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石河幹明という男(2)――会社人としての評価

2005-08-11 00:05:18 | Book Review
以下、小生なりの想像を続ける。

この石河という男、どの職場にも、少なくとも1人や2人はいるタイプにも思える。

まず、さほど能力があるわけではないけれど、一つのことを継続して、倦まず弛まず行なう粘り強さがある。悪く言えば、粘着質、恨みに思ったら一生忘れない方だろう。

また、思考には一種の固さとか狭さがあり、柔軟性には欠けている。
転向などを容易くする男ではないが、他の意見を取り入れるほどの度量もない。

だから、組織のトップやその参謀役には不向き。営業職などの第一線の現場でもなく、後方支援部隊、たとえば経理や総務をつつがなく勤めるというタイプだろう。

そのような男が、なぜか新聞社の、しかも論説畑に就いたというのだから、世の中は分らない。しかも、結果的には、明治18(1885)年から大正11(1922)年までの37年の長きにわたって「一貫して『時事新報』の編集や論説作成にかかわっていた」(『福沢諭吉の真実』)のだから、一層のことである。

それでは、「上司」である福沢の石河評価はどうか。

少なくとも、論説記者に必要な文章力については、さほど評価されていない。
「新聞の社説とて出来るものは甚少し。中上川(彦次郎)の外には水戸の渡辺(治)高橋(義雄)又時としては矢田績が執筆、其他は何の役にも立不申(たちもうさず)、不文千万なることなり」(1884年2月2日付福沢書簡)
石河はあまりつまらず、先づ翻訳位のものなり」(1888年8月27日付福沢書簡)

福沢自体は、『福翁自伝』を見ても分るように、自負心の強い人物。
このような人は、得てして、頭が自分と同じようにキビキビ働かないことを嫌う傾向がある。つまり、才人は才人を好むというわけですな。
だから、高橋義雄のように「思想の方向性とでもいうべきものが近似してい」(『福沢諭吉の真実』)る人物などは、高い評価を受ける。
一方、石河のように、頭の切れが好い方でもなく、文章が巧いわけでもない人物、しかも、「思想の方向性」が違っている人物は、せいぜい「有能な実務者としての扱いしか」(『福沢諭吉の真実』)されないのである。

しかし、石河は石河なりの自負心も、福沢とは異なる自己評価もある。

その食違いが、福沢と石河との不幸な関係を生みだすことになる……。

*写真は『佐竹本三十六歌仙絵巻』より「源順」。数寄者としても知られた高橋義雄(箒庵)は、大正時代、あまりの高価さゆえに切断されて売られた『三十六歌仙絵巻』の内、この絵を手に入れた。

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2 コメント

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Unknown (平山 洋)
2005-08-11 11:01:12
石河幹明に関する考察は、ネット上で発見できたものは、「研幾堂の日記」2004年8月21日・26日と、「書籍之海漂流記」2005年6月24日があります。



ご存知だったかもしれませんが、念のため。



なお、私の石河評価については、近代日本ジャーナリズム史全体からみて、不当に辛すぎる、という批判が出ております。



福澤本人と比べれば、誰でも二流に感じられてしまうのは当然で、福澤を除いた新聞人の中では、「言うべきことは言う」一流のジャーナリストであった、というのです。

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一介の物書きとして (一風斎)
2005-08-11 20:38:58
>平山洋さま

ご教示ありがとうございました。

早速、お教えいただいたブログ拝見しました。

正直なところ、小生のような素人では

歯の立たない水準の高さに、いささか怖気を振るっているというのが正直なところ。



小生、物書きの端くれですが、小説も書いておりますので、

やはり、福沢と石河との人間関係に

どうしても興味がひかれます。

ということで、無責任にも勝手な想像を

書き付けることにした次第です。



小説作品になる題材だと思っておりますので、

今回のブログは、そのためのエスキースの

つもりでいるのですが……。



フィクションにまとめるにせよ、

あまりにも見当外れになるのは

まずいとは思っております。

そのような点、ございましたら

ご指摘いただければ幸甚に存じます。



これからもよろしくお願いいたします。

では、また。
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