JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

GET UP MY SOUL

2009年12月29日 11時14分00秒 | 本と雑誌
ん?『桜桃忌』ちゃうのん・・・ははーん。また例の中折れやな(笑)。 という反応なら良い方で-ああ、そんなん書いとったなぁ。もう内容忘れてしもたわ。ぐへっ。

沈黙を続けていると、こういう状況になりかねませんからね。続けてサマになるのは、スティーヴン・セガールくらいのもんで。いや、それだって限度があるでしょう(←こら)。という訳で? 年越し前に戻って参りました。(*^_^*)

今年はね、あまりエッセイを生み出せなかった。みなさんとの交流も、活発にはいかなかった。コラボやったり、お題を振ったり、個性的なメンバーが集う’じんちゃん野球部’ならではの企画を、考えていたのだけれど。かけ声のみで終わってしまって、ごめんなさい。

その代わり、リアルの世界で活動していました。実家のこと、地域のこと、いろんな出来事が降りかかってきた一年で、慌しかった~。兵庫の実家と愛知の自宅を、行ったり来たりする二重生活・・・移動の新幹線で、プシュ~ッとビール缶開けてな。膝の上には、売店で買った’週刊SPA!’。これ唯一の楽しみで。オヤジか。

生活に支障が出る程、父の具合が悪化したのが去年の末。「歩こうとしても、膝に力が入らんようになってな。入院や。」この言葉の後、寝室のある二階へ上がることは、もうありませんでした。昨日まで当たり前の状況が、ある日を境に存続できなくなる。父の姿を通して思い知った。欠けてみて、ようやく気付くありがたみですね。短期の入院に、ホッとしたのも束の間、最後の日に医師から告げられたのは、父の体がこれからたどるであろう道のりと、「桜の咲く頃まで・・・どうかな」という余命。残された日々に、何をしてあげられるだろう。どんな助けが必要だろう。考えて動いてみたものの、心のケアはというとねぇ。(-_-)この期に及んで優しくするのも何だかなーって感じで。父にしてみれば、物足りなかったかもしれません。

そんな中、地域の役員を引き受ける機会が訪れました。笑わないでね。じんちゃん、チビっ子たちと、活動しています。 地元行事が絡めば、親子共々多くの人に動いてもらわなくてはならず、準備段階から当日まで、気の休まる時がない。夏の日帰り旅行、秋の区民運動会。行事を一つ終えるごとに、反省することしきり。客観的に見てこうした方がいい、というのはわかっているのだけど、実践は難しい。ああ、やはり私は使われる側の人間だ。その方が向いている。骨身にしみた。トホ~

それでも、こうした活動から、元気をもらうことがありまして-幼稚園年中のチビちゃんがね、ウォーキングで5キロを完歩。 初挑戦で、にこやかに、歩き通しました。運動会では、最年少のリレー選手を務めてくれた。彼の頑張りは、その後を継いだ小学生、中学生、さらには大人へとつながり、例年下位を彷徨うチームが、上位でゴール。これは嬉しかった~。参加希望者の交渉&調整。出場メンバーが決まるまで、いろんなドラマがあるだけに、それが花開いた時には、喜びもひとしおです。じんちゃんも、競技に参加したよ♪はいつくばって、ネットをくぐり、はしごをくぐり、ダンボールをくぐり-’ぶはは。その人生と一緒やん’って、やかましいわ。 このテーマをBGMにしたいところ。大洋ホエールズ時代のパチョレックか!

https://www.youtube.com/watch?v=CjF8sjuPLxU

忙しさに紛れ、父が亡くなっても、その死を悼む余裕は、ありませんでした。母の生活を支えていく基盤づくり、相続手続き・・・ 現実的な業務を粛々とこなし続け、涙を流す時間も与えられない。人の死って、そこで終わりじゃないんですね。それでも世界は、回っていくから。ただ純粋に、父を想って泣きたい。そんな感情も、心のどこかに存在しています。きちんと父をおくれる日は、もう少し先かしら。

優しい気持ちになりたくて、読み聞かせを始めました。娘向けにと手にしたのは、『あしながおじさん』。いつしか私の方が惹き込まれてた。’身寄りのない少女が、ある資産家の目にとまり、大学進学の援助を受ける’という内容は、記憶にあったものの、改めて読むと深い。最終的に幸福を手にするので、一種のシンデレラストーリーと言えるでしょう。が、好意に甘えているだけではない。期待に添うべく努力もするし、受けた援助は返したい、世話になるばかりは嫌だよ! そんな気骨が、主人公のジュディーには、あるのです。そうして、あしながおじさんのあり方も、考えさせられるんだなぁ。

おっかなびっくり経験を重ね、世界を広げていくジュディーを、最初は余裕カマして眺めていたと思うんですよ。それが次第に -よちよち歩きの、かわいいひよこちゃんが、自らものを考え、行動に移すようになると-複雑な心境へ傾くのかな。過度の愛情で囲い込んだり、しつらえた枠組みの外へ羽ばたこうとする彼女を、けん制したり。’どうか私を甘やかさないで。自立させて。’ そんなジュディーの心情と衝突しながら、そこから何かを汲み取り、彼自身も、変わっていくのでしょうね。あしながおじさんのLOVE。それは、一人の少女の中にある才能を信じ込める力。彼女を不幸なお姫様にしておかない、彼の心意気は、好きだな。

「おじさん、わたし、幸福になるひけつを見つけたんです。それはね、今を生きること。すんだことにくよくよせず、さきのことを思いわずらわず、今このときをせいいっぱい生きることです」ジュディーの言葉を胸に、私も頑張ろう~♪彼女と同じく書くことが好きな、ナンチャッテ少女のじんちゃん。来年の目標は・・・あしながおじさんを見つける!!ステキなおじさまに出会えるよう、日々精進致します。かしこ。

https://www.youtube.com/watch?v=0DdgfCKUMyY


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「うん、うちもね、 (じんちゃん)
2014-09-09 15:39:52
「うん、うちもね、
あんな放蕩おやじだったけど、
ときどき、おもいだしては、
なんだか、さびしくなって、泣いてしまうときもあるんだ・・・・
しょうもない親父だったけどさ。」 (BY チヤさん)

「幼稚園のオチビちゃんが5キロをどれぐらいの時間で完走したのか教えていただけませんか?
教えてくれないとナンチャッテ少女に中出ししちゃうぞ!」 (BY にゃごさん)

「2時間くらいで、ゴールだったかと思います。
秋のウォーキングでは、3歳の女の子も、完歩しました(時間はかかってるよ)。
’大丈夫かしらん’途中から3キロコースへ誘導しようとしてた自分が恥かしい。」 (BY じんちゃん)

「いろんな感情、気持ちが交錯した1年だったのかもしれませんね。
日々の生活の中で生まれるものや考えること
悩み苦しむ時期もあり、成長していくのでしょう。
そんな中、家庭の温かさに癒され、
今日もがんばっていけるよね」 (BY なおさん)

「過去のくちこのような・・・
三〇歳の時、父が他界、残された母と二人三脚で諸事雑事をこなし、
母の苦手な手続き事に奔走し、母の暮らしが立ちゆく確認。
八,六,三歳の我が子を抱え、各種役員も背負い奮闘しましたよ。
父は何度も夢枕に立ちました。
’まだ、死にたくなかった。’と・・・」 (BY かずこさん)

「似た環境の方って、必ず いらっしゃるんですよね。
各種役員を引き受けられている方、お仲間さんに何人かいらしてー
日記でそういう記述を見かける度、’私も頑張ろう~’という気になったものです。」 (BY じんちゃん)

「’いつまでも少女のようで’と言葉を残し
逃走したじんちゃんを発見!(笑)

いろいろあったんだね。
忙しく動いている時間はそれなりに流れてしまうけど、
人は気持ちの持ち方で、時間の流れ方を変える事が出来るから・・・
じんちゃん、応援してるよ。」 (BY みーちゃん)

「見つかっちゃった(笑)。
うん・・・ 心の余裕をなくしてしまうのは、嫌だな。
そうなる前に、私は本屋か映画館へ、エスケイプしちゃうの!」 (BY じんちゃん)

「Netの世界でも
リアルの世界でも 
じんちゃんは頼りにされちゃうんでしょうね^^

そそ、、、
天狗も’あしながおじさん’になりたかったです

でも・・・足が短いんだよねぇ~~~~(爆)

短足おじさんは
やはりイメージ的も
ジュディーの支えにはならないもんね^^; 」 (BY 鞍馬さん)

ちなみに2014年現在も、あしながおじさん募集中です♪

2009年、Cafeでは10編のエッセイを書きました。
リアルでもネットでも、いろんなことがあって、量産することはできなかったけど、
一つ一つのエッセイに、ものすごく思い入れがあります。

この年の目玉は、やっぱりギャツビイくんとの創作「ti amo」かな。
裏話は「山猫軒」でも描いておりますが、年明けから少しずつ積み上げていって、公開できたのが3月。
その間、上手く噛み合わなかったり、不穏な空気が漂ったり。
未だに、完成形までもっていけないことが多い私でしょう?
コラボなんて共同作業、よくできたなぁと。
同時更新で周囲を驚かせようという、秘密裏プロジェクトでもありましたし。

じんちゃんのエッセイでは、描き辛かったこと・・・
彼の肩を借りる形で、表現しました。
私=じんちゃんとダイレクトに結びついてしまう環境では、なかなか跳べないんですよね。
ワンクッション置きたかった。気休めかもしれませんが(笑)。

ある晩、ギャツビイ版「ti amo」のラストシーンを、どうするかで話し合っていたんですよ・・・

「男がズルくなってしまうけど、仕方ないですね」
「ちょっと待って・・・」 ズルくならない可能性を、私は探る。
そうして、稲垣潤一の ’クリスマスキャロルの頃には’ の歌詞になぞらえ、こんな別れの状況を提示した。
’この手を少し伸ばせば届いていたのに 一ミリ何か足りない愛のすれ違い’

「うーん」 しばしの沈黙の後、吐き出されたのはこんな言葉だった。
「癒しは、所詮 癒しです」
自分の甘さと愚かさに、どうしようもない想いが込み上げてきて、その後トイレで泣いた。
(それが、過去の恋の結末に対する答えだと悟ったから)

翌朝、気を取り直して書き上げたのが、じんちゃん版「ti amo」のラストシーンです。
当時たった18歳の少年。
が、痛いところを突いてくるのよねぇ。(~_~)
「どちらのラストでもお好きなように」と言って、送られてきたのは、ギャツビイくんが提示していたものでした。
どうしても譲れなかったのだと思うし、私もそうして良かったと感じています。

ギャツビイ版のラストシーンについては、彼の目論見通り?最初「男はズルい~」という意見が
挙がっていたのですが、そんな中izumiyaさんから、はっとする見立てが出て来て、面白かった。
「みんな男がズルい、男がズルいっていうけどサ、私は女の方がズルいと思う。
だって、笑顔でサヨナラされたら、男はその女のことを忘れられなくなるじゃない?」
返信する
’桜桃忌 外伝’のコメント欄で、後半展開された動物... (じんちゃん)
2014-09-10 10:45:58
’桜桃忌 外伝’のコメント欄で、後半展開された動物占いを、こちらに記載します。
いつしか恋バナにもなってたりして。

「私は、フットワークの軽いコアラやった(笑)。」 (BY じんちゃん)

「私は、さびしがりやのひつじだったよ。当たり!
しかも、ねっこで計算してるから、騙されないんだって。これも当たり!(ヤバィ」 (BY チヤさん)

「感情的なライオン。
キミは率直で生真面目に相手にぶつかっていくタイプ。だから思ってもいないことを、
たとえお世辞でも口にすることなんか出来ません。でも誉め言葉に弱く、コロッとだまされたりする面も。
お世辞か本心かキチンと見分けられないから、マヌケな勘違いの恋をしてしまう可能性もありがち。
リーダー体質のキミをうまく支えてくれるタイプの女性なら長続きしそうです。」 (BY ずとさん)

「meはね・・・ズバ抜けて優れた直感力で人を見る目は確か。相手の心を素早く見抜き大胆に迫りまくり
彼のハートをゲット。でも、その一途さから振られると不幸のどん底。なんでわかるねん。」 (BY じんちゃん)

「どっしりとした猿でした。
キミには生まれながらの鋭いカンが味方してくれるので、それを信じれば、恋も絶対うまくいく!
多少の失敗があっても平気。それもいい経験になって何もかもスケールアップして返ってきます。
ただし注意すべし点は、彼女の思いのこもったプレゼントや心づかいに無駄が見えると、心なく軽んじたり
してしまうところ!慎重さや粘り強さを身につければ、もっと素敵な人になれるハズ!」 (BY ギャツビイくん)

「当たってる気がするんだけどー ん? 私って、軽んじられていたのねむ。
バカバカ! ギャツビイくんのバカ!・・・って、コントかい(爆)
冷たく突き放した方が効果的なのはわかってるけど、そんなんキャラちゃうしな。
うんうん。素敵な男性になってネ。」 (BY じんちゃん)

「あたしも軽んじられてたの!?(泣
じんちゃん、オトナやな。
>素敵な男性になってネ
って、言葉は、私には、出えへん。なんだか、くやしくて(やきもち焼きやねん)」 (BY チヤさん)

「あたしもついでに軽んじられてたの???
そじゃなくて、
お世辞だろうが、本心だろうが、褒められて伸びるタイプだけど、恋はしないよ。
俺、ものすごく慎重だから?」 (BY ずとさん)

「いや、ここではリリースして、しっかり実が詰まったところで、最後にもってこうという腹黒い算段です。
山猫軒か!マヌケな勘違いの恋は、私かもしれない。
ややこしい行動をとる人、おるやろ~? ’お前のことじゃ!’って一斉に思われてへんやろな。
ヘルメットかむっとこ(←叩いてかぶってジャンケンポンか)。」 (BY じんちゃん)

「経験を通して、慎重になっただけかも?
枯れてるだけだったりして・・・(涙」 (BY ずとさん)

「私の場合、慎重というより臆病なだけだったりするけれど。
おそらく、人を信じることも難しくなってると思う。」 (BY じんちゃん)

「切羽詰ってないだけかもよ?結構、根っこでは信じてるし、信じたいものだと思う。
内側に招き入れる程の信頼には、慎重であって、当然だと思うけど。」 (BY ずとさん)

「私は元々、猜疑心が強いのかもしれない。リアルが幻想に負ける経験を繰り返して、さらにヒドくなった。
でも、信じなければ報われないしね・・・」 (BY じんちゃん)

「ともかく、天秤にかけるものが、大きくなって、判断する材料も多くなってるから、
簡単には信じられないし、愛せない。」 (BY ずとさん)

動物占い、当時流行ってましたねぇ。
不思議と、それぞれが当たってる!と自己申告していたのが、印象的でした。
最後のずとさんの言葉が、ストンと腑に落ちるようになったのは、最近かもしれません・・・
「私のような年になると、女はとっても疑い深くなるわ。」
林真理子さんの小説(「秋の森の奇跡」)にも、こんなセリフが出てきますが。
つくづく、私ってトロいのよねぇ。。。(←お仲間さんの言葉が到達するまでに、何年かかっとるねん)









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