大阪で行なわれた、日本最初の万博(1970年開催)を実際に見た人は、もう40代以上の世代となっている。
したがって、若い人の中では、万博といえばつくば科学博(1985年)ということになるのだろうか、それとも今回の愛知万博(2005年)が初めてという向きが多いのだろうか。
日本で開催された万博は、以上のほかには、沖縄海洋博(1975年)と花博(1990年の「国際花と緑の博覧会」)で、計5回である。
その5回の万博を通して、戦後政治の「場としての万博の内実とその行く末を、国家と地方行政、財界、知識人そして大衆の間に繰り広げられるせめぎ合いに焦点を当てることで浮き彫りにする試みである。」
著者によれば、これらすべての万博は、大阪万博の「地平を脱していない」。つまりは、「博覧会を地域開発のための一手法として位置づけて」いたのである。これがまた、1940年に開催が予定されていた「紀元2600年記念万博」に原型があったことは言うまでもない(本ブログ「『皇紀・万博・オリンピック―皇室ブランドと経済発展』を読む。」を参照)。
とは言っても、その間に違いがあることも確かなことで、「それぞれが開催される時代との関係は、この三〇年以上の歳月の間に大きく変化しているのである。」
まずは、大阪万博と「所得倍増計画」の達成=「熱狂」
「大衆的な夢としての〈成長〉と国家政策としての〈開発〉を癒着させていく」戦略があったと著者は分析する。
結果、「千里丘陵の細かく襞のある地形や竹林」は「完全に姿を消し、あっけらかんと平地に広がる人工都市が造成された」のである。
*地域開発:「千里ニュータウン」
そして海洋博と「沖縄の本土復帰」=「論争」
「沖縄の復帰を記念し、また沖縄開発の起爆剤となる」とされていたが、「開発工事は必然的に土地の投機や大資本による買い占めを誘発し、地価を以上に高騰」させ、「農民は土地を失い、漁民が海から離れなければならなくなり、地域の生活と文化の基盤が崩壊していった。」
*地域開発:「北部開発の基盤整備」
つくば科学博とバブル経済=「幻想のほころび」
「八〇年代は、日本経済が七〇年代の不況から脱してバブル経済に突入しおうとしていた頃である。」
その中で「都市基盤の整備がもたつく学園都市の現状に苛立ちながら、ふたたびこの新都市建設を主要な国家的政策課題としていくために」「〈万博〉というカードを使おうとしたのである。」
また、計画の主導権を握る科学技術庁は、「一連の公害裁判や相次ぐ原発事故、原子力船むつをめぐる混乱など、科学技術に対する不信感が広がるなかで、なんとか科学技術に対するよりポジティブなイメージを演出したいという思惑から」テーマを構想したため、「都市や自然の環境形成についてはほとんど何も語られ」なかった。
研究学園都市自体が、「都市に〈自然〉を取り入れるために緑地施設や公園が新たに建設されることになっていた。しかし、まさにそのような〈自然〉を建設するために、この地域で貴重な生物多種性を示していた」「湿地は埋め立てられ」「沼も水辺は舗装護岸されることに決まり、変更は許されない」状態になったのである。
*地域開発:筑波研究学園都市の事業促進
このような問題や矛盾が一気に吹き出したのが、現在開催されている愛知万博である。
その端的な表れが、希少野生動物オオタカの営巣地である「海上(かいしょ)の森」をめぐる会場予定地の変更であった。
「環境万博」を意識せざるをえない今日、避けて通れない問題だったといえよう。また、その過程で出てきた計画や運営への「市民参加」の動きも、著者は限界を認めつつ一定の評価をしている。
それでは、今後万博はどうなっていくのか。
著者は、愛知万博が日本で開催される最後の万博になるであろうと予測する。
1つの原因は「開発主義的国家体制」が終わりを迎えようとしていること。
「地域開発との安易な抱き合わせが不可能になった万博事業は」、巨額な「予算を投じてまで開催するべきものとは考えられなくなって」きている。
もう1つは、国家よりグローバルな企業が、公共的な文化に、より支配的な影響力を及ぼし始めていること。
「すでに八〇年代から、時代は万博よりもディズニーランド、やがては六本木ヒルズのような巨大な文化=商業複合コンプレックスのほうに向いていた。」
第3の大きな原因は、「市民のサブ政治」の力が強くなってきていること。
今日「管理する側は、自分たちがすべての人のためにと思って計画したことがらが、むしろ多くの人々に災いと感じられ、反対されるという事態に直面し」ている。これは「旧来の行政主導型の調整システムが機能しない」ことであり、「規定の方針をただ承認するのではなく、両義性を許容し、相互に越境し、多面的な意味を創出していく媒介システム」を形成することが急務であることを意味する。
この媒介システムが形づくられた結果として、「ナショナル・イベント」=国家的開発プロジェクトである万博は、もはや意味を持たなくなるであろう。
そしてまた、著者は「万博」だけではなく、「戦後政治の呪縛」を解くものとして、このような新たな政治的・行政的「媒介システム」に期待しているようであるが、日本の市民は、どこまで成熟しているのであろうか。
「万博幻想」が解けるほど簡単には進んではいないのが、現状なのではあるまいか。
吉見俊哉
『万博幻想―戦後政治の呪縛』
ちくま新書
定価:本体860円+税
ISBN4480062262
したがって、若い人の中では、万博といえばつくば科学博(1985年)ということになるのだろうか、それとも今回の愛知万博(2005年)が初めてという向きが多いのだろうか。
日本で開催された万博は、以上のほかには、沖縄海洋博(1975年)と花博(1990年の「国際花と緑の博覧会」)で、計5回である。
その5回の万博を通して、戦後政治の「場としての万博の内実とその行く末を、国家と地方行政、財界、知識人そして大衆の間に繰り広げられるせめぎ合いに焦点を当てることで浮き彫りにする試みである。」
著者によれば、これらすべての万博は、大阪万博の「地平を脱していない」。つまりは、「博覧会を地域開発のための一手法として位置づけて」いたのである。これがまた、1940年に開催が予定されていた「紀元2600年記念万博」に原型があったことは言うまでもない(本ブログ「『皇紀・万博・オリンピック―皇室ブランドと経済発展』を読む。」を参照)。
とは言っても、その間に違いがあることも確かなことで、「それぞれが開催される時代との関係は、この三〇年以上の歳月の間に大きく変化しているのである。」
まずは、大阪万博と「所得倍増計画」の達成=「熱狂」
「大衆的な夢としての〈成長〉と国家政策としての〈開発〉を癒着させていく」戦略があったと著者は分析する。
結果、「千里丘陵の細かく襞のある地形や竹林」は「完全に姿を消し、あっけらかんと平地に広がる人工都市が造成された」のである。
*地域開発:「千里ニュータウン」
そして海洋博と「沖縄の本土復帰」=「論争」
「沖縄の復帰を記念し、また沖縄開発の起爆剤となる」とされていたが、「開発工事は必然的に土地の投機や大資本による買い占めを誘発し、地価を以上に高騰」させ、「農民は土地を失い、漁民が海から離れなければならなくなり、地域の生活と文化の基盤が崩壊していった。」
*地域開発:「北部開発の基盤整備」
つくば科学博とバブル経済=「幻想のほころび」
「八〇年代は、日本経済が七〇年代の不況から脱してバブル経済に突入しおうとしていた頃である。」
その中で「都市基盤の整備がもたつく学園都市の現状に苛立ちながら、ふたたびこの新都市建設を主要な国家的政策課題としていくために」「〈万博〉というカードを使おうとしたのである。」
また、計画の主導権を握る科学技術庁は、「一連の公害裁判や相次ぐ原発事故、原子力船むつをめぐる混乱など、科学技術に対する不信感が広がるなかで、なんとか科学技術に対するよりポジティブなイメージを演出したいという思惑から」テーマを構想したため、「都市や自然の環境形成についてはほとんど何も語られ」なかった。
研究学園都市自体が、「都市に〈自然〉を取り入れるために緑地施設や公園が新たに建設されることになっていた。しかし、まさにそのような〈自然〉を建設するために、この地域で貴重な生物多種性を示していた」「湿地は埋め立てられ」「沼も水辺は舗装護岸されることに決まり、変更は許されない」状態になったのである。
*地域開発:筑波研究学園都市の事業促進
このような問題や矛盾が一気に吹き出したのが、現在開催されている愛知万博である。
その端的な表れが、希少野生動物オオタカの営巣地である「海上(かいしょ)の森」をめぐる会場予定地の変更であった。
「環境万博」を意識せざるをえない今日、避けて通れない問題だったといえよう。また、その過程で出てきた計画や運営への「市民参加」の動きも、著者は限界を認めつつ一定の評価をしている。
それでは、今後万博はどうなっていくのか。
著者は、愛知万博が日本で開催される最後の万博になるであろうと予測する。
1つの原因は「開発主義的国家体制」が終わりを迎えようとしていること。
「地域開発との安易な抱き合わせが不可能になった万博事業は」、巨額な「予算を投じてまで開催するべきものとは考えられなくなって」きている。
もう1つは、国家よりグローバルな企業が、公共的な文化に、より支配的な影響力を及ぼし始めていること。
「すでに八〇年代から、時代は万博よりもディズニーランド、やがては六本木ヒルズのような巨大な文化=商業複合コンプレックスのほうに向いていた。」
第3の大きな原因は、「市民のサブ政治」の力が強くなってきていること。
今日「管理する側は、自分たちがすべての人のためにと思って計画したことがらが、むしろ多くの人々に災いと感じられ、反対されるという事態に直面し」ている。これは「旧来の行政主導型の調整システムが機能しない」ことであり、「規定の方針をただ承認するのではなく、両義性を許容し、相互に越境し、多面的な意味を創出していく媒介システム」を形成することが急務であることを意味する。
この媒介システムが形づくられた結果として、「ナショナル・イベント」=国家的開発プロジェクトである万博は、もはや意味を持たなくなるであろう。
そしてまた、著者は「万博」だけではなく、「戦後政治の呪縛」を解くものとして、このような新たな政治的・行政的「媒介システム」に期待しているようであるが、日本の市民は、どこまで成熟しているのであろうか。
「万博幻想」が解けるほど簡単には進んではいないのが、現状なのではあるまいか。
吉見俊哉
『万博幻想―戦後政治の呪縛』
ちくま新書
定価:本体860円+税
ISBN4480062262
「愛知万博はトヨタ博」というくだりは、現地人として実感できました。名古屋経済が元気だといいますが、名古屋五摂家(旧東海銀行、中部電力、東邦瓦斯、名古屋鉄道、松坂屋)に昔日の面影はなく、トヨタばかりが目立つ昨今です。ついでながら、中部国際空港のこちらでの別名は「トヨタ空港」です。
市民のサブ政治について、今のところ一風斎さんは疑問符を付けておみえですが、サブは無理でもそのまたサブくらいのレベルで期待できないでしょうか。議会が多数決で決めるのと「市民が円卓会議で決める」のとでは、今や後者の方が納得できるような気がします。
ご返事が遅くなりました。
さて、ご指摘の「市民のサブ政治」ですが、
小生、戦後の市民社会の問題点は、
「市民として公共性という共通認識(市民としての自発的なルールや倫理観)を打ち立てることが、ついにはできなかった」
ということだと思っています。
確かに、議会での多数決より、
比較の問題としては、ましな方法はあるでしょう。
けれども、上記の「公共性」という認識がないと、
一部グループの利益につながることにもなりかねない、
という危険性も、
またあることでしょう。
詳しくは、現在読んでいる
香山リカ『いまどきの『常識』」
の書評で述べたいと思っていますので、
そちらをご覧ください。
では、また。