中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

修辞による文の推敲

2010年11月29日 | 中国語
 “推敲”ということばは、良く知られているように、唐の詩人・賈島が詩作中に“僧敲月下門”という句の“敲”の字を“推”にすべきかどうかと苦心したことに由来していますが、現代中国語の推敲は、修辞の面から考える必要があります。これを文に磨きをかけるということで、“錘煉”と言います。今回から何回かに分け、この“錘煉”について、見ていきたいと思います。

                 文に磨きをかける(“句子的錘煉”)

 文(“句子”)は思想交流の基本言語単位である。文に対し磨きをかける(“錘煉”)過程というのは、文を絶えず推敲し磨きをかけ、絶えず加工し最後に作品として取り出す過程である。このようにしてはじめて文の表現効果を高め、言語の交流効果を充分に発揮させることができる。

 “連貫”(文と文のつながりがとれている)、“周密”(ことばの使い方が緻密で、細かいところまで心配りがされている)、“簡練”(文が簡潔でよく練られている)、“生動”(表現が生き生きとしている)というのが、文に磨きをかける上での基本的な要求である。

      -*- -*- -*- -*- -*- -*- -*- -*-

 以下、“連貫”、“周密”、 “簡練”、 “生動”を順を追って説明していきます。

                 一 文のつながり(“連貫”)

 文のつながり(“連貫”)とは、主に二つの点が含まれる:一つは文と文の間の“配合”の問題、もう一つは文の内部の“組織”の問題である。文と文の間の“配合”というのは、前後の文のつながり(“銜接”)が緊密で途切れないこと、条理の組み立てがはっきりしていて乱れていないことである。文の内部の“組織”というのは、文の内部の成分の組合せが適当で、文脈がよく通っていることである。

(一) 前後の文とのつながり(“上下銜接”)

 文と文の組合せは、つながりが緊密であってはじめて、文章がつながり良く通じる。文の前後のつながりを緊密にするとは、主に意味の上での連続性を維持することである。郭沫若の《科学的春天》には、次のような文章がある:

   (1) ①「我們中華民族在人類文明発展史上,曾経有過杰出的貢献。②「現在,在共産党的領導下,我們民族正在経歴着一場偉大的復興。③「恩格斯在談到十六世紀欧洲文藝復興時曾経説過,那是一個需要巨人而且産生了巨人的時代。④「今天,我們社会主義祖国的偉大革命和建設,更加需要大批社会主義時代的巨人。⑤「我們不僅要有政治上、文化上的巨人,我們同様需要有自然科学和其他方面的巨人。⑥「我們相信一定会涌現出大批這様的巨人。

 この段落は全部で六つの文章から成っていて、文と文の間のつながりはたいへん緊密である。①で言っているのは、中華民族が歴史上で傑出した貢献をしたことである。②では、①に続いて、現在、共産党の指導下で中華民族が正に復興しようとしていると言っている。“曾経”と“現在”が緊密につながっている。中華民族の復興から、自然に話は③につながり、エンゲルス(“恩格斯”)のヨーロッパの文芸復興に関する有名な論断に話題が転じている。④は③の“需要産生巨人”という論断を受けて、今日私たちは更に社会主義時代の巨人が必要であると指摘している。続いて、⑤では具体的に私たちは各分野での巨人が必要であると述べている。最後に⑥で、私たちは必ずたくさんの巨人を生みだすことができると心から確信した断定で結んでいる。

 この段落は文と文が互いに受け継ぎ、緊密に結びつき、前後の文がつながり、一気呵成に述べられている。

 しかし、文章によっては表現上の一貫性(“連貫性”)に注意が払われていない場合がある。時には一つの話題がまだ言い終わっていないのに、別の話題が出てきて、聞く人に唐突感を与え、文脈がつながらないということがある。

   (2) 江南水郷,是捕魚捉蟹的地方。到了捕蟹季節,漁民們入夜便在河辺湖畔,処処是灯火在閃光,毎個公社可捉到数斤螃蟹。

 “漁民們入夜便在河辺湖畔”(漁民たちが夜になって川辺や湖畔で)とまで言って、その後どうするのか、文がまだ完結していないのに、その後にいきなり“処処是灯火在閃光”と、夜景の描写に入ってしまっており、意味がつながっていない。“湖畔”の後ろに“捕蟹”を付け加えると、全文の意味がつながってくる。

 一方、前の分句の意味は完全なのだが、後の分句が前の分句と意味がつながっておらず、話題が変わってしまい、語気がちぐはぐになってしまっていることがある。

   (3) 作家没有把簡・愛写成美麗多情、温柔嬌弱的天使,而是一個渇望自由平等、勇于和自己所処的悪劣環境作斗争的婦女。

 前の分句で、作者は“簡・愛”を天使であるとは書いていない、と言っており、後ろの分句は構造上、前句を受けており、意味の上では“簡・愛”のことを述べているようなのだが、これら二つの分句はつながっていない。もし後ろの分句の“而是”の後ろに“把她写成”を補うと、文の意味はつながるようになる。

 前後の文の意味の上での一貫性を保つためには、述べる方向を一致させるべきである。述べる方向の変換がうまくいかないと、文の前後のつながりがちぐはぐになりやすい。例えば:

   (4) 編輯人員要和人民群衆保持密切的聯系,要給他們深入生活和写作時間。

 前の分句では“編輯人員”のことを述べ、後ろの分句では述べる方向が変化し、彼らの上司のことを言っているかのように思われる。二つの分句は意味の上でつながりを欠き、ちぐはぐになっている。“給他們”を“有”に改めると、二つの分句は何れも“編輯人員”のことを言っていることになり、意味がつながる。

 述べる方向が一致した文であっても、分句と分句の間の構造が一致しない場合、文のつながりや文脈の流れに影響することがある。例えば:

   (5) 我們学校積極開展工作,落実各項政策,撥乱反正,整頓校風,把“四人幇”的流毒徹底粛清

 最後の“把”で始まる分句は、前の分句と構造が違い、調和していない。ここを“徹底粛清‘四人幇’的流毒”と改めなければならない。

 文の中間に、文と文をつなぐための接続性の語句が必要な場合がある。こうした接続性の語句は輪っかのようなもので、つながりの無い分句をつなげることができる。このような語句が無いと、文はちぐはぐなものになってしまう。例えば:

   (6) 許多青年同志喜歓読詩,也喜歓写詩。不管為了読詩或写詩,都不応該忘記我国詩歌的優良伝統,我們自然会想起唐詩,尋找這個詩歌的藝術宝藏。

 “不応該忘記我国詩歌的優良伝統”と“我們自然会想起唐詩”はつながりが無く、この間に接続性の語句が欠けている。もしここに“一談到詩”を加えてやると、文脈はきれいにつながる。

 接続性の語句は、関連語句(“関聯詞語”)である場合がある。関連語句を使うことで、分句と分句の間の意味の上でのつながりがよりはっきりする。必要な関連語句が欠けていると、文の一貫性に影響する。例えば:

   (7) 先澆了二十畝,過了四、五天,仍不見麦苗返青,倒有些発了銹,和県里的技術員研究,果然是澆早了。

  “和県里的技術員”と“研究”の間に、時間を表す関連語句の“一”を加えることにより、文脈はずっと通じやすくなる。

      -*- -*- -*- -*- -*- -*- -*- -*-

 文のつながり(“連貫”)の中で、前後の文のつながり(“上下銜接”)の問題を取り上げましたが、“連貫”にはまだ以下の課題があります。

(二) 文の組立てがはっきりしていること(“層次清楚”)
(三) 先ず列挙してそれを受け継ぐ(“列挙分承”)
(四) 補足説明が適当であること(“挿説適当”)

 これらについては、次回以降で説明していきます。


【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年


にほんブログ村 外国語ブログ 中国語へ
にほんブログ村