のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

柏崎潮風マラソン、途中リタイア。切り替えて笑顔でのランナー応援で得たもの。

2016年05月17日 06時55分15秒 | Weblog
バタフライナイフを手に持って、その刃を研ぎながら。
「いや、決してあなたに危害は加えませんよ。あ、これですか?万一の備えに持っているだけです。安心してください。仲良くしましょう。私は争いごとが大嫌いな平和主義の人間ですから!」
そういう人を信じられるだろうか?

飄々として馬鹿なことばかり言っている。
ずっこけオヤジギャグ連発、ときに場の空気を凍らせる。
けれど決して嘘は言わない。
いつも笑顔で誠実で、やりたいことをやっている。
その「やりたいこと」が人の道から外れることは決してない。
大きなことを成し遂げたわけではない。
有名人ではない、地位名声があるわけでもない。
その人がその人をよく知る人たちからこんな評価を受けるだろうか?
「いつも馬鹿なことばかり言っているから、あの人の言うことは一切信用しないことにしよう」

誤解をされている。
とんでもない濡れ衣を着せられた。
誹謗中傷をされた。
そんなときにするべきことはなんだろう。
必死になって言い訳をしまくる、正論をまくし立てる。
それで危機は去るだろうか。
普段通りの生活を続けて、いつも通りの行動をして。
自分がどんな人間かを言葉で語るでもなく誠実に体現する。
それでいわれのない災難がずっと続くだろうか。

回りくどいことを書きました。
ここからが本題です。

一昨日、柏崎潮風マラソン、四回目のフルマラソンにチャレンジ、28km地点で途中関門の制限時間に引っ掛かってリタイア。
走りながら完走が難しいと悟ったときから、周囲のランナーの応援に徹しようと切り替えた。
止まって、歩いていたわけじゃない。
満面の笑みで、それでもある程度のスピードを出して走りながらの応援。

新しい気付きがあった。
理屈ではわかっていたけれど、一昨日初めて実体験として身体で覚えたことがあった。
いろんな反応があって面白かった。
一瞬だし、余裕綽々で走っている人はいないから、気の利いた反応、たとえばお笑い芸人並みのボケやツッコミをしてくるランナーはいない。
なおかつ走りながらの私の声援に悪意の反応を返す人は皆無であった。

ランナーにとって沿道の応援はとてもありがたいものだ。
それはもちろんのことなのだけれど。
同じレースに参加しているランナーが自分の力を尽くしながらの応援。
それは違った形で心に響いてくる。

うん、これでいいんだ。
これからはこういう生き方でいこう。
ランナーとしても、記録記録と血眼になることはやめよう。
風を切って速く走るのは気持ちがいい。
でもひたすら速く走ればいいってもんじゃない。
記録を追求するランニングスタイルももちろんありだ。
けれど私は気質として違うのだろう。
給水所ではコップを掴んで走り去るのではなく、必ず止まってじっくり補給やメンテナンスをしながら、スタッフに軽口を叩いて笑顔で「ありがとうございます」と言う。
自分の記録よりも周囲のランナーを応援することを優先する。
それも素敵に思えてきた。
そんなランナーがいてもいいじゃないか。
「仮装道」に徹する素敵なランナーにも出会った。
私は私にしか出来ない走りをパフォーマンスを。

走ることは生きること、それ以上でも以下でもない。
食べること、寝ること、笑うこと、泣くこと、愛すること。
私にとっては生きることそのものと同列で、日々自然に行っているそれらと同じことなのだ。
日常生活に走ることを取り込む。
普段通りの自分のままで走る。
走ることが自分という「人間」の表現手段のひとつになればいい。
日々の走り、ランナーとしての資質向上。
それはタイム短縮のためが一番ではなく、笑顔で走れるスピードを上げて、制限時間内で完走できる大会を増やすため。

名誉のリタイア。
走り終えて、そんなことを思いました。
新しい世界が見えた。
今までと同じだけれど、今までと違う生き方も追加しようと。
今、そんな気持ち。
笑顔、感謝、充実。
うん、それでいい。(o^^o)

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