今回は、大峰奥駈の2回目、その1を掲載します。
山行記録 大峰奥駈の道 2-1
山行記録 大峰奥駈の道 2
二〇〇五年八月、仕事の夏期休暇を利用して、いよいよ大峰奥駈の道②を目指す。今回は、大峰山東側の柏木から入山し、「阿弥陀が森」「小普賢岳」「大普賢岳」「行者還岳」「弥山」「八経ヶ岳」「仏生ヶ岳」「釈迦ヶ岳」「太古の辻」を経由して、前鬼にいたるコースを三泊四日(うちテント一泊)で辿ることとした。このコースは、近畿地方最高峰の「八経ヶ岳」(千九百十五メートル)を越え、行場を越えるいわば大峰奥駈道の「真髄」ともいえるコースとなる。本格的な縦走コースであり、荷物もテント、コッフェル、バーナーなど、それに真夏の尾根の縦走で、また今年は水が少なそうなので、水を二リットルに食料と、荷物は二十キログラムを優に超え、「久しぶり」に「気合の入った」山行となった。参加メンバーは、私と連れ合いそれに今回は次女の、Aも参加した。七月には三人で比良釈迦ヶ岳へのトレーニング山行を行い、その後それぞれ体慣らし、ダイエットを心がけ、大峰奥駈に備えたのである。
二〇〇五年八月十一日出発 柏木から登山。小普賢岳と大普賢岳の鞍部でテント設営。
朝三時三十分に起床、本日の朝食・昼食用におにぎりを作る。やがて連れ合い、Aも起きだして出発準備をはじめ、四時五十分に我が家を車で出発。近畿道ではにわか雨が降り出し、天候が心配。西名阪も渋滞することもなく天理インターから国道百六十九号線を南下。県道を経由し吉野に至り再び国道百六十九号線を辿り、七時二十五分に柏木に到着。柏木の集落に駐在所があり、玄関のブザーを鳴らすとやがて駐在さんが起きだしてきた。早朝で申し訳ないと思いつつ登山届けを出し、自動車を十四日まで置かせてもらえる場所を聞くと、近所のOさんを紹介してくれた。但しまだ寝ているとのこと。起きるまで待つ間に朝食のおにぎりを食べ、ストレッチ準備運動。あらためて荷物の重さに多少の不安を抱く。
八時半にOさん宅の木戸をノックし、出てきた奥さんにお願いし自動車を近所の空き地に置かせてもらう。八時五十五分に柏木の石の標識のある大峰登山口から登山開始、最初は階段状の道を登る。天候は、早朝は心配したがここに来て快晴である。
九時三十五分に「大迫分岐」で少し立ち止まる程度の休止。準備運動をこなした感じだが、まだ荷物がしっくりとこない。十時二十分に「上谷分岐」に到着し小休止。小さな地蔵さんがある「上谷分岐」は標高約七百メートル強で、柏木が三百メートル程度なので四百メートルほどを一時間二十分で登ったことになる。コースタイムでは一時間半となっているので(後でわかったが、持参の山地図のコースタイムはあまり正確でなく、参考にならなかった)、今のところ順調なペースだ。但し、空き缶やガラス瓶の残骸が数箇所に捨てられているのには不快な思いがする。
ここからは、尾根上の道や踏跡を辿り高度を上げていく。途中千百六十六メートルのピークは西側を巻いていくが、大体は尾根を忠実に辿る。
途中二回小休止をとり、十三時十分に尾根から少し外れた谷で昼食休憩。途中、地図上に水場の記号が付けられている場所では、今にも枯れそうな水がチョロチョロと出ている。水は少なく、持参してきて正解である。家から持参のおにぎりをぱくついていると、単独の登山者が軽快に通り過ぎて行った。おにぎりを食べたあと、食料係り(連れ合い)から配給のお菓子を少し食べ、十三時四十分に出発。十五分ほど行くと再び尾根上に出たが、そこが「伯母谷覗」で断崖絶壁上のすばらしい展望所。谷を超えた対岸の「大台ケ原」「台高山脈」が一望である。先ほどの軽快な単独登山者が弁当を食べており、『われわれもここで食べればよかった』と後悔。ここで十五分ほど写真休憩(休憩取りすぎ)。ここから再び尾根を伝う。地図ではルートは点線になっているが、道の踏跡はしっかりついているし、少し気をつけて歩けばそんなに危険でもない。
十四時二十五分「阿弥陀が森分岐」に到着。標高は約千六百メートル。柏木からは約千三百メートル登ったことになる。ここには「女人結界門」があり、「山上ヶ岳」方面には女性は入れない。宗教文化か伝統か、いずれにしても時代遅れではある。
「上谷分岐」から「阿弥陀が森分岐」までコースタイムでは二時間半となっているが、われわれは休憩を加算せずに正味二時間四十五分かかっている(小休止、昼食休憩も含めると三時間五十五分)。荷物が多いとはいえ、時間がかかりすぎか、コースタイムがおかしいか。「女人結界門」で写真を撮って、十四時四十分に「阿弥陀が森分岐」を出発。
しばらく行くと「脇宿ノ跡」があり、お札などが並べてある。この先「明王ヶ岳」(千五百六十九メートル)付近に地図ではキャンプ場の記号があり、今日はそこでテントを設営する予定であるが、そんな平地が見つからない。さらに歩いていくと縦走路から少しはなれて「営管の行場」があり、連れ合いが一人で経箱石を見に行った。彼女は元気いっぱいだが私とAはトレース上で休憩。十分ほどで連れ合いが戻ってきて、再び縦走路を歩き、やがて「小普賢岳」のピークを超えた。ピークから少し降がったところが「大普賢岳」との鞍部で、ちょうどそのあたりの山道が少し広くなっており、十五時四十分にここのトレース上にかぶさってテントを設営しようと決めた(もう少し良いところがないか、荷物を置いて五分ほど先まで見に行ったが、平地がなかった)。
テントを設営後、「熊よけ」のためにラジオを鳴らしながら、水場がないので担ぎ上げた水で夕食準備や明日のお茶つくり。さすがに千六百メートル地点で、天気は晴れているが大変涼しくて快適。沸かしたお茶もすぐに冷えて、ペットボトルに移し変えた。十七時五十分夕食のボンカレーといわしの缶詰をおいしく食べる。ここはトレース上だから、明日は夜も空けきらないうちから修験道の山伏が枕元を通り過ぎていくだろうなと思いつつ、夕食後早い就寝。深夜になると、涼しいどころか、鞍部のため風の通り道となり、テントをたたく風の音や、風に鳴く笹の葉の音でバタバタ・ザワザワとうるさいこと。それでも心地よい疲れで結構熟睡した。