主の平和 

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日本語英国教会の3月の礼拝のお知らせと 東日本大震災追悼に寄せて 

2019年03月15日 | 日記

日本語英国教会の礼拝

2019年3月17日 (土曜日) 午後3時から 5時まで
St Martin's West Acton 

   「教会に聞く」から 信徒信経と二ケア信経って? 読書会30分
    
    夕の礼拝  司式と分かち合い  ジョンソン友紀 Commissioned Lay Minister
 
    ティータイム -- 交流の時を持ちます


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  日本語英国教会のニュースレター 第105号 から

東日本大震災から9年目へ

主教 加藤博道(日本聖公会東北教区)


皆様からお招きを受けてわたしが英国を訪問し、ロンドンのサザーク大聖堂やいくつかの教会で大震災のお話をさせていただいたのが2014年、大震災3周年の年でした。それから5年を経たことになります。この間いつも皆様からお祈りとご支援をいただいたこと、何よりも憶え続けて下さっていることに心から感謝を申し上げます。あれから5年が経って「もうすっかり状況は良くなりました」とご報告出来ればよいのですが、正直そのようには言えません。「少しは改善されてきた部分」と、しかし「やはり難しい状況の中にある」と、言わなければならない面が多くあります。海沿いの地域のかさ上げ工事は確かに進んでも、まだどう見ても人の生活圏とはなっていない場所も目立ちます。学校を再開したけれども「児童戻らず休校へ」「まち再建多難」といった新聞記事も目につきます。むしろ今になって新しい指摘も出てきます。津波の水がただの水ではなく大変な有害物質を含んだ「真黒な水」で、体内に入った時にいかに深刻な影響を与えるか等です。傷ついたものが回復するというのは、本当に大変なことなのだと思わされます。
先日、神戸に伺う機会があり、小林尚明神戸教区主教に神戸聖ヨハネ教会(神戸市須磨区)にご案内いただきました。25年目を迎えている阪神淡路大震災の激甚な被害を受けた地域の教会です。礼拝堂にはいった途端に、祭壇の背後にある「祭壇画」というべきでしょうか、ほとんど壁一面の大きな絵画が目に飛び込みました。絵の上部の方は聖書的な題材です。「5000人以上の人々への給食」、『ヨハネ黙示録』の白い衣の大群衆や神の子羊の姿。しかし絵の中ほどには阪神大震災のあの時の様子が描かれていたのです。倒壊した高速道路、家々、仮設住宅の様子、炊き出しのような様子、半壊した教会の前には仮設のお風呂が用意されている様子等々。衝撃でした。甚大な被災地の只中にある教会が、信仰の事柄として阪神淡路大震災を記憶し記念し続けている姿でした。まさに「信仰の事柄」として、聖書の語る事柄と、自らのとくに苦難の経験を結び合わせていくこと、それはとても大切なことだと思いを新たにしました。

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皆様からいただいたメッセージ (個人情報を守る為に省略したものがあります)

あの日あの夜 満点の星空で綺麗だったけど、これからどうなるんだろうと恐ろしい気持ちでいっぱいでした。
そして津波から避難した会社の屋上がとても寒かったことを覚えています。

大地震の後は全ての工場や人間が動かしている人工的な物が
全て停止してしまうので風や鳥のさえずり以外のサイレントノイズが全て消えてしまいます。
震災の日はその怖くなるような静寂を体験しました。
でも、太古の昔はこの静寂と夜には満点の星空があったんだと思います。
現在のような騒々しくて星もほとんど見えなくなってしまったのはここ数十年だけのことだと思います。大震災の後に現れた静寂と星空は人類に対する神からの警鐘だと思えてなりません。

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3月11日 福島県の磯山聖ヨハネ教会で聖餐式、旧教会跡地の祈りの庭で、2時46分を中心に震災の祈りがありました。
礼拝参加者は、ほとんどがご家族、親族を亡くされた方々です。
礼拝の祭壇に野生の椿と梅を活けた方も、必死で津波から逃げていきのびました。

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日本聖公会では東北教区はもちろん、東京教区でも聖アンデレ主教座聖堂で3/11午後2時46分に「同じ時、想いを一つ」に、皆で祈りを捧げました。
  
イングランドでも覚えられていることに感謝し心を熱くしました。

添付のニュースレター3月号もありがとうございました。加藤博道主教の「東日本大震災から9年目」読ませていただきました。東日本の傷ついたもの(心も体も)回復することの困難さを痛感しました。同時に25周年の阪神淡路大震災を振り返り神戸聖ヨハネ教会の「祭壇画」を見て、甚大な被災地の只中にある教会の信仰の事柄として記憶し、記念し続けることに胸打たれた加藤主教の感性に感銘を覚えました。「信仰の事柄」として聖書の語る事柄と、自らの苦難の経験を結びあわせていくことの大切さを学ばされました。
 
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今年3月11日の朝に、東京では大きな虹がかかりました。
母子家庭の家庭訪問をした時のことです。お母さんに声をかけて、一緒に見ました。
二人で、虹の大きさに感激するとともに、震災の日に虹がでたことの意味にも感慨深く話しました。
お母さんは、先週、津波の被害があった九十九里浜の方に旅行に行ったそうです。まだ、行方の分からない方もいらっしゃるとかでした。それなのに、従業員の方に宿泊客が笑いながら津波のことを話しているのを聞いて悲しく思ったと聞きました。

遠く英国からに祈り、ありがとうございます。

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いわきの避難所であった方を思い出しています。
制服を着ていた女の子と男の子がいて、それが唯一の洋服だということでした。「支援物資の中にお身体に合う物もあるのではないか。いつも制服では疲れるだろう」みたいなことを言いましたら、小さな声で、主人が原発に勤めている、だから……と後を飲み込まれました。

福島では原発がいい就職先、嫁に行くならアソコに勤めている人に嫁げ、と言われていた職業だったそうです。

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平和を祈ります。殊に東日本大震災で命を失った方たち、ご家族、
被災された方たち、故郷を離れなければならない方たち、放射能に
よる不安の中に方たち、一人一人が神さまの愛の中で支えられ、
守られますように祈ります。

ニュースレター105号をお送りくださり、感謝致します。
加藤主教さまのメッセージが胸にぐっと来ます。
東北の地の人々を忘れないでいたいとわたくしも思います。

みなさまが「忘れないこと」を決意して、追悼礼拝をされていることを思うと胸がいっぱいになります。「復興」から取り残されている人々がおられます。
自分たちのことなど行政も社会も忘れてしまったと感じている人々が
おられます。忘れないよと、いつまでも憶え続け、祈り続ける人がいる
ことは、「愛」の存在を知らせることになるでしょう。

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日本では、地震以来様々な形での支援活動がありましたが、このような遠いイギリスにおいても、忘れずにお祈りし続けてくださっていることを知り感謝ばかりです。あの日一歳になったばかりの次男をおんぶして、2人の子どもたちの手を引いて7階の自宅から階段で避難したことを思い出します。本当におそろしい体験でした。私たちと比べものにならないくらい大変な体験をされ、未だにその中にある方々のお慰めをお祈りしたいと思います。

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最後に 日本聖公会東京教区の高橋主教さまから

  海外でもお祈りを捧げてくださっていること、一人の日本人としましても嬉しく、感謝です。
  3月11日は、主教座聖堂で礼拝を捧げ、説教をいたしました。


  これからも祈りの繋がりの内にあることを感謝し続けたく存じます。
  皆さま、どうぞお大事にお過ごしください。


以下は富岡秀さん3月10日撮影の写真









東日本大震災を覚えて ロンドン 追記 その1

2019年03月13日 | 日記

2019年 3月10日 We Won't Forget You 
東日本大震災の犠牲者、愛する方を亡くされた方々、今も困難な生活をされている方々、
心に重荷を負われている方々を覚えて 祈り続けます。

当日 日本聖公会東北教区の支援室で 奉仕されている渡部さんの許可をいただき、
教区報の寄稿を 展示しました。


震災から8年に想うこと             渡部さんから

《2534人》* この数は東日本大震災において未だに行方不明となっている方の数です。
「もう八年も経っているのだからもう何も発見できないだろう」と思っていました。しかし、昨年十二月に宮城県気仙沼の海岸の一ヶ所から約百片の遺骨が発見され、DNA鑑定の後、遺族の元へ引き渡されたのです。このニュースが流れた時に、自分の行方不明者に対する思いが薄れていたことを反省し、まだまだ諦めてはいけないのだと思いました。

被災後から現在まで支援室の仕事として、お買い物支援(宮城県名取市閖上)とお茶会(福島県新地町の二カ所)を行っています。お買い物支援の車の中やお茶会の会場で被災者の方々の生の声に触れるのですが、その中の話題の多くは、知り合いの方々の消息です。知らない間に亡くなってしまった人、遠くへ転居してしまった人のことなど、被災前近所で共に暮らしていた人達の消息がとても気になられているようです。
また、仮設住宅から災害公営住宅へ移転された方と、そうでない方の格差もたびたび話題になっています。タイミングが合わずに災害公営住宅へ入居できなかった方の行政への不満の声も聞こえてきます。
その両方の境遇の人達が買い物支援の車の中で一緒に買い物に出かけるのですが、その話題で険悪になるわけではなく、お互いに現実を受けいれて、身の回りの状況や地域の情報などを仲良く話されているようです。

閖上で被災し外観だけ残っていたかまぼこ店の建物が震災遺構とならずに昨年撤去されました。この時に遺構の存続について何人かの被災者の方に聞いてみました。若い方は「遺構は必要ないと思う」、年配の方からは「遺構として残して欲しい」という意見がありました。若い人には辛い思い出がよみがえってくる場所は必要ないという考えがあり、年配の人は遺構が無くなると以前住んでいた自宅の目印を失ってしまうので残念でならないとのことでした。これが総意ではないにしても、震災は人や物だけでなく、想い出までも多く奪ってしまったのだなと痛感しました。

昨年から支援室主催で《被災地巡りツアー》を企画開催しています。昨年六月には「名取市閖上・仙台市荒浜・東松島市野蒜」へ、八月には「宮城県南三陸町・女川町・石巻市」へ、十一月には「福島県新地町・宮城県岩沼市」へ案内しました。
この試みは被災地に行きたくても交通手段が無かったり、行き方が分らなかったり、一人ではなかなか訪れることができなかった方に向けて企画実施しています。現地でのお祈りや、地域の語り部のお話を聞いて参加者の方からは「やはり現場に立たないと分からないことが多くありました」とのご意見をいただいています。実際に自分の目で見てそこの空気に触れないと被災地の現状はわからないと思います。
今年五月以降に福島県の東京電力福島第一原発周辺に行くことを計画しています。

支援室の働きの中で感じていること。それは震災から八年が経過した今も被災者の方々は昨日のことのように話題にされているなということです。私自身も当時怖い思いはしましたが、生活が元に戻っていくにつれ忘れていくことは否定できません。被災された方々と一緒に居る機会が多いのですから、よく話を聞いて折に触れて教会の皆さんに発信していかなければとの思いを強くしています。(*2019年1月11日現在 河北新報より) 

以上は 渡部さんの許可を得て、日本聖公会東北教区のあけぼの(ニュースレター)から転載したものです。

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以下は 富岡秀さんが2019年3月10日に撮影された写真です






東日本大震災を覚えて ロンドン We Won't Forget You

2019年03月11日 | 日記

2019年3月10日 (日曜日) 午後2時半から 4時半まで St Margaret's Westminster Abbeyにて、
東日本大震災を覚えて祈りを捧げました。

今年も多くのボランティアの方々の協力と支援をもって、祈りを捧げる場を提供できましたこと
感謝しています。

在英日本国大使館から 代表として 特命全権公使でおられる岡田公使さま、そしてロンドンの福島県県人会の 満山会長も
ご足労いただきました。

宮城からきていた大学生、これまで久ノ浜での追悼に参加されていたけれど、今年は行けないので、参加された方、
日本からの来英していた学生たち、福島県出身の方々、
被災にあった友人達を想い、祈りを捧げに来られた方々、それぞれの思いが寄せられました。

日本語と英語以外のメッセージは 読み取りが困難で 残念ながら紹介できません。お気持ちだけ十分いただきました。

「いつまでも 忘れません」
「一日も早い復興を」
「お昼ごろ晴れているのに水が降って、涙のような気がしました」
「加藤さん、紺野さんご家族、忘れないです」
「この出来事をいつまでも忘れないよう お祈りしていきます」
「一日も 早い復興を祈ってます」
「忘れていません」
「桜の季節になると必ず皆さんのことを想います。夜の森の桜は今年も美しいのでしょうか」
「3月になると 津波のことを想いだします。いつも 皆さんの事を心の中にとめては考えています」
「東北に住んでいる者として 忘れられない出来事です」
「毎年の礼拝に感謝いたします。すべての人々の心に平安がありますよう」
「ロンドンでの追悼の祈りができる場があることに感謝いたします」
「今でも苦しみの中にいる人々の心が癒えますように」
「昨年まで6年間 縁のあった福島県いわき市の皆さんと震災の3.11直前の土日を毎年過ごしてきました。今年よりロンドンに転勤になり、今年はいけなくことがさみしくて悲しくていましたが、ロンドンで集まり祈るイベントがありました。今年はここで、祈りを届けさせて 頂きたいと思います」
「がんばれ、東北、関東 茨城、決して 忘れません」
「安らかに」
「忘れません」
「英国の地からお祈りしています」
「いつまでも お祈りのうちに覚えています」
「皆さま、がんばってください。一日も早い復興をお祈りしています」
「皆様 希望を持って頑張ってください。ずっと覚えています」
「がんばってください」
「皆さまを覚えて祈り続けます」
「皆さんの事は忘れません」
「毎日 忘れない」
「皆様の心が安らかになられますように 忘れません」
「皆様を憶えて祈っております」
「震災のことを忘れずにいたいと思います」
「ともに頑張りましょう」
「皆さんの力に少しでもなれるよう、いつも想っています」
「8年ですね。おいのり させていただきます」
「忘れない 深くお祈り申し上げます」

We pray it never happens again.

You will always be in my prayers.

Praying that many of those who suffered pain and loss and grief will find peace and healing in the Lord Jesus Christ.

Our hearts and prayers are with you Gambatte. God will give you strength.

Always remembering you in our prayers.


以下の写真は 写真家 富岡秀さん撮影です。



桜のはなびらは、以前仮設住宅を訪問した際、大熊町から避難している方々と共に寒い中、
一緒に 桜の花を見ながら、小さな炊飯器で何回も炊いてつくった、おにぎりを一緒に
いただいたことがあります。祈りによって咲かせた桜の花によって慰めを送りたいと願い発案しました。
桜の花びらには、2011年3月11日に犠牲者を出された町村の名前を入れました。 ジョンソン友紀




追悼の桜の木、キャンドル、そして祈り 2019年

2019年03月06日 | 日記


We Won’t Forget You
東日本大震災8周年を覚えて


日時: 2019年3月10日(日) 午後2時半から 4時半
場所:St Margaret’s Westminster Abbey SW1P 3JX

上記の時間内、入場無料にて、自由に出入りできます。
2011年東日本大震災によって被害を受けた各町村の名前を記した
桜の花びらを用意しますので各々、被災者を覚え、復興を祈りながら 
桜の木に掲げることができます。被災地の写真、資料の展示、
また、ティーキャンドルと記帳台も用意します。
英国から私たちの思いと祈りを発信して、今も被災の為に苦しみ、
痛みがある方々に慰めと希望が与えられるよう願って企画しております。
お誘いあわせの上 ご来場ください。

献金はすべて St Margaret’s Westminster Abbey へ捧げます。



今年も 3月11日が巡ってきました。
それぞれの思いが巡ってくる日だと思います。

被災者ではないけれど、遠い国にいて故郷を案じ辛い思いをした経験は
それなりに強く残っています。

あの日、日本からの恐ろしいニュースを見たのは、早朝から 介護の仕事している仕事先でした。
訪問先の家族が、入るなり、「ユキさん、大変よ」と言われ、津波が押し寄せているテレビの画面を
みて 動揺しつつも、時間に追われる大切な介護の仕事をやり遂げることに専念しました。
本当は心の中が 震えていました。家族は大丈夫だろうかとーー
携帯から東京在住の弟へ連絡を入れ、家族は大丈夫との連絡を受けホッとしたものの、
その後は通信機能がダウンして、思うように連絡がとれない状況になりました。
FB からアクセスして、ハワイにいた甥っ子経由で再度連絡が取れたことは感謝です。

日本語英国教会の礼拝をしている St Martin's 教会周辺には日本人が多く地区にあります
地元のお母さん達のグループが いち早く動いて、すぐにチャリティコンサートをしたいとの
要望を、教会の司祭経由で聞き、その連絡と協賛という形で関わりました。二週間余り、
続々と入ってくる日本からのニュースに 不安にかられながらも、
お互い、仕事や家事をやりくりしながら励まし合い、準備をしました。
3月29日に 有志のミュージシャンの篤い思いをもって素晴らしいコンサートが行われ、
、教会は立ち見ができるほどの人々が集まりました。
当日4700ポンドの募金を募ることができました。最終的には、教会の司祭の
呼びかけもあって、1万ポンド以上、日赤を通して募金を送ることができたのです。

個人的には、2012年に訪れた小名浜の仮設住宅と方々と寒い中桜を見に行った経験、
閖上地区にあったお寺の残骸の前に 遺骨収集の箱を見た経験が心深く残っています。
ロンドンで人工の桜の木に掲げる桜の花びらは、2016年に一つ一つ切って作成したものです。
その後毎年使うごとに、補足したものもありますが、
被災地でお会いした方々へ思いを馳せながら 祈りと共に作成したものです。

私たちそれぞれの思いと復興への願い、被災に遭われた方々への祈りが
届き、少しでも 慰めと励ましになるように願っています。



2011年4月のニュースレターから


3月20日の礼拝と集まりは、東日本大震災の直後という事もあり、ショックや悲しみがまだ落ち着かない興奮状態で、スタートしました。息子さんの高校受験で宮城県とロンドンを行き来していたTさんと、東京で引っ越しの荷ほどきの最中に地震にあったYさんが出席して下さり、無事を確認出来て嬉しかったのと同時に、ご親族が亡くなられたり、家が全壊してしまって避難中、という友人の友人にどこへ行っても必ず出会う程、この被害の大きさを身近に感じさせられました。

今回は聖書の勉強というより、皆がこの地震、津波、原発を通して感じた事などを話し合いました。世界中の多くの人が心配して同情してくれている事への感激と感謝、そして原発によって引き起こされている国内と国際間の信用問題などが、主な話題でした。

聖書日課のヨハネの福音書3章:1−17は、”人は新たに生まれなければ、神の国を見る事はできない。誰でも水と霊によって生まれなければ、神の国に入る事はできない。”という箇所でした。今は惨めで苦しい日本も、いつかこの苦難を乗り越え、傷ついた身も心も癒され清められ、新たな日本として生まれ変わる事が出来ます様に。”神が御子を世に遣わされたのは、世を裁く為ではなく、御子によって世が救われる為である。”

礼拝で歌った聖歌の1つは、527番’傷ついた人の祈りにこたえて’でした。園田先生曰く、これは過去1996年スコットランドのDunblaneで虐殺された16人の幼児(殆どが5歳児)と教師1人の葬儀でも歌われた聖歌だそうです。

傷ついた人の祈りにこたえて
信じて疑う迷い除く恵み
十字架にかかり傷ついたみ手で
我らの命を励まし支える

消える事のない罪咎の思い
見えない明日への恐れに苦しむ
愛は変わらずに弱さに向き合い
心の痛みにいつでもよりそう

助けを求めて集まる人々
救い主の手はふれあいのうちに
身と心全てすこやかにもどし
破れた平和を癒す聖霊よ

また、3月29日に行われた大震災義援金集めのコンサートで、城野朝美(ともみ)さんが歌われた曲の中に是非ご紹介したい物が1つあります。城野さんは、’赤とんぼ’を歌った後、続けて聖歌’遠き国や’を歌われました。以下は、城野さんの解説です。
「赤とんぼ」は、作詞者三木露風が講師をしていたトラピスト修道院で洗礼を受ける少し前に、作ったとされています。「とまっているよ竿の先」は12歳の時の露風が書いた句であり、その当時彼は母との生別により悲しみを感じていましたが、32歳にこの歌詞を書いた時には心の慰めを受け、この赤とんぼの風景にキリストの十字架をなぞられているように思います。なお、「赤とんぼ」はNHKの「日本のうたふるさとの歌」のアンケートで65万通の応募の中で1位に選ばれた曲です。

「遠き国や」は関東大震災の時にその悲惨さを目撃した外国人宣教師J.V.Martinによって作られた賛美歌で、阪神淡路大地震の時にも歌われ、試練のある方々の慰めとなっています。

* なぐさめもてながために なぐさめもてながために
なぐさめもてわがために 揺れ動く地に立ちて
なお十字架はかがやけり

1遠き国や 海の果て いずこに住む 民も見よ
なぐさめもて 変わらざる 主の十字架はかがやけり

2水は溢れ 火は燃えて 死は手広げ 待つ間にも
なぐさめもて 変わらざる 主の十字架はかがやけり

3仰ぎ見れば など恐れん うれいあらず 罪もきゆ
なぐさめもて 変わらざる 主の十字架はかがやけり





2013年 新地を訪問した折に ジョンソン友紀が撮影