主の平和 

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イースターに向かう教会のこよみ

2013年02月23日 | 日記
今年のイースター(復活日)は3月31日です。毎年イースターの日が異なるのは、「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」とされています。四旬節とも言われるレント(聖公会では大斎節、プロテスタント系によっては、受難節)は、Ash Wed (灰の水曜日―今年は2月13日)からイースター前日(聖土曜日)までです。
古い慣習として、レントの期間は断食がされていました。現在残っている習慣は、灰の水曜日前日の「パンケーキの火曜日」だけでしょうか。レントの期間食べられない卵を前日までに食べ切る為にパンケーキを作るといった習慣の本来の意味を知らない人々が多くなってきました。




寒くて、暗い日々が続いても、いつも心に日差しを感じることができますように。
神様は いつも わたしたちとともにおられます。

1月の集会 お説教の要約から

2013年02月03日 | 日記
カリスマ=賜物
(1コリント12:1-11)
園田先生から 
 

今日の日課第一コリント12章には賜物の話が出てきます。賜物はギリシャ語ではカリスマです。ここでパウロは恵みの賜物について3つのことを強調しています。
1) 賜物には色々な種類がある
2) しかし源は一つ、同じ主から与えられ
3) 自分のためではなく全体の益のために与えられたいる。
知恵の言葉、知識の言葉、信仰、病気を癒す力、奇跡を行う力、預言する力、霊を見分ける力、種々の異言を語る力、解釈するなど色々な賜物があります。
コリントの教会は知恵に欠け成熟していませんでした(2:6)。だから賜物としての知恵の言葉が一番先に挙げられたのでしょう。
ここで言う信仰はクリスチャンになったときのことではなく、信仰をもって生きる態度を指しています。しかし、一人一人信仰の度合いは違うので、他の人の信仰を批判すべきではありません。クリスチャンにとって一番大切なのは「罪びとである私を憐れんでください」という姿勢を常に保つことです。
教会指導者の中には病気を癒す賜物とか、奇跡を起こす賜物を持っているという人がいます。私は生まれつき慎重派で懐疑的なので、素直に受け止めることに困難を感じますが、神の御心ならばありうることだと思っています。
霊を見分ける力も大切で、聖霊によらなければ「イエスは主」だという告白もできないのです。
当時のコリント教会が直面していた問題の一つは異言に関するものでした。「異言」という単語はそもそも「種々の言語=舌」と言う意味ですが、新約聖書に21回出てきます。そのうち19回がコリント第一の手紙に集中的に使われているので如何に大きな問題だったかが想像出来ます。「教会全体が一緒に集まり、皆が異言を語っているところへ、教会に来て間もない人か信者でない人が入って来たら、あなたがたのことを気が変だと言わないでしょうか」とパウロは14章23節に書いています。
教会で祈っているとき突然わけの分からない言葉で何か言い始める。興奮状態にあって聞いている人には意味が通じない場面です。私にはこの経験はありませんが、テレビで見たことはあります。異言を語る人がいれば、異言を解釈する人が必要です。そうでなければ混乱し、無秩序の状態になってしまいます。
現代でも異言を重要視する教派があります。ペンテコステ運動とかカリスマ運動として知られています。パウロ自身もその経験があったようです。14章18節に「わたしは、あなた方のだれよりも多くの異言を語れることを、神に感謝します」と言っています。しかし、そのすぐ後に、「しかし、わたしは他の人たちをも教えるために、教会では異言で一万の言葉を語るより、理性によって五つの言葉を語る方をとります」と追加しています。(14:19)
パウロの関心は教会を造り上げること-building up-にありました。教会全体の益を大切にしたのです。
賜物は自分のためではなく他者のために与えられたものです。12章の終わりにパウロは「あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい。そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます」と言って、あの有名な「愛の章」第13章を書きました。この愛はギリシャ語ではアガペー、ラテン語ではカリタス、昔の 英語ではcharity, 今の英語ではloveです。是非読んで下さい。
大切なのは与えられた賜物をどのように使って生きるかです。Life styleのチョイスです。
自分より全体、他者のために生きる人生。受身の人生ではなく、与える人生。愛の実践をする人生。今年こそ神様から頂いた賜物を生かす年でありますように。

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