胃 癌 日 記 19
(富山地方鉄道 富山駅発立山行きに乗って)
12月12日(月)
6時頃目覚める。目覚めるといっても昨夜同様、2時間に1度くらい目覚めて、さらには腰や背中の痺れや痛さ、身体を動かせば傷口の疼痛で、辛い。しかし、何とか頑張って7時20分には歩いてフロアを2周。
ベッドに戻り寝転んでいると8時50分にY先生の回診。Y先生は月曜日午前中は外来を担当されているから、外来前の回診。
「まあいいでしょう。ウリスロドレナージも止めましょう。」
と言った。ウリスロドレナージとは抗生剤か?身体は辛くても少しでも回復に繋がっていくことは、励みになる。
10時40分、今日の清拭は本日から実習に入って、私を担当する2名の看護学生。N高等看護学校の2年生でKさんとMさん。実習の練習台になるのは一向に構わないが、陰部の清拭などは自分でした。その後11時過ぎには2人一緒に部屋にやって来て、実習の一環として私のことをヒアリング。
午後1時20分連れ合いがやってきた。暫くして、兄夫婦も見舞いにやってきた。兄は、病室に辿り着くまであちこちと経路に迷ったとのこと。
「何も悪いことしてへんのに、えらい目におおたわ。」
「昔は悪いことしてたから、罰が当たったんや。」
など、取り留めの無い話をしていたが、
「今は癌の手術いうても、昔で言う盲腸の手術みたいなもんや。」
とか言って、気持ちを休めてくれる。いろいろ話しているうちに、だんだんと痰が絡んでくるようになってきた。全身麻酔の呼吸管の挿管の後遺症に、飲まず食わずで体中、呼吸器系も乾燥し痰が硬くなって出にくく、自分で吐き出せない。1時間30分位いろんな話をして、兄夫婦は帰った。6時30分連れ合いも帰る。連れ合いが帰る少し前に、手術後始めてガスが少し出た。
(地鉄の車窓から 常願寺川源流を見下ろす)
(室道へ向かう高原バスの窓から ソーメン滝を望む)
やがて夜になってくると痰が絡んで大変になってきた。咳やえずきで猛烈に苦しい。喉の奥のほうに固い痰があり、出そうと思って咳をすると傷口に直接響いてきて、疼痛を通り越して激痛に近い。それでも傷口を両側から押さえて咳をし、痰を少しでも上に出そうとする。喉の奥に出てきて吐き出そうとすると、えずいて嘔吐反応でオエーッとなり、それがまた傷口に猛烈に響いてきて、その痛さで涙が出てくる。少しずつ痰の「カケラ」をティッシュペーパーで拭っていると、一晩で一箱以上ペーパーを使ってしまった。ペーパーをごみ入れに捨てるのに身体を反転する。これがまた痛い。術後3日目にして、猛烈な『痰との闘い』になってきた。
絶飲食5日目。本日歩き1,360歩(フロア2周2回+4周1回)
(室道ターミナルから望む 薄雲のかかる立山連峰)
(続く)
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