ジネンカフェだより

真のノーマライゼーション社会を目指して…。平成19年から続いているジネンカフェの情報をお届けします。

ジネンカフェVOL.111レポート その4

2017-03-29 20:36:09 | Weblog
『パネルトーク』が終わり、休憩を挟んで第二部は、ジネンカフェではもう定番になりつつある『ワールドカフェ』いつもの白川陽一さんに代わり、今年のファシリテーターに〈(株)対話計画〉の三田祐子さんをお迎えしてのワールドカフェだ。

三田祐子さんは、もともと土木関係のコンサルさんなのだが、多様な人々がいる中で、〈住みやすい、過ごしやすいってどんな場なんだろう?〉と問いながら都市計画設計や測量をする一方、そこでの人々の関わりに重点を置いていることから、人にやさしいまちづくり連続講座や地域のまちづくりびと養成講座や公共施設の設計における市民との対話の場でのファシリテーターを務めるなど、限りなく現場に近い活動をされている。多様な関心を持った人々が、わくわくドキドキな場で出会い、多彩なテーマで、対話や交流をする”未来茶輪”を金山で開催するなど、いろんな”つながり”を大切にした場つくりに関心があるという。

『違いは個性、多様性の中で光る個性~みんな違って、みんないい~』というテーマにあわせて、あらかじめ対話のテーマを「多様な個性を大切にしてゆくために、わたしたちはどんな未来を子どもたちに手渡したいですか?」と考えておき、最終的には『パネルトーク』の3人のゲストさんのお話を聴いてから決めようと打ちあわせていた。しかし、加藤博子先生、竹内由美子さん、加藤真理子さん、それぞれの立場からのお話を受けて、対話のテーマはやはり「多様な個性を大切にしてゆくために、わたしたちはどんな未来を子どもたちに手渡したいですか?」に決めた。

時間的な制約もあり、存分な対話は行えなかったかも知れないが、それぞれのテーブルでは真剣な対話がなされていたようで、有意義な時間であったのではと、自画自賛している。

ジネンカフェVOL.111レポート その3

2017-03-29 20:31:54 | Weblog
『パネルトーク』ラストは、福祉相談支援の専門家でもあり、保育士でもあり、日頃から子どもたちとの接点も多いという、社会福祉法人浜松市社会福祉事業団相談支援員の加藤真理子さん。加藤真理子さんは、知的障害者入所更生施設から始まり、知的障害児者の余暇支援、就労支援、ケアホーム世話人、ベビーシッター、児童発達支援センター保育士など様々な福祉職を歴任され、現在は社会福祉法人 浜松市社会福祉事業団 浜松市発達医療総合福祉センター 相談支援事業所シグナル 相談支援専門員をされておられる。仕事以外に、障害者のアートや製品を紹介する団体OTSUに所属し、2015年にフィンランドにて展示会を行ってきたという。とにかくモットーは「思い立ったが吉日」まさに感覚で生きている人間。人と人とが関係することに最も興味を持っており、それが自分の原動力であり、ライフワークだという。

【現場を歩いて来てからの相談支援という仕事】
現在は相談支援員をされている加藤真理子さんだが、以前はずっと福祉の現場で仕事をされていて、相談の仕事をするなんて思ってもなく、また一番やりたくないと思っていたという。デスクに座って話を聴いて「ふんふん」と頷いている、動きもなにもないという勝手なイメージがあり、現場でないところなんて考えもつかなかったそうだ。しかし、たまたま最初に浜松市社会福祉事業団の児童発達支援センター(障がいのあるお子さんの通園施設)の保育士として働いていて、これもたまたま相談支援専門員の資格を取らせていただいたところで、現在の職場に移動になったという形になるのだという。自分がしてきた仕事の流れが知的障害の方の入所施設から通園施設、未就学のお子さんという現場を一通り経験させていただいたということもあって、それを踏まえた上での「相談支援」ということで〈これは流れがよいな〉と、タイミング的にもよかったのではないかと前向きに捉えているそうだ。

【相談支援という仕事】
しかし、相談支援という仕事を始めてみると、メチャクチャ忙しくて、いまの相談支援は計画支援といって、“じゃんぐるじむ“さんが使われるような福祉サービスを調整するというところでケアプランを立てさせて貰っているそうだが、利用者さんそれぞれが悩まれていることも違えば、〈こうしたい〉という要望も全然違うので、相談しに来るひとそれぞれのドラマがある中で仕事をさせてもらっているそうだ。

【相談支援事業所シグナルの理念】
加藤真理子さんが働いているところは、浜松市発達医療総合福祉センターというところで、浜松市の外郭団体なのだが、『はままつ友愛のさと』が愛称になっている。「相談支援」「医療(診療)」「通園施設(子ども)」「就労支援施設B型(成人)」の4部門あり、総合的な福祉サービスが受けられるところだ。加藤真理子さんが所属されている『相談支援事業所シグナル』には理念がある。〈ただあなたの声を聞こう 心静かに声を聞こう 一緒に語れる場所に 一緒に悩めるひとに 一緒に歩めるひとに〉ということで、忙殺される毎日を送っている。

【障害のない子どもの成長の過程】
加藤真理子さんははじめ、豊田市の社会福祉法人の入所更生施設に勤め、次に名古屋市の地域活動支援センターに勤めていた。ここでは珍しいイブニング型ディサービス事業をされていて、作業所に行っていた利用者さんを迎えに行き、夕食と入浴を提供して夜の8:30~9:00ぐらいにお送りするという仕事をされていたそうだ。夕方のアフター5というか、アフター4に出来る仕事だったので、楽しく余暇支援をされていたという。同じ会社で移動があり、日中のディサービス、就労移行支援事業所(次のステップに進むための就労支援事業所)、ケアホームの世話人を経て、この会社を退職したわけだが、福祉職とはいうものの、これまで〈障害〉のある方か、〈障害〉のある子どもさんしかみたことがないなと思い、そうではない子どもさんの成長の過程が解らなくなっている自分に気がつき(発達に障害があるかないかは1歳2ヶ月か、3ヶ月での診断で判断される)、保育士の資格は持っていたのでご縁があってベビーシッター会社にお世話になり、0歳~2歳までの健常児の保育に携わらせてもらったそうだ。ミルクを飲んでいるお子さんから、はじめて立ちましたとか、立って歩きました、トイレが成功するようになりましたとか、そういう過程を目の当たりに見せていただいて、ひとってこんなふうに段階的に育ってゆくのね…ということを知ることが出来たという。

【宣言した通りに…】
そのベビーシッター会社に就職する時に、加藤さんはそこの施設長に「私はもともと障害のあるお子さんの支援をしてゆきたいと思っていて、そのためには〈健常〉と云われるお子さんの成長の過程を知らなければと思いました。それを知った上でもう一度現場に戻りたいと考えています。その勉強をするためにここに来ました。次に行く場所が見つかれば、その時点で退職させて下さい」と正直に話をしていたという。そこで浜松市社会福祉事業団に採用された時点でベビーシッター会社を退職して、現在に至っているという。それは加藤真理子さんにとって、自然な流れなのだ。

【支援者側の想いだけではうまくいかない】
いままで働いてきたことを思い返しながら、自分の中で感じたことを幾つか挙げてみると、一つ目は「支援者側の想いだけではうまくいかない」ということ。これはもう初歩の初歩。大学で福祉を学んで直ぐに『地活』でも『就労支援型』でも働けるには働けるけれど、「福祉の店、頑張るんだ」みたいな気負いが出てくる。その気負いがくせ者で、〈誰かの支援をすることって、何かを手伝ったり、してあげるんでしょ?〉というか、「自分が何かを教えてあげないといけない。やってあげないといけない」ということで、最初の知的障害者入所更生施設では自分の想いだけを押しつけた支援をしてたのではないかと苦々しく思っているという。ご家族とはなかなか会えないし、ご本人も言葉よりも行動で意思を示すといった方たちだったので、かなり必死でその行動の意味を解ろうとしたけれど解らないという感じがあり、自分の気負いや想いだけではうまくいかなかったなあ~と、申し訳なく思っているそうだ。

【サービスはだれのもの?】
二つ目に「サービスはだれのもの?」現在支援を受ける人たちって実際の主役は誰かな?というところは、常に相談支援の中では考えられるのだそうだ。加藤さんたち相談支援員は、1歳から50歳代までの方のケアプランを立てている。ご本人と話をすることも多いのだが、お母さん方から話を伺うことがすごく多く、一つの例をあげると特別支援学校の高等部二年生のお子さんのお母さんが、いままでも放課後ディサービスを週5日間使えますということでケアプランを立てさせてもらっていたのだが、ある時「わたし、もうひとつ別の場所を土曜日に利用させていただこうと思っていて、ちょっと見学に行ったんですよ」という話を受けたという。そこはもともと通っていた放課後ディ施設とは全然違うタイプで、障害のある子のお母さんが立ち上げられた事業所で、〈その人はその人のままでよいじゃない。好きなことを好きなだけやればよいよ〉という感じの施設だったから、いままで積み上げてきた療育や教育が崩れてしまうのでは? と、学校も、もともと通っている放課後ディ施設の方たちも凄く心配されていたが、加藤さんはご本人が高等部を卒業するまでにそういう事業所を経験できるってプラスになると思って、「利用してみた感じ、また教えて下さいね」と言っていた。そのお子さんは色水を作ったり、クレヨンが大好きで絵を描いたり、ものを作ったりする子だったのだが、新たに通いはじめた放課後ディ施設ではそれを自由にやらせてくれるのだ。楽しくない筈はないだろう。しかし、学校やもともと通っている放課後ディ施設で同じことをするかといえばしなかったそうだ。つまり周囲の心配は杞憂に終わり、それまで学校や放課後ディ施設が培ってきたものは崩れていなかったのだ。というか、その人はその場その場で〈してはいけないこと〉とか〈してもいいこと〉をわきまえられるほど、しっかりしていたのであろう。

【本人が何をしたいかで、その場所を選ぶ】
そのお子さんが新しい放課後ディ施設に通い出して、加藤さんはその子のお母さんの変化に気がついたという。いつもは一時間面談して「〇〇(もともとの放課後ディサービス)に通われて、〇〇くん、どんな様子ですか?」と尋ねても、一言二言「うん、いつもと変わらない感じだねえ~」という感じなのだが、その子が新しい放課後ディ施設に通い出してからというもの、そのお母さんがお子さんの様子を「こんなこともした」「あんなこともやらせてもらった」「本当に楽しそうで…」という感じでよく話してくれるようになったのだ。それを加藤さんが指摘されると「あっ、そう」と自分でも驚いたリアクションだったという。いままでは他の兄弟姉妹もいて、その子にばかりかかりきりになるわけにもいかず、放課後ディサービスを使わざるを得なかったこともあるのだが、それはその子のためでもあったかもしれないけれど、自分のためという意味あいの方が強かったのではないか? でも週一度のその新たな放課後ディサービスは、完全に子どものために選択したんだと自分でも気づき、加藤さんにもそう言ったそうだ。加藤さんにとっては、やはり〈本人が何をしたいか?〉で、その場所を選んでゆく…ということは、こういうことなのではないかと、改めて教えていただいたというか、お母さんと共有出来た事例だという。いまはサービスありきの世の中になってきているけれど、〈誰のために、どんな場所を選択するか?〉は、加藤さんを含めて福祉相談支援員の方たちの大事な部分ではないのかと痛感しているそうだ。

【子どもを取り巻く役割分担】
支援をされている方たちって一生懸命されているのはわかるのだが、〈自分たちのところで何とかしなくては…〉という想いが強くて、それは素晴らしいことだと思う反面、その子の全体像がみえないと独り善がりな支援になりがちだという。加藤さんも施設の職員だった時はその場所の、その時間でしかその子がみられないので、その時に何とか頑張ろうと思うのだが、その子が他に関わっているところってあるのだろうか…全くみえていなかったとか。たまたま現在の職場が医療・福祉の総合的な施設なのでケース会議も頻繁に行っているし、関係機関と話しあって〈自分たちは何が出来る?〉〈自分たちが出来ることはして、後はお任せしましょう〉というような役割分担をした方が、それぞれがそれぞれの専門性を出しあった統合的な支援が出来るのではないかと思っているそうだ。

【生育環境の大切さ】
子どもさんを取り巻く生育環境も大切で、例えば障がいがある子は薬を飲んでことが多いので、学校の先生などは「薬を持たせて下さい」とか「お医者さんに薬を出してもらって下さい」とやたらと〈薬〉に拘るそうなのだが、ドクターに言わせると〈薬〉というものは対処療法に過ぎず、それとあわせてその子がどんな生育環境に置かれているのかを探り、それに対する支援をしてゆかないと、薬だけでは結果は出ないということだ。周りがその子をどういうふうに捉えるか、解りやすい提示が出来るかを、加藤さんは毎日感じているという。



【発達の段階を知っておく】
加藤さんも〈いわゆる健常児といわれるお子さんの育ち方〉を実地によって学んだように、ご本人が現在どんな段階にいて、どういうことが理解出来て、どういうことは難しいのかという質問を相談支援の中でお母さんにされているそうだ。「(本人に)何度も何度も言っているのに解らないんです」と言われるお母さんが多いそうだけれど、言葉の理解が難しくて行動で示さなければ伝わらないお子さんだったりすると、お母さんに対して「言葉ではない部分で伝えていかないと解らないよ」と諭したり、先ほどの加藤博子先生の〈褒め褒め(リフレーミン)〉で「この子、こういう部分があるんですけど…」と、どうしても課題の部分がたくさん出るのだそうだ。「でも、逆に言えばこういうことだよね」というふうに言い方を変えて「ここはこういう風に思っているのではないですか?」とか「悪戯して悪いことをしたいのではなくて、お母さんこっちをみて、みてと言っているのでは? それがそういう方法を採っているだけで、お母さん、僕のことを解ってよと言っているのではないのかなあ?」と伝えているとか。

【褒めるのも難しい】
相手を褒めるという行為も難しくて、褒めどきとか褒めるタイミングとかみたいなものがあって、難しいとお母さんたちがよく言われるのだが、日本人の気質なのか褒めるってなかなか難しくて、大袈裟に褒めるとわざとらしくて、自分が恥ずかしくなってしまうけれど、子どもさんが少しずつ何かを達成してゆく。大人としては何年生だし、男の子だし、女の子だし、出来ていてほしいなと思う気持ちも大事なのだが、いま子どもさんがそれに向かってちょっとずつ階段を上っているよというところに関して、〈いま上れたんだけど…〉と誇らしげにお母さんをみるんだけど、出来て当然みたいな反応をされると、ご本人はものすごく悲しいので、そういう細やかな目線でお子さんの成長を見ていっていただきたいと、加藤真理子さんは思われている。

【ひとの想いに寄り添う】
加藤真理子さんは相談支援員として、ご本人やご家族の想いに寄り添ってお仕事をされているわけだが、ご家族もご本人をどうみているのか? どうみていくのかというところも、相談支援員としてお伝えしているという。

【子育て、発達支援とは】
加藤さんが勤める浜松市発達医療総合福祉センターには診療所もあるので、どういった障害をもったお子さんですという情報は、加藤さんたち相談支援員にも入って来る。けれどそれは基本的にそういう特質が疾患としてはあるのだけれど、その子としてはいまこういう段階で、ここを頑張るところですよというところをみているのだそうだ。保育士さんと一緒に保育園や小学校にお母さんたちから依頼を受けて訪問することがあるとか。訪問して先生からお子さんの状況を訊いたり、相談に受けたりして「このお子さんはこういう段階なので、こういうふうな声かけだと本人に解って貰えないから、こういう形に変えるとよいですよ」というようなリフレーミングを先生たちに対して現場でされることもあるそうだ。また、頑張っているのはお子さんだけではなくお母さんやお父さんたち、ご家族も同じなのでご家族に対しての評価も大事にされているという。医療関係者はよく「数値で出せ」とか「数値にしなければわからないよ」と云われることが多いそうだが、加藤さんの知りあいに竹内由美子さんの話に出た山元加津子さんがやられている〈指談〉を、言葉のない重度のお子さんが19歳の時に取り入れたら、それが見事にはまってその子は筆談するようになったという。ホワイトボードにいろいろなことを書くそうだが、出て来る言葉が竹内さんの息子さんみたいに凄くきれいで、世の中で起こっていることも全て解っているし、特別支援学校では〈型はめ〉とか〈玉転がし〉しかしてこなかったのに、妹さんがテストの素因数分解の問題をホワイトボードで書いていたら、その問題を普通に解いたという。我々が捉えていると思っていることはその人のほんの一部分でしかなくて、その目に見えている部分だけで判断しがちだけれど、それは受けて側の捉え方によって変わるのだということを、加藤さんは彼によって教えられたという。その彼がある時急に「駅」へ行きたがった時があり、お母さんたちは〈出かけたいのだな〉と思っていたら、兄弟姉妹が好き過ぎて帰って来るのを家の中で待っていられない。だから駅に行きたかったのだということが、その筆談をするようになってわかった。つまり彼の気持ちは、お母さんたちの思い込みとは違っていたというわけだ。直ぐにパニックを起こすのも、単にホラー映画が怖かっただけだったとか…。感じていることは我々と変わらず、いまでは彼を中心に支援会議が開かれて飲み会もして、てんかんも持っているのだが、自分で医師と筆談で相談して薬の調整をされているそうで、本当に驚かされるという。お母さんもそんなふうにコミュニケーションが取れるようになって嬉しいと言ってみえ、加藤さんたち支援者側もひとりひとりにあったコミュニケーションツールを発見し、取り入れたいところではあるが、なかなか難しい。どうしても一般的なコミュニケーションの方法を使わざるを得ないところもあって、最大公約数の人たちにあわせた形で「この中で生きて下さい」という感じ。でも、そうではない場所、そうではない方法で拡がって行くことも、加藤さんは目の当たりにして自分の支援に対する考え方も変化してきたのだという。