心のハンドル操作方法 幸せに生きるための教習所

旧精神科医療は思想警察なのか?

患者の利益のために働くのが看護師なのか?

2021年02月13日 | 精神科看護

精神科看護を講義で教えていると、「先生、精神科看護って何なんですか?」

と直球で質問してくる学生がいます。

 

これは素直でよいと思うのですが、私がいつも答えるのは

「脳機能、精神機能に異常や低下をきたして、社会生活できなくなった人をリハビリして、社会に戻ってもらうことだよ」

と伝えます。

 

脳機能や精神機能が低下すると、人間関係をうまく形成できない。

つまり、社会の中で生活していくことができない。(対人関係というのはとても高度な脳機能がないと形成できません)

 

しかし「友達たくさん作る、パーティして充実した余暇を過ごす」ことができなければ社会生活できていないなどとは言っていません。

「社会の中で摩擦を起こすことなく、かといって自分を押し殺して忍耐と我慢だけして、自分を隠していきなさい」

と言っているわけではありません。

どうやって自分を出していけば社会生活できるのか?どうやって社会と自分とを折り合いつけていくのか分かって生きられるということです。

 

「わがままではいけない、相手を尊重し、自分を尊重する」という基本的な方法を身に着けることが第一になります。

 

各論、方法論についてはここではあまり説明するつもりはありませんので、別の機会に譲ります。

 

とはいっても、慢性期病棟に長期入院している人たち(患者)は

「退院したがらない」「社会に戻りたがらない」

という現実があります。

それはなぜか?というと詳しくは以下の動画で解説していますので興味のある方はご覧ください。

第22回 精神障害者への3漬けによって損害を被るのはだれなのか?

 

精神科看護とは何か?と学生から質問を受けて、「社会に戻すことだ」と説明しても、

看護自体が「患者が望むことを第一にすること」という前提があるため本質からズレてきてしまいます。

 

つまり、「人間としてのあるべき姿」を優先するのでなく、「患者の個性や患者の欲望をかなえること」を優先すると

精神病患者、精神障害者の希望とは何かというと

「ここで暮らせればいい、退院しなくてもいい」

という「諦めの境地」を実現することが精神科看護の役割になってしまうのです。

 

「欲がなくていいじゃないか」と思う方がいるかもしれませんが、そういうわけではありません。

「お金は自由に使えない。恋愛もできない。移動も自由にできない。」

ただし「寝る場所は与えられる。食事も3食食べることができる。一月の小遣いは5,000円はある。

さみしいとき、だれか職員が話し相手になってくれる」

精神病院に入院している人たち、特に長期入院している人たちはこのように「夢や希望なく」生きています。

 

「いまさら夢や希望を持って生きるのは辛いから、人生は死ぬまでの暇つぶし、暇つぶしの相手になってくださいな」

 

まるで、姿かたちは人間ですが、動物園でケージに入れられている動物たちと同じような生活を望んでいるのです。

動物たちは見世物として死ぬまでの暇つぶしで生きているだけです。

 

動物園で長期間生活していた動物は、野生に戻ることはできません。

自然界は厳しいのです。

自然界は厳しいけど、野生で生きている動物たちの躍動感や生命力には感動すら覚えます

本来の「動物らしさ」があるからでしょう。

 

動物園にいれば、飢えを凌ぐことはできますし、天敵から襲われる心配もない。しかし幸せそうにしている動物はいませんよね。

ただダルそうに1日過ごしているようにしか思えません。

 

精神病院も動物園と同じ。

①社会の偏見から守ってもらえる精神病院という国が作ってくれたユートピアで生活するか?

②社会の偏見の中でも夢や希望をもって、全力で必死に毎日を生きるか?

 

この2者択一を迫られたとき、多くの人は①を選び

「一生、仕事しなくていいから、精神障害者でいいや」という選択をするのです。

 

ですから、精神科看護が「患者の望むことを第一に考える」のならば

「心穏やかに、生活機能を落とすことなく過ごすことができる」というのが、”耳障りの良い落としどころ”

つまり結論になってしまうのです。

 

看護師はどれだけ無力感に苛まれるでしょうか?

 

「無理したくない」

「このままでいい」

という現状維持、

努力、成長を求めない人間に対して

つまり「自らの足で立としない人」をどうやって支援すればいいのでしょうか?

5体万足なのに、本人が、その機能を使おうとしないのです。

 

患者の自立を阻むものは、

「障害者手帳、障害者基礎年金、向精神薬」であり、この仕組みを税金を使って実現しているのが、政府、国家なのです。

家族が家庭で面倒見切れない、社会の厄介者を精神病院に押し込めておけという政策が前提にあるのです。

その

①一風変わった厄介者

②家族という小さな社会から爪弾きにされた人たち

を一生面倒みるために

③社会の治安維持をするために

精神病院があるとしたら。

「お前、変だから精神病院へ行け」

では人権問題になるので理由付けが必要になります。

 

そのため、「お前が変なのは、変わっているのは、病気がそうさせているんだ」と科学的根拠のない医学でレッテル貼りして

「国民医療費」を使って「不治の病」として死ぬまで面倒見る場所が精神科病院の役割なのです。

世間と、周囲の常識とずれている行動をするから、浮いてしまう。社会から爪弾きにされる。

その行動異常は、インプット、アウトプット機能、精神つまり脳機能の異常から生じます。

しかし、その行動異常を

社会になじまないというだけで、「変人」「異常」「危険人物」ととらえるか?

それとも「個性」ととらえるか?で変わってきます。

「一般人>>>精神障碍者>>>犯罪者」

 

「一般人以下」「犯罪者以上」

何か犯罪など凶悪事件が起きると、すぐに精神科通院歴を報道するマスコミ。

 

これが社会の認識ではないでしょうか?

 

社会に放置すれば、生活能力が低いため生きていくために窃盗などをして「犯罪者」側へ流れてしまうかもしれない。

とはいっても、社会の中で仕事をし食べていくだけの給料を稼ぎ自立して生活していくだけの能力はない。

そんな人がいたら家族は負担にかかるため存在も疎ましく思われる。

 

その受け皿を精神科病院が担っている。

国民が知らないところで、そんなことのために、医療費が使われている。

医療でもなんでもないのに、「治療費」として診療報酬が支払われ病院や製薬会社に医療費が流れていく。

 

日本の精神科病院は90%が民間病院、つまり営利企業なのです。

患者を退院させれば、収益が減る。

つまり、倒産です。

A:どんどん病人を量産して入院させるか?

B:それとも扱いやすい患者を長期入院させるか?

どちらが経営効率が良いでしょうか?

今の精神科病院の経営はこの2極化しています。

(大規模デイケアに通所させて、薄利多売を狙う経営も流行っていますが、)

効率性でいえば「B」の手法が主流です。

 

精神科以外の一般医療では慢性病棟は地域包括ケア病棟にされ、在宅医療にシフトしているのに

精神科医療だけはいまだに入院医療が許されていることに違和感しか感じません。

社会的受け皿が足りないのでなく、意図的に政府が作っていないだけです。

それはなぜか?

患者、家族、医者、看護師、病院経営者など多くの関係者が

「誰もそれを望んでいないから」です

 

ですから、精神病院では「B」を促進するために、入院生活は居心地のよいものに、つまりホテルのようにしています。

税金で入院できるホテル、それが精神科病院の正体なのかもしれません。

 

「少し自由は制限されるけど、炊事家事なし、三食昼寝付きで、お風呂も週2回は入れる。恋愛や好きな時に旅行や外出はできないけど

 好きな時に起きて、好きな時に寝ることができる、ノルマや努力目標もなく、一生仕事しなくていいよ。」

と言われれば、多くの人は楽なほうを選択してしまいます。

 

「退院したくない」

「退院しなくていい」

そんな世界が存在しているのです。

 

精神障害者の地域移行支援も同じようなもの。

 

仕事しなくてもアパートやグループホームが与えられ、3食昼寝付きの生活ができる。

人恋しさから「やっぱり精神科病院がいいや」と回転式ドアのように戻ってくる。

 

人間は自分の頭で、脳を使って生活しなくなるとどんどん衰えていってしまいます。

日本の精神障害者への支援は「治安維持」厄介者を隔離しておくための補助金漬けでしかない。

 

だから、慢性期の精神病院に実習にいっても何も得るものがない。

患者本人が「退院したくない」んだから。

家族は「退院してきてほしくない」んだから。

 

「この患者さん、どこが悪いのかな?」

これが学生の率直な感想。

 

だから「人間はここまで落ちていくのだな」くらいしかわからないだろう。

 

ある意味、社会が生み出す「病気」が精神病なのかもしれないのです。

国や文化や社会が変われば病気の定義がコロコロ変わる。

それが精神病の正体。

精神科看護の講義では海外の精神保健福祉を深く教えない。

テキストにも詳しく載っていないし、看護師自身、福祉を勉強していないから教えられない。

精神保健と精神福祉、この2つを理解せず

精神科医療しか知らないから、精神科看護とは何か?について

「精神病という不治の病を抱える(原因不明の難病、慢性疾患)
人が治療生活においてQOLを低下させないようにしていく」

くらいしか答えることができない。

 

まともに精神科看護を語れるときが来るといいな。

そう思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

精神看護学の真実を知りたい方、深めたい方はぜひこちらの動画をご覧ください。

精神科医療とRAPT理論2020

 

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