魚板 と 木魚の違い。

2007-08-09 | Weblog
 
 先月 高野山に行った時 自分にお土産を買いました。
(私は 自分が頑張ったなぁ、と思う時は 自分にご褒美をやることにしています。
ほとんどケーキですが・・・・・)

 今回の旅行の自分へのお土産は 写真の魚板です。
大きさは 頭から尾っぽまでで60センチ位 重さは 4キロ位です。

 高野山のお土産屋さんで 見つけました。
弟から『何?~ こんなの買うの?』
兄からは『おいおい! またこんなの 見つけて何するの?』
兄弟からは批判の目。

 私は一日目から4㌔の魚を背負って旅行するわけには行きません。

今晩 ここに泊まるのだから 明日 考えよう。

バスの中でも 『一つしかなかったから 明日まで売れてるよ!』
『明日は値段が倍かも』 とさんざんバカにされました。

 翌朝 そこの店に入るなり まっすぐ 昨日下げてあった所に行った。
『オー あったぁ!』
私は迷わず買いました。宅配をお願いしました。

 さすが兄は そっと見に行ったのか 母に『あの魚板 売れて無いよ。残念がるだろうにぃ』と小声で言ったそうだ。
母は『いや OO子が買ったんだよ』

  そんな経緯で魚板は 今 私の部屋で 私を楽しませてくれています。

魚板は よくお寺に下がっていますが なぜ お寺なの?

 私の高校の時の国語の先生が お寺の息子さんでした。
合宿などで 先生の実家のお寺の本堂に泊まったこともありました。

 その時の話し
『お寺で 「お昼の食事ですよー」、と修行僧を呼ぶとき 魚板を打つんだ。
ある時 ある小僧さんが 「私たちは毎日 精進料理ばかりで 魚や肉に縁が無いのに なぜ魚板を打つのか?」と和尚さんに聞いたそうだ。
そしたら 和尚さんが 「お寺の池を見なさい。大きな鯉がいるでしょう。
その鯉にエサをやる時 ポンポンと手を打つじゃないか。すると鯉は集まって来る。
その鯉からのヒントで 魚板が出来たらしいよ」と言った。

 私は その時『魚板は分かったけど では木魚は?』と聞きました。
すると先生は  
 『木魚はねぇ。 魚には瞼が無いんだ。眠くても瞼が無いため寝れないのだ。 ひと晩中 仏さまを眠らないで守っていられる魚が使われたんだ。修行に精進することの象徴であったためかもね・・・』 そう教えてくれたのを 思い出しました。

私は やっぱり この魚板を買って来て良かったと思っています。
この次は 木魚を買おう!(仏壇が無い)

『トントントン、トントントン』木魚のような いい音がします。