昨日、無事、父の葬儀を終えることができました。
喪主として、その中心に立つことができた。
参列してくださった方に言われて一番嬉しかった言葉
「いいお葬式でした」
それはお世辞ではない、ピンとくる感性は持っていますよ。
一夜明けて、一日を過ごして。
初めての真の意味でのわが家の中での独りぼっち。
親戚、最も近い身内の姉一家。
例外なく別れるときにものすげー不安そうな表情になる。
言葉にださない、大丈夫?ってね。
信用はちゃんとされている。
小説や映画、ドラマ。
こんなときにありがちな、人生最悪で極端な行動。(←なんだかわかるよね)
何があっても、私だけでなく周囲をどん底に突き落とすそれには決して走らない。
参列者全員から私がそういう人間である信用はちゃんと得ている。
そこをひとりでも信用してくれない人がいるなら、この一週間で何よりのがっかり。
私の日々の言葉や行動、それが嘘とならず皆に伝わっていたことが何より嬉しかったですね。
そもそもそこのところの信用がなかったら、姉は一瞬たりとも私を監視なしの独りぼっちにしないでしょうから。
元気になりました。
別にカラ元気ではないですよ。
心から愛する父親、私を愛してくれた父親。
葬儀の翌日に無理をするわけでもなくニコニコしている。
とてもレアなケースなのでしょうけれど。
よかったです。
一昨年の四月末が始まり。
母が脳梗塞で倒れてから約三年。
ははを自宅で看取って、それからは衰えていく父を自宅でサポートする。
仕事をしないでそれに集中した生活。
やりきった、手を抜いたなんて誰にも言わせない。
シモの世話、私自身の睡眠サイクル、その他諸諸の生活状況。
最終的にとんでもないことになったわけですけれども。
三年前の父ならあり得ない「ありがとう」ってセリフを私の目を真っ直ぐ見て言ってくれて。
皆さんは想像できないでしょうけれどね。
「いつも笑顔」とこの私が一回だけワーッと泣きました。
けれどそれは父の死や介護そのものによるものじゃなかった。
そこに関する後悔、一切なかった。
やりきったという自負。
救急搬送の前日まで晩酌を欠かさなかった。
意識を失って、つねろうが何をしようが痛みを感じない。
姉と私、姉の子どもたち。
生きている間に全員が対面した。
そして二日後、私が手を握って、病院スタッフが気を利かして、部外者が誰も居ない個室で、心電図フラットを私が確認。
今しかないでしょ!と姪っ子にお願い。
父と私と母の写真、お酒その他の大好物。
それを全部入れた記念写真を私の満面の笑顔とVサインでハイチーズ。
テーブルには花瓶に挿した庭の紫陽花。
最高に幸せな死に方なんて言うと語弊があるのかもしれないけれど。
88歳。
少なくとも不幸な人生の仕舞い方ではなかった。
今日、外せなかったスケジュール。
お花屋さんに挨拶、お礼に行った。
わが家の花はいつもそこで買っていた。
亡くなって自宅に安置して、いわゆる枕花をお願いして。
父の写真といつもの私のイメージでと。
そのお花屋さんの中でも一番私が信頼していた人がアレンジメントを担当してくれて。
感動ものの作品になった。
骨になって自宅に帰ってきて。
葬儀社の用意したものと含めて仏壇と骨箱の周りは花でいっぱい。
うーん・・・できればその風景を生で見て欲しいなあ。
父も母も絶対喜ぶし。
ダメもとで遠慮した表現を心がけて意思だけ伝えて。
どうなるか、あとはわかりません。
同時に鉢植えを買った。
この日の記念に。
冬を越して数年は持つ、この季節に花を咲かす。
その条件でプロの視点で候補を出してもらって最終的に私に選ばせてくれた。
そして明後日平成28年6月12日(日)
お父さん、せっかくだから行ってこいと気を利かせてくれたのかな?
うん、行ってくるね!
稲取キンメマラソン(http://izufull.com/kinme/)
【今日の写真】
それがこれです。
ほんと、みんなみんな、ありがとう!
喪主として、その中心に立つことができた。
参列してくださった方に言われて一番嬉しかった言葉
「いいお葬式でした」
それはお世辞ではない、ピンとくる感性は持っていますよ。
一夜明けて、一日を過ごして。
初めての真の意味でのわが家の中での独りぼっち。
親戚、最も近い身内の姉一家。
例外なく別れるときにものすげー不安そうな表情になる。
言葉にださない、大丈夫?ってね。
信用はちゃんとされている。
小説や映画、ドラマ。
こんなときにありがちな、人生最悪で極端な行動。(←なんだかわかるよね)
何があっても、私だけでなく周囲をどん底に突き落とすそれには決して走らない。
参列者全員から私がそういう人間である信用はちゃんと得ている。
そこをひとりでも信用してくれない人がいるなら、この一週間で何よりのがっかり。
私の日々の言葉や行動、それが嘘とならず皆に伝わっていたことが何より嬉しかったですね。
そもそもそこのところの信用がなかったら、姉は一瞬たりとも私を監視なしの独りぼっちにしないでしょうから。
元気になりました。
別にカラ元気ではないですよ。
心から愛する父親、私を愛してくれた父親。
葬儀の翌日に無理をするわけでもなくニコニコしている。
とてもレアなケースなのでしょうけれど。
よかったです。
一昨年の四月末が始まり。
母が脳梗塞で倒れてから約三年。
ははを自宅で看取って、それからは衰えていく父を自宅でサポートする。
仕事をしないでそれに集中した生活。
やりきった、手を抜いたなんて誰にも言わせない。
シモの世話、私自身の睡眠サイクル、その他諸諸の生活状況。
最終的にとんでもないことになったわけですけれども。
三年前の父ならあり得ない「ありがとう」ってセリフを私の目を真っ直ぐ見て言ってくれて。
皆さんは想像できないでしょうけれどね。
「いつも笑顔」とこの私が一回だけワーッと泣きました。
けれどそれは父の死や介護そのものによるものじゃなかった。
そこに関する後悔、一切なかった。
やりきったという自負。
救急搬送の前日まで晩酌を欠かさなかった。
意識を失って、つねろうが何をしようが痛みを感じない。
姉と私、姉の子どもたち。
生きている間に全員が対面した。
そして二日後、私が手を握って、病院スタッフが気を利かして、部外者が誰も居ない個室で、心電図フラットを私が確認。
今しかないでしょ!と姪っ子にお願い。
父と私と母の写真、お酒その他の大好物。
それを全部入れた記念写真を私の満面の笑顔とVサインでハイチーズ。
テーブルには花瓶に挿した庭の紫陽花。
最高に幸せな死に方なんて言うと語弊があるのかもしれないけれど。
88歳。
少なくとも不幸な人生の仕舞い方ではなかった。
今日、外せなかったスケジュール。
お花屋さんに挨拶、お礼に行った。
わが家の花はいつもそこで買っていた。
亡くなって自宅に安置して、いわゆる枕花をお願いして。
父の写真といつもの私のイメージでと。
そのお花屋さんの中でも一番私が信頼していた人がアレンジメントを担当してくれて。
感動ものの作品になった。
骨になって自宅に帰ってきて。
葬儀社の用意したものと含めて仏壇と骨箱の周りは花でいっぱい。
うーん・・・できればその風景を生で見て欲しいなあ。
父も母も絶対喜ぶし。
ダメもとで遠慮した表現を心がけて意思だけ伝えて。
どうなるか、あとはわかりません。
同時に鉢植えを買った。
この日の記念に。
冬を越して数年は持つ、この季節に花を咲かす。
その条件でプロの視点で候補を出してもらって最終的に私に選ばせてくれた。
そして明後日平成28年6月12日(日)
お父さん、せっかくだから行ってこいと気を利かせてくれたのかな?
うん、行ってくるね!
稲取キンメマラソン(http://izufull.com/kinme/)
【今日の写真】
それがこれです。
ほんと、みんなみんな、ありがとう!