中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

四合院での年中行事、正月(春節)

2020年02月23日 | 中国文化

現在のように、核家族を中心とした生活が一般化する前の中国社会に於いて、社会生活は家族を中心に営まれてきました。ここで言う家族とは、親夫婦、息子夫婦、子供などが同じ四合院の中で暮らす、大家族のことでした。そして四合院建築の構造も、こうした大家族の生活の需要から設計されたものと言えると思います。また、中国の伝統的な季節の節句の行事も、家族の団結を強めることを目的にした祭祀活動でした。

おおみそかの夜、一家団欒の年越しの宴を開く際、最初に行うのは、祖先を祭ることです。盂蘭盆会では、蓮の花の燈明を点灯する形で、亡くなった人に家に帰る道を示し、家の中で祭祀を行います。清明節には、家族で祖先のお墓を掃除し、火を使わず冷たい食事を食べることなど。節句の祭祀活動を通じ、家族の団結力が強まり、個々人が家族を重んじ、若年者が年長者を敬うという気持ちが自然と強まっていきます。こうしたことが、ひとつの四合院で一緒に暮らすことで育まれてきたのではないかと思います。

「三綱五常」(儒教で言う「三綱」と「五常」。「三綱」は君臣、父子、夫婦の道。「五常」は人の常に守るべき五つの道徳で、「仁、義、礼、智、信」を指す)という言葉がありますが、伝統的な中国社会では、儒教思想の影響も受け、こうした年中行事が発達し、そうした行事を行う場所として、四合院という建築様式が形作られてきた面があると思います。

1.正月(春節)
北京の人々は代々、「腊八」を春節の開始のシグナルと見做してきました。なぜなら、この時は新しい一年の始まりが既に間近に迫っていて、「腊八粥」を作ることで、残った五穀雑糧を処分し、新年には新しい穀物が食べられるようにしたのです。また「腊八粥」を一族や隣近所に配ることは、家族内部や隣近所との間で連携、連絡を増やすのに重要な手段でもありました。

腊八粥

毎年この時分になると、各家、各戸のかまどの周辺はいつも、子供たちに取り囲まれました。というのも、ナツメ、クルミ、栗を入れる「腊八粥」には、さらに黒砂糖を混ぜ入れるので、昔は甘いものをあまり食べられなかった子供たちにとって、これはたいへん魅力のある食べ物でした。もっとも、それぞれの家の経済状況、生活習慣、味の好みの違いから、「腊八粥」の作り方もそれぞれ特徴がありました。裕福な家は、隣近所に「腊八粥」を配り、自分の富を見せびらかしたいと思いました。あまり貯えの無い家も、隣近所の付き合いは欠かせません。それで、「故同」(フートン)内の隣近所のいくつかの四合院の間や、同じ四合院の南屋と北屋、東院と西院の隣家の間で、相互に「腊八粥」を送り合うという情景が形成されました。

これが終わると、年越しの様々な準備が、四合院の中で開始されました。先ずは大掃除で、家の中の掛布団、敷布団、かまどの窯やしゃもじ、置時計や壁に掛けられたものなどが、全て中庭に運び出され、空っぽの部屋の隅々を徹底的に掃除しました。抜け落ちた天井、窓は、新しい高麗紙に糊を付けて貼り替えました。

年越しの食べ物の準備も、四合院の中で人々が正月前にやらないといけない重要な仕事でした。大鍋一杯のマントウを蒸し、糖三角(中に砂糖餡を包んだ三角形の蒸しパン)、豆沙包(あんまん)、花巻などは、必ず作っておかなければなりませんでした。ひとつには、正月一日から五日までは刃物を使ってはいけないという習慣がありました。二つには、親戚の誰がいつ訪ねて来るか分かりませんでした。魚の揚げ物、肉の煮込み、豆味噌、からし和えなどは、事前に準備しておきました。一家の主婦の料理の腕前を見せるため、それぞれの家の特色のある揚げ物やスナック類を準備しました。完成したこれらの食べ物は、大部分を屋外の甕の中に保管しました。北京の冬の「天然の冷蔵庫」を利用した備蓄です。

門外の物売りの声にも注意していないといけません。そうすれば、大みそかにかまどの神様をお祭りする時に燃やす、松の枝や「芝麻秸」(ゴマがら。ゴマの種子を取り去って、茎に蒴果(さくか)の殻のついたもの)を買うことができました。

芝麻秸と松枝売り

大みそかの夜、四合院の母屋では、必ず祖先の位牌を並べ、両側には一対、ろうそくと干菓子やくだものなどのお供えを並べられます。年越しの食事が始まる前に、一家全員、主(あるじ)の号令の下、順番に祖先の位牌に叩頭します。この時、四合院の中は静まり返り、厳かな雰囲気になります。祖先のお祭りが終了すると、一家団欒の宴が開始されます。

この時から、四合院の中は笑い声や爆竹の音が絶えず巻き起こり、それが何日も続くことになります。

年越しの食事が終わると、餃子を包む作業が始まります。この時、年長者には、春聯を貼るという重要な仕事がありました。真夜中12時前に、あたかも事前に示し合わせたかのように、故同の大小の屋敷の門が相次いで開かれ、先ず提灯の明かりが一つ先導し、続いて赤い紙の春聯と糊を持った老人が出て来ます。に糊を塗り、直ちに門の枠に貼り付けます。そして隣人同士で互いに鑑賞していきます。これはそれぞれの四合院間の書、教養、家風の無言の競争でした。しかし表面的には皆、「好,好!」、「不错,不错!」、「多雅气」(とても上品だ)などと賛嘆のことばを発するわけです。

貼春聯

正月二日から、四合院の中では財神を祭り、「順星」(正月8日、明かりを並べ(散灯花)、星神馬を祭り、元宵を食べるなどの内容が含まれる)、正月15日の元宵節には、ランタンを吊るし、元宵を食べ、大小の穀倉に穀物を入れるなど、一連の行事があります。もちろん、この期間の親戚や隣近所への年始の挨拶も欠かせません。しばしば一組の来客を見送ったと思ったら、主人の尻が落ち着かぬうちに、また次の年始の挨拶を告げる声がすることもありました。笑い声や爆竹の音が、そこかしこで聞かれました。

富豪の家では、彼らの家の大門の外で、また別の情景が見られました。それは「塞帖子」(書き付けを挟み込む)と呼ばれるものです。昔、官界の慣わしで、関係が比較的緊密だったり、上司部下の間だったり、必要な人の間では自ら年始に来訪しますが、それ以外の、あまり親しくない間柄の場合、召使に言いつけて、相手の家に書き付けを送る(今日の年賀状に相当する)だけで済ませることがありました。書き付けを届ける人は、門を敲く必要もなく、門の隙間に書き付けを挟み込むだけで済ませる、これが「塞帖子」です。