「常若美人道」から 「色若美人道」に進化しました。
カラーコンサルタントの
ことさき喬有子です。
アラ還以上の
年齢を重ねても
自分らしく
若々しく美しく生きたい
あなたを応援するために
日々のヒントをUPしていきます。
リーガロイヤル・ホテル・から眺めた 広島市内の景色
あなたは、よく実家に 帰られますか?
私は、以前は 1年に一度か二度くらいのペースで帰省しておりました。
しかし昨年は5回も帰っています。
今年も すでに4回です。
こんにちは。
常若美人道を提唱してるカラーコンサルタントの琴崎京子でございます。
最近、カラーコンサルティングのことをそっちのけで、実家の父のことを書いておりますが、
もうしばらく お付き合いくださいませ。
あと少しで、本来の仕事のペースに戻ります。
さて、タイトルの帰省女王ということですが、昨年から今年にかけて、私は帰省女王と呼ばれてもよいくらい、頻繁に実家に帰りました。
私の実家は広島で、神奈川県へやってきたのは 約10年前のことです。
こちらへやってきた翌年に、母が他界しました。
広島まで往復するには、結構な労力と費用がかかるので、その年でさえ、2回しか帰っていません。
が、しかし、
昨年から状況が大きく変わりました。
今年は新型コロナの流行のため、国内の移動も、大幅に制限されました。
それなのに4回も 行ったり来たりしているのは、従来の私の行動パターンでは、ありえないことです。
昨年の5回は、作品展開催のためでした。
そのように 頻繁に帰るようになったのは、3年前(一昨年)から 父の認知症が始まったからです。
昨年のお正月明けに父を見たとき、まともに会話の受け答えができるのは、その年で最後だろうと予測しました。
1年後には、何もわからなくなっているかもしれないと思い、大わらわで父の篆刻(てんこく)作品展を開く準備にとりかかりました。
篆刻(てんこく)とは 書道の一種で、木や石に文字を彫り込んだものです。
父は30年以上、てんこく作品を作り続け、美術展の入選作を たくさん残しておりました。
作品展は、父の長年の夢だったので、なんとか意識がしっかりしているうちに、実現したかったのです。
今年の4回は、父が重い肺炎にかかり入院したためです。
肺炎になり入院したこと、退院してからの通院や治療のこと、認知症の進行について、今までブログにも書いています。
前回のブログから しばらく時間があいたので、このブログ記事の終わりに、リンク先を記させていただきます。
もし興味がおありならば ごらんくださいね。
最初は何度も広島へ行ったり来たりで、面倒くさいと思っていました。
しかし、ある日 ある方からの言葉で、見方ががらりと変わりました。
「神様が あなたが親孝行できる時間を作ってくださったのね」
とおっしゃったのです。
そうですね。
こんなことでもなければ、私は父と深くかかわることなく、父のことをよく知らないままに
天国に見送ることになるでしょう。
父は幼い頃、私をとてもかわいがって育ててくれました。
しかし、物心つく頃から折り合いが悪くなり、成人してからは、まともに会話をしたこともないような親子関係でした。
そのような私が 父に3週間も付き添って、みっちり介護するという状況になることは、想像すらしたことがありませんでした。
そのような娘が 3週間、100%以上の力を出して、父の介護をしました。
おかげさまで、まだ先のことであり、願わくばずっと先のことであってほしいのですが、私はもし父が亡くなったとしても
「何一つ、親孝行ができなかった」と自身の親不孝を嘆かないで済みます。
「一刹那ですが、精いっぱい自分のできることをさせてもらった」という、父とのかけがえのない思い出ができました。
現在では、父の病状は回復し、9月12日からはグループホームに入所しております。
さてつい最近も、広島まで行ってまいりました。
父がグループホームに入所して 約一ヶ月が過ぎたので、面会に行きました。
今までお世話になっていたご近所さんへの ご挨拶も済ませてまいりました。
久々に会う父は どうしていたでしょう。
現在の様子は、次のブログへ続きます。
ごきげんよう
では またね
認知症の父のことを書いたブログ記事のリンク先は、以下の通りです。
もし興味がおありならば ごらんくださいね。
こちらの電子書籍には、昨年行った、実家のハンコ屋のクラウドファンディングについて書いています。↓ ↓ ↓
私の実家は
町の小さなハンコ屋さんです。
昨年、クラウドファンディングをいたしました。
そのときのことをまとめた本は こちらです ↓
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両国第一ホテルの窓から見た スカイツリー
2020年10月9日は パープルでした
あなたのご両親は ご健在ですか?
私の母は 10年前に他界いたしました。
残された父の認知症が 進行しています。
父は、約一か月前に認知症高齢者のための施設、グループホームに入所させていただきました。
こんにちは!
常若美人道を提唱している カラーコンサルタントの琴崎京子でございます。
知人から、あなたのお母様の認知症が進んで、どうしたら良いかわからないと困っておられるという話をお聞きしました。
参考になるかどうかわかりませんが、私の父のことを書いてみます。
父は春に重度の肺炎にかかり、入院いたしました。
新型コロナでなかったのは幸いでしたが、肺炎の治療が終わり、退院してきた父は認知症が一気に進み、いろいろ面倒な問題が雪崩のように起きてきました。
しかし、後で振りかえって見ると、今まで避け続けてきた問題に、正面切って向かい合うことになり、かえって良かったです。
今まで避け続けてきたこととは、父にはいつかは老人ホームへ入ってもらわなければと思いつつ、私たち家族は、誰も言い出せなかったということです。
猫の首に鈴をつけるのは誰か? とけん制しあっていました。
しかし、身体も弱り、認知症が進み、一人暮らしはもう無理というギリギリの状態になり、父は要介護度3の認定を受けて、グループホームへ入所いたしました。
文章で書けば、わずか数行ですが、数え上げると感心するくらい様々なことが起こりました。
その詳しい内容については、ここでは割愛させていただきます。
入居するまでは こんな生活でした
家にじっとして過ごし、テレビが友達。
普段の生活で話かける人も無く、唯一話ができるのは、訪問介護に来て下さるヘルパーさんたちだけ。
届けられるお弁当を食べて、食べたことさえ忘れて、近所のお店にカップ麺を買いに行き、お酒やおやつを暴飲、暴食する。またテレビを見て、夜が来たら、ヘルパーさんにベッドまで連れて行ってもらって、テレビを見ながら眠りに入る。
朝、目が覚めると、またテレビを見て、今日一日、何をして過ごそうか?と途方に暮れる。
たとえ自分の家に居るといっても このルーティンを延々と繰り返すだけで、何の喜びがあるのでしょうか。
ただ生きながらえて、死神が迎えに来るのを ぼうっと待っているだけみたいです。
こんな生活いいわけないと思われませんか。
これでは いつやってくるのかさえわからない「死」に、残りの人生を支配されているような気がしませんか?
グループホームでの生活
入所した直後は 毎日家に帰りたいと言っていたようですが、最近はグループホームで機嫌よく過ごせる日が増えてきたようです。
グループホームに居たら、自分も誰かに話しかけることができる。
話しかけてくれる人もいらっしゃる。
大好きな歌を 歌うこともできる。
施設の方に付き添っていただいて、近くの野原を散歩することもできる。
温かい食事を出していただき、暴飲・暴食しないようにコントロールもしてもらえる。
現在の様子
グループホームでの生活は 毎日、楽しいな~、心地よいな~、美味しいな~、嬉しいな~と感じる瞬間があります。
もちろん、家に帰りたいな~と思う時間もあるでしょうが、そこで生活している父は、生きていく主導権を 自分で握っているように思えます。
そのような日常を グループホームの相談員の方がラインで、画像付きで知らせてくださるのですが、本当に、毎日よくお世話をしてくださっていて 頭が下がります。
入所した後も、様々な用事があると言われる方もありますが、それは父が家にひとりで居続けることに比べたら とるにたらないことばかりです。
父が家に居ると 安全面や衣食住、命にかかわることのすべてを 同居していない家族が請け負わなくてはいけません。
離れて住んでいても 何もしていなくても、父の命に対しての責任の重さをずしりと感じていました。
むしろ同居していないだけに 歯がゆいことがいっぱいありました。
入所してくれていると、命に係わることは施設で気を配っていただけます。
季節の衣類を入れ替えたり、病院の外来に連れて行くことなど、家族の役割分担とてすべきことはあります。しかし、責任の重さがまったく違って軽いので、私たち家族はとてもラクになりました。
今、この時を大切に生きてください
現在、父は 88歳。
寿命が あとどれくらいあるのかわかりません。
認知症に詳しい方が書かれた本を拝見すると 認知症を発症してから、7~8年と書いておられました。
ということは、父は認知症と診断されてから約2年になります。
生活環境が良ければ、あと5~6年生きることができるかもしれません。
緑豊かな最良の場所で、親切なスタッフの人たちに恵まれたことは幸いです。
良い環境下で、できるだけ長生きしてくれることを願っております。
長く親の介護をしておられる方や 介護のプロの方から見ると、大したことしていないし、全然何もしていないのと一緒ではと思われるかもしれません。
人、それぞれ得手不得手があります。
何もしていないように見えるかもしれないけど、今年になってから、私なりに心を砕き、できることには最善を尽くしました。
関係者の方にそれをわかってもらえなくても 自分が行ってきたことに悔いはありません。
父がグループホームで 残る命を大事に生きてくれていることを確認し、私は 再び自分の仕事に集中できるようになりました。
あなたも あなたの親御さんも、今、この時を大切に生きなくてはなりません。
いつ来るかわからない死に支配されてぼうっと生きるよりも 今日という日を 精いっぱい楽しく生きるためにどうしたら良いか? と考えてみられたらいかがでしょうか?
ではごきげんよう
私はこのブログで、今年の春から、父の認知症について時々記事を書いています。
今日の記事以外に9つの記事がありますので、よろしかったら それらも参考になさってください。
以下にまとめておきます。
こちらの電子書籍には、昨年行った、実家のハンコ屋のクラウドファンディングについて書いています。
私の実家は
町の小さなハンコ屋さんです。
昨年、クラウドファンディングをいたしました。
そのときのことをまとめた本は こちらです ↓
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こんにちは!
常若美人道を提唱している、カラーコンサルタントの琴崎京子でございます。
前回、前々回のブログで 故郷に居る父が、グループホームに入ることになった顛末を書いてきましたが、この記事でまとめます。
無意識の偽善って こういうこと?
今年の7月頃、私は広島の実家に帰り、父を入所させるためのグループホームや特別養護老親ホームを探しておりました。
その時に知り合いの人からよく言われたのは、「どうして家族で面倒をみてあげないの?」
「施設に行くと お父さんが可哀想よ」ということでした。
表面的に関心を寄せて、耳に痛い言葉をかけてくださるのです。
一緒に暮らしたくても、家族それぞれに住居や仕事があります。
認知が進んでくると 一人で家に置いておくと、常に危険と隣り合わせです。
やむにやまれぬ状況で入所探しをしているのに、上辺だけの同情心で「可哀想」という言葉を吐かれるのは ちょっと無神経だなと思いました。
私は、表面何気ない顔をして事に当たっているけど、ちょっと辛い心境で、泣きそうでした。
おそらく言っておられる方には 悪意はないのでしょうが、「無意識の偽善」とは、こういうことなのかと思いました。
自分の家に居るということが 本当に幸せ?
認知症の父が、一人で自宅に居るという実態はこうです。
・朝、目が覚めて、何を着て良いかわからない。
・訪問介護さんが来られて、朝ごはんを食べさせていただき、薬を飲ませていただく。
・テレビが友達。
・一日中、ひとりで家の中で過ごし、誰と言葉を交わすこともない。
・届けてもらうお弁当を食べ、自分が何をしたら良いのかわからず、途方に暮れながら不安な一日を過ごす。
・訪問介護の方が来られて、夕飯を食べているかどうかチェックしていただき、薬を飲まされてベッドに入れていただく。
・暑くなっても、寒くなっても、冷暖房のコントロールができない。
・冬に向かうと 火事を出すおそれがある。
・夜中に倒れても 誰にも気づいてもらえない。
そのような状態が 毎日続いていくのです。
ただ生きながらえているだけで、自分の家に居続けることが、本当に幸せなのでしょうか。
それよりも 朝目覚めたら、声をかけてくれる人がいて、一日中、気にかけてくれる人が傍にいて、温かい食事をいただくことができ、その気になれば、周りの人に話しかけることもできる。希望すれば、散歩にも連れて行ってもらえる。
私には このような生活の方が、より快適で人間らしいと思います。
自分が いつか将来、グループホームや特別養護老人ホームに行くことになるとしても、私は入所を渋りません。
父もグループホームでの暮らしが快適であることを 理解してくれたら良いと思います。
私にできること
もちろん、持ち物の点検や、こまごまとした用事は、グループホームの相談員の方に相談しながら行っていきます。
しかし、入所に関して、父にいくら状況を説明しようとしても、今もこれから先も、聞く耳を持たないでしょう。
人の気持ちを変えようと思っても 変えることができないことは よく承知しています。
だから何も言いません。
私にできることは、祈ることだけです。
父がグループホームで、毎日をなんとなくいい気分で過ごしてくれますように。
いつの間にか そこでの生活になじみ、受け入れてくれますように。
緑がいっぱいの自然の中を 散歩する父の頭上に、光のシャワーがたくさん降り注ぎますように。
このようなことを 毎朝、目が覚めるとすぐに祈ります。
父にも あたなにも 私にも、光のシャワー‐がたくさん降り注ぎますように。
ではまたね
ごきげんよう
太陽の光には、人に良い影響を与える素晴らしいパワーがあります。
あなたは強運ですか、それとも不運?
私は、二日前に、ひどく不運な人間だと思って、悲観しました。
しかし、二日経った今日は、一転して 素晴らしく強運な人間だと思っております。
こんにちは!
常若美人道を提唱しているカラーコンサルタントの琴崎京子でございます。
二日間の間に、何があったの?と思われるでしょうが、何も起こってはいません。
変わったのは 自分の考え方だけです。
12日のブログで、私の父親がグループホームに入所することを ひどく嫌がって、拒否していたことを書きました。
そしてそのグループホームのスタッフの方が、父のことを、冗談交じりに、開所していらい、最も強情な人だと言っておられました。
それは娘の私から言わせてもらえば、誇張でなく、本当にそうです。
父は、本来はとても優しいところのある善人です。
しかし、運命にもてあそばれ、不幸な人生を送る羽目になってしまいました。
幼少の頃からの自分の運命の理不尽さを、納得しようとしても 納得できないで苦しさを抱えていたのでしょう。
非常に癇癪の強い人間になり、それが時々 爆発していました。
そういう父親に育てられた私は もがき苦しんで大人になりました。
どうして私は この父の娘なんだろう。
父親なんか いないほうがよっぽどマシだとも思っていました。
入所の日の ドタバタのことを聞いた時、ああ、またやってくれたかと思いました。
父は強烈に怒り、強烈に怒鳴り散らします。
何歳になっても 人間は変わらないのだなぁ
せめて、普通の人のようでいてくれたらいいのに。
私の親は最悪、あんな親を持って、私は大不幸、私の人生は大凶だと思いました。
しかし、時間がたってから こう思いなおしました。
スタッフの方が、グループホームが開所して以来、一番、大変という人間と 私は子供の頃から対峙して生きてきたのです。
昨年、私は ある偶然により、父の悲しい生い立ちをすべて知ることができました。
そのおかげで、父が柔和な性格を形成することができなかった理由も良くわかります。
しかし、若い頃、まして子供の頃は、そのようなことは何もわからず、ただただ、怖い親だと思って生きてきました。
何度か自分の精神は破綻してしまうのでは?と心配したこともあります。
そのような中で常人として、今日まで生き抜いてきた自分は スゴイ人なのではないかと思うのです。
私は未だ、何も成し遂げてはおらず、たいして人の役に立つようなこともできていないけど、精神に支障をきたさず生きてきたこと、それだけでも大したものではありませんか。
生きてるだけで丸儲けです。
これを強運と言わないで、何を強運というのでしょう。
これからの人生、あの父親だから 不運だったと考えることは、もうやめました。
過去は変えることができます。
あの父親に負けなかった私は、最強運の持ち主で、
これからも強運で生きていきます。
ではまたね
ごきげんよう
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あなたの ご両親はご健在でしょうか。
私の母は 10年前に他界しております。
このたび、父親が グループホームに入所することになりました。
こんにちは!
常若美人道を提唱しているカラーコンサルタントの琴崎京子でございます。
グループホームとは 認知症のお年寄りが 集団で生活する施設です。入所者3~4人につき、一人のスタッフの方がお世話をしてくださいます。
入所には、妹と私の息子が、付き添って行ってくれました。
一日かけて、父は入所を拒んだそうです。
まだまだ、自分一人で生活していけると言い張るのです。
途中で、父の頑固さに音を上げた妹から 電話が入ってきました。
「嫌がって興奮して騒ぐので、もう、無理! 家に連れて帰る」ということでした。
「では、そうしたらいいよ」と答えて いったん電話を切りました。
しばらくして、再度、妹から電話があり、グループホームのスタッフの方たちが、
「この状態で連れて帰ったら、改めて連れてくるということは とても難しい」
「お父さんだけ残して、家族の方は帰ってください。 後はなんとかします」とおっしゃってくださったので、帰ってきたようです。
その後、スタッフの方たちが、父と一緒に散歩をして落ち着かせ、ちゃんと夕食を食べさせて、眠れるようにしてくださいました。
後でスタッフの方とお話をしたところ、冗談半分に、グループホームが開所して以来、もっとも強情な人だと言われました。
私は父の性格をよく知っていますから、さもありなんです。
グループホームは 美土里(みどり)町というところにあります。
緑の美しい山間部の町です。
とりあえず、入所できたことを喜びましょう。
入所するということを 前向きにとらえることができれば良いのですが、なかなか難しいようです。
早く、場所に慣れて、毎日楽しく過ごせますように。
ではまたね
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