中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

中国語の修辞: 語句の代用

2010年11月26日 | 中国語
 本来ある人やある事物を指す名詞を使わず、その代わりに別の、この人や事物に密接に関係する語句に置き換えることを「語句の代用」と呼びます。語句の代用の目的は、ある人や事物の特徴を突出させ、連想を引き起こし、印象を深くさせることにあります。またそれ以外に、直接にその場で事物の名称を言うのが都合が悪く、その語句の使用を避け別の関連する語句で代用することにより、婉曲で含蓄のある表現にしたり、直接を避けてごまかすことも、語句の代用と言えます。

(一) 関連語句への代用 (“相関的借代”)

 別の、ある人や事物と密接な関係にある語句を用いて、元々ある人や事物を表す語句に代えることを言う。この修辞方法は話をしたり文章を書いたりする中でしばしば用いられる。例えば:“節省筆墨,白費唇舌”、“三個臭皮匠,賽過一個諸葛亮”(三人寄れば文殊の知恵)などの文で、下線の詞は代用詞である。“龍井”を使って浙江省杭州の龍井で生産された緑茶のことを言ったり、“紹興”を用いて浙江省紹興で生産される酒のことを言うのは、ほとんど固定的な名称になっている。語句の代用は二つの言い方が密接な関係を持っていなければならない。関係の違いで分類すると、こうした語句の代用の方法は何種類もある。例えば:
   (1) “還是這様麼?”三角臉的拿起茶碗,問。
      “聴説,還是這様”,方頭説,“還是尽説‘熄掉他,熄掉他’。……”

   (2) 她在黄堡擁擠着庄稼人的街上,転了三個来回。要在動蕩的戴草帽和包頭巾的庄稼人群中盯ding1一個濃眉大眼的紅臉盤,她眼睛太忙、太累了。

   (3) 白頭髪哭鼻涕的留下,年青力壮的跟我来。

 例(1)の“三角臉”、“方頭”は顔の形が三角形の人、頭の形が四角い人のことを言っている。例(2)の“濃眉大眼的紅臉盤”は捜しているこういう顔つきをした人のことを言っている。例(3)の“白頭髪”は老人のこと、“哭鼻涕”は子供のことを言っている。これらは眼で見たイメージの特徴を表す語句を用いることにより、人や事物を表す語句に代えた例である。

   (4) 現在敵人已経在磨刀了,因此我們也要磨刀

   (5) 他又是個挺紅的干部,長的又英俊,労働更可以頂住一個半人;没念過多少書,但靠着自修,肚里的墨水也不少。

 例(4)では“磨刀”という動作のイメージにより、戦争の準備をすることを言っている。例(5)は“墨水”という具体的な事物により、学問や知識が豊富なことを言っている。これらは具体的な事物を表す語句によって抽象的な事物を表す語句に代えた例である。

   (6) 若要派他去敵人据点,捉個把活舌頭,那也是老牌子,手到擒来。

   (7) 咱村是几百口人種着這些地,好収成,也只够gou4吃;一遇着天旱雨澇,几百張等着政府救済,如果年年過這様的日子,啥sha2時候才能到社会主義!

  例(6)は“活舌頭”を“敵人”の代わりに使っている。例(7)は“嘴”を“人”の代わりに使っている。これらは事物の一部を表す語句によって事物全体を表す語句に代えた例である。

   (8) 大炮吼叫,一陣比一陣猛烈,鋼鉄向敵人頭上傾倒。

   (9) 老楊同志到場子里什麼都通,拿起什麼家具来都会用,特別是好揚家,不只給老秦揚,也給那几家揚了一会,大家都説“真是一張好木锨xian1”。

  例(8)は“鋼鉄”を使うことで“炮弾”に代え、例(9)は“好木锨”(“锨xian1”はシャベルなど土を掘り返す道具)を使うことで“好揚家”に代えている。これらは材料や工具を表す語句によってこれに関連する語句に代えた例である。

   (10)純情作家或者生来独眼,或者瞎了一眼,永遠只看見林黛玉,看不見劉姥姥

   (11)立波同志即使不搞創作,不研究中国文学,他也是可以研究和翻訳外国文学的。我們都記得他不但翻訳過基希,翻訳過肖洛霍夫,而且在延安時還翻訳過雪莱,似乎没有什麼文学工作他是無能為力的。

   (12)老王上県城啦?李経理請你吸紅牡丹了吧!

 例(10)は《紅楼夢》の中の代表的登場人物を応用し、心根の純粋な“林黛玉”によっていわゆる純情作品の中の人物を代表させ、やり手ばばあの“劉姥姥”によって純情でない文学作品の中の人物を代表させている。例(11)は“基希、肖洛霍夫、雪莱”というロシア文学の登場人物を挙げ、それぞれの作家の作品を代表させている。例(12)は“紅牡丹”、赤い牡丹の花により、“牡丹”ブランドの真っ赤なパッケージの煙草に代えている。これらは典型(代表)的なイメージ、作者、商標などの語句を用いてこれに関連する語句に代えた例である。

 語句の代用という修辞手法はよく用いられ、事物の間の関係も多岐に亘り、したがって異なった関係から分類すれば、もっと多くの種類に細分できる。上記で挙げたのはその中のいくつかの主要なものであるに過ぎない。こうした修辞手法を活用する鍵となるのは、ある人物や事象の顕著な特徴を把握し、それに関連する語句を用いてその本名と置き換え、言語を変化に富ませ、イメージを生き生きとさせる。

 語句の代用と比喩は同じではない。比喩の二つの事物の間には相似関係がある。たとえ比喩の語句のみ言い、比べられる語句は隠されて言わなくても、二者の間には依然として相似関係が存在する。語句の代用は、二者の間が一般に相似関係ではなく、相関関係がある。例えば“祖国的花朶”は少年・児童を指し、比喩である。“紅領巾”、赤いスカーフを用いて“少年先鋒隊”を指すのは、語句の代用であり、少年隊員のシンボルを用いて少年先鋒隊員の代称としているのである。


(二) 忌避の為の代用 (“避忌的借代”)

 一定の言語環境の中では、自分では言いたくない、或いは言いにくい、或いは人の忌嫌うことに触れるものに出会うことがあり、わざと直接これらの事物を表す語句を避け、これと関連する比較的含蓄のある婉曲な語句によって置き換える。このようにして特殊な表現効果を得ることができる。例えば:
   (13) 今天光明的新中国已経到来,他這個最有資格看見它的人却永遠閉上了眼睛

   (14) 我已経是到時候的人了,患這病患那病総是走同一条路……

   (15) 射手倒了,班長也掛了花

 上の三つの例で、“永遠閉上了眼睛”は“死去”、「死んだ」に代わって用いられ、“到時候的人”は“快要死的人”、「もうすぐ死ぬ人」に代わって用いられ、“倒了”は“犠牲”に代わって用いられ、“掛花”は“負傷”に代わって用いられている。中国語の中で、“死”はしばしば様々な忌避の語句であり、例えば“以身殉職”、“停止了呼吸”、“離開了我們”、“心臓停止了跳動”、“見上帝”、“老了”、“不在了”、“乗風飛天”、“寿終正寝”などを用いてそれに代える。これは人々が直接“死”という文字を使いたくないので、多種多様な忌避的な修辞手段を取るのである。

   (16) 你的個人問題怎麼処理呀?
      “個人問題”是個代名詞,那意思誰都知道,大姐提起這事,我臉熱得発燙……

   (17) 歇了一下,他忽然関切地問道:“瑞娟常有信来嗎?啥sha2時候你們的喜糖呢!”

 例(16)では“個人問題”を「結婚問題」と言う代わりに用い、例(17)では“吃喜糖”を「結婚」と言う代わりに用いている。結婚や愛情の問題に言及する時、人々はしばしばストレートに言うのは憚られると感じ、様々な忌避の語句が用いられる。例えば“朋友”を「恋人」と言う代わりに用いたり、“那一位”、“那口子”を妻や夫と言う代わりに用いたりする。

   (18) 隔壁益大銭庄老板銭達人筒着袖子,也凑cou4過来,対二人哈腰努嘴説:“怕是個‘草字頭’吧?”章介眉卑夷地従鼻孔里発出一声“嗯ng2?”黄竟白低声代答道:“銭老板説他怕是個革命党。”

・哈腰 ha1yao1 腰をかがめる
・努嘴 nu3zui3 口をとがらせる。口を突きだして知らせる

 ここでは“草字頭”を“革命党”の代わりに用いている。この小説の内容の当時の社会環境では、こうした非合法の政治組織に関することばは直接言うことができなかったので、他の語句を使うという方法が採られたのである。

 忌避の為の代用(“避忌的借代”)は代わりに婉曲な語句を用いることである事物を直接言うことを避ける方法で、本によってはこれを“避諱”、或いは“婉曲”と呼ぶ。こうした修辞手法を用いる時には話の対象や環境に注意しなければならず、実際に使う必要があって、こう表現して問題ないことが確かな時に使うべきで、乱用すると、反って逆効果になってしまう(上手にやろうとしてかえってしくじる=“弄巧成拙”nong4qiao3cheng2zhuo1と言う)。

【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社 1995年


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