一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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『晩年の徳川慶喜』を読む。

2006-06-20 09:05:17 | Book Review
勝海舟が食えない男だということは、世間周知のところ。そして、老人になってからは「傲慢な爺さん」との評が多かった(明治政府の高官の間には「氷川町のほらふき爺」というものもあったそうな)。

しかし、食えない男だというのは、勝の主筋の徳川慶喜も同じ、というのが本書での評価。
内心という形ではあるが、次のような一節がある。
「二人(海舟と慶喜)とも大体、相手の舌鋒をほぼ自分と同列と評価すると……」

「――海舟め、よく俺のふんどしを、はぎとろうとしたものだが、薩長相手となると、俺も海舟も一つ穴の狢(むじな)だ。俺らは、ぴたっと呼吸の合った、よい相棒だったっけ――」
という慶喜の述懐もある。

このような不思議な主従、慶喜と海舟に、渋沢栄一が登場してくる。
本書の話は、明治20(1887)年に、静岡に隠遁生活を送る慶喜を、渋沢が訪れる場面から始まる。

渋沢は、血洗島の農民の倅で、一橋家に取り立てられ、慶喜が将軍就任後は旗本にまでさせてくれた。したがって、海舟とは、また別のスタンスから慶喜を見ている。

そのような、複眼での慶喜像が作られていく工夫が、筆者のお手柄。

渋沢とても、明治を代表する実業家、そう素直な見方はしていない。
「渋沢栄一は、今、海舟が描いたような恭倹な人だとのみ慶喜を見ているようなお人よしではなかった。慶喜を謙遜な人だとのみ感じていたなら、それほど彼に興味を抱かなかったろう。」

その渋沢が、慶喜没後公表との約束で、伝記『徳川慶喜公伝』を刊行したのが、慶喜没後4年が過ぎた大正7(1918)年のこと。
「――俺だけが、あの大胆で巧緻、傲慢で謙遜、人一倍強情なくせに、変わり身のはやい俊敏さ。円朝も及ばぬ明弁を持ちながら、一日でも雲の行方をながめているような寡黙な一面、権謀術数に明け暮れながら、日常の挙措は温厚寡欲という、まことに捕捉し難い、あの二重の性格を理解でき、そこにほれたのだ。(中略)――
と涙ぐみ、伝記には誤解を恐れて、彼を魅了した徳川慶喜の姿を、そのままであらわせないのを非常に残念に思った。」

この3人以外にも、明治天皇から、伊藤博文、高橋泥舟、松平定敬などなど、さまざまな人物の内面吐露という形で、慶喜が描かれていく。
ただ、著者が、最も感情移入して内面の感情が描かれているのは、慶喜家の奥女中花裏(一色須賀)ではないだろうか。

比屋根かをる
『晩年の徳川慶喜―将軍 東京へ帰る』
新人物往来社
定価:本体2,625円(税込)
ISBN4404025408

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