goo何気無い日々が心地よい安寧

何気無い日々が続く様に。生きていく事の大変さがカナン。ある種空気の様な存在になりたいもの。

👫〜東寺:弘法さん 👫…京大:たそがれコンサート 240621

2024-06-21 22:23:00 | 📖 日記
👫…🚉〜丹波橋//〜近鉄:東寺…九条通…東寺:弘法市📕🛍️🥐🥮↩️…九条通…東寺:近鉄〜丹波橋//〜🚉…>
👫…旧奈良街道…京大宇治C/キハダH:たそがれコンサート🎶&🥮↩️…旧奈良街道…Alp🍱🥦🥪…>
🚶11494歩2kg

☀️晴天:早朝大雨が嘘の様に。直射避ければ何となく楽

東寺:夏至の弘法さんで参拝と市を楽しむ
 新📕3,風神雷神図風呂敷2,🥮🥐
 能登震災募金
  しかし弘法さんにも外人増!…

夕方:たそがれコンサート🎶(夕べを楽しむ)
 🎻🎹 クライスラー3曲,ベートーヴェン,エルガ
 👄ソプラノ🎹歌曲集
 能登震災募金&🥮

コンサート後の夜空に十六夜月がバッチリ

東寺





今宵の十六夜月





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第1回上映から70年 いまだゴジラ人気の続く東宝 2024/06

2024-06-21 02:39:49 | なるほど  ふぅ〜ん

第1回上映から70年 いまだゴジラ人気の続く東宝
『財界』 編集部 より 240621


 東宝の『ゴジラ-1.0(ゴジラマイナスワン)』の興行収入が上がり続けている。
映画賞『第96回アカデミー賞』で視覚効果賞を受賞し、現在も観客数が増加。
今年3月17日時点での国内観客動員は420万人、6月4日時点で興行収入は76億円。
いまだ映画館での上映は続きその数は伸び続けている。


 ゴジラは1954年に第一回が上映されてから、国内30作品、アニメ3作品、海外5作品、テレビアニメ1作品、全39作品が出ている。
 水爆実験や環境問題、核戦争、原発など、時代に合わせて常に新しい社会メッセージが込められている映画作品であり、単なる怪獣映画ではないことが人気の理由。

 2004年には「ハリウッド・ウォーク・オブ・フェイム」に、日本のキャラクターとしてゴジラのみが登録されていることを考えると、既に世界的なキャラクターになっているといえよう。
 2016年『シン・ゴジラ』の大ヒットをきっかけに、キャラクタービジネスをさらに拡大するため、同社は新たにゴジラのブランド観を明確に定義。この定義に沿ってゴジラのIP(知的財産)ビジネスが展開されることとなっている。

 ゴジラのIPビジネス拡大の動きは行政機関にも広がる。東京都庁とのコラボレーションで、今年4月末からゴジラのプロジェクションマッピングが都庁舎で上映。ゴールデンウィーク時には6万人を動員した。都庁は無料展望台があることから多くのインバウンド客が訪れる観光スポットで、訪れる人に日本を代表するキャラクターとして訴求し、認知度の向上と更なる人気の上昇が期待される。

 70年に渡り愛されてきたゴジラ。
日本を代表するキャラクターとして国や世代を超えてさらなる認知拡大のためには、今後のブランドマネジメントが非常に重要になってくる。
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【平安京以前の京都には何があったのか?】〈千年の都〉を育んだ悠久の古社をたどる 202406

2024-06-21 01:15:00 | 🚇 旅選定の参考

【平安京以前の京都には何があったのか?】〈千年の都〉を育んだ悠久の古社をたどる
 Wedge より 240621  古川順弘 


 京都というと、遷都後の平安時代以降の仏教・寺院というイメージが強いかもしれない。だが、遷都前からの歴史の古い神社もじつは多く、これらは平安時代以降のイメージに隠されてきた。意外にも、京都市周縁部には、平安京成立以前から祀られていた古社が多い。
 この記事は、『 京都古社に隠された歴史の謎』(古川順弘著、ウェッジ刊)の刊行にあたって著者に書き下ろしていただいたものです。


⚫︎喧騒の京都を離れて辿る静謐の古社たち
 日本の観光地として長らくナンバーワンの人気を誇ってきた京都だが、近年は観光客の過剰さが話題にのぼることが多い。とくに目を引くのは外国人観光客の多さだ。
 そして観光客の大幅な増加は、騒音・ゴミ・渋滞・マナー違反などのトラブルを引き起こし、いわゆるオーバーツーリズム(観光公害)という問題を生じさせている。

 インバウンドも含め、京都を訪れる観光客はコロナ禍で一時は激減したものの、コロナへの警戒が薄れるにつれて着実に需要は回復。今年のゴールデン・ウィークでは、京都の観光名所はどこも大混雑となった。
 これには、円安の影響で外国人が日本を訪れやすくなったことも大きく関係していたようだ。「京都の観光客の8割は外国人」という話も聞く。

 名勝・嵐山なども連休中は大にぎわいだった。ここはもともと京都でも一、二を争う人気観光スポットだが、しかしその人込みに出くわして、さすがに辟易した人も少なくはなかっただろう。

 ところが、渡月橋を西に渡り、川岸に沿って下流方向に10分も歩くとどうだろう。
さっきまでの喧騒は嘘のように消え去り、通りを往来する人の姿もまばらとなる。さらにもう10分ほど歩けば、右手に大きな赤鳥居が見えるはずだ。
 神社の多い京都でも指折りの古さを誇る、松尾大社である。

⚫︎嵐山・渡月橋近くにある松尾山
 松尾大社は平安京が造営されるはるか以前からこの地に鎮座していたと言われる古社で、神体山である松尾山の麓に広がる境内には、重要文化財に指定されている1542年建造の本殿をはじめ、見どころとなる社殿やスポットが多い。
 もし嵐山の人込みに疲れたとしたら、少し足を延ばして松尾大社を参詣してみてはどうだろうか。閑静な雰囲気の中で、落ち着いて古都の歴史を味わうことができるはずだ。

⚫︎平安遷都以前からあった古都の地主神
 京都の歴史は、桓武天皇が新しくこの地に造営されたた平安京に入った794年にはじまる――そう思われることが多い。

 たしかに、「都」としての京都の歴史はそうである。そもそも、「天子が居住する場所」という意味をもつ「京都」という普通名詞がこの土地を指す地名となったのは、平安遷都以後のことだ。

 しかし、平安遷都以前には、「京都の地」が未開の原野で、人がほとんど住んでいなかったのかというと、そんなことはまったくない。水の豊かなこの土地には、縄文時代・弥生時代から人が住んでいた。

 そして、古墳時代・飛鳥時代・奈良時代と、時代をへるごとに独特の発展を遂げてきている。794年の平安遷都を基準に「京都1200年の歴史」などとよく謳われるが、じつは京都は、平安遷都を迎えるまでに長い前史を経ていたのだ。

 そして人間が生活していれば、そこには必ず信仰というものが生じる。古代日本の場合で言えば、住民たちはその土地に根ざした神を崇め、祠をつくったり社をもうけたりして、その神を祀る。
 つまり、神社を創祀して、豊穣や幸福を祈った。このことを証言するように、京都市街地とその周辺には、平安京が出現する以前からの歴史をもつ神社がいくつも鎮まり、住民たちから手厚く祀られてきた。

 今紹介した松尾大社や、賀茂川べりに鎮座する賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)、洛北の貴船川沿いに鎮座する貴船神社などは、その代表的な例である。
貴船神社奥宮の本殿真下には龍穴という大きな穴が空いているという伝説がある

 「あまり名前は知られていないが、じつは歴史はすごく古い」という神社もある。
京都盆地北東部の岩倉には山住(やみずみ)神社という小さな神社があるが、山腹に鎮まる巨岩を御神体としており、古代神道の磐座信仰のかたちを今なお色濃く残している。
 この神社のルーツはおそらく平安遷都以前にまでさかのぼるのだろう。これらの古社はいわば京都の地主神であり、そしてまた京都の守護神でもあるのだ。

⚫︎山城国と丹後国に根ざす知られざる古社たち
 京都市街地を含む現在の京都府南東部は、明治維新以前は山城(山代、山背)国と呼ばれたが、目をこの山城国全般に向けるなら、平安遷都以前に歴史をさかのぼる「京都古社」の数はぐっと多くなる。とくに南部に多い。

 たとえば、賀茂信仰のルーツのひとつに挙げられる木津川べりの岡田鴨神社や、やはり木津川沿いにあって、「居籠(いごもり)祭」という原始神道の面影を残すユニークな祭礼を伝える祝園(ほうその)神社などがそうだ。
岡田鴨神社は京都・下鴨神社の元宮ともされる

 また、京都南郊の宇治といえば、何といっても国宝の鳳凰堂がある平等院が有名だが、宇治川をはさんだ平等院の対岸には、応神・仁徳天皇の時代にルーツをもつ古社、宇治神社と宇治上神社が鎮座している。
 平安時代後期の建造とされる宇治上神社の本殿は、神社建築物としては現存最古のもので、鎌倉時代建造の拝殿とともに国宝に指定されている。

 山城南部にこのような由緒ある古社が意外に多いのは、奈良時代までは北部(現在の京都市街地)ではなく、こちらが山城国の中心であったことが関係している。
 ちなみに、ほんの数年間だが、奈良時代には岡田鴨神社の近くに聖武天皇によって恭仁宮が営まれ、日本の都が平城京からここへ遷されていたこともあった。

 また、京都府北部は古くは丹後国に属した地域だが、ここにも、平安遷都以前からの古い歴史を誇る神社は多い。
 浦島太郎伝説の原郷である浦嶋神社、伊勢神宮の元宮とする伝承のある皇大(こうたい)神社や豊受(とようけ)大神社、籠(この)神社……。これらの古社は、『古事記』や『日本書紀』などともつながる豊潤な神話や伝説を伝えているところも大きな魅力だ。

⚫︎日本の古層を知るもうひとつの京都巡り
 これら「京都古社」の多くは京都の混雑エリアの外にあり、さほど観光名所化していない。したがって、ハイシーズンであっても、オーバーツーリズムに惑わされずに、自分のペースで参拝し、じっくりと旅をたのしむことができる。

 しかも、これらの神社はいずれも京都の古層を形成してきた神社であり、平安遷都後の京都は、これらを土台にして発展をつづけたと言っても過言ではない。
 そして、京都の歴史は日本の歴史の真髄でもある。その意味では、京都古社は日本そのものの古層を形成してきたとも言えよう。

 埋もれた京都の歴史に目を向け、古都郊外の山野にこだまする神々の声に耳を傾ける。そろそろ、そんなスローな京都旅に出かけてみてはいかがだろうか。


京都古社に隠された歴史の謎 知られざる古都の原像と信仰
古川 順弘:著
定価:1,430円(税込み)
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俳優・佐野史郎がゴジラ解釈論を展開  202406

2024-06-21 00:55:00 | スカパー 放送予定控 & 映画 予定 &TV 予定

俳優・佐野史郎がゴジラ解釈論を展開...最新作「ゴジラ-1.0」から第1作まで「ゴジラには能に通じる要素がある」
  ホミニス より 240621 

第1作から70周年を迎えることを記念した作品でもある「ゴジラ-1.0」
  (C)2023 TOHO CO., LTD.


 日米で大ヒットを飛ばし、第96回アカデミー賞®で視覚効果賞を受賞するなど、一大旋風を巻き起こした『ゴジラ-1.0』が7月6日(土)、WOWOWシネマでテレビ初放送される。7/6(土)&7(日)には【「ゴジラ-1.0」初放送!ゴジラシリーズ総進撃】と題して、『GODZILLA 怪獣惑星』(2017年)、
『GODZILLA 決戦機動増殖都市』(2018年)、
『GODZILLA 星を喰う者』(2018年)、
『シン・ゴジラ:オルソ』(2023年)、
『ゴジラ-1.0/C』(2024年)、
『シン・ゴジラ』(2016年)、
『ゴジラ S.P <シンギュラポイント> (全13話)』(2021年)の7作品も特集放送。

 今回、ゴジラ映画への出演経験があり、ゴジラに造詣の深い俳優の佐野史郎さんに「ゴジラとは何か?」について話を伺った。


◆ゴジラ好き俳優と知られる佐野史郎が独自のゴジラ論を提唱
■常に時代を反映し、節目ごとに第1作に立ち戻ってきたゴジラの歴史

――――佐野さんはゴジラ映画の歴史をどのように捉えていますか。

「戦時中に戦意高揚映画として製作された『ハワイ・マレー沖海戦』(1942年)で花開いた特撮技術を駆使し、戦後10年がたとうとするとき、観客に心の平穏を与え、日本の暗い歴史を鎮めるために生まれたのが、1954年の第1作『ゴジラ』だと僕は考えています。言ってみれば、同じ技術を武器として使うか、平和利用するか、という宿命を背負ってゴジラは生まれたわけです」

――――その後のシリーズ展開についてはいかがでしょうか

「ゴジラ映画は高度経済成長期にシリーズ化されましたが、その終焉とともに1975年、一度幕を下ろします。その時の『メカゴジラの逆襲』は、田中友幸プロデューサーと本多猪四郎監督、音楽の伊福部昭さんが久しぶりにそろい、さらに平田昭彦さんが科学者役で出演するという、第1作へのオマージュが濃厚な作品でした。
 9年後、バブル経済前夜の勢いに乗って復活した『ゴジラ』(1984年)も第1作を強く意識し、人類の味方になっていたゴジラを恐怖の象徴に引き戻しました。
 そして、東日本大震災後の2016年に製作された『シン・ゴジラ』は、『ゴジラとは何か?』という問いに、あらためてに向き合った作品だったと思います」

――――その後、誕生したのが『ゴジラ-1.0』ですね

「常に時代を反映し、節目ごとに第1作に立ち戻ることを繰り返してきたのが、ゴジラ映画の歴史です。その点では、『ゴジラ-1.0』も、第1作を強く意識すると同時に、まさに日本や世界の現状を強く反映した作品という印象を受けました。
 最後に隻眼で登場した人物は、僕は(第1作『ゴジラ』に登場した)芹沢博士(平田昭彦)の亡霊だと思っています」
(C)2023 TOHO CO., LTD.

■ゴジラ映画は神様にささげる現代の「能」
――――ゴジラの造形についてはいかがでしょうか

「第1作のゴジラには表情がありません。それは、技術的に不可能だったためでしょうが、結果的に『表情が変わらないのに怖い』という能面のような効果が生まれました。さらに、完成したゴジラのスーツは重過ぎて足を上げることができなかったので、円谷英二特技監督(当時のクレジットは「特殊技術」)は、スーツアクターの方に『能のようにすり足で歩け』と指示されたそうです」

――――ゴジラには「能」の要素があると?

「僕は、ゴジラを出雲大社の『神迎祭』で奉納される『龍蛇神(りゅうじゃしん)』に通じるものがあると考えています。『能』に通じる『芸能』のルーツをさかのぼってみると、見えざる力に対して畏怖し、ささげ、祈るという儀式にたどり着きます。
 つまり、ゴジラの生みの親である田中友幸プロデューサーが怪獣映画で目指したのは、『現代の能』だったのではないかと。それは、ゴジラだけでなく、キングギドラやモスラ、ラドンといった怪獣が、いずれも日本の古代神話を踏襲していることからも明らかです。
 そういった神話的背景を踏まえると、ゴジラ映画は『時代の不安を鎮めるための神様へのささげもの』だと考えられます」

■『ゴジラ-1.0』の持つ意味
――――終戦直後を舞台にした『ゴジラ-1.0』もその流れをくんでいると?

「混迷する世界情勢の中で、この先どう進んでいけばいいのか、暗中模索の状態にあるのが今の日本です。そこにはっきりとした答えが欲しい、安心できる救いが欲しい。その切実さは、終戦直後の混乱にも通じます。だからこそ、『ゴジラ-1.0』では終戦直後が舞台に選ばれたのではないでしょうか」

――――『ゴジラ-1.0』のアカデミー賞®視覚効果賞受賞については、どのように捉えていますか

「日米の映画界は、これまで長く技術的なキャッチボールを続けてきました。アメリカの『キングコング』(1933年)や『原子怪獣現わる』(1953年)に影響を受けた円谷監督らが、『ゴジラ』などの怪獣映画を製作。
 それを見た米国が技術力の高さに驚き、今度はSFXやVFXを発展させ、それが『ゴジラ-1.0』の誕生につながった。つまり『ゴジラ-1.0』のアカデミー賞®受賞は、これまで続いてきた日米のキャッチボールの一つの到達点だと言えます」

――――今後誕生する令和のゴジラ映画には、何を期待しますか

「今の時代、CGやVFXなしのゴジラ映画は考えられません。ただ、CGが主流となった近年は『テクニック』、すなわち『枝芸』で見せる傾向が強くなってきたように感じます。俳優という仕事をしてて強く感じることなのですが、『技術』で見せるのではなく、能の心ともいうべき『どのようにしてその場にいるか』という『態』が何よりも大切なのではないかと思います。
『芸』と『能』の心は、表裏一体で優れているというものではありませんが、円谷監督が目指したのは、『態』で見せるゴジラだったと振り返ります。そう考えると、スーツアクターが『態』で表現し、鎮めることに身をささげるゴジラの姿も、できれば今一度、見てみたいですね。
 また、ゴジラ映画はこれまで一貫して『反核・反戦』というテーマを貫いてきました。それは忘れないでほしいです」


(プロフィール)さの・しろう●1955年3月4日生まれ、島根県出身。1975年劇団シェイクスピアシアターの創立に参加。 1979年退団後、唐十郎が主宰する状況劇場を経て、1986年『夢みるように眠りたい」で映画主演デビュー。ドラマでは1992年「ずっとあなたが好きだった」(TBS)での冬彦役の演技が話題に。以降、数々の映画・ドラマ・舞台で活躍。朗読や写真、執筆、バンドの活動なども行う。出演映画「カミノフデ 〜怪獣たちのいる島〜」7月26日(金)より公開。

取材・文=井上健一
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