今月のゲストは、名古屋駅西にある多目的スペース〈サンサロ・サロン〉の代表・藤原はづきさん。藤原さんは1971年名古屋市生まれ。15年間の設計事務所勤務、またはフリーの修行時代を経て独立、2005年に〈空間工房ふじわら〉を開設。同年JCDデザイン賞に入選。店舗や住宅などのデザインを手懸ける傍ら、派遣切りで職や住まいを失った人々や、精神の不安定さを抱えて生きづらさを抱えている人たちなどへの支援にも関心をもち、2009年に〈ナゴヤ駅西サンサロ・サロン〉を開設された。お話のタイトルもズバリ『狭小空間でシェアする社会の多様性~多目的スペース、ナゴヤ駅西サンサロ・サロンが生み出すつながり』
どこの大都市の駅がそうであるように、名古屋駅にも東口(桜通口)と西口(太閤通口)とがある。東口は名古屋駅の表玄関、西口は裏玄関というイメージがあり、片や背の高い現代的なビルが建ち並び、キレイな表情をした大都市の表玄関に相応しい風景が広がっている。しかし、駅西はというとビックにカメラが来てから表向きは活気が出て来たようにみえるが、ビックカメラの周辺を除いては相変わらす裏寂れた感じがする。その駅西に猥雑な雰囲気が漂う、60年代にその名が付けられたと思わしき銀座商店街があり、その商店街の一角に多目的スペース・〈サンサロ・サロン〉がある。近くにはコリアンタウンがあり、そのコリアンタウンの若者や、野宿生活者などがよく則武公園という大きな公園に集まっては季節ごとのイベントを行ったり、、野宿生活の果てに亡くなられた方たちの追悼集会をお盆に行ったり、野宿生活者を支援している団体が炊き出しを行ったりしている。また、銀座商店街をしばらく行くと中村遊郭の建物を利用した高齢者のディ施設があり、そうした雑然とした環境の中に〈サンサロ・サロン〉はある。
藤原さんはもともと建築設計士なのだが、実はくれよんBOXさんのお二階の設計事務所に勤務されていた時期もあるので〈まちの中の居場所〉の重要性は感じていて、いつか自分も〈まちの中の居場所〉を作ってみたいなあ~と思っていたという。そして愛知教育大学の川北准教授が行っている引きこもり青年の支援活動と出会ったのと、2008年~2009年のリーマンショックを受けて多くの若者や労働者が派遣切りにあい、野宿生活を余儀なくされた社会情勢がきっかけになり、若者の生きづらさを支援したいと考えるようになったという。支援の拠点になる空間を探していたら、幸いにも理解のある大家さんに巡り会い、狭いが三階建てのたてものを借りることができた。それが現在のサンサロ・サロンである。いわゆるコミュニティ・デザインの実践ということだろう。
現在、サンサロ・サロンでは日替わりでいろいろな団体が空間をシェアしている。第2・4月曜日は、生活困難者への同行支援のSOSの会。火曜日はサンサロ・サロンの担当で、スキマ産業革命団タスカルくん、水曜日はISIS東海担当の不登校の子どもたちへの学習支援の勉強会、そして毎週金曜日には、やはり生活困難者への支援を行っている名古屋オレンジの会が担当でカフェを開いている。そのほかにも発達障がい児チームケアの学生グループ・一互一縁や、ホームレスの人たちだけが販売出来るビックイシュー名古屋ネットなどの団体が使いあっているという形だ。もちろんそのいろいろな団体を繋ぐミーティングも、毎月一度開かれている。
また、夜は夜で様々な人たちの交流の場になっている。中世の料理を作り、蝋燭の灯りの中で中世の楽器を奏でる中世サロンや、その他いくつかのサロンが行われているらしい。
言ってみればサンサロ・サロンとは、寄せ鍋的な居場所なのだ。一応運営は代表の藤原さんと愛知教育大学の川北准教授と、愛知淑徳大学の院生のKさんで行っているものの、三人はサンサロ・サロンという居場所を使いあっている様々な団体や個人の調整役で、個々の活動についてはコラボレートすることもあるだろうが、基本的にはその団体の自主性に任せているらしい。
サンサロ・サロンは今年度、独立行政法人福祉医療機構の助成を受け、地域連携活動支援事業を始めた。その事業の一環で10月に〈生活困窮者の社会的居場所と支援者育成事業〉『「生存協同組合」の創造― 共に生きるための制度・居場所・表現 ―』という厳めしいタイトルのシンポジウムを催した。
〈まちの縁側〉〈まちの中の居場所〉〈地域の居場所〉表現は違っても、社会的な居場所は今後ますます必要な社会資源として、その価値が更に認められてゆくことだろう。サンサロ・サロンが今後どうなってゆくのか、期待を込めながら筆をおきたい。
どこの大都市の駅がそうであるように、名古屋駅にも東口(桜通口)と西口(太閤通口)とがある。東口は名古屋駅の表玄関、西口は裏玄関というイメージがあり、片や背の高い現代的なビルが建ち並び、キレイな表情をした大都市の表玄関に相応しい風景が広がっている。しかし、駅西はというとビックにカメラが来てから表向きは活気が出て来たようにみえるが、ビックカメラの周辺を除いては相変わらす裏寂れた感じがする。その駅西に猥雑な雰囲気が漂う、60年代にその名が付けられたと思わしき銀座商店街があり、その商店街の一角に多目的スペース・〈サンサロ・サロン〉がある。近くにはコリアンタウンがあり、そのコリアンタウンの若者や、野宿生活者などがよく則武公園という大きな公園に集まっては季節ごとのイベントを行ったり、、野宿生活の果てに亡くなられた方たちの追悼集会をお盆に行ったり、野宿生活者を支援している団体が炊き出しを行ったりしている。また、銀座商店街をしばらく行くと中村遊郭の建物を利用した高齢者のディ施設があり、そうした雑然とした環境の中に〈サンサロ・サロン〉はある。
藤原さんはもともと建築設計士なのだが、実はくれよんBOXさんのお二階の設計事務所に勤務されていた時期もあるので〈まちの中の居場所〉の重要性は感じていて、いつか自分も〈まちの中の居場所〉を作ってみたいなあ~と思っていたという。そして愛知教育大学の川北准教授が行っている引きこもり青年の支援活動と出会ったのと、2008年~2009年のリーマンショックを受けて多くの若者や労働者が派遣切りにあい、野宿生活を余儀なくされた社会情勢がきっかけになり、若者の生きづらさを支援したいと考えるようになったという。支援の拠点になる空間を探していたら、幸いにも理解のある大家さんに巡り会い、狭いが三階建てのたてものを借りることができた。それが現在のサンサロ・サロンである。いわゆるコミュニティ・デザインの実践ということだろう。
現在、サンサロ・サロンでは日替わりでいろいろな団体が空間をシェアしている。第2・4月曜日は、生活困難者への同行支援のSOSの会。火曜日はサンサロ・サロンの担当で、スキマ産業革命団タスカルくん、水曜日はISIS東海担当の不登校の子どもたちへの学習支援の勉強会、そして毎週金曜日には、やはり生活困難者への支援を行っている名古屋オレンジの会が担当でカフェを開いている。そのほかにも発達障がい児チームケアの学生グループ・一互一縁や、ホームレスの人たちだけが販売出来るビックイシュー名古屋ネットなどの団体が使いあっているという形だ。もちろんそのいろいろな団体を繋ぐミーティングも、毎月一度開かれている。
また、夜は夜で様々な人たちの交流の場になっている。中世の料理を作り、蝋燭の灯りの中で中世の楽器を奏でる中世サロンや、その他いくつかのサロンが行われているらしい。
言ってみればサンサロ・サロンとは、寄せ鍋的な居場所なのだ。一応運営は代表の藤原さんと愛知教育大学の川北准教授と、愛知淑徳大学の院生のKさんで行っているものの、三人はサンサロ・サロンという居場所を使いあっている様々な団体や個人の調整役で、個々の活動についてはコラボレートすることもあるだろうが、基本的にはその団体の自主性に任せているらしい。
サンサロ・サロンは今年度、独立行政法人福祉医療機構の助成を受け、地域連携活動支援事業を始めた。その事業の一環で10月に〈生活困窮者の社会的居場所と支援者育成事業〉『「生存協同組合」の創造― 共に生きるための制度・居場所・表現 ―』という厳めしいタイトルのシンポジウムを催した。
〈まちの縁側〉〈まちの中の居場所〉〈地域の居場所〉表現は違っても、社会的な居場所は今後ますます必要な社会資源として、その価値が更に認められてゆくことだろう。サンサロ・サロンが今後どうなってゆくのか、期待を込めながら筆をおきたい。