一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
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ホラーか、ファンタジーか

2007-08-12 07:41:12 | Criticism
「日本ホラー小説大賞」を受賞したので、ホラー小説家ということになっている岩井志麻子ですが、どうも資質はホラーというより、ファンタジーに近いのではないか、という気がします。
とは言え、小生が主として読んでいる作品が、岡山モノなためでしょうか。

確かに、ホラー小説に出てくるアイテムは、岩井作品にも登場します。
『べっぴんぢごく』の例では、
「乞食(ほいと)隠れ」のある北岡山寒村地帯の旧家。
「神社に近い田圃の畦。四辻になっていて、地蔵があり、無縁仏や間引きした赤子が埋められている場所。」
「耳に刺さるほど鋭いのにか細い声で叫ぶ」「村一番の分限者の娘にして」狂女の「とみ子」。
などなど、個々の場所や登場人物に、ホラー小説的なものは事欠きません。

しかし、女主人公シヲにとって(ということは、彼女に感情移入している読者にとって)、それらのアイテムは、ごく当たり前に存在するものだからです。むしろ、近しい懐かしい存在ですらある。
「シヲも、母の足を見ていたからだ。琵琶法師に切り取られてもなお、あの足は辻を歩いている。」
「シヲは、それが怖い。怖いが、どこか安堵することでもあった。父が、自分につきまとっている。たとえそれが、顔も覚えていない死んだ父であっても。」
「その祖母にまとわりつく、足だけはっきりした男の死霊。赤い長襦袢をひらひらさせて、死んだ後もやっぱり狂ったままのこの家の本当の娘。村の共同墓地には葬ってもらえぬ、四辻に埋められた余所者の行き倒れ達。」
つまり、亡霊と現実が混在する世界に、当たり前のようにして、主人公とその子孫たちは生きているわけです。

それでは、主なストーリーを形作っている、女系の血に繋がる「因縁話」はどうでしょうか。

こちらは妙にリアリスティックなものと、民話めいた語り口とが混在します。

先ずは前者の方から、
「村一番の分限者は、真実だが、父は養子となった竹井の家も、そして小夜子の母親であるふみ枝も嫌い、岡山市の下宿先に妾と住んでいる。今となっては一人娘となった小夜子を可愛がるのは、人前でだけだった。
藤原には教えたが、父のそのような側面は世間ではあまり知られていない。自惚れが強いから、蟋蟀と渾名される容貌にすら自信を持っている。インテリを気取るが、ただの田舎の俗物だ。」
というような設定。
岩井の岡山モノにはおなじみの「田舎の俗物」というパターンです。
パタナイズはされていても、それなりのリアルさが感じられます。

後者に関しては、岡山方言での会話文から、妙に民話めいた語り口が感じられるのね。ここで、民話というのは、別に牧歌的なだけではなく、残酷なものも含まれています。
『べっぴんぢごく』は、そのような残酷な民話ではないのでしょうか(そういった意味で、版元の「暗黒大河小説」という売り文句には疑問を覚える)。

このような岩井作品の民話性とで表現すべきものは、短編集『がふいしんぢゆう―合意心中』(角川書店)に、より端的に表れていますが、それについては、また別の機会に。
ちなみに、小生の好みは『べっぴんぢごく』ではなく、『がふいしんぢゆう―合意心中』中の一編「シネマトグラフ―自動幻画」であります。

岩井志麻子
『べっぴんぢごく』
岩波現代文庫
定価:1,575 円 (税込)
ISBN978-4104513031

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