一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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歴史書の文体と小説の文体 その1

2007-11-02 10:12:19 | Criticism
歴史書は、ほぼ例外なく第三人称の純客観体で表現されます。

例を挙げるまでもありませんが、次のような具合です。
「1852年(嘉永5)11月24日(陽暦、陰暦10月13日)、ペリーはミシシッピ号に乗ってアメリカの東海岸ノーフォーク港を出港し、マデイラ諸島を経て大西洋を南下し、セントヘレナ島、ケープタウン、モーリシャス島、セイロン島、そしてシンガポールを経て、翌1853年4月7日(陰暦2月29日)、香港に入港した。」(田中彰『集英社版日本の歴史15 開国と討幕』)

この文体を、小説で使用すると、その部分はあたかも、歴史書からの引用であるとか、客観的な記述であるとかいう印象を読み手に与えることになります(たとえ、それがフィクションであろうとも)。
「ローマ教会に一つの報告がもたらされた。ポルトガルのイエズス会が日本に派遣していたクリストヴァン・フェレイラ教父が長崎で『穴吊り』の拷問をうけ、棄教を誓ったというのである。この教父は日本にいること二十数年、地区長(スペリオ)という最高の重職にあり、司祭と信徒を統率してきた長老である。」(遠藤周作『沈黙』「まえがき」)
この『沈黙』の記述は、フィクションではありませんが、
「後に日本国の独立を脅かす存在となる『ゼウスガーデン』の前身『下高井戸オリンピック遊戯場』が産声をあげたのは1984年9月1日のことである。」(小林恭二『ゼウスガーデン衰亡史』
となると、完全にフィクション。それをあたかも歴史的な事実のように思わせるために、作者は第三人称の純客観体で記述しています。

『沈黙』が歴史小説であるので、「まえがき」は、ほぼこの文体で通していますが、『ゼウスガーデン衰亡史』はこの後、微妙に作者の主観が入ってくる。
今引用した文の次は、
「この『オリンピック遊戯場』なる名称は、いうまでもなく当時アメリカ合衆国で開催されていたロスアンゼルス五輪にあやかったものであったが、実際の話、うらぶれた場末の遊戯場のどこをさがしても本家オリンピックの浮きたつような晴れがましさは見当たらなかった。」
となり、「うらぶれた場末」「浮きたつような晴れがましさ」という、作者の評価の含まれた用語が、混じってくるのです。

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