ジネンカフェだより

真のノーマライゼーション社会を目指して…。平成19年から続いているジネンカフェの情報をお届けします。

ジネンカフェVol.081のご案内

2014-03-19 09:22:18 | Weblog
ジネンカフェVOL.081
~ひとがひととして豊かなこころを育んでゆくために~
 私たちは、平成19年1月から月に一度のペースで障がいの有無に関わりなく、自分に与えられたものを受け入れながら自分らしく生きている様々なゲストをお招きし、その生き方や活動を聴く〈ジネンカフェ〉を続けてきました。人が人としてのこころを育んでゆくには、三つの間(空間・時間・人間関係)の豊かさが重要だとされています。しかしながら、障がいをもつと様々な要因からこの三間が乏しくなりがちで、これが障がいのある人とない人との相互理解を妨げている一つの要因であると推測されます。また、この問題は図らずも障がい児・者のみならず、現代の子どもや若者たちを取り巻く環境がもたらすコミュニケーション能力不足・社会性や他者に対する想像力、共感力の欠如などの問題ともリンクし、〈こころ育て〉の問題としてもアプローチされる課題であろうと思います。今回のジネンカフェVOL.081では、この三間問題を取り上げ、問題解決に向けた取り組みの実例をゲストにお話いただいた後、参加者全員でこの課題について考えてゆきたいと思っています。

1.日時:平成26年4月13日(日)13:00~16:30
2.会場:名古屋市総合社会福祉会館7階大会議室
3.プログラム
  12::30 開場
  13:00 はじめの言葉
  13:05 第一部:基調講演 三輪義信氏(日本おもちゃ会議つくり手会員)
  13:35 第二部 パネルディスカッション
     ●三輪義信氏(日本おもちゃ会議つくり手会員)
     ●小寺岸子氏(NPO法人ひとにやさしいまちづくりネットワーク・東海 副理事長)
    ●永田尚子氏(名古屋手をつなぐ育成会評議員)
    コーディネーター:大久保康雄(NPO法人まちの縁側育くみ隊 理事)
  14:35 休憩
  14:45 第三部:ワールドカフェ
    コーディネーター:白川陽一氏(Keramago Works:ケラマーゴ・ワークス)
参加費:1,000円(1ドリンク付き)
4.定員:60名
5.主催:NPO法人まちの縁側育くみ隊
6.共催:NPO法人くれよんBOX/かたひらかたろう
7.後援:愛知県、愛知県教育委員会、名古屋市、名古屋市教育委員会、愛知県社会福祉協議会、名古屋市社会福祉協議会

講師・パネリスト プロフィール
●三輪義信氏(日本おもちゃ会議つくり手会員)
1950/名古屋生まれ。東京教育大学教育学科卒業。現在、障害児関係の仕事に従事。 1990/最初の個展を名古屋にて開く。第4回全国ウッドクラフト展にて、「三びきのくま」が優秀賞、第5回同展にて「ワクワクハウス2」が最優秀賞を受賞。2000年同展で「おやゆびひめ」が入賞。2002/NHK教育テレビで趣味悠々『大人が作って遊ぶ木のおもちゃ』を企画、出演。組み木創作の会、日本おもちゃ会議つくり手会員。現在、毎月、自宅にて自作および収集した【おもちゃのひろば】を、【工房】にて「糸のこ工作教室」を開いている。
○ 著書『ほのぼの先生とちいさななかまたち』(KTC中央出版)
共著『おもしろ学校ごっこ』(同)『趣味悠々・大人が作って遊ぶ木のおもちゃ』(NHK出版)

●小寺岸子氏(NPO法人ひとにやさしいまちづくりネットワーク・東海 副理事長)
27年前に交通事故にあい、車いすの生活になりました。街に出て、美味しいものを食べたり、好きな洋服を選びたかったけれど、車いすにはバリアがいっぱいで楽しくありませんでした。1998年に受講した愛知県「人にやさしい街づくり連続講座」、「わたしに使いやすい街にしてほしい。」と言っていいと知りました。それ以来、「ひとにやさしいまちづくり」をすると街がやさしくなって、老後も楽しく生活できるよ。と伝えてきました。子どもたちに車いす体験をしてもらったり、建築士さんにお話をしたり、議会で人にやさしい街づくりを推進しましょう。と議論したりしています。みんなが笑顔で暮らせるまちづくりは、楽しいと思います。

●永田尚子氏(名古屋手をつなぐ育成会評議員)
1954年12月6日に、京都のど真ん中三条蛸薬師で生まれ、下鴨神社のそばで育ちました。生粋の商売屋の京女で、藍色や桜などの「和のもの」が大好きです。家族は夫と二人の娘、そしてコウノトリがベランダに運んできた猫一匹です。長女がダウン症です。子どもが5歳になる頃までは、病院と療育施設に通うだけで精一杯でしたが、次女が生まれ
少し余裕もでき、親の会やNPOの活動に勤しんでいました。娘は今22歳。彼女の自我に出会い、自分の無意識の権利侵害に気づき、人が人として、自分らしく生きる権利を守りたいと思うようになりました。現在は、社会福祉法人の理事・評議員、NPO法人の理事などをしながら、なんでもありの「なんでもアリーナ情報発信」と、権利擁護と地域福祉の活動をしています。

パネルディスカッション コーディネーター
●大久保康雄(NPO法人まちの縁側育くみ隊 理事)
1959年愛知県半田市生まれ。1999年に愛知県主催の「人にやさしい街づくり連続講座」を受講し、講座仲間と共に紙芝居「風穴一座」を結成する。2002年、一宮の宮前ひろばづくりWSに参加し、当時千葉大学教授だった延藤安弘氏に遭遇。2003年、延藤氏等と共にNPO法人まちの縁側育くみ隊を設立、理事に。2007年よりジネンカフェのプロデュースを始める。旅、読書、音楽・絵画・映画・演劇鑑賞、エッセイ・コラム・小説・物語創作など多彩な趣味、多様な顔を持ちつつ、様々な形のまち育て活動を通してやさしさの種まき作業に関わっている。

ワールドカフェコーディネーター
●白川陽一(Keramago Works:ケラマーゴ・ワークス)
1985年、北海道は苫小牧生まれ。札幌育ち。北海道教育大学卒。現在は、名古屋の南山大学院生として、また学びの場のファシリテーターとして、二足の草鞋を履きながら活動中。ワークショップの企画、計画、運営とそのお手伝い、司会・進行(ファシリテーター)、その他教育活動を仕事にし、自分のリソースを使った人助けやコミュニティデザインをナリワイとする日々を送っている。共創シェアスペース「うずみん」呼びかけ人。昨年に引き続き、ジネンカフェ拡大版のワールドカフェの進行役を務める。

お問い合わせ/お申し込み先
E-mail/ohokubo.yasuo0203@gmail.com(大久保)
TEL/052-733-5955 FAX/052-733-5956(くれよんBOX)



ジネンカフェVOL.080レポート

2014-03-18 13:32:31 | Weblog
VOL.080のゲストは、かたひらかたろうの利用者の佐藤圭子さん。佐藤さんはADHD(注意欠如・多動性障がい)のお子さんを育てられておられるお母さんである。ADHD(注意欠如・多動性障がい)とは、発達障がいの一種で、文字通り集中力が続かなかったり、気が散りやすく、じっとしていることが苦手で、衝動的に動いてしまう…などの症状がみられる。あれ? そんなこと子どもであれば、程度の差こそあれ誰もがそうではないかと思われる方もおられるだろうが、これは子どもの頃だけではなく、大人になってもそのような症状がみられる障がいなのだ。障がいとはいうものの、外見的な特徴がないだけに周りから誤解を受けたり、理解されないことが多く、〈変人〉扱いされる恐れがある。しかし、そうかといって専門医からADHDだと診断をされればされたで、周囲から身構えられたり、避けられてしまう恐れもある、非常に厄介な障がいのひとつであろう。お話のタイトルは『私と違う我が子』深いタイトルである。

【我が子への戸惑い、困惑】
北海道出身の佐藤圭子さんは、30有余年北海道で過ごしてきて、結婚して名古屋に越して来られた。仕事は現在南区の病院で看護師をされているが、結婚すると同時にお子さんを授かったので当時は働いていなかった。お子さんが生まれて一歳ぐらいになった時、他のお子さんと少し違うな…と気づいたという。佐藤さんのお子さんは、エレベーターが気になり、ただエレベーターの前にいて、扉が開いたり閉じたりすることをじっと見ている。佐藤さんもどうして我が子がそんなことをするのか、意味が分からなかったという。そうこうしているうちに、今度は車のナンバーが気になり出し、すれ違う車や停車中の車のナンバーを読み上げてくれるよう、まだ言葉は話さなかったので身振りで示すようになった。つまり数字が気になり始めたのであろう。どうしてそうするのか分からず、無理にその場から引き離そうとすると泣き叫ぶので困ってしまったことが幾度もあったという。

【我が子がADHDと診断されて…】
そんなことが続いていた頃、佐藤さんは看護師として復帰を果たしたくて、子どもさんを保育園に預けるための入園面接を受けることになった。「何か心配なことはありませんか?」と尋ねる保育園の先生に、佐藤さんはご自分の心配事を話したところ、「すぐに療育センターへ行って下さい」と言われたそうだ。それでもきっと大したことはないだろうと思っていたが、相談日を待っている間にも〈拘り〉が次から次へと現れてきた。公園に連れて行くと遊具では遊ばずに水道の水を出してはそれを眺めていたり、石を拾ってきてそれを地面に落としてみたり…。そうして診断された病名が〈広汎性発達障害〉であった。発達に遅れがあり、自閉症の特徴でもある〈拘り〉がみられ、社会性の欠如もみられたという。保育園には入れず、佐藤さん自身の仕事復帰も先送りになった。そうして文字通りの親子水入らずの生活が始まったわけだが、どうしてよいのかわからなかったこともあり、ストレスがたまり、虐待のニュースをみたり聞いたりする度に〈これは私のことではないだろうか…?〉と思うようになり、実際に手をあげたこともあったそうだ。しかし、佐藤さんはご自分で〈これではまずい〉と思い、リフレッシュのため、週に三日託児を利用して夜間の大学へ通うようにしたそうだ。そうなのだ。障がいのない子どもの子育てにしても、家という閉鎖空間で子どもとふたりきりの時間が長ければ長いほど精神的に追い込まれてゆくものだろう。佐藤さんが職業柄、ご自分たち親子の現状を省みられる視点を持っておられたのが救いであったろう。

【子どもの健康も大事だけれど、母の健康も…】
大学に通うようになった佐藤さんは、ご自分のスキルアップにも繋り、何よりもストレス発散のためにも効果的だったらしく、子どもの状態を客観的にみられるようになった。そして以前の自分を振り返って、やはり相当なストレスがかかっていたのだな…。子育てには母親の健康も大切なのだ…と実感したという。そう、子育てにおいては、とかく子どもの健やかな成長や健康を云々されがちだけれど、親の健康があってこそ子どもの健康もあるのだろう。

【行動の意味はわからないけれど…】
ストレスはそれで発散できたとしても、我が子の〈拘り〉ゆえの行動の原因がわからないのは変わりなかった。原因を追及しなければ気が済まない佐藤さんは、原因がわからないと今度は自分を責めることになる…。つまり、またストレスが溜まってゆくのである。そうしたある日、佐藤さんは東田直樹さんという、重度の自閉症の方が書くブログに行きあたった。その人の感覚もやはり独特のもので、わかるところもあるけれど、わからない部分もある…。そのブログを読んでいるうちに、〈原因を追求しなくてもいいのかな〉という気持ちになってきたという。理由はわからないけれど、息子さんがやりたいのはわかる。それが好きなのはわかる。それが気になっていることも、見ていてわかる。行動の意味はわからなくても、共感することは出来る…。それで良いのかなと思えるようになれたという。

【息子さんの拘りを巧く利用して】
息子さんがエレベーターの前から動かなくなっても、エレベーターが気になるのだから好きにさせてあげよう…と気持ちを入れ替えるのだが、急いでいる時などは待っていられないし、見てもいられないので、どこかで妥協線を引きたいと佐藤さんは思った。息子さんにも自分の気持ちをわかってもらいたいのもあって、時計の読み方を憶えさせた。つまり〈時間〉を覚えさせたのであろう。息子さんはもともと数字好きで3歳から時計を読むことが出来たので時間の感覚を身につければ、いつからいつまでと線引きが出来ると、佐藤さんはお考えになられたのだろう。この作戦が功を奏して現在ではお互いに気持ちよく生活出来ているそうだ。息子さんの拘りを巧く利用して、成功した例である。

【拘りを自分の長所として思ってほしい】
しかし、佐藤さんは世の中息子さんの拘りを理解して、受け入れてくれる人ばかりではないということも知っている。息子さんがこの先成長して社会との接点が増えて来ると共に、その拘りゆえに偏見や差別的な眼差しでみられたり、虐めに遭うこともあるかも知れない。どうして自分はひとと違うのだろう…と思い悩む時もあるだろう。しかし、その拘りも自分なのだ。自分の長所だと思ってほしいし、それを強みにしてほしいと思っているという。
自分の強さも弱さも、ひとと違うところも、拘りも、そのままの自分でよいんだ…と自己肯定感を持って生きて行ってほしいと望んでいる。

【自分に自信をもって生きるために】
『子育てハッピーアドバイス』という本の著者・明橋大二氏によれば、なにかしらの問題を抱えたお子さんにみられる特徴は、自己肯定感が低く、自分が価値のない人間だと思っているひとが多いそうだ。その結果、自分に自信を持って生きてゆくことが出来ないという。佐藤さんもそれに共感されていて、どうしたら自己肯定感を持ち得たお子さんに育てられるかと言えば、しっかりと甘えさせてあげることだと明橋氏は言う。自分は愛されている。自分は大切にされているのだという意識が、後々の人生の自己肯定感を高めてゆくのだ。佐藤さんご自身ももともと自己肯定感が高くないうえに、子育てをしているうちにますます低くなって行ったそうだが、そうした自分の全てを受け入れたら楽になり、前向きに考えられるようになれたそうだ。だから息子さんにも自分の全てを受け入れ、自己肯定感をもちつつ成長して行ってほしいのだ。そうすればどんな苦難に遭おうとも、自分は自分だと自信を持って生きてゆけるのではないか…と、佐藤さんは思っている。

【大久保的まとめ】
冒頭にも書いたけれど、発達障がいの中でもADHDは、どこにでもいる〈少し落ち着きのない子〉と判別が難しい障がいであるように思う。昔も今も各学校の各学年の各クラスにひとりかふたりはいたし、いるたろう。現在のように発達障がいが認知されて、福祉サービスの対象者となったのは喜ばしいことだと思う。しかし、その反面で〈魔女狩り〉のようなことが平然とされているような気がする。他人と少しでも変わったところがあろうものならその人にレッテルを貼り、同じような人たちの中にラベリングされるのだ。そうすることにより、そうではない者との区別化を図る。その方が福祉サービスを受けやすくはなるが、そうではない者たちと異なった生き方をしなければならなくなる…。選択できればよいのに…と思う。〈魔女狩り〉をされ、レッテルを貼られて福祉の恩恵を受けつつも生きる方と、レッテルを貼られない代わりに、福祉サービスの恩恵を受けない生き方と。どちらにしても、苦しいのには変わりないけれど…。要は、佐藤さんもお話されているように、障がいもひとつの個性と捉えるならば、その個性を個性のまま活かして生きられる社会を作ればよいだけのことだ。障がいの有無に関わりなく、その人の個性を認めあって生きあえる、そんな真の共生社会の実現を目指したい。