ジネンカフェだより

真のノーマライゼーション社会を目指して…。平成19年から続いているジネンカフェの情報をお届けします。

ジネンカフェVOL.075のお知らせ

2013-08-19 10:59:09 | Weblog
ジネンカフェVOL.075
日時:9月29日(日)10:30~16:00
●お出かけ企画~長者町に展開するトリエンナーレを見学しつつ、まちと住まいのバリアフリーをチェックしてみよう!

目的地:中区錦二丁目(長者町界隈)トリエンナーレ見学&TOTOショールーム
集合場所:名古屋市営地下鉄 桜通線「丸の内」改札口
集合時間:10:20分
※昼食は長者町のホテル西鉄インのイタリアンレストランを予約します。ランチ代1,000円=参加費
※長者町のあちこちに点在する作品を鑑賞するのに、一日チケット:大人1,800円・子ども、障がい者900円が必要です。障害者手帳をお持ちの方は、当日持って来て下さい。
※参加希望の方は、9月25日まで、NPO法人くれよんBOXさん(TEL:052-733-5955)NPO法人まちの縁側育くみ隊・大久保dacyou@qc.commufa.jpにご連絡下さい。



ジネンカフェVOL.074レポート

2013-08-16 12:41:39 | Weblog
今月のゲストは、くれよんBOXさんの利用者で、ジネンカフェのスタッフでもある宮崎貴文さん。宮崎さんはVOL.003に続いて、二度目の登場である。宮崎さんは生まれながら二分脊椎という障害を抱えている。二分脊椎とは脊椎の癒合が完全ではなく、一部開いたままの状態のことをいう。脊椎には脳からの指令を筋肉に伝える役目をする神経の束が走っているのだが、その束の形成に問題があるために様々な神経障がいが生じてくる病気である。また髄液が脳の中で固まって水頭症を起こす危険性があるので、幼い頃から三度も脳の手術をしたという。お話のタイトルは『あなたにとって理想の人生とは?』

【生い立ち~アクティビリティーを育んだもの】
宮崎貴文さんは、1979年岡山県倉敷市に生まれた。お母さんの実家が倉敷にあり、里帰り出産のために倉敷で生まれたのである。しかし、脊椎が破裂していたため、生まれたその日のうちに手術をしたそうだ。障害があると幼い頃から家に籠もりがちになり、その結果大人になって社会に出た時に人の目が気になったりするものだが、宮崎さんのお母さんは養護学校(現・特別支援学校)の教員を勤めていたこともあり、幼いときから人の目に触れさせた方が理解されやすいと考えていたので、幼い頃からベビーバギーに乗せてもらっては、宮崎さんはあちらこちらへ連れて行ってもらったそうだ。それが奏を功して宮崎さんはチェアウォーカーになっても、人の目を気にすることなく行動するようになったのだ。

【養護学校で戸惑ったこと】
小学校は、地域の普通学校に通った。障がいのせいでいじめを受けたこともあったが、水泳をしていたせいか、自分のことを蔑んだことはなかったという。しかし、小学校を卒業する間際になり、脳の中を流れる髄液が固まるという症状が発生し、手術をしなければならなくなった。こんなことが度々起こるようでは…と懸念した学校側から選択を迫られて、
中学から養護学校へ通うことになった。養護学校に通い始めた宮崎さんは、そこでいろいろな障がい、障がいの程度の違った人たちを見て、相当に戸惑ったらしい。自分はこうしてひとりで動き回れるのに、全介助が必要な人たちもいる…。一番戸惑ったのは人間関係というか、コミュニケーションの部分である。宮崎さん自身はチェアウォーカーとはいっても軽度の障がいなので、家族と出かけたり、スポーツをした経験もあるのだが、重度の障がいがある人はそのような経験がなく、どのようにコミュニケーションを取ればよいのかわからなかったからである。自分が体験したことの感動が伝わらない…これは宮崎さんにとって衝撃的だったし、悩みのタネだったらしい。

【日本と外国、観光施設の対応の相違に驚く】
宮崎さんは英語が好きで、中学生、高校生の時に一度ずつ英検を受けて二級まで合格した。高校卒業後も大学のオープンカレッジなどに通い、そのオープンカレッジでオーストラリアやニュージーランドに行ったという。旅先でいろいろなものを観たり、経験したりした宮崎さんは、日本と外国の観光施設の対応の違いに驚いたという。冬季オリンピックの競技でもお馴染みのリュージュを体験できる機会があり、宮崎さんも挑戦してみようと思った。リュージュとは、丘の上からそりにねそべり、くねくねとしたレーンを滑り降りてゆく競技である。そり付きの長い滑り台のようなものだ。当然危険は付き物である。宮崎さんは以前、日本のとあるテーマパークに家族と行った際に、あるアトラクションの乗り物に乗ろうとしたところ、係員から〈もし事故が起きて乗り物が止まってしまったら、はしごを使って降りなければならなくなる〉という、仮定の理由から乗車を拒否されそうになった。「それでも息子が乗りたがっているのだから…」と粘るお父さん。押し問答の末に乗せてもらえることになったことがあった。しかし、リュージュ体験の際には誓約書を書いて、一度試乗してみただけで許可されたという。日本の場合、万が一事故が起きた場合、利用者の責任よりも、その施設の管理責任を問われかねないから、対応が及び腰になって
しまうのであろう。

【海外で貴重な体験をする①】
そのリュージュ体験の前にも、宮崎さんは貴重な体験をしている。ニュージーランドへは前述したように大学のオープンカレッジの仲間と、お母さんとで行ったのだが、前もってお母さんが知りあいを通じて現地に息子と同じような障がいをもつ団体はないかと問いあわせていたところ、車いすバスケットをしている団体があった。見学するつもりでその団体が活動している体育館へ行ったら、「やってみないか?」と誘われて車いすバスケットを実際にやってみたそうだ。

【海外で貴重な体験をする②】
また、野球好きな宮崎さんは、名古屋のチックトラベルが企画したバリアフリーツアーの、〈メジャー観戦ツアー〉に行こうとした。対戦カードは、まだイチローが在籍していた頃のマリナーズ対エンジェルス。しかし、そのツアーの日に9.11のテロによる惨劇が起きてしまい、本来ならロサンゼルスからアナハイムに飛ぶところ、行く先がハワイへ変更になってしまい、次にラスベガスとか、行程が全く狂ってしまい、メジャーを観戦しに行ったのに、一試合も観戦出来ないまま帰国したという。あの時はアメリカ中、いや、世界中がパニック状態だったし、確かメジャーの試合もしばらく中止を余儀なくされていたのではないだろうか? 

【夢は、放浪の旅だという宮崎さんに贈るエール】
こんなふうにアクティブなチェアウォーカーの宮崎さんだが、意外にも夢はアメリカのバークレーにある自立生活センターに行きたいのだという。そこでなにをしたいかというビジョンは特にないそうだが、とりあえず〈ひとり旅〉がしてみたいとか…。そこで〈ひとり旅〉にかけては先輩の私からエールを送りたいと思う。若い頃、私も何の目的もないままに全国をふらふらしていた。もちろん費用に限りがあったので、ユースホステルを泊まり歩いていたわけだが、様々の人との出会い、体験を経て得られたものは私にとって大きなものだった。自分という人間はなにもので、なにがしたいのか、なにをしなければいけないのか…。その放浪の旅の中で考えたものである。だからこそ思うのだ。人生に迷った時には放浪してみよう。その放浪の中から、きっと自分なりの理想と思える生き方のヒントが見つけられる筈だから…。