着目し、障害の克服は本人や家庭の問題であると捉えられていた。それが同じWHOが2001年に発表した改訂版ともいうべき『国際生活機能分類(ICF)』では、生活のしづらさは、その人が生活している環境によって左右され、障害とは、社会のバリアによってつくりだされ、それは地域社会全体の問題であると捉えられている。眼鏡やコンタクトレンズをつけている人が、突然明日からそれがない世界で暮らさなければならなくなるのと一緒ということなのだ。

【これからの福祉教育プログラム】
これからの福祉教育プログラムも、このICFの視点を導入し、出来ることを通じた交流を進めているという。例えば「趣味」「スポーツ」「食」「音楽」「仕事」などで、事後の子どもたちの感想も障がいを持ったそのひとをリスペクトしたり、自分の気持ちと工夫次第でできることがたくさんあるんだという発見に繋がったり、自分も頑張ろうというプラスのイメージに変わって来ている。

【「ちがい」と「おなじ」から多様性へ①】
2つ目の大事なポイントとして、自分とは違う立場の人の生活や生き方を学びながら、様々な人の「ちがい」や「おなじ」について考える。例えば事前学習で家族でも友人でも、芸能人でも自分の好きな人を思い浮かべて、自分と違うところ、同じところを書き出して、それをみんなで共有する。別の学校の実施例として〈自分のできること・できないこと〉を家族に聞いてくるという宿題を出して、その〈できること〉を「できることビンゴゲーム」というような形で授業の中でしたとか。自分のできることが周りの人と一緒だったり、違ったりする。そうして子どもの中で「ちがい」と「おなじ」を共有して行った。この時の子どもたちの感想として、「好きな人でも同じところもあれば、違うところもある」「自分と違うところがあってもそれは、ふつう。違うところがあってもいい」。つまり「ちがい」と「おなじ」から多様性への視点が芽生えて来たのである。

【「ちがい」と「おなじ」から多様性へ②】
そのような事前学習を経て、本番の当事者が訪れる時に講話ではなくて、子どもたちの方からその方にインタビューしてみましょうということを実施した学校もある。言葉のキャッチボールをしながら、「得意なこと」「すきなこと」「苦手なこと」「頑張っていること」「手伝ってほしいこと」「将来の夢」など…。いろいろなことを訊いたそうだ。その時の子どもたちの感想は「大人になっても将来の夢にむかってあきらめないところがすごい」「たいへんなことでも乗り越えようとするところがすごい」明らかに感想の変化が出て来ている。こういう〈できること〉に着目する授業の方が、子どもたちの学びは深いのではないかと村田さんは考えている。

【一人ひとりの気持ちの変化を大事に】
授業の中でグループ当事者の方とお話したり、個々でやりとりする時間を設けたり、全体だけではなくて個々への関わりも大事になってくるという。学んだことを体験するだけではなく、今後にどう活かして行くか。ふり返りの時間がとても重要になってくる。それぞれが毎回の授業で学んだことを感想文などからふり返り、自分がどんなものから刺激を受けているのか? どんなところに関心を持っているのだろうと、自分の気持ちの変化を知り、それをグループで共有しながら、学んだことをまとめて発表する。そういう次へのアクションを具体的に子どもたちにやってもらうのはどうか? という案も出て来ている。実際に行った例として何回かのプログラムを経て、授業ごとに当事者や地域のひとを呼んで学んだ成果を〈公開授業〉という形で、お世話になった当事者や地域のひとや他学年の子どもたちの前で発表したり、そのような発信する場を設け、感じたことを伝えあったり、一人ひとりの思いを表現する場所も必要ではないかと云われている。子どもたちの学習発表会に当事者の方が来られることによって、当事者の方から感想をいただくことで子どもたちの励みにもなったり、主体性を見いだすきっかけになるのかなと感じている。

【福祉教育における三つの段階】
幾つかのポイントをまとめてみると、先ず当事者の方や地域のボランティアの方達と交流する中で気づきがある。そして次に〈自分たちが出来ることってなんだろう?〉というところをグループごとに話しあう。そして自分たちが気づいたり、考えたことを発表してみるとか、次に繋がる何らかのアクションを起こす。日常生活に例えてみると、洋服や車を購入する時でも、先ずはその洋服なり車なりを知ることから始まる。知ってそれを購入しようかと思った時に、価格の問題やらいろいろな要素が出て来て、それをみんなで考え、最終的に購入に踏み切る。それと同じで福祉教育における福祉意識の熟成のプロセスには「知り(認知段階)」「考え(感情段階)」「動く(行動段階)」という三つの段階があり、その時の大切なポイントとしては、「当事者性」「地域性」「双方向性」があるという。

【「福祉教育事業」と「福祉教育機能」】
社協職員の中では、『福祉教育事業』と『福祉教育機能』という言葉があるらしい。『福祉教育事業』とは、初めから福祉教育を意図して学校や地域住民に向けて、事業として企画・実施されるプログラムのことで、『福祉教育機能』とは、福祉教育そのものを第一の目的としてはいないものの、結果的に福祉教育に繋がるものをそう呼んでいるそうだ。手前味噌だけれど、「まちの縁側」や『ジネンカフェ』などもその部類に含まれるだろう。「まちの縁側」や『ジネンカフェ』のみならず、実は様々な活動の中に『福祉教育機能』は含まれているのだ。

【福祉教育の可能性】
学校のプログラムで言うと、いままでは疑似体験という決められた枠組みの中で行っていたが、それを取っ払って当事者のできることに着目してみた場合、福祉教育のプログラムは先生が子どもたちに〈こういうことを学んで貰いたい〉という想いと、当事者の想い、またそれを受けた〈自分たちに何が出来るのだろう?〉という子どもたちの想いを孕んで無限に広がってゆく。プログラムによってはリスクもあるが、可能性も大きなものだと思っていると、村田さんは結んだ。
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ジネンカフェVOL.120レポート

2018-01-31 19:51:51 | Weblog
新年が明けて三週間が過ぎた。来年、平成31年4月には新しい元号に変わるらしいが、ジネンカフェは平成19年1月から始めたので、この1月で丁度11年目に突入する。我ながらよく続けて来られたなと感心する。こんなことを書くと、ジネンカフェプロジェクトはもう終了かと思われるが、私自身はまだまだ続けるつもりでおりますので、どうかご安心を。さて、記念すべき120回目のゲストは、全国福祉保育労働組合東海地方本部書記次長の西田知也さん。西田さんは愛知学院大学卒後、障害者福祉施設で約7年間勤め、それを経て2016年8月から全国福祉保育労働組合東海地方本部の専従者になっておられる。お話のタイトルは『まちの縁側活動に出会って~これまで、これから~』

【西田知也さんとは?】
西田知也さんは学生時代に某私立大学の総合政策学部に学び、ジネンカフェプロジェクトに関わっているM先生のゼミ生として、現在はない「まちの縁側MOMO」や「ジネンカフェ」にボランティアとして参加してくれていた。私(大久保)ともそういう関係で出会った。大学卒業後は障害者福祉の道へ進み、長久手の「かわせみ工房」さん、名古屋市の「名北福祉会」さんの介護ヘルパーを経て、現在は福祉施設の職員さんや、保育士さんを支援する労働組合で汗を流しているそうだ。そして個人的には、かつてのMOMOやくれよんBOXさんのような、地域に開かれた空間(まちの縁側)や、それに類した活動は社会的に魅力的だと感じているという。

【福祉に関心をもったきっかけは?】
西田さんが学生時代に学んでいた総合政策学とは、社会問題を総合的に解決するための方法を研究する学問であり、そこには当然〈福祉的〉な課題も含まれる。というか、〈福祉〉というものは本来、あらゆる人、分野の底辺にあるものだから、あたりまえのことなのだが…。西田さんがはじめて会った障がいをもった方が私(大久保)だったそうで、それまであまり関わったことがなかったこともあり、「障がいをもっていても、こんなに愉快な人がいるんだな」という第1印象だったという。もともと西田さんが指向していたのは〈まちづくり〉。ひとづくりとか地域づくりと呼ばれている〈ソフト系のまちづくり〉であり、地域のひとりひとりが孤立しない、繋がりづくりはよいなあ…と思っていたという。そんな背景もあり、まちの縁側育くみ隊の活動が魅力的に映ったのだ。その中でひとりの障がいをもった人との出会いもあって、最初の職場に障害者の生活介護施設を選んだのだ。その最初の職場「かわせみ工房」も、障害者福祉という切り口でまちづくり、長久手を盛り上げようよとしていたところで、まちづくりを前面に出しているわけではなかったが、たまたま就職先に選び、採用していただけたのだった。

【実際に障害者施設に就職してみて…】
そうして「かわせみ工房」に就職した西田さんだったが、実際に施設で働き始めてやはり障がいをもつ人ともたない人との目には見えない分断を感じたという。障がいをもつ人たちに関心をもつ人もいるけれど、持とうとしない人たちの方が圧倒的に多いのだろうなとは思ったが、そういった状況の中で〈世の中には障がいをもったひとたちもいるんだ〉ということを、どのように地域に繋げて行けばよいのかということが、自分にとって大事な〈まちづくり〉のポイントなんだな…。いわゆる社会的に弱者と呼ばれる人たちもあたりまえに社会に参加出来る場や活動をつくらなければと思い、それが自分の目指すまちづくりかなと確信したのだ。

【施設職員として、利用者さんのことをどう感じていたのか?】
福祉施設の職員さんは誰もが初めはそうだと思うが、西田さんも当初は利用者さんに対して〈お世話をしなければいけない〉という意識で接していたという。特に〈かわせみ工房〉さんは重度の利用者さんが多く、西田さんが担当していたのは全身が硬直している方だったので、余計に「やってあげなきゃ」とか「してあげなきゃ」「どうにかしてあげないと…」という思いが強かったのだ。しかし、仕事を重ねて行ったり、その方と関わってゆく中だったり、その時の施設長からいろいろと諭されたこともあり、自分で勝手に〈この人は何も出来ない〉みたいなイメージを刷り込んでいたなと気づかされたそうだ。それから利用者さんに対する見方も変わった。全てをしてあげるのではなく、ここをこんなふうに支えてあげると例えどんなに重度な障がいをもっていても、普通の生活が営めるというようなことが解ってきて、そう解った時に「なんだ。俺たちと何ら変わらない人たちなんだ」と悟ったのだという。

【最初に出会った障がい者がいけなかった?】
冒頭にも書いたように、最初に出会った障がい者が私(大久保)だったことが、西田さんにとってはいけなかったのだろうか? 思っていることをズケズケと言葉にすることが出来、動こうと思えば動くことが可能な(本当はそうでもないのだけれど…)大久保と、全身が硬直している利用者さんとのギャップが、西田さんの認識に誤りを与えたのだとしたら申し訳ないことをしたと思う。しかし、私にしても誰かに支えて貰わないと生活していけないことには変わりがなく、ただ障がいが重度な割には幼い頃からのリハビリのおかげもあり、ひとりで出来ることが多く、周囲の環境や理解にも恵まれているだけなのだ。西田さんもそれに気づいたらしく、あたりまえのように社会へ溶け込んでいる大久保のような障がいをもった人を支えるにはどうすればよいのだろうと思い始めたのだ。それと同時に利用者さんが望むこと全てを〈してあげなくてもいいんだ〉と割り切れるようになれたという。これは本当に〈しなければいけない〉ことなのか、単なる利用者さんの〈わがまま〉なのか解るようになったのだ。御神輿を担ぐように、利用者さんも担ぎあげなくてもよいのだと。

【そもそも障がい者を支えるということは?】
昨年、全国的に障害者就労支援A型施設が次々に閉鎖され、名古屋でも二つの事業所が突然閉鎖され、69人が解雇されるという問題が起きた。西田さんは現在そのことであちらこちらと飛び回っているそうだ。中には完全に国からの給付金目当てで事業に乗り出す企業や法人もあり、それも問題なのだが、一番問題なのは福祉事業に携わる事業所や職員が〈障がい者を支えるということ〉をどういうことなのか解ってないまま、福祉事業に参入してくることだという。障がい者を支援するということは、自分の目の前にいる時だけで済む話ではなく、その人の生活の一部分、時には生活そのものを支援するという視点をもっていないと、今回のようなことだけではなく、様々な問題が起こり得るのではないかと、西田さんは危惧しているのだ。

【ヘルパー時代に怖かったこと】
今回の就労支援A型施設の問題や、一昨年の相模原の事件に限らず、施設というところは「支援する側」「支援される側」がハッキリ分かれるところで、ヘルパーをしている時にも西田さんはそれが逆の意味で怖かったという。利用者さんとヘルパーの関係は、信頼関係によって成り立っている。対人関係だから時には利用者さんに腹が立つこともあるし、それを我慢して何も言わず無理に介助をしているとストレスが溜まり、介助が雑になったり、暴力を振るったりするようになるのではないかと…。その人の介助ヘルプをする場合、一対一の関係になるので〈介助の仕方〉について〈これで正解なのか〉誰にも相談出来ないし、その人の人権を侵害してはいないか等々考えたという。

【福祉業界に入る前と後では、社会の見方は変わったか?】
そんな西田さんだが、学生時代と福祉業界に就職してからとでは、社会に対する見方が変わった部分もあるし、変わらない部分もあるという。学生時代からずっと変わっていないことで言えば、地域社会におけるひととひととの繋がりの薄さのようなものを感じているそうだ。ちょっとしたことで孤立を招きやすく、他人と違うことをすれば変人扱いされるところ。福祉業界に入って見方が変わった部分は、障がいをもつ人たちに関心を持とうとしない人たちの方が圧倒的に多いのだだろうなと解ったことだという。関心を持とうとしないのではなく、どう関わったらよいのか解らなかったり、関わる機会が極端に少なかったりするので、卵か先か鶏が先かと同じで、どちらもどちらだとは思うが、それを繋いでゆくのが自分たち、福祉に携わるひとの仕事の意味でもあるなあ~と感じるという。

【その人とよく会話をして、その人のことをよく知る】
先日、西田さんはNHKのEテレで放送している〈バリアフリーバラエティー〉の「障害者100人に訊きました。ここが変だよ、健常者」の特集を観ていた。障がいを持った出演者が一般の健常の方にいろいろな質問を投げかけるのだが、車いすに乗った人がスーパーなどで「買い物袋を持ってあげるよ」と言った時、どう対応するかという質問があった。その質問を投げた出演者は「本人がそう言っているのだから、素直にお礼を言って持ってもらえばいいんだ」と答えていたが、西田さんはそれって相手の気持ちを考えないでよいのかな? と思ったという。番組の制作側や出演者は障がいをもった人の視点だけを取り上げているのだが、確かに車いすの方にそう言われて戸惑ったり、遠慮したりする人もいるだろうけれど、中には「あなたに持って貰わなくてもいいわ」と思っている方もいるかも知れない。その人たちの関係性にもよるだろう。健常者同士でもそれほど親しくない関係の人から、いきなり「荷物をもってあげるよ」と言われたら、やはり戸惑ったり、遠慮したり、人によっては警戒すらすると思うのだ。結局のところ、その人とどう会話するかだと思うと、西田さんは言う。日頃からその人ときちんと会話をしたり、受け答えしてはじめて親しい関係性が育まれ、「買い物袋、持ってあげるよ」「ありがとう」という流れになるのではないだろうか。

【全国福祉保育労働組合とは?】
そうした7年間に渡るヘルパー職を経て、西田さんは現在、全国福祉保育労働組合東海地方本部に勤められている。いわゆる福祉施設の職員さんや個人のヘルパー職の方、保育士さんたちを支援する労働組合だ。福祉業界の労働組合が誕生して30年になるそうだが、その割には全国で12,000名程度と組合員は少なく、西田さんが勤められている東海地方本部の管轄は愛知・岐阜・三重で、愛知が1,000程度。岐阜と三重で50名程度の会員なのだという。『労組』としては小さな規模のものだ。私も西田さんに聞くまで福祉業界に『労組』があるなんて知らなかったが、同じように福祉職に就いていながらもその存在を知らない方もいらっしゃるだろうし、そんな難しそうなところに入るのは…と考える人もいるだろう。『労組』は憲法で定められた労働する人々の権利で、職場単位で作ってもよいことに定められているのだが、福祉の職場は特殊で個人がヘルパーとしてその事業所に雇われる場合もあり、そのような事情もあって『福保労』の場合、個人での組合加盟も認められているそうだ。個々でいろいろな交渉をするよりも、集団で交渉した方が有利に働くこともあるだろう。

【全国福祉保育労働組合ってどんなことをしているのか?】
現在、全国的に福祉職(主に介護職)や保育士さんは3K、4Kの職業だと言われており、なり手が減って来ている。ヘルパー不足も懸念されており、社会的にコンプライアンスが厳しくなってきている中で、利用者さんの生存権を護るために、同性のヘルパーがいないから異性のヘルパーを派遣して身体介助をさせる事業所もあると聞いている。また仕事の割には月収が安く、志はあっても続けられる人材は本当に一握りしかいない現状にある。需要があるのにそういった状況では、現在いる職員さんが過重労働になり、体やこころを病んで退職せざるを得ない状況に追い込まれるのだ。また、福祉業界というのは、運動団体が法人化し事業を行っているところも多く、法人化した時点で労働条件とか職員さんのサポート体制とか環境整備がしっかりされていればよいのだが、中には法人というのは名ばかりで中身は運動団体のままのところもあったりするのだ。しかし、考えてみてほしい。支援する立場の人たちが健康上のトラブルを抱えていたり、精神的に思い患ったりしていて、支援される側が支えられるだろうか? そう、支援が必要な障がい者や高齢者、子どもたちが社会の中で恙なく暮らしてゆくためには、支援する側の人々の人権が守られ、Happyではないといけないのだ。そのために全国福祉保健労働組合は必要なのである。

【組合活動の4本の柱】
それでは全国福祉保育労働組合は組織として、具体的に何をしているのか? 『労組』などと聞くと「賃上げ闘争」や「ストライキ」など『春闘』のイメージが強いが、全国福祉保育労働組合ではそればかりではなく、4本の柱を立てて活動をしているという。一つ目が『職場闘争』。言葉は硬いが、要するに「よりよい実践をしていくために、働く職場環境をどう良くしていけばよいのか?」考え、その職場と折衝してゆくのである。二つ目は『公的制度の拡充すること』。個々の職場だけでは解決しないことでも、公的な制度を拡充させることによって職員さんが働き続けられ、利用者さんも路頭に迷わない施設が出来る。そのためにも三つ目に『同じ想いをもっている仲間を増やす』こと。それに加えて福祉の制度が安定して受け入れられ、社会的弱者と呼ばれる人たちが普通に暮らして行けるのは世の中が平和だからで、平和ではないと福祉というものも成り立たなくなるよね…という考え方から四つ目の柱に『平和活動』もされているという。歴史からみても日本でも戦時中は障害児・者は疎開させて貰えなかったし、非国民扱いされて食料なども満足に配給されなかったらしい。ナチス統制下のドイツではユダヤ人虐殺が知られているが、実はその前に『T4作戦』という名の下に障害者虐殺も行われていた事実もあるのだ。そういう状況下では一番先に社会から切り捨てられるのは弱い立場の人たちだから、そのような社会に戻さないように活動をしているのだという。

【様々な部会】
全体的な活動としてはそういった感じだが、その他にも部会もあり、「障害協議会」という障害職場職員さんの集まりがあったりして、ここは年に一回名古屋市と交渉するのだそうだ。「非正規職員の部会」「青年部」「広報誌発行」「職業病対策部」(福祉の仕事は腰とか頸腕部を痛めることが多く、メンタル面でもダメージを受ける人も多い。そういった方たちを支える部会)産業医とも契約していて、相談したい人と繋げる活動も行っているそうだ。

【大久保的まとめ】
冒頭にも書いたけれど、西田知也さんに会ったのは彼がまだ某大学の学生だった頃だ。ジネンカフェで西区の庄内緑地公園へディ・キャンプを行った際、ギターを弾いて当時デビューしたばかりだった「ゆず」の曲を汗だく(9月だったから、陽射しはまだ暑かったのだ)になりながらも歌ってくれたり、東区にあった「まちの縁側MOMO」に来てくれたものだ。そして大学卒業後も、私とは何の因縁か名古屋で彼が外出支援ヘルパーをしている現場に何度か遭遇したこともあった。風の噂で福祉職に就いたとは聞いていたが、その頃は「へえ~、西田くん。ヘルパーになったんだ」ぐらいしか思っていなかった。そのきっかけがまさか自分にあったなんて、打ち合わせの時に西田さんから聞くまでは思いもよらないことであった。しかし、そういう私もいままでの人生の中で影響を与えられた人は何人もいるし、影響ということではないが「この人がいなかったら、こんなことをしてはいなかったろうな」と思われる人はいる。そう、私たちは誰もが誰かのインフルエンサーになり得るのだ。そうして影響を与えあって生きて、世の中をよりよいものにして行けるのではないか? 西田さんは現在、全国福祉保育労働組合東海地方本部の書記次長として福祉や保育の職員さんを見守り、支援する立場にある。それにより救われる福祉職・保育士さんもいるだろう。それはつまり福祉職や保育士さんによって支援される側の人たちが安寧に暮らしてゆくためには欠かせない支援なのだ。西田さんの存在により救われる人は計り知れない数になるだろう。まだ若いとはいえ無茶は禁物である。健康に注意されて福祉のために、これからも活動して貰いたいものだ。
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ジネンカフェVOL.119レポート

2017-12-29 09:41:08 | Weblog
2017年最後のゲストは、名古屋市瑞穂区で〈お家*そら*みどり*むし〉というユニークな名前の主に知的障がい者や地域の人々とのまちの縁側を主宰されている太田清美さん。太田清美さんは、日本福祉大学を卒業後、障害者施設に勤められて商品づくりに携わり、魅力を感じる。商品を通して、障がいのある方たちと社会が繋がる機会を作りたい、 社会へ発信していきたいという想いが強くなり、施設の外から関わることを考え、退職。その後、「蟲36」に出会う。アトリエ活動や商品開発・販売、社会への発信、 様々な福祉施設やクリエイターとの繋がりづくりを経験。2016年4月、お家そら*みどり*むし*をはじめられた。障害者関係だけではなく、いろいろなヒト・モノ・コトが繋がっていく場所に、と実験中。お話のタイトルは『みんな合わさって、私たちは生きている~障害者福祉・アートから想う多様性の話~』

【太田清美さんという方は?】
太田清美さんは、生まれも育ちも名古屋。趣味は自然が好きで山に登ったり、旅のついでにいろいろな地方の施設へ遊びに行ったり、研修があればそれを聴いて来たりしているそうだ。普段の生活の中に「障がいのあるひとや施設との繋がり」をライフワークに活動されている方だ。

【福祉を意識したきっかけ】
太田さんは高校生の頃、部活でバスケットボールをされていたのだが、怪我をして半年ほど松葉杖を使って生活していた時期があった。その時に電車やバスに乗るのに不便を感じたり、ひとからの視線を痛いほど感じているうちに、〈福祉〉というワードが自分の中に現れてきたのだという。それが、太田さんが〈福祉〉というものを意識した始めだった。高校を卒業後、その声に従って日本福祉大学に入学することになる。

【障害者アートとの出会い】
大学では「障害者スポーツ」のゼミを取ったこともあり、障害者スポーツのボランティアをされたり、ボランティアサークルにて、知的障害のある方の余暇活動に参加したりしていた。大学卒業後は、豊田市の社会福祉法人豊田市福祉事業団に就職し、重度心身障害者通所施設(現在は、障害者総合支援センター)『暖』に配属され、そこで三年間勤められていた。『暖』では日中活動として比較的障がいが軽度な利用者さんと一緒にアート制作や、商品開発を手がけていたという。それが太田さんにとっての「障害のある方たちとの商品開発(ここでは福祉雑貨と呼ぶ)」に興味をもつきっかけであった。

【ジレンマから施設を退職する】
現在は福祉雑貨の商品は、適正な値段をつけて普通の雑貨店で販売されていてもおかしくはないぐらいのもので、販売ルートも徐々に広がって来ているが、太田さんが施設に勤められていた15年ほど前はどこかのバザーの商品として廉価で販売されるものでしかなく、商品価値はある筈なのに「障害者がデザインしたものだから…」という、それだけで適正な価格がつけられず販売しなければいけない現状に忸怩たるものを感じていたという。もっと広くいろいろなひと達にみてもらいたいと思っても、施設にいると安定しているけれど制限があり、やりたいこともできないジレンマもあって、障害者アートや、福祉雑貨の商品開発は外から関わろうと決意して『暖』を退職されたそうだ。

【蟲36との出会い】
こんな風に書くと、太田さんが自分の想いだけを先行させ、無鉄砲に施設を辞めたように捉えられるが、そこにはちゃんとした裏付けがあったのだ。この頃、大阪にある知的障害者福祉施設『アトリエ インカーブ』や、福岡の『工房 まる』の存在を知っていたからだ。どちらもアートやイラストなどを企業に提供したり、商品開発をして、海外でも注目されているアーティストが何人もいる福祉施設である。太田さんはそういう施設に憧れていたのだ。『暖』を離れた太田さんは、自分で商品を集めてクリエイターマーケットに出たりしていたが、やがて『蟲36』というグループと出会う。

【蟲36】
蟲36は、知的障害者、自閉症、ダウン症の方達が月に一度アトリエ活動をされていて、その中から面白い作品を布に印刷して商品にしてゆくということをしている団体で、商品の売り上げの1割を作者に返すという形を取っている。太田さんはボランティアスタッフとして、主に〈繋がりづくり〉の役割を担っているという。施設のスタッフ同士であったり、福祉以外の人たち・デザイナーや、興味のある方達との繋がりを〈むし飲み会〉という飲み会を開いたりして作っているとか。地方の施設とも旅に行くついでに立ち寄り、繋がりをつくっている。もともと太田さんは人好きで、ひとと出会うことも大好きな方なのだ。しかし、そういうひとの当然の帰結として、太田さんの活動はここ数年で幅広くなってきている。蟲36から繋がった人たちと、「UFO部」での活動や、展覧会の企画をメインに活動している〈オルタナティヴミュージアム・ナナメ45゜〉。それに加えて2016年から〈お家*そら*みどり*むし*〉をオープンさせたのである。

【太田さんって何をやってるひと? アトリエ裸虫 蟲36】
様々なところで活動をしているせいか、太田さんは他者からよく「太田さんって何をやっているひとなの?」と尋ねられたり、「太田さんは太田さん業だね」と言われたりするそうだ。自分でも時々肩書きや所属を求められて困ってしまうという。蟲36には10年弱ぐらい関わっているが、枠に囚われずやって行きたいということで福祉の制度は使わずに任意団体として活動を続けている。作家さん8名が現在活動しているのだが、年会費と1回に付き1,000円の利用料をいたたいて、それを運営費に充てている。商品作りは〈縫い虫〉さんという、縫う専門のボランティアがいて、その方達に布を渡して「こういうものを作って下さい」と頼んで作って貰ったり、〈縫い虫〉さんたちのセンスにお任せする場合もあるという。作品販売のメインは秋の覚王山祭りに出店するため、それに向けて商品を作るということが1年の流れになっている。アトリエとはいうものの、作家さんはみなさんそれぞれ施設に通われていて、月に一度楽しみにして来る場所という感じで、作品を描きたいひとは描いて、おしゃべりをしたいひとはおしゃべりをしているという。そんなふうに普段の暮らしの中から生まれて来ているからこその面白さが、それぞれの作品にあるという。

【オルタナティブ・アートミュージアム・ナナメ45゜】
オルタナティブ・アートミュージアム・ナナメ45゜とは、展覧会を企画するグループで、将来的には作品の保管・管理をする拠点を持てたら…ということを目的に活動している任意団体である。メンバーは施設のスタッフさんやデザイナーさん、陶芸家さんや支援学級の先生など、いろいろな方達が関わっているという。

【UFO部】
知的や発達に障害をもつ方達の施設で、利用者さんが好きで描いたり、作ったりしたものはあっても、それを商品化するノウハウがなかったりする。例えば丸いものを作り続けるひとがいて、それを二つくっつけて、新しいものを作り出すみたいなことをしている〈蟲36〉の繋がりある人から生まれた部活であるという。もともとその丸い形状の制作物を、みんなでワイワイとおしゃべりをしながら何にするかワークショップのように決めて行ったのが〈UFO部〉発足のきっかけだったとか…。因みに〈UFO部〉のU=UNIQUE。F=FREE。
O=ONE OF A KIND(唯一のもの)という意味で、主な作品が手芸品なので、女性には関心があっても男性にはちょっとどうかと思い、名前だけでも男性が好きそうなものにしようと名付けたのだそうだ。

【OTSU】
OTSUは、何か企画する時に集まって活動する、ゆるやかな繋がりのグループで、2年前の2015年にフィンランドに行って、作品や商品を展示してこようという企画が生まれて、勢いで作ったグループなのだという。行きたいひとが行ったという感じなのだが、北欧は福祉先進国でもあるので行ってみようと思い、太田さんも参加されたそうだ。もともとは『ジャパンウイーク』といって、国際親善協会の主催で毎年いろいろな国で日本を紹介するイベントがあるのだが、それに乗っかる形でジャパンウイークにも参加したけれど、自分たちで地元の大学に交渉して(メンバーの中にその大学に留学していた方がいた)作品や商品を展示させてもらったりした。発表の機会もいただいて、ファッションショーもしてきたという。昨年2016年の障害者芸術祭は愛知県で行われたのだが、その折にも作品を出展しつつ、紹介してもらったとか。

【お家*そら*みどり*むし*の名前の由来】
太田さんが現在主宰されている『お家*そら*みどり*むし*』。ユニークな名称だが、名前の由来はもともと『そら*みどり』という名前をつけて活動をされていたのだが、蟲36の拠点になったこともあり、この名称になったらしい。ただ、蟲36は任意団体でもあり、月に一度しか使わないこともあって、毎月家賃を払える余裕もない。なので『お家*そら*みどり*むし*』は、名義上では太田さんと蟲36とで借りているということになっているのだという。太田さん自身もいろいろと作品の展示や販売、ワークショップなどが出来る場所を探していたし、『暖』を退職された時からその商品を通して商品の向こう側にいる人たちと繋がる機会を作れたらいいなと思われていたので、そういう拠点を蟲36と共同で借りているという。また、『お家*そら*みどり*むし*』はレンタルスペースにもしていて、それほどの稼働率は多くないのだが、定期的に「着付け教室」と「お灸の教室」に貸していて、あとは太田さんが雑貨販売をされているそうだ。そこを訪れる人たちがお互いに知りあい、繋がって行けたら良いなあ~と太田さんは思われているとか。

【お家そら*みどり*むし*】
蟲36の雑貨を見たり、着付け教室の生徒さんがお灸の教室を覗きに来たり、お灸の教室に通う人の娘さんが着付け教室に来たり、そうやって直接ではないにしろ「知ること」により、いろいろなひとがいて、いろいろな物事があるんだよ…という多様性を認識するきっかけになればよいとも太田さんは思われている。アートや雑貨を通して障がい者に興味をもつひともいれば、もたないひともいるだろう。しかし、それは自由でよいのだ。ただ、知っているか知らないかと、知っているけれど特に関係は持たないのとでは違うと思うから、そのきっかけづくりになればよいと太田さんは思っているのだ。だから雑貨を扱ってはいても、それをバンバン販売したいとか、『お家*そら*みどり*むし*』を地域に開かれたまちの中の居場所にしようとか思っているわけではなく、アートやそれをデザインに取り入れた雑貨を通して、世の中にはいろいろな人たちがいて、それぞれに生きているんだということを多くのひとに知って貰いたい。そのための舞台が『お家*そら*みどり*むし*』でもあるのだ。

【大久保的まとめ】
太田清美さんとの出会いは、いつのことだったろう。定かに憶えてはいないけれど、ポパイの山口未樹さんか、蟲36の代表さんがジネンカフェのゲストに来られた時に、参加者のおひとりとして来られていたのではないだろうか。私の中では障害者アート関連のひとだというイメージがあった。それはあながち間違いではなかったけれど、太田さんの場合は作家さんを直接的に支援されているわけではなく、作家さんと作品とを繋げたり、作家さんに表現活動をする場所を提供したり、福祉施設を訪ね歩いて作家さんやその作品を発掘されてきたり、言ってみればコーディネーター的な立場なのだろう。太田さんは障害者アートや福祉雑貨の商品を通して、多くの人たちに「世の中にはいろいろな人たちがいて、それぞれの生き方をしているのだ」「関心がないのなら別に関わらないでもよいけれど、いろいろな人たちがいろいろなことをして生きていること」を知ってほしいと願っている。太田さんはそのために活動しており、『お家*そら*みどり*むし*』はそんな太田さんのプラットホームでもあり、集大成でもあるのだろう。私も形は違えど、インクルージブな社会を実現させたいと願って活動している者のひとりとして、またいつかコラボする日もあるやも知れない。その日が来ることを楽しみにしていよう。

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ジネンカフェVOL.121のご案内

2017-12-15 22:05:25 | Weblog
ジネンカフェVOL.121

障がいのあるひととないひとの間には何がある? ~あなたの知らない福祉教育の世界~

 私たちは平成19年から障がいの有無に関わりなく、誰もがありのままに生きられる真のノーマライゼーション社会の実現をめざして活動を続けてまいりました。ひとが社会の中で自分らしく生きていくには、対人関係における相互理解は不可欠です。障がいのある人とない人との間の関係性も同じことが言えましょう。社会教育の基本が家庭と学校にあることは、言うまでもありません。しかし、昨今の障がいのある人とない人との間における様々な問題を報道などで見聞きする度に、私たちの社会では障がいのある人たちのことをどのように教えているのか、疑問に思えて来ます。そこで今回のジネンカフェVOL.121では、社会福祉協議会の福祉教育担当者の方や学校教育の現場でご指導されている教師の方、福祉教育ボランティアの方をゲストにお招きして、福祉教育の現状を学ぶと共に、それぞれの想いに触れ、いま一度障がいのある人とない人の相互理解の必要性を確認したいと思います。そしてワークショップにおいて参加者の皆様と対話をし、それぞれの想いを共有したいと思っています。

日時:平成30年2月18日(日)13:00~16:30
会場:名古屋市総合社会福祉会館7階大会議室
ゲスト:村田敏明氏(名古屋市社会福祉協議会 福祉教育担当)
    安藤英吾氏(名古屋市 発達障害通級指導担当)
    杉江徳長氏(ひとまちクラブはんだ 代表)
ワールドカフェファシリテーター:白川陽一氏・西山和寛氏

内容: 13:00 開始
    13:05 パネルトーク
    14:20 質疑応答
14:30 休憩
    14:40~16::00 ワールドカフェ
    16:30 撤収
定員:70名
参加費:1,000円(1ドリンク付き)
主催:NPO法人まちの縁側育くみ隊
共催:NPO法人くれよんBOX
後援:愛知県、愛知県教育委員会、名古屋市、名古屋市教育委員会、愛知県社会福祉協議会、名古屋市社会福祉協議会、中日新聞社、中日新聞社会事業団

パネルトークゲストプロフィール
・村田敏明氏(名古屋市社会福祉協議会)
2014(平成26)年に名古屋市社会福祉協議会に入職し、ボランティアセンターに配属され、現在まで福祉教育等を担当。福祉教育では、区社協福祉教育担当者会や福祉学習サポーター養成研修等の企画、運営に携わっている。

・安藤英吾氏
名古屋市生まれ名古屋市育ち。大学卒業後、愛知県立特別支援学校(知的・肢体不自由)、私立高校の教員、名古屋市立中学校特別支援学級を経て、現在「名古屋市立小学校 通級指導担当者」として子どもたちの教育にあたっている。発達障害児の認知特性について関心があり、名古屋市内の教員チーム「やけどの会」を立ち上げ、各学校現場の問題解決に取り組んでいる。また、本年度より名古屋市立大学大学院「人間文化研究科こころの発達に関する研究」にて「通級指導の効果」についての研究を進めている。
文部科学省「発達障害に関わる教職員育成プログラム開発事業」研修テキスト執筆
心理検査士

・杉江徳長氏(ひとまちクラブはんだ 代表)
1963年、愛知県半田市に生まれる。99年から総合的な学習の時間への協力を始める。
2000年、福祉実践教室等に関わり始め、2003年にボランティアグループ「人まちクラブはんだ」設立。13年、半田市地域福祉計画推進委員会委員。17年、半田市障がい者自立支援協議会委員及び、権利擁護部会副部会長。

ワールドカフェファシリテーター
・白川陽一氏(Keramago Works:ケラマーゴ・ワークス)
名古屋市青少年交流プラザをはじめ、若者の成長に関わる多くの場で、対話と学びのファシリテーターを務める。個々の自立や社会参画を育むための、家でも職場でもない第三の居場所(サードプレイス)づくりがテーマ。各種ワークショップの企画やコーディネーターとしても活動する。

・西山 和寛(名城大学 ナゴヤドーム前キャンパス 都市情報学部1年)
人と人が繋がり、協同することで地域課題を解決することに関心をもち、他者との「対話」をデザインし促進するファシリテーションについて勉強中。名古屋市青少年交流プラザのユースボランティアとしても活躍。今回の拡大版では、話やすくて楽しい空間を創れればと思います。

お問い合わせ/お申し込み先
TEL:052-733-5956(くれよんBOX)
FAX:052-733-5957(くれよんBOX)
E-mail:jinencafe@yahoo.co.jp(まちの縁側育くみ隊・大久保)

参加申し込み締め切り:平成30年2月12日
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ジネンカフェVOL.120のご案内

2017-12-04 20:14:54 | Weblog
ジネンカフェVOL.120

日時:1月13日(土)14:00~16:00
場所:くれよんBOX
ゲスト:西田知也(全国福祉保育労働組合 東海地方本部)
タイトル:まちの縁側活動に出会って~これまで、これから~
参加費:500円(お茶代別途)

ゲストプロフィール:
愛知学院大学卒後、障害者福祉施設で約7年経て、2016年8月から全国福祉保育労働組合東海地方本部の専従者

コメント:
最初にお話をいただいた時に「何が話せるかなー?」と少しずつ、振り返ってみました。いろいろ考えたのですが、結局人と人がつながる「縁が輪」になる活動・誰もが当たり前にその人らしくいれる居場所づくり、そんな活動に魅せられて、今があるなーと気づけました。これまでとこれから、当日お会いできるみなさんからも刺激を受けながら、考えていけたらなと思っています。当日新たな出会いが生まれることを楽しみにしています。
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