一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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最近の拾い読みから(180) ―『私本太平記』

2007-09-13 06:54:49 | Book Review
「たとひ我もろもろの国人の言(ことば)および御使(みつかい)の言を語るとも、愛なくば鳴る鐘や響く鐃鉢(にゅうはち)の如し。」(「コリント人への前の書」第13章)
最初から最後まで「ことば」に力のない方が職を辞しましたが、こちらは「ことば」に力を持たせるためにはどうしたらよいかを考えてみましょう。

そのための今回の題材は、吉川英治の『私本太平記』(1958年からの「毎日新聞」連載。1991年、NHK大河ドラマ『太平記』の原作)。
別に長編小説なら何でも良かったのですが、今ちょっと読み直しているところなので、これを題材とします。

何しろ長い長い。この文庫で全8冊となります(『宮本武蔵』も全8冊)。
これだけの大長編小説を、破綻なく展開するのは、力のある人でなければ難しい(体力、文章力、精神力、その他もろもろ)。
しかも、新聞の連載だったのに、その継ぎ目が分らないのは、なかなかの技です。

語り口から見ていくと、当然のように「三人称小説」ですね。
これだけの長編は、他の人称では難しいでしょう。
小生の経験からすれば、一人称で持たせるには最大で300枚程度がせいぜい。それでも語り口が単調になってしまい、一工夫が必要でした(一人称で書かざるを得ない「自伝」は、書くのが難しいと思います。だから、日本人の「自伝」は、お説教くさくなるんですね)。

次の問題は、主人公の立て方。
本書では、足利尊氏を主軸に、佐々木道誉、後醍醐天皇、楠木正成といった人々が、章ごとの主人公になっていく形となっています。
そして、それぞれの人物相互をつなぐように、サブ主人公が登場する、といったしかけ。
この辺りは、長編小説を組み立てる上での定石かもしれませんが、それぞれの出し入れを含めて参考になります(一人だけを何章も続けて登場させると、読んでいる方も単調に感じられてくる)。

どうしても執筆された時代を感じてしまうのは、文章のリズム。
映画に典型的に現れるように、40年以上も前の作品となると、テンポやリズムがどうしても「とろく」感じられてしまう。
最初は、吉川英治に文章のリズム感がないのか、とも思っていましたが、そのリズムに慣れてくると、やはり時代の制約、と感じられてきました。
その点、司馬遼太郎のテンポは、まだまだ通用していていますね。詳しく調べたわけではありませんが、おそらく1文の長さなども関係しているのでしょうね。
できるだけ1文1文を短くする必要が、今後もあるでしょう(谷崎のように、わざと1文を長くして、その効果を使うという「技」もありえますが、それは例外としておいた方がいいでしょう)。

その他、時代考証的には、若干疑問に感じる点もありますが、それは置いておきましょう。
ともかくも、かなり長きに渡って読まれる長編小説を書くのには、それなりの工夫が必要、というのが今回のとりあえずの結論です。

どうでもいいけど、今回辞任することになった宰相は、そういった工夫や、受け手に対する配慮が、ほとんどなかったように思えます。

吉川英治
『私本太平記』(1)
講談社(吉川英治歴史時代文庫)
定価 714 円 (税込)
ISBN978-4061965638

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