例によってストーリーは引用で。
テーマは例によって、「戦争と人間」という重いものであるが、ここではあえてそれには触れない。
むしろ、ここでは小説としての仕掛けについて述べてみよう。
まず、1945(昭和20)年9月から1948(昭和23)年初夏までの、主人公の足取りをたどることが、メイン・ストーリーになっている(タイトルの「逃亡」の過程)。
そのメイン・ストーリーに挟まるような形で、主人公の過去の回想が行なわれる(少年時代および戦時憲兵時代。特に、戦時憲兵時代の回想では、リアルなスパイ小説を思わせるような活動が描かれている)。
この回想の差し挟み方がなかなか巧みに行なわれているが、それは、極力感情描写を抑えた客観的な文章によるものだろう(ほかの作品にもある、著者特有の文章作法)。
回想が挟まれることによって、主人公の性格提示を含め、物語全体の厚みが増し、「逃亡」の前提条件としての憲兵活動の説明にもなっている(人によっては、主人公への感情移入もできるだろう)。
*これ以降「ネタバレ」になるおそれあり。ご注意を乞う。
第2は「語り」の仕掛け。
冒頭の一節から、会話を省いて引用する。
さて、この「語り」は、誰のものだろうか。
普通考えられるのは、「著者の語り」すなわち「地の文」ということになる。
以下、最後の1文まで、語り手を明示しない文章で終始するから、普通の三人称による客観描写(「彼は」という主語の省かれた文章)と読者は思う。
ところが、最後の1文で、その思い込みは覆される。
これが、この小説最大の仕掛け――日本語の特性を生かした仕掛けであろう.
すなわち、読者は、今まで読んできたことから受けた印象や感情を、この一点で「守田征二」という主人公に集束させるのである。
この効果によって、ほかの小説ではなかなか味わえなかった読書体験が得られるであろう。
ただし、小生のこの解釈に反するのは、主人公の妻・瑞枝の視点が入っていること。
主人公と妻とが離ればなれになっている間の妻の行動は、その時点では、主人公の知り得ないことだからである。
これを小説の瑕瑾と見るべきか、それとも、主人公の語り自体が、すべての出来事が終ってから、妻の話をも取り入れてなされた、と理解すべきなのか、現在のところ、小生には断言できない(この理解を裏付けるのは、基本的に過去を語る文章であること)。
ともあれ、このような仕掛けをも含んだ小説として捉えうることを指摘しておこう(『総統の防具(フューラース・リュストゥング)』にも、別の形での「語りの重層性」あり)。
帚木蓬生
『逃亡』(上)(下)
新潮文庫
定価:(上)820円/(下)780円 (税別)
(上)ISBN4-10-128811-9/(下)ISBN4-10-128812-7
「1945年8月15日、日本敗戦。国内外の日本人全ての運命が大きく変わろうとしていた―。香港で諜報活動に従事していた憲兵隊の守田軍曹は、戦後次第に反日感情を増す香港に身の危険を感じ、離隊を決意する。本名も身分も隠し、憲兵狩りに怯えつつ、命からがらの帰国。しかし彼を待っていたのは〈戦犯〉の烙印だった…。」(「BOOK」データベースより)
テーマは例によって、「戦争と人間」という重いものであるが、ここではあえてそれには触れない。
むしろ、ここでは小説としての仕掛けについて述べてみよう。
まず、1945(昭和20)年9月から1948(昭和23)年初夏までの、主人公の足取りをたどることが、メイン・ストーリーになっている(タイトルの「逃亡」の過程)。
そのメイン・ストーリーに挟まるような形で、主人公の過去の回想が行なわれる(少年時代および戦時憲兵時代。特に、戦時憲兵時代の回想では、リアルなスパイ小説を思わせるような活動が描かれている)。
この回想の差し挟み方がなかなか巧みに行なわれているが、それは、極力感情描写を抑えた客観的な文章によるものだろう(ほかの作品にもある、著者特有の文章作法)。
回想が挟まれることによって、主人公の性格提示を含め、物語全体の厚みが増し、「逃亡」の前提条件としての憲兵活動の説明にもなっている(人によっては、主人公への感情移入もできるだろう)。
*これ以降「ネタバレ」になるおそれあり。ご注意を乞う。
第2は「語り」の仕掛け。
冒頭の一節から、会話を省いて引用する。
「反対したとき、田中軍曹は首を振った。」
「指先に痛みがあり、血がにじみ出す。(中略)指先を口で吸ったが血は止まらず、仕方なしに襟布の三角布をとり、引き裂く。細長くなった布で人差指をぐるぐる巻きにする。根元の結び目は田中軍曹が手伝ってくれた。」
さて、この「語り」は、誰のものだろうか。
普通考えられるのは、「著者の語り」すなわち「地の文」ということになる。
以下、最後の1文まで、語り手を明示しない文章で終始するから、普通の三人称による客観描写(「彼は」という主語の省かれた文章)と読者は思う。
ところが、最後の1文で、その思い込みは覆される。
「それがこうやって今生かされている。私はまた泣き始めた。」すなわち、この2,000枚にも及ぶ長編は、主人公=「私」の長い語りであったことに、最後になって突然に気付く。
これが、この小説最大の仕掛け――日本語の特性を生かした仕掛けであろう.
すなわち、読者は、今まで読んできたことから受けた印象や感情を、この一点で「守田征二」という主人公に集束させるのである。
この効果によって、ほかの小説ではなかなか味わえなかった読書体験が得られるであろう。
ただし、小生のこの解釈に反するのは、主人公の妻・瑞枝の視点が入っていること。
主人公と妻とが離ればなれになっている間の妻の行動は、その時点では、主人公の知り得ないことだからである。
これを小説の瑕瑾と見るべきか、それとも、主人公の語り自体が、すべての出来事が終ってから、妻の話をも取り入れてなされた、と理解すべきなのか、現在のところ、小生には断言できない(この理解を裏付けるのは、基本的に過去を語る文章であること)。
ともあれ、このような仕掛けをも含んだ小説として捉えうることを指摘しておこう(『総統の防具(フューラース・リュストゥング)』にも、別の形での「語りの重層性」あり)。
帚木蓬生
『逃亡』(上)(下)
新潮文庫
定価:(上)820円/(下)780円 (税別)
(上)ISBN4-10-128811-9/(下)ISBN4-10-128812-7