今年27回目のさくら道国際ネイチャーランの長い歴史の中で、「よのさん」はいつから大和町のエイドに立たれるようになったのでしょうか。
第一回大会、「よのさん」は自宅近くのコースで声を張り上げ応援していました。
当時は60人程度のエントリー。
ランナーに自衛隊の車が伴走していたようです。
実は「よのさん」自身はランナーではありません。
息子のIsao Hondaさんがランナーであったことから、いつしかランナーを応援することが人生の楽しみとなっていました。
この時「よのさん」は72歳でした。十分ご高齢でいらしたわけです。
そして、第2回大会から、エイドステーションが設置され。本田さんが担当する大和町のエイドに、それから四半世紀25年間、ランナーを温かく迎え、そして時には厳しく声をかけ送り出してきたのです。
この大和町のエイドがいつから「本田よの のおふくろエイド」という名称になったのかについては、本田さんは正確に覚えていなかったのですが10回目くらいではないだろうかと話されていました。
ここ10年くらい前までは、ほぼ全選手のお迎えができていたのですが、高齢により足腰が弱くなられたことから、体調にも考慮し徐々に時間は短くなり、昨年の大会では2時間程度しか従事できませんでした。
それでも「よのさん」のランナーを迎える明るい声は、おふくろエイドに響き、地元、大和中の生徒たちとの交流も続いていました。
また、大会翌日、月曜日に開催されている表彰式にも出席されていました。
昨年は体調を考慮して欠席となりましたが、2018年の第25回まで皆勤賞でした。
「よのさん」は完走ランナーの各テーブルを一つ一つ回り、祝福の声を掛けられ、またランナーも表彰式の「よのさん」に会うことが楽しみでもあり、完走後の欠かせないセレモニーであったということをお聞きしています。
「よのさん」は昨年の大会後の夏過ぎに、ご自宅で転倒され、腰を骨折されたことから、寝たきりとなられ、98歳と8ヶ月で天国に旅立たれました。
「本田よの」さんにとって「さくら道国際ネイチャーラン」は、一年に一度、日本全国・世界から集まる家族に会うための大切で、貴重な時間だったのだと思います。
そして、「さくら道国際ネイチャーラン」にとって「本田よの」さんは、ランナーとエイド、ランナーとボランティア、そしてランナーとランナーをつなぐための、とても大切な人だったのだと思います。
本田よのさん 長い間本当にありがとうございました。
最後に
この記事を読んでいただいた「さくら道国際ネイチャーラン」に関わる皆さんの中で、「よのさん」への思い出や写真などを、この記事のコメント欄、または私へメッセンジャーでお送りいただけないでしょうか。
私から責任をもって、本田勲さん、長年一緒に従事した本田さんのお兄さんご家族にお送りしたいと思います。
よろしくお願いいたします。
#さくら道
#本田よの