主の平和 

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

日本語英国教会ニュースレター9月号から 

2021年09月17日 | 日記

*** 日本語礼拝 ***
9月19日(日曜日)午後3時から 
上記の祝会と重なっていますが、日本語礼拝を希望される方々もおられるので、行います。礼拝の前に、聖歌の練習を一緒にしてから礼拝を始めます。
夕べの礼拝 司式・説教  ジョンソン友紀
礼拝後、昨年の3月以来1年半ぶりのティータイムです

*** オルガンの調べと共に迎える日曜の朝 ***
9月26日(日曜日)朝8時半 オンラインで東京在住の菊池泰子さんを迎えます。この集まりを始めて一年になります。今回はオルガンの音色を聞いて、振り返りと話し合いをします。


8月8日の広島と長崎を覚えての平和合同礼拝の録画は以下です。

https://www.youtube.com/watch?v=JscQ7MZ66-s

Holy Communion service 8 August 2021

Our weekly service - held in the church and live streamed. Special se...

youtube#video

 


日本語訳(一部省略)は以下です。

平和と和解
8月8日St Martin’s教会での合同礼拝の説教から
LLM ジョンソン友紀

  最初に、平和を共に祈る礼拝を可能にした方々に感謝します。私の過去の出来事を聞けば、どんなに感謝し、また特に日本人コミュニティにとって、大変貴重な機会が与えられていることが分かると思います。
今日の礼拝は1945年8月6日と9日に歴史上唯一原爆が広島と長崎で使用されたことを覚えますが、単に恐ろしい戦争の終わりを覚えることではありません。
  最近、在英の若い世代の多くが日本を魅力的とみていますが、私が34年前に渡英した頃の状況は大変異なっていました。1989年昭和天皇が亡くなり、第二大戦中の天皇の責任を言及した批判が多くの新聞に記載されました。私は、特にビルマで日本軍に虐待された多くの元英捕虜の人々が途方もない苦痛の体験から、長い間、重荷を負っていることに気づかされました。
  夫が司祭に就任した以降、毎年11月に行われる戦没者記念日礼拝に出席する時、元兵士達に囲まれる私は、暗黙のぎこちなさを感じて頭が下がり、できたら隠れたいと思うことがしばしばでした。心の中で「ごめんなさい」と言い続けました。彼らと同世代の方々に会う時は、自然に私は非常に用心深くなりました。次第に、在英日本人として同様な気持ちを持っているのは私だけではないと分かりました。
1995年、私たち家族は宣教師団体のCMSとUSPGの支援を受けてミッションパートナーとして、フィリピンへ向かい、アングリカンであるフィリピン独立教会の働きに加わりました。マニラから船で一日かかっていく距離にあるギマラスという小さな島に数年住みました。幸運なことに数多くの素晴らしい友人が与えられ、今も連絡を取っています。
  同時に大戦中に日本軍によって受けた残酷な扱いを受けた家族の悲しい話を語る人々にも多く出会いました。ある店主は、妊娠中の親戚がどのように殺されたかを語りました。その時、私は娘を妊娠している時でした。店主は私を非難しませんでしたが、私はその話を聞いて胸が張り裂けそうで、非常に心痛みました。
  他にも忘れられないことがあります。教会の集会に出席する為に、隣接の島に行った時のことです。私達は地元の会衆を通してある家族の家に宿泊するようにと招待されました。その家の女性は私が日本人であることが分かると、動揺して取り乱し、地元の言葉で声高になりました。同席していた主教が、彼女をなだめなければなりませんでした。私達は、彼女の親戚が彼女の目前で殺されたことを聞き、その残忍で衝撃的な詳細のために、私は眠れない夜を過ごしたことを今も鮮明に覚えています。それでも彼女が私達を泊めてくれたことを感謝しました。翌朝私達が彼女の家から出る時、彼女は私の手を取って「私達を忘れないでね」と言いました。これらの思い出は私の心に深く刻まれています。
  もう一つ忘れがたい経験があります。私は引退するまで10年間在宅訪問の介護士をしていました。ある日担当の介護士の代理として仕事をしました。つまり、全く知らない一人暮らしの高齢者を訪問することになりました。入った途端、妙な感じがしました。私はすべての任務を終えて、去る直前に私が日本人であるかどうか尋ねられました。「そうです」と言うと、間をおいて、彼はビルマで日本軍の捕虜であったと簡潔に言いました。彼はその日、誰が来るのかは知りませんでした。彼にとっては本当に驚きだったに違いありません。彼の家の中で私が仕事をしている間、彼はずっと一生懸命何と言うべきか考えていたでしょう。私が今も覚えているのは次の彼の言葉です。「明らかに神は今日あなたを私に送ってくれた」。このような親切な言葉をかけてくれるとは思いがけないことでした。彼の信仰から語られた言葉は、壁を壊すかのように私の心に響いてきました。
私が平和を考える時はいつでもこれらの人々が辛い思いを分かち合ってくれたことを覚えます。これらの貴重な経験を私が担ぐ十字架として私は担いでいかなければなりません。
  私達には傷ついた心をいやす力はありませんが、共に平和を祈るように人々を招くことはできます。それができれば、最も予想外の人々と共に憎しみを感謝と和解に置き換えることができます。
  その点ホームズ恵子さんのアガぺワールドの仕事は重要であり、この度、より多くの方々に紹介できたことを嬉しく思います。今日の献金の一部もその働きの為に捧げられます。アガぺワールドは、ビルマの元英捕虜と日本人との間に架け橋を築くために一生懸命取り組んできました。恵子さんの粘り強い働きは、隔たりの壁が壊されていくかのように沢山の奇跡を生み出しました。それは今日朗読したエフェソの信徒への手紙2:14を思い起こします。「私達の主イエス・キリストは私達の平和です。二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊された。」
  昨年二回オンラインによる「Paper Lanterns 灯籠流し」の上映会をし、昨夜も上映会をしました。アメリカ人のバリー・フレシェット氏制作のドキュメンタリーは、広島原爆の被爆者である森重昭氏の物語です。森氏は、その日市内に拘束されていたアメリカの空軍兵の12名の捕虜が亡くなったことを知りました。森氏は、アメリカ兵捕虜の家族を探し、かれらの最愛の息子たちに何が起こったのか伝える為にほぼ40年かけました。
アガぺワールドの働きと映画「灯籠流し」はあなた方はどう捉えますか。私にとっては、どちらも同じことを示していると思います。私達を隔てる壁を打ち破り、私達が共有する人間性に基づき、思いやりと愛をもって新しい関係を築くことです。
  こうした道のりは決して簡単ではなく、しばしば心痛みます。私達が悶々とすることは当然と言わざるを得ません。それは心の広さと優しさを心のうちにもっていることを意味します。今日の福音書(ルカ10:25-37)では、サマリヤ人の旅人は傷を負った人を見て、「憐れに思い」とルカは記しています。憐れみを感じることは、私達自身の他者への思いやりを見出すことへの良い出発点です。たぶん私達自身にとって平和と和解につながる道を見出ることができるでしょう。エリコ途上のサマリヤ人と他の人々のように、私達には行動を起こすか、あるいは背を向けるかの選択が与えられています。
  時が経つにつれて、世界大戦体験者の声を聞く機会が減少しています。若い世代の為に、彼らが平和な世界を維持できるように、私達が知恵と知識を手渡していくことができればと願っています。重要な鍵はサマリヤ人の話の中にあります。どうぞ私達の思いやりをシンプルに他者へ示してください。私達の隣人を愛しましょう。  (原文は英語の長文でしたので多少変更割愛しました)