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『立志・苦学・出世―受験生の社会史』を読む。

2005-03-16 09:59:43 | Book Review
著者の竹内洋氏は教育社会学専攻。
本書は、その立場から見た、明治30年代後半以降に始まった「入学試験を受けるという狭い意味に特化した」受験に関して、現在までの社会史を描く(それ以前「受験」は、「職業資格試験を含めて試験一般を受けるという広い意味」を持っていた)。

著者は、明治10年代初期から明治20~30年代初期までを「《勉強立身熱》の時代」とし、それ以降の「《順路》の時代」と区別する。

この「《勉強立身熱》の時代」は、『学問のすゝめ』『西国立志篇』に刺激された、武士的な「上昇移動の野心」が顕在化された時代である。
しかし、まだ社会に人材選抜のルールが確立されていないため、「野心」は具体性の裏付けが得られない。つまりは、有力者とのコネがものを言い、客観的な基準による選抜がなされていなかったのである。

客観的な基準による選抜の、具体的なルールが確立し始めたのが明治20年代で、「試験と学校」の時代=「《順路》の時代」が開幕したことになる。
文官として出世するためには「高等中学校」を、武官として出世するためには「士官学校」に、試験を受けて入学しなければならなくなったのである。

明治30年代には、「《順路》の時代」が成熟を迎える。
いうなれば、昭和40年代まで続く《受験準備の世界》が、姿を見せたのである。
「各種職業資格や徴兵制度などの特権に関して官公立学校重視の傾向が急速に高まり」、「単なる学力ではなくどのような学校を卒業したかの学校歴社会になった」。したがって、上級学校、具体的には高等学校、東京高工、東京高商などの学校への入学試験が劇化する。
そこで生まれたのが、月刊受験雑誌であり、これは、入学試験勉強や学校の選定など入学試験以前の準備が重要になったことを意味する。
アイテムとして、受験雑誌以外に、参考書、予備校といったものが登場するのがこの時期。
ここで、著者は、社会史的視点を導入する。
「受験という観念は正しい受験生とは何かについての物語を紡ぎはじめる。」
「入学試験を受ける青年についての定義と行為様式のシナリオができあがる。」
このような《受験準備の世界》とは、「努力と勤勉の世界」でもある。

一方で、勉強立身的な野心は、一般民衆の子弟の間では空転する。経済的に上級学校への進学が不可能だからである。
「勉強立身価値の行き場のないエネルギー=高等小学校現象の噴出」は「働いて学資を得て学問する《苦学》や中学校講義録などの通信教育による《独学》ブーム」を生む。
しかし、これらの《苦学》や《独学》は、実際には「野心の加熱(ウォーム・アップ)の姿をとりながら実は冷却(クール・アウト)だった」と著者は指摘する。
「自分がありのままのものになろうとし、自分がもっているものだけで満足しようとするようしむけられてゆく」過程をとったのである。

以上のような状況は、昭和40年代まで続き、「受験のモダン期」と名付けられる。
これに対して、昭和40年代以降今日までを「受験のポスト・モダン期」と著者は呼ぶ。
これは、大学進学率の高さによるものだけではなく、そこには「質的な大きな差異」
が生じている。

「豊かな時代になると達成(立身出世)によって生みだされることになっていた快楽は今や達成以前に手にいれることも可能」になり、「報酬そのものが事前に脱神秘化されてしまう」からである。
つまりは「ドラマ化された成功目標がなくなるだけではな」く、「失敗もドラマチックではない」のである。
もう一つの「ポスト・モダン化」の要因は、「目標そのものが人を駆り立てる大きな魅力たりえない」からである。「冷ややかな態度の時代」が来たのである。

このような大状況の下、「試験の秘儀性が剥離され」「暗合解読競争」へと変化する。教育システムから「試験と教育の神秘化」が失われ、「教師の尊厳が保持され教師・生徒の上下関係が維持」されにくくなった。
そこに受験産業が「受験を単なる努力の積み重ねとみるよりも的確なストラテジーの行使と見る」視点から受験指導を行ない始めた。受験が《地獄》や《刻苦勉励》
ではなく、《ゲーム》や《要領》になったのである。

さて、この「受験のポスト・モダン期」で、教育(特に学校教育)は、どのように変って行くのか?
著者は、それには処方箋は与えていない。なぜなら、著者の関心は「大学人、教育官僚、教師と民衆」というそれぞれの「《界》の間にどのような客観的共謀が成立しているのか」を明らかにすることにあるから。

これ以降の考察は、読者各人に任された形になるが、その場合でも、著者の示したフレームのいくつかはかなりの有効性を示すのではないか、と小生には思われた。

竹内洋
『立身・苦学・出世―受験生の社会史』
講談社現代新書
定価:600円(本体583円)
ISBN4061490389

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