心のハンドル操作方法 幸せに生きるための教習所

旧精神科医療は思想警察なのか?

鬼滅の刃からみる、救いを求める読者心理

2021年01月24日 | 看護師になってはいけない

私は看護学校で専任教員をしていますが

「生活していくために、食べていくためにという理由で看護師としう職業を選択してはいけない」

といつも学生に伝えています。

「給料安くても、夜勤あって体力きつくても看護師という仕事がしたい」

という人しかまともに続けられない職業であると伝えています。

 「手に職」という甘い言葉に騙されてはいけない。

 国家資格を取得してから10年働いてやっと手に職であり、資格を取得しても5年以上働けなければ、手に職でもなんでもない。

 嫌な事を5年以上、それこそ10年以上続けることができますか?

 

「生活保障はしてやるから嫌いなタイプの人と、嫌な人と一生生活しろ」と言われたら気が狂いますよね?

「貧しくてもいいから、好きな人と、気の合う人と一生生活した方が幸せだ」とは思いませんか?

 

看護学校に看護師を目指して入学してくる学生は、社会人も含め「食べていくために何か手に職をつけたい」という動機で来る学生が多い。

つまり

「生活保障はしてやるから嫌いなタイプの人と、嫌な人と一生生活する人生」を選択してくる人が8割くらいいます。

「自分の持っている可能性」を否定して、「看護師という国家資格」に希望を持っているのです。

しかも大半が、親や進路指導の教諭から勧められて看護学校や大学に進学してくるからたちが悪い。

私は看護学生を舐めていました。自分で選んだ道なのに最近これが正しいのか分かりません。
毎日の大変さにストレス半端ないです。毎日の課題、毎日のフルコマ授業、テストの多さ。

やりたくもない、好きでもない、興味もない事のために

毎日山のような課題、1年生のうちから国家試験対策ばかりさせられ

「憐れだな、気の毒だな」

と傍から見ていて感じます。

そして臨床に出れば、毎日業務に追われ、不規則勤務、性格が悪い、どぎついスタッフと仕事をしていかなくてはならない日々が死ぬまで一生続く。。。

転職しようにも、看護師以外何も知らない、できない。

新卒でない限り、職場は選べない。

自己顕示欲、プライドの塊、意地悪なスタッフしかいない職場しか残されていない。

 

「新型コロナウィルス騒動」という茶番劇のおかげで、看護学校を辞めていく学生がチラホラ出てきました。

私としてはとても嬉しい気持ちでいます。

学生がいなくなって給料が支払われなくなったら困るだろ?と考える方がいるかもしれませんが

私としては「看護教員として仕事を失っても、地獄のように嫌な事を続ける学生たちが一人でも減っていく姿」の方がよい状態であり、その結果、仕事を失ったとしても、それは本望なのです。

 

人出不足、人出不足と言いながら、看護師養成の大学をどれだけ新設しても、人出不足が解消しないのは、「好きでもない、やる気もない人をどれだけ沢山集めても続かないからすぐに辞める」

という現実を直視していないからであり、

「看護教育、看護師養成そのものが利権になってしまっている」という大問題に誰もメスを入れようとしないことが看護師不足問題の解消につながらない原因なのです。

看護師は大学で勉強する必要はなく、専門学校で十分で、それよりも1日も早く臨床で経験を積むしか成長していく方法がありません。

さらに言えば、医療、介護職は現場で働いてみないと向き不向きがわかりません。

車の運転が怖い、車の運転に向いていないと思っている人が、

「運転免許を取る前に車を購入して、車庫まで建てて、民間保険に入ろう」とする姿を見てどう感じますか?

私なら、車の運転が怖いなら、自転車で生活しますし、車の購入費用や車庫の費用、保険代を使って、タクシーやバス電車を使って移動しようと考えます。

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看護学校、看護師養成コースもこれと同じだと思います。

車の運転が楽しくて仕方ない、車を買ってあれもしたい、これもしたいと思って自動車学校に来ている生徒は上達も早い。

「親が運転免許くらいとってこい、田舎だから運転免許いるぞ」と言われ、嫌々教習所に来る生徒は、なかなか免許取得できません。

鬼滅の刃のストーリーは

 

家を留守にしている間に、一家全員を殺害された主人公、

その殺害現場で妹だけが偶然生き延びていたが、その妹は頭がおかしくなってしまう(鬼化)

人を食べようとする(カニバリズム)になってしまった妹を治療する方法はないか?

一家を惨殺し、さらに妹を精神病にしてしまった犯人に復讐をするための旅が始まる

 

という感じです。

鬼とは欲望まみれに生き、己の欲望を究極までに高めよう、追究しようとする人達の集まり。

 

その中でもトップクラスの犯罪者、良心のかけらもない、欲望の塊のような暴力団、反社会的勢力のような存在が、上弦の鬼と呼ばれる存在。

この作品の中では、鬼も4段階あり、

1)鬼の開祖、始祖と呼ばれる、鬼仏寺無惨(組長)

2)上弦の鬼1~6 弘道会、若頭などの幹部(運転手付きでベンツやセルシオに乗っている人)

3)下弦の鬼1~6 チンピラ、ホスト、芸能人、EXILE、EXIT、演歌歌手

4)雑魚の鬼    egg系、パリピ系    

が存在する。

 ここから面白いのが、この鬼を討伐する組織、鬼殺隊のスポンサー一族「産屋敷家」から、鬼の開祖が生まれたということ。

 鬼殺隊(警察)と鬼たち(山口組)と争っているように見えて

実は、トップは政治家と繋がっている、お家騒動が発端で、私怨が社会問題にまで発展していることなのです。

 安倍晋三が選挙の際、対立候補を選挙妨害を暴力団に依頼し、成功報酬が少なくて自宅に火炎瓶を投げ込まれた事件「#ケチって火炎瓶」事件がありましたね。

#ケチって火炎瓶 山本太郎vs安倍晋三総理 2018年7月17日 参議院 内閣委員会

 安倍晋三宅火炎瓶投擲事件 - Wikipedia

 

鬼(ヤクザ)がみかじめ料を取りに来たり、時々流れ弾に当たって巻き込まれるというのが許せん!と、悪事を働くヤクザを警察が取り締まるのが、鬼滅の刃のストーリー。

警察も鬼(政治家)を守っているから、ヤクザと同じですけどね

 

この作品の魅力は、テンポの良さと勧善懲悪なところ。

上級の鬼たちは、戦いの中で、主人公たちの真っ直ぐな生きざまに感銘し、心打たれ、鬼になったことを悔やみ、最後は人間の心(霊の存在)を取り戻して消滅していく。

「己の欲望を追求していった結果、こんな醜い姿になってしまった」

と自ら罪に気付いて消滅していくことを選択していく。

欲望のままに生きてきたことを後悔して消滅していきます。

 

ヤクザになって、良心を失ってしまったが、警察に捕まり、刑務所に入って更生して堅気に戻るということでしょうか?

力、武力を求め、武力に任せ欲しいままに略奪してきたのに、さらに強い武力に負けて、改心するというお話。

 

この悪い人達(鬼)が改心していく様子、人間模様を見て読者は心を打たれるのかもしれません。

「本当はまっすぐに生きたい」

「義務的に生きたくない。食べていくためだけにいやいや仕事したくない」

「自分らしく生きて、世の中から必要とされて生きたい」

まともな人ならこのような考えを心のどこかに持っています。

しかし、どうやって生きれば「まともに生きられるか分からない」その方法を知らないため、漫画の世界に

鬼滅の刃」の人間模様に救いを求めているのではないかと感じます、

救われていく幹部クラスの鬼たちを見て、

「自分も救われたい」

と「救いを求めている読者心理」にヒットしたのだと思います。

 

 救いを求めている現代人の琴線に触れた作品が、鬼滅の刃だったのです。

それでは、話を本題に移していきますが、今私たちが生きている現代に「救い」はあるのでしょうか?

「自分が好きなように生きて」煉獄のような使命が果たせるのでしょうか?

 

 残念ながら、この世で「使命」や「天命」を見つけて果たしていくことはできません。

 

それはなぜだかわかりますか?

 

 人間の基準は、両親や学校教育、テレビ、マスコミが作り出す「常識」によって形成されます。

 しかし、その常識が間違っているものだとしたら?

2017-08-09
テレビは洗脳装置。嘘でも放送しちゃえばそれが真実!TBS

 その基準となる「常識」をもとにどれだけ試行錯誤して、どれだけ努力しても「使命はみつからない」し

「自分が使命だと思ったこと」も「努力して手に入れたとしても、全て間違いである」のです。

 だから最終的に「どれだけの富や権力、名誉を手に入れても”心に救いがない”」のです。

 

 本当に救いを求めるなら、使命を果たせるような”熱い生き方がしたい”と思うなら、この世の中が悪なる思想、悪人たち、偽善者によって牛耳られているという事実を知って、私たちが今まで積み上げてきた常識や学歴、国家資格などは「すべて嘘」「すべて無価値」だと受け入れることから始まります。

 現実を論理的に理知的に見ていくと「悪魔の思想に毒された一部の人達が権力を握り支配し来た」という事実を受け入れてください。

 その事実はRAPTブログで知ることができます。👇 

RAPT×読者対談〈第129弾〉日本は在日ヤクザに牛耳られている。(麻生太郎と朝堂院大覚と嵯峨天皇)

●悪魔とは空想の産物ではなく、架空の存在でもありません。悪魔崇拝者たちはそんな非現実的なものを拝む連中ではありません。

悪魔が人の心を破壊し、その命を生贄として捧げる二つのパターン。

「悪魔」と「悪霊」の違いについて。「イルミナティ」と「フリーメーソン」の違いについて。(1)

悪人たちが、人間の良心のレベルを超えて悪事を行うことができるのは、彼らの思想が悪魔に毒されているからです。

悪なる思想で充満しており、ここでいう悪なる思想とは

「刑法に触れるような、殺人、強盗、強姦、放火をすること」ではありません。

悪なる思想とは「自尊心・プライド(見下されると腹が立つ)、不遜(相手を見下す)、怠惰(楽して過ごしたい)、怒り、嫉妬、情欲、強欲」を持ち続け、

「それらの感情を満たすことで、人間は優れているのだ」

という思想を持っていることです。

その思想に基づき欲望を満たすために、平然と法を捻じ曲げたり、犯罪を隠蔽できるように警察組織を支配したり、ヤクザを使って口止めをすることに良心の呵責がないのです。

不正を行うことを「必要悪」だと本気で信じているのです。

 

こんな思想や考え、どこから来たのか?と聞かれても答えられる人は少ないと思います。

学校では

「クラスで仲良くしなさい。

 困っている人を助けなさい。

 お互いに助け合いなさい、弱い者いじめをしてはいけません」と教えられるのに、

中学や高校、さらに社会に出ると、間違った競争が開始され

「成績の優劣だけで人を判断し、お互いがいがみ合い、

 困っている人をみんなでバカにして、弱い者からさらに取り立てて、

 自殺するまでいじめをして憂さ晴らしする」

のが当たり前の大人の社会に入っていくのです。

 こういった人間を絶望させ、自殺させ

「神なんていない」と思わせるように社会を作っていこうとしている人達が現実にいるのです。

「自分たちさえ栄えればそれでいい」という自己中心的な考え方を美徳としている、自尊心に支配されてしまっている人達が社会の中心にいることがバレないように、学校教育では

”人を疑ってはいけない”と性善説ばかり押し付けてくる現実に気づいている方がおられると思います。

 

私たち人間はそれぞれ、個性を与えられてこの地上に生まれてきています。

この地上で人生100年しかない期間を「死ぬまでの単なる暇つぶし」として過ごすか?

それとも「使命を果たすために、燃え尽きるまで頑張る100年間」とするか?は

人生の目的、人間とは何か?について知らなくては始まりません。

本気で知りたいとお考えの方は、RAPTブログ有料記事をご覧ください。

RAPT×読者対談86 人生の取扱説明書の値段はいくらが適正か?

RAPT有料記事284(2018年6月11日)我々人間がこの世に生まれてきた目的は、霊魂の救いと成長のためだ。

 

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