主の平和 

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私たちに与えられた光  アドベントに向けて

2016年11月26日 | 日記
11月20日

主のよって連なる兄弟姉妹へ
今日、私事で、共に聖餐式にあずかることができず、非常に残念に思っておりますが、皆さま一人一人に思いを馳せ、祈りを捧げております。
14日月曜日、私は仕事の後にセントポール大聖堂のEvensong すなわち夕方の祈りにTさん、Kさん、Cさんと共に参加しました。大聖堂では、週日三回の礼拝が守られ、その中で、世界のあちこちにある英国教会そしてロンドン教区内の教会と支援団体を覚えて順繰りに名前が読み上げられます。毎年一回、私たちのグループもSt.Martin’s教会の名前と共に読み上げられ、事前に素敵なカードによって通知がされます。これまでは仕事の関係で参加できませんでしたが、今月末Lay MinisterとしてCommissionされて5年となりますので、出席させていただきました。教会の名前とニック司祭や他の信徒奉仕者の名前と共に私の名前もよまれ、祈りがささげられた時に、見えない聖霊の力がそそがれたように励ましを得られました。不思議に本当に穏やかで、平安な思いと共に力強い力が注がれたのです。

今思うに、翌日早朝に日本の家族の緊急の知らせが入ってから本日に至るまでの緊張したスケジュールをこなすことができたのも、セントポール大聖堂でのEvensongでの祈りを通して得られた力があってこそですと言えます。

今、突然の出来事で家族にとって、大きな試練が与えられています。皆様のうちにもご経験があると思いますが、生きていると予想できない出来事は、誰にでも、起こることですね。予想できない、信じられない、悪夢のような恐ろしい体験は、足元がぐらつくような地震であり、嵐の中の小舟にいるようなものであることがあります。先の見えない、真っ暗な中に放り込まれるような思いとも言えます。辛く、苦しいことですが、私たちには、試練を乗り越えられる力が、神様から与えられていることをいつも覚えたいと思います。

以前にも紹介しました「イエスの言葉 ケセン語訳 山浦玄嗣―」の本の中に、ヨハネ1章1節から5節までの言葉が紹介されています。「初めにことばがあった。ことばは神と共にあった。」と始まり、「―― ことばの内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解していなかった。」。

山浦氏は、その箇所を旧約聖書の創世記第一章1-3と対照しながら、説明します。「初めに、神は天地を創造された。地は混とんであって、闇が深淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてを動いていた。神は言われた。「光あれ。」
山浦氏は、創世記の言葉もヨハネの言葉いずれからも、『「神様の思いにはあらゆるものを幸せにピチピチ元気に、活き活きと生かす力があった」と訳します。「それなのに、人間は心の目を閉ざしてその光を見ようとしないのだ」とヨハネはつづけている。この世は闇だといわずに、目を開けてよく見れば、元気を与えてくれる神様のやさしい思いがまぶしいほどの光になってあなたがたを照らしているのが分かると語ります。』

教会の暦では、来週11月26日からアドベント イエスさまのご降誕を待つのぞむ時期が始まります。イエスさまを通して私たちに与えられた「光」は、どんな闇をも打ち負かす力であり、それは私達一人一人だれにでも与えられた「光」であることを覚えて、祈りを通して、このクリスマスの時期に再度ご一緒に確認したいと願っています。
主のみ守り、そしてみ力が皆様と共に与えられますように

11月20日 ジョンソン友紀 


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