主の平和 

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主に在って 生きる方から学ぶー 日本語英国教会から

2017年07月13日 | 日記

日本語英国教会 の7月、8月の集まりは 例年通り ありませんのでご了承ください。



日本語英国教会が10年前に発足前から お世話になっている園田先生の容態が悪化しています。
メンバーの中には、諸事情によって、見舞いに行けない方々が多々おりますので、
共に祈り、励まし合う為に、「祈りの輪」のメールを送っています。
アメリカからいらしているご家族から 先生の様子をお知らせいただき、
時には写真を送っていただいています。
こうした ご家族の厚意と協力を得られること、とても感謝しています。

過去10年介護士として多くの方々を看取りましたが、なかなか ご家族の厚意に
家族以外が触れることは難しいものだと 分かっていますので、園田先生の温かい家族に
迎えられること、心からありがたいと思うのです。

先生は、ガンの転移で、大変な痛みに苦しまれていると思いますが、
病床見舞いをしている間は、痛みを見せない 大変気丈な方です。

先日日曜日 3回目になりますが、有志と共に 訪問しました。
祈りは病床の祈りを日本聖公会の祈祷書を参考して しました。

聖歌は先生の最も好きな歌で前回歌った『主よ、ともにやどりませ(Abide with me, fast falls the eventide)』
『いつくしみ深き 友なるイエスは』でした。

以下は、「祈りの輪」のメッセージの一部です。
先生からの言葉を 皆様と共に分かち合いたく 紹介させていただきます。



今回は、ILO International Labour Organization (国際労働機関)に関わる通訳の仕事の話、
平久保正男氏との出会い(2008年にご逝去)同氏の戦争体験のトラウマを聞いた話、
その後、同氏は元英国兵との和解を推進されたこと、などの先生の体験も伺いました。

その後、知らぬ間に聖書のみ言葉について語られ、素晴らしい「お説教」を聞かせていただきました。
そういった時に先生は 時には声を出すことが辛そうでありながらも、何かしら力強い先生の思いを感じました。
誠に先生の厚い信仰から学ぶ貴重な機会を与えられ、心に喜びがあふれてきました。

そんなわけで 帰り際に 先生が「何もできなくなった」言われた時に、「先生 素晴らしいお説教を聞かせてくださり
ありがとうございました。私たちも先生のお陰で 久々にお会いするメンバーも与えられ、礼拝をすることが
できました」と言った時に見せた先生の笑顔も とても素敵なものでした。


聖歌の 「主よ ともにやどりませ」の英語版にある「Abide」の言葉について
先生からの要望で 以下を朗読しました。
ヨハネ 1章29節から 34節まで (冒頭のタイトルは 神の子羊ーーヨハネによるイエスの洗礼)
ヨハネ 1章35節から42節まで (最初の弟子たち)を朗読しました
Abide という単語は 聖書の英語の訳文によっては ヨハネによって洗礼を受けたイエスが聖霊が
「とどまる」の表現に使われています。
ヨハネ 15章1節から17節 (イエスはまことのぶどうの木)のうちの、ヨハネ15章4節
「わたしにつながっていなさい。 わたしもあなたがたにつながっている」の「つながる」の表現にも
使われています。
園田先生は言われました。「Abide という言葉は イエスと私たちの関わりを示した言葉でもある。
私はイエスさまと共にとどまる。イエスさま 私にもとどまっていてください。」

先生がお元気なころ、メールをいただくと 「主に在って」と返事をいただいておりました。
先生が 神様と共に「在る」「とどまる」ことによって主と共に歩まれていることを知り感動しました。

(中略)

昨日訪問できなかった方々もおられることを伝え、またお見舞いのメッセージを伝えました。
先生の痛々しい姿は 見舞いに行くもの、そして 写真を見た方々に、それぞれ 心の痛みを感じると思います。

心の痛みは、本当に先生のそばに「隣人」として立つ人々の痛みとも言えます。

見えないけれど、心ならず身の痛みを存分にご存じのイエスさまも ともに先生のみそばにおられ、

私たちと共に嘆き 悲しまれ、涙を流しています。

しかし、決して、その悲しみは絶望をもたらずものではなく、常に希望を与えてくださる

イエス様によって、慰めと慈しみの愛も私たちに与えられていることを私たちそれぞれが

心にとめることができますように 祈っています。


Yuki Johnson