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旧精神科医療は思想警察なのか?

考えの狭い人間のこと、精神障害者とは?【考察】

2017年08月02日 | 精神科看護
私は時間があると、近所のカフェへ読書をしに行きます。
セルフサービスなので、システムがわからないとレジが混みます。
ポイントが付くため、地下鉄のカードで購入したい、できないのか?とごねている客がいました。
本来なら『当店ではお取り扱いしておりません』で終わりなのですが…。
そこで、何故か?と問答が始まるのです。
自販機やコンビニで使えるのに、何故カフェが使えないのか?と。
当然、レジは他の注文待ちのお客さんで、長蛇の列。
身なりや言動で『あ、精神障害者だ』とわかります。
スーパーでもレジに並ばない、空いているレジに横入りする人がいます。
身なり、言動から『精神障害者』です。
プシコの多い地域では、カフェにおいてある、無料の砂糖やらストロー、お箸、スプーンが大量に無くなります。
無料だから、いちいちスーパーで買うと損だからとゴッソリ持ち帰るのです。

社会性がない人=精神障害者
であり、
物の本に書いてある『病気により、社会性を失い、社会性の障害を受けた人』のことを精神障害者と定義している福祉系のテキストは多いです。
???
なのんのことやら?ですね。
何の病気なの?って話です。

その病気とやらの症状は概ね以下の通り。

空耳が聞こえる、
他人に恨まれていて、命を狙われている
他人が馬鹿にしているように思え怖い、腹がたつ。
やる気が出ない、、、、

以下のように換言できます。

思い込みが激しいだけ。
自己中心的な考えが強いだけ。
自信がないだけ、努力しないだけ。
自己評価が低いだけ。
他人に認められたいだけ。

…な人のことですよね。

確かに生活障害や社会障害はでますよね。
勝手ワガママですから。

自罰的か他罰的に行動が出るかで入院するかデイサービスかは別れるとは思いますが…。
その原因は、単に教育不足です。
その中に、反社会的行動が含まれますので、その人たちは自制する訓練も必要です。
しかし、あまりに動物的な欲動、衝動が抑制できない人は、一般社会には出られません。
隔離室を出られない人は残念ながら、動物以下の存在なのです。
社会性を獲得するために、トレーニングはしたはずなのですが、精神病院という塀の中ですら、社会生活ができない人…。かわいそうですが、動物以下でしょう。
姿かたちは人間ですが、中身な獣そのもの。
長年、隔離室に閉じ込められ拘禁状態が作られ、精神薬で頭がラリってしまい、社会が見放す。

ここまでは行かないにしろ、精神障害者とは、自らトレーニングや教育不足を棚に上げ、自力で社会生活に入ろうとしない堕落した人たちのことです。
一定数、そういう人たちを産み出し、恒常的に施設存続意義を確立するために、敢えて外に出すリハビリの努力をしない。
彼らは無気力になり、それを個性と勘違いし始める。
彼らに必要なのは、教育と訓練であり、麻薬と閉鎖施設ではない。

本来、精神病院は訓練施設、教育施設であるべきで、それを治療というならば、筋は通ります。
音楽聴いたり、散歩したり、、何の意味があるのでしょう?
草むしりしたり、食材の買い出しのために外出したり、一部公共事業を請け負い、ドブ清掃したり、病院や病室、レクホールを清掃したり、カルテを整理したり、事務作業を手伝ったりすることが、治療行為なんだと思いますが。

彼らは知能が低く、生活する知識、知恵がありません。
社会性が低い。
それを厳しく教えることが治療、リハビリです。
麻薬漬けにして、塀の外に出さない事も大切ですが、
訓練して外に出す施設も必要ですよね。
ですから、矯正施設として、再考するべきだと、社会に出てきた精神障害者を見て感じました。
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