ジネンカフェだより

真のノーマライゼーション社会を目指して…。平成19年から続いているジネンカフェの情報をお届けします。

ジネンカフェVOL.125レポート

2018-08-17 18:57:04 | Weblog
降りそそぐ蝉時雨の中で、毎年この言葉を書いているけれど、暑い! なんでもこの暑さは日本だけではなく、世界規模らしい。北欧でさえ33℃は平均してあるという。こうなると、冗談でなしに夏の平均気温が40℃になる日もそれほど遠くはないだろう。政府も2020年の東京オリンピック・パラリンピックを見据えて、2年間限定でサマータイムの導入を検討しているとか。まあ、サマータイムを導入しようが暑さは変わらないし、私にも全く関係ないけれど…。さて、8月のジネンカフェVOL.125のゲストは、株式会社永楽堂の社員の高野仁美さん。株式会社永楽堂は、業務用のパン専門に製造し、販売している会社である。高野さんはその会社の中に「社内カフェ」を立ち上げられたという。そこには高野さんの夢や想いが込められているのだ。お話のタイトルは、『地域コミュニティの中心としての喫茶店の可能性』

【生粋の名古屋っ子】
高野仁美さんは、名古屋生まれの名古屋育ち。名古屋圏の文化と言えばひとつに〈喫茶店〉があり、〈モーニングサービス〉がある。日曜日の朝食は家族揃って家の近所の喫茶店に行って、コーヒー一杯の値段でモーニングサービスを楽しむ家庭も少なくない。高野家も家族で旅行に行く時には朝早く起きて喫茶店に行き、モーニングを食べてから出かけるという。家族も全員が名古屋っ子で、もちろん喫茶店が大好きという家庭で育った生粋の名古屋っ子だ。大学を卒業して直ぐに業務用のパンの製造・卸しをしている株式会社永楽堂に就職し、現在に至っている。

【永楽堂とはどんな会社?】
高野さんが勤めている株式会社永楽堂とは、創業50年という、業務用のパンを製造・卸しをしている会社である。創業した当初は喫茶店も多かったので、ひたすらモーニング等に使う食パンを焼いていて、営業に出なくても注文の電話がどんどんかかってきたらしい。しかし、個人経営の喫茶店が減少してきている現在では、結婚式場やホテルにも卸すようになっているという。それでも社是として飲食店に卸すパンを…という想いは持ち続けている会社なのだ。

【パン好きは変態が多い?】
高野さんも就職した当初はパンを製造していたのだが、途中から営業にまわり、いろいろな喫茶店にパンを持って行き、パンを売るというよりは、個人経営の喫茶店が繁栄して行けるようなお手伝いがしたいという想いで働いているという。喫茶店も好きなのだが、パン自体も大好きなので、〈パンソムリエ〉とも呼ばれている〈パンコーディネーター〉の資格も取得した。その道を究るには何事も凡人と同じことをしていてはいけない。一度、その〈パンコーディネーター〉の集まりに行ったのだが、そこは奇人変人の世界であった。女優の藤吉久美子さんもパンコーディネーター〉だったりするそうだが、同じ協会の人が時々『マツコの知らない世界』に出る。20年間、365日3食パンしか食べたことがないという人がいるかと思えば、パンを食べる時は先ず目で眺めて、匂いを嗅いでからおもむろに食べるという、パン好きな人特有のパンの食べ方があるらしい。パンを先ず口ではなく鼻に持って行ったら、間違いなくその人は変態レベルのパン好きであるという。

【パン好きは焼ける音はまるでメロディ?】
また、高野さんはパン好きの仲間たちと、パン屋さんをまわったことがある。本当に皮がパリパリのフランスパンは、焼きたてをオーブンから出すと、外側の皮がパリパリパリとか、ピキピキとかいう音がするのだそうだ。普通のひとは「面白い音」とか「こんな音がするんだ」という反応をするのだが、パン好きの人は目を閉じて「いい音色!」と一言呟くのだそうだ。

【雑貨・カフェクリエーター】
もうひとつ、高野さんは「雑貨・カフェクリエーター3級」の資格も取得している。これはカフェの開業支援、カフェの集客やインテリア、メニュー構成など、カフェ開業に関わる全般を指導して行く資格である。もっと上の級を目指して、ただいま勉強中だとか。

【まちの縁側を作りたい!】
大学ではファシリテーションを学んでいた高野さんだが、実は長い間温め続けている夢がある。将来離れのある家に住んで、その離れにはピアノとギターがあり、将棋盤も置いてあって、普段はお年寄りや地域の人が集まって自由にお喋りしたり、将棋を指したり、時にはみんなで歌ったり、そんな風に過ごしたいという。離れには縁側もあって赤ちゃんを連れたお母さんがそこにひと休みに来たり、学校帰りの子どもたち、家に帰っても誰もいないという子どもたちがここに来て、お年寄りに宿題をみてももらう。そんな自由な、まちのひとたちが自然に立ち寄れるような、そんな場所が作りたいとか…。もともとは学生の頃、就職活動をし始めるタイミングで祖父母と同居したのがきっかけで、祖父母と暮らしてゆく中で「こういう場所ってすごく大事だな」と思ったのだという。ひとり暮らしのお年寄りなんて、一日に何回名前を呼んでもらえるんだろう? そんなことを考えていたら、家族以外で名前で呼び合えるような人がいつでも近くにいる環境が必要で、そのような〈まちの縁側〉をいろいろなまちにつくりたい。そんなことを思い描きながら、就職活動をされていたという。

【そこではないんだけれど…】
ところが大体の企業の面接でそんなことを言っても、面接官には伝わらない。「あなたの夢は何ですか?」と訊かれたので答えてもみんなピンと来ないらしく、それどころか「離れのある家に住みたいと言うけれど、離れを建てるのに幾らかかるか解ってる?」「で、月収は幾ら欲しいの?」と訊かれたりしたそうだ。〈いや、そういうことではないし、そこでもないんだけれど…〉と思っていたそうだ。そんなこんなで就職活動は難航し、そんな時に現在の会社に出会ったという。

【それって喫茶店で出来るんじゃない?】
株式会社永楽堂の面接を受けた時に、件の質問の答えに対して「それって喫茶店で出来るんじゃない?」という反応が返ってきて、その瞬間高野さんは「あっ、私はこの会社で働くんだ」と思ったという。それから現在までこの会社に勤められているとか。パンを通じてまちの喫茶店を応援して行こうということで、いろいろなまちにある喫茶店ひとつひとつに、自然に人が集まってくる場所になる。そのお手伝いをパンを通してしていけたら…と思っている。自分が名物おばあちゃんになるのはまだ後、40年~50年先のことなので、それまでの間はそうして喫茶店を応援出来ればいいなと思っている。

【自分が作りたかったのは喫茶店だったんだ!】
もともと高野さんは喫茶店が好きで、小さな頃からおばあちゃんの家に遊びに行くと、お散歩しながら近所の喫茶店に連れて行ってもらえたそうだ。そこに行くとおばあちゃんの友だちがいて、いっぱいしゃべりかけてくれて、必ず「お母さんには内緒ね」と言ってアイスクリームを食べさせてもらえた。でも、それが嬉しくて家に帰るとすぐに「おばあちゃんとアイスを食べた」とお母さんに報告してしまう…。それまでがセットになって、現在でも色褪せない思い出として高野さんの中に残っているという。そうして仕事を通して喫茶店のことを知れば知るほど、自分が作りたかった「場」というのは喫茶店だったんだ! と、思うようになっていったのだった。

【喫茶店は面白い①私のモーニングはあとで山田さんが食べに来る】
会社に入ってからというもの、高野さんは街中のどんな小さな喫茶店にも立ち寄るようにしているのだが、それは岡崎の住宅街の中にある喫茶店での出来事だったという。その店のモーニングタイムは10:30までで、高野さんはもう店内で座っていて、モーニングサービスを楽しんでいた。10:20分頃、常連と思わしきおばあちゃんが入って来て、コーヒーをオーダーした。当然のことに店の人が「モーニングはどうされますか?」と尋ねた。するとそのおばあちゃん、「わたし、モーニング二軒目だからパンは要らない」と断り、事もなげに衝撃的な一言を付け加えたのだそうだ。「わたしはモーニング要らないんだけど、このあと山田さんが来ると思うんだけれど、山田さんモーニングに間に合わないと思うから、わたしの分のモーニング、山田さんにつけてあげて…」その言葉を聞いて高野さんは、目が点になってしまった。「モーニング二軒目」という時点でただならぬものを感じていたが、「モーニングをあとから来る山田さんにつけて?」そんなことが出来るのか…? と。そんなシステムが岡崎では普通なのか? と。店に来た人が自然に相席してゆく。そうして「〇〇さん、まだ来てない」とか、「××さんこの前風邪だと言っていたけれど、まだ治ってないのかねえ~」などという会話が自然に出来て、お店の人も「山田さん」と言われて顔と名前が一致するから「わかりました。山田さんに取っておきますね」ということが出来るわけで、それは多分喫茶店でしか出来ないなと、高野さんは思っている。どうしてそんなことが可能なのかと考えると、昔ながらの喫茶店ってコーヒーチケットがあって、そのお客さんのコーヒーチケットをレジの壁に貼って留めてある店が多いのだが、コーヒーチケットは持ち歩くのではなくお店にストックしておくため、ボトルキープと同じ要領で名前をチケットに控えておくのだ。そう、お客さんの名前を憶える、名前を管理する方法が他の飲食店の中でも喫茶店は独特だから、いつもの席が用意出来たり、「いつもの」と言うだけでいつものメニューが出て来る。そういう特別な場所になって行ったのかなと、高野さんは思っているという。

【喫茶店は面白い②コーヒー×パン×おしぼり。パン屋の仕事は駐車場の誘導】
脱サラをした人が飲食店を開業する。よく聞く話だ。喫茶店の場合、サラリーマンを辞めてから一週間で開業する人が結構多いのだそうだ。サラリーマンを辞める前からそれなりに勉強はしていただろうが、いわば素人オーナーさんの喫茶店のオープンを手助けする人たちがいる。それがコーヒー屋(豆)さんとおしぼり屋さんとパン屋さんである。この三者がタッグを組んで開業する人の後押しをして、一人前のマスターに育ててゆく。そうしてまちの喫茶店をどんどん増やして行ったのだとか。一軒の喫茶店が開業すると、コーヒー屋さん、おしぼり屋さん、パン屋さんからひとりずつお店に派遣されて、何も知らないマスターにイチから教えてゆくのだ。大体コーヒー屋さんがメニュー関係の指導をして、おしぼり屋さんが接客のノウハウを伝授し、パン屋さんが駐車場で車の誘導をするというのがパターンであるとか。一週間ぐらいそうして営業マンが入って教育して、一週間経ったら「じゃあね。あとは任せたよ」という感じで、次のオーナーさんの喫茶店へと移ってゆく…。そんな時代もあったそうだ。現在では信じられないような話であるが、名古屋の喫茶店文化の陰にはそうしたコーヒー屋さんとおしぼり屋さんとパン屋さんのサポートもあったということだ。

【喫茶店は面白い③朝以外も油断が出来ない。とにかくいろいろついてくる】
いまや名古屋圏の喫茶店=モーニングサービスというのは全国的に知られているが、標準的なモーニングはコーヒーにトースト+ゆで卵+サラダというのが定番だろう。その店によってはゆで卵の代わりに茶碗蒸しが付いたり、ヤクルトが付いたり、おにぎりや味噌汁、締めに昆布茶が出て来るところもある。何れもどうしてそのようなチョイスなのか、よく解らない。高野さんも営業をしている時に、モーニングにいろいろなものが付いて来るというのは解っていたが、あるとき新規のお店に取引きのために電話をしたら「ウチはあまり高いパンは使えなくて…。モーニングサービスを一日中やっているから」と衝撃的な一言を言われたという。「モーニング」というのは、文字通り「朝」のサービスだから「モーニングサービス」と名付けられているのだろう。それを一日中しているとはどういうことなのだ。それはもう既に「モーニングサービス」の概念を通り越している。現在や高野さんの「モーニング」の概念も相当崩されているのだが、調べてみると一日中モーニングサービスを取り入れているお店は愛知県下に結構あるらしい。名駅にもあるし、聖地・尾張一宮にも当然あるという。

【モーニングの発祥の地は、一宮? 名古屋?】
「モーニングサービス」の発祥には、尾張一宮説と名古屋説とがあるようだ。どちらも繊維業が絡んでいる。一宮も名古屋市の長者町も一時期繊維業で栄えたまちで、機織り機がガチャンと音を立てれば、万単位で儲かったという〈ガチャマン時代〉に、繊維工場で働く人たちが朝早かったので、「頑張れ」という意味を込めてコーヒーに玉子とトーストを付けたという。それがモーニングサービスの始まりだと言われている。加えて繊維工場の機械の音がうるさくて、会社の中では商談や打ちあわせが出来ないため喫茶店に行く…という文化だったので、モーニングでいっぱいサービスして気に入って貰えたら、その人達が一日に二回も三回も来る。なので気に入って貰えるように、モーニングでいっぱいつけた。ランチにも来てね! 昼下がりの打ちあわせや商談にも来てね! そんなふうにして喫茶店文化も、モーニング文化も根付いて行ったという。
*ほかにも、岐阜・豊橋・広島などの説もあるそうです。

【喫茶店は面白い④お帰りの際はレジ横に注目。ママさんの想い】
よく喫茶店のレジ横にコーヒー豆やお菓子が売っていたりするが、高野さんが勤められている永楽堂もレジ横商品用にラスクとか塩飴とか、クリスマスシーズンになるとシュトーレンとか、春ならば桜のケーキとか、そういう商品も扱っていたりするそうなのだが、はじめて塩飴を商品にした時に、予想外に売れたのだという。一体何が起きているのだろうと調査したところ、年老いたママさんがひとりで切り盛りしていて、お客さんも常連さんが一日何人か来るぐらいで、いつ閉めてもよいんだけどね…ぐらいのお店のママさんが塩飴をレジの横に置いたところ、お客さんが「これ、なあに?」と尋ねて来る。その度に説明すると売れる。なにか楽しくなってきた。レジ横に「飴」というアイテムがあることで、お客さんともう少し会話が出来るようになる。「こんなの置き始めたんですよ」とか「お土産にどうですか?」とか。そうしているうちにお客さんとの会話も増えて、しかも売れるから楽しくなってきたというのだ。それでママさんがちょっとやる気を取り戻してくれたりとか、「お客さんとの会話も増え、繋がりが強くなりました」という声もいただくという。喫茶店のレジ横にはそんな想いが込められた商品や、パン屋さんが作ったケーキとか、そういう意外な商品が販売されているので、一度チェックしてみて下さいとのこと。そしてそれを機会にママさんやマスターとお喋りすると、喫茶店がもっと楽しい空間になるのかなと高野さんは思っている。

【会社に喫茶店を作ろう!】
永楽堂に入社してから喫茶店への営業やら商品開発をされてきた高野さんだったが、途中である重大なことに気がついたという。いろいろな喫茶店をみてきて、自分の作りたかったのは喫茶店だと思った背景には、喫茶店がまちにあると地域のひとが自然に集まって来て自然にコミュニケーションが生まれ、ひととひとがゆるく繋がる、幸せなまちになるのではないかと考えたからなのだが、ふと会社の中を見回してみて、気づいたのだ。社員がみんな疲れている。会話が少ない。人間関係もうまく行かないことが出て来た。ならば会社に喫茶店があれば、会社のひとたちが自然に集まって来て、コミュニケーションが生まれてひととひとが繋がる幸せな会社になるのではないかと。喫茶店を作って、幸せなまちを作るといっても、会社の空気を変えられなかったら〈喫茶店の力〉なんてそんな偉そうなことは言えないよなーと気づいたのだ。そこで〈会社に喫茶店を作ろう〉と活動を始めたのだという。

【社内カフェまでの遠い道程】
社内カフェを作る、言葉では簡単に言えることでも、実際ともなるとそれはなかなか難しい道程だった。永楽堂は100名ほどの社員を抱える会社なので、社内にはちょっとしたキッチンや給湯設備の整った〈食堂〉と呼ばれている広い休憩室がある。そこは単に会議机と椅子がズラズラと並んでいるだけの部屋なのだが、その休憩室の一角にテーブルとソファをL字型に置いたのだという。喫茶店と言えばソファは外せないし、対面型では1対1の関係性が強いのに比べ、L字型に配置すると人々がゆるやかに繋がれて、自然と相席するというイメージがあるという、高野さんのこだわりだ。しかし、「休憩室に喫茶店を作ります」と言っても、「はい、そうですか」と予算が下りるわけではない。高野さんも「場づくり」の必要性を伝えきれずに「会社にカフェをつくると、売上げが上がるの?」と言われる始末だった。まあ、当たり前の反応と言えば、それはそうだろう。

【次々と現れる協力者たちの力】
それでも高野さんは諦めなかった。何とか頼み込んでソファを一脚だけ会社の予算で買ってもらった。しかし、一脚だけではL字型にならない。仕方がないので、自分の家からソファを持って来てL字に置いたそうだ。想いというものは繰り返し言うことで、誰かに伝わるものである。そうするうちにひとりの社員さんが「ウチのソファ、買い換えるから古いのでもよければあげるよ」と言って、赤くて可愛いソファを持って来てくれたという。そうして徐々に備品が増えて行ったが、テーブルも手頃なものがなかったので会社の倉庫を漁っていたら古いテーブルが出て来た。ソファとは高さがあわなかったが、脚を切断して再び溶接して高さをあわせることが出来るかも知れないという人が出て来た。そしてある年度の新人研修で「社内カフェをつくる」という課題に取り組んでくれた新人が二人いて、その新人さんがトラックを運転して木材を調達してきてくれて、ソファを動かした関係で床とか壁とかむき出しになってしまったところに板を打ってくれたりして、そうして無事にカフェスペースが完成したそうだ。

【ソファがあるだけなのに…】
それでもさすがに毎日喫茶店として営業することは出来ないので、取りあえず先ずは「場を確保」するということ。「場を用意」することから始めたのだ。それだけでも嬉しい反応が起きたという。お昼休憩の時のおしゃべりが増えたというのだ。いままでは会議机が一列に並んでいるだけで、パン屋という職業柄早い人は夜中の3時から、遅い人は11時頃までシフト制で動いているので休憩時間もバラバラで、労働時間も長いのでお昼休憩はみんなイヤホンつけて机に突っ伏して寝ている人が多かったのだが、カフェスペースが出来ただけで若い人からひとり、またひとりとゆるゆる集まって来て、そこに座っておしゃべりしたり、カードゲームで遊んでくれるようになったのだという。この場のがきっかけになり、社員同士でBBQに行くとか、ドライブに行くとか、お家で飲み会しようとか、そういう話が生まれて行っている。ソファがあるだけで、いろいろなひととひとが社外に出ても繋がり、コミュニケーションが取れているということが嬉しいことだったという。

【会話がなくても時間は共有出来る】
普段からそれほど関わりの薄い社員同士だと、いきなりその場でおしゃべりという展開にはならないのだが、ソファがあって二人でL字に座っていて、喋らないけれどゆるく時間を共有しているという空間。そうしてふとした瞬間に「今日、暑いね」みたいな。まさに喫茶店で相席をした時のような、そんなゆるく自然な繋がりが少しずつではあるけれど、生まれて来ているという。最初は座ってくれなかった人が座ってくれるようになったり、お昼休憩以外でも打ちあわせで使ってくれていたりするそうだ。

【社内カフェは知的障害者の心も動かす?】
その中でも凄く嬉しかったのは、永楽堂では8名ほどの知的障がい者を雇用しているのだが、ひとり「席」に対するこだわりが強い方がいて、いつも決まった席にしか座らないし、他人が座っていると引っ張って降ろして自分が絶対にその席に座るという人なのだけれど、その人がみんなが座っているソファに移動してきてくれたというのだ。高野さんも「えっ、みんなと一緒に座るの?」と驚いたという。いまも自分のお気に入りの席に座っているが、他人が座っていると「座らせて」と言って、一緒に座ってくれているそうだ。

【ソファひとつで、インクルーシブ?】
そのひとに限らず、以前ならば社内に障害のある方が一緒に働いていても、お昼休憩の時に一緒におしゃべりする場なんてなかったのだが、ソファがあることによって普通にみんなでテーブルを囲んでお昼を食べて、おしゃべりをすることが出来るようになって、ソファがあるだけでこんなに変わるんだと、高野さんは思っている。

【想いは伝えよ、されば奇跡は起こるもの】
そんなことをしていたら、なんと奇跡が起きた。冷蔵庫がほしいと思っていたが、冷蔵庫は新品で買うと20万ぐらいはする。しかし、倉庫の中から冷蔵庫が見つかったのである。使えるのか解らなかったけれど、汚れを拭き取り、コンセントを挿してみたら正常に稼働したのでカフェスペースに運んで使っているとか。やはり想いを誰彼問わず話していると、奇跡は起こるものなのだなと高野さんは感じている。冷蔵庫も入ったそのカフェスペースを使って、現在では月に一度自社製品のパンを用いた社内カフェをオープンさせているそうだ。一日に30名ほどの利用客だが、高野さんはご自分の夢に向けて確実な手応えを感じていられるだろう。