湘南・寒川 【イデアル】パーソナルカラーとらせん美のサロン

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琴崎京子のブログ

あまり悲しくないのです

2021-08-04 | ●認知症の父について

父が永眠してから、そろそろ10日になろうとしています

 

父が認知症になってから、自分にできることは総てやってきたので、今はとてもすっきりした気分です。

気休めかもしれませんけどね。
ちゃんと介護や看護をされた方からみれば、何もしていないに等しいかもしれないです。

だけど、私は 私にできる精一杯のことを行ったので、胸をはっていましょう。

 

まだ魂は天国に帰っていませんから、すぐ近くにいるのかもしれません。

四十九日まで 七日ごとにお経をあげて、天国へ行くための裁きを受けるのだそうです。

父は百点満点の善人とはいえないけど、よく頑張って生きてきたので、天国の良いところに連れて行っていただけたらと思います。

 

亡くなる数日前に 最後のお別れのつもりで、グループホームを訪問させていただきました。

コロナ禍の中でしたが、グループホームのスタッフの方も、その点を心得て、面会させてくださいました。

父が最後に言った 3つの言葉を書き留めておくことにしましょう。

 

1、細く、長く生きるのは当たり前。太く、長く生きろ!

2、お金をつかうな。出すものを抑えることが大切。

3、人のために、コツコツ仕事をしていたら、お金はあとからついて来る

 

この3つの言葉を忘れないで、実践していきましょう。

 

ではまたね。
ごきげんよう

 

 

編集後記

父親のことを書いた本です。
ただいま、出版開始キャンペーン中で、99円で販売しています。


ギリギリセーフの 出版

2021-08-03 | ●認知症の父について

出版しました!

 

父の人生を書き留めておきたいと思いましたが、それはなかなか困難な作業でした。

自分のことを書くのとは違い、資料をまとめなくてはいけません。

父が子供の頃、どのような人生を生きてきたのか、一切知りません。

というのは、父は自分の生い立ちを 全く語らなかったからです。

 

父の自叙伝を書いていて、語らなかったのではく、語れなかったのだということに気づきました。
養子に出され、自分のルーツを知らされずに成人し、その後も実家とは関わりを持たぬように生活してきたのです。

従弟にあたる良平さんという人が、実家の大阪側との唯一の窓口でした。
良平さんが 思いつく限りの資料を提供してくださり、この本の骨組みができました。

なんとか書けそう!と 執筆のめどがついたのが今年の5月の中旬頃です。
丁度、父のステージ3の胃癌が見つかったころでした。

それから、原稿の進み具合は、病気の進行と競争です。
「とにかく早く書き上げて、本にして、父に見せたい」との想いでパソコンに向かいました。

 

原稿が一応仕上がって時点で 私は子供たちといっしょに広島の父の元を訪れました。
最後のお別れのつもりでした。

その時に「お父ちゃんの本を書いているよ。

お父ちゃんが言いたかったことは 全部この本に書いたから、出版されるまで、もう少しだけ待っていてね」
と声をかけました。

 

その時、本はEPUB化を終え、表紙のコンペを開催中で、数日後に表紙が決定しました。

すぐにAmazonに出版申請をして、出版できたのが7月24日の深夜でした。

7月25日、妹にAmazonで 出版が開始されたことを伝えました。

妹は スマホを持って父の居るグループホームまで、車で2時間くらいの距離を、文字通り駆けつけてくれました。

そして父に 「お姉ちゃんが お父ちゃんのことを本に書いてくれたよ。 
子供の頃のことも、大人になってからのことも、お父ちゃんの篆刻のことも 全部書いてくれたよ」

と言って、1時間半かけて本を丸ごと一冊読み聞かせてくれたそうです。

父はまだぞの時には意識が有り、途中で、怒ったり 笑ったり、うなずいたりなど反応しながら、最後まで聞いてくれたそうです。

 

全部を聞き終わって、すごく安心したような満足そうな表情をしていたとのこと。

自分の本が出版されたことも 理解できたようです。

ああ、間に合って良かった。

 

 

翌朝、グループホームから、意識が混濁して呼吸が止まりそうだという連絡がありました。

そして、10時過ぎごろに天国に召されていきました。

すごく安らかな顔をしていました。

 

父の人生の辛かった部分に 私は「ー」を加えることができたのでしょうか。

非力ではあるけど、最後の一手を加えて 父の幸せな人生を綴れることができたと信じることにします。

 

追記

そのような想いで執筆した本です。

本日 午前9時から ¥99円キャンペーンを行います。

もしよろしければ どうぞ手に取ってみてくださいね。

『始終一士』

 


私は 自分の父親を選んで生まれてきた

2021-08-03 | ●認知症の父について

子供は親を選んで生まれてくる

ということを すみれちゃんという小学生の女の子から聞きました。

2007年生まれ。生まれたときから、かみさまや、見えないけれどひとりひとりを見守ってくれている存在たちとお話ができる 現在中学生の女の子です。

ママのおなかに入る前のことをすべて覚えており、お腹の中のあかちゃんとお話しすることもできるそうです。

私がすみれちゃんの講演会で この話を聞いたのは、4年くらい前のことでした。
彼女はまだ小学生で、

『神様は小学5年生』という本を出版されており、40万部を超えるベストセラーになっております。

 

すみれちゃんの話を聞いて、私は自分が親を選んで生まれてきたなんて ありえないと思いました。
私は父のせいで、つまらない人生を歩みことになったとずっと思っていたからです。

しかしながら、この話を 私は20年前にも見たことがありました。

娘が保育園に通っていたころ、短い期間ではありますが、バレーを習わせたことがあります。
その発表会で演じたプログラムのテーマが 『子供は親を選んで生まれてくる』だったのです。

天国では子供たちが 地上にいる親を選んで、自分の生き先を決めた子供から順番に下に降ろされていきました。

娘がそのバレーで、天使の一人を演じているのを見た時には『メルヘンだわね』と思うだけでした。

その内容と現実を結びつけることができなかったのです。

 

それから約15年たって、同じテーマの話を すみれちゃんから聞いた時には、心にぐっとひっかかりました。

私は なぜ自分の両親を選んで生まれたのだろう?と自問するようになりました。

母はその時すでに 他界しておりました。
母を選んだ理由は すぐにわかります。
心優しく、穏やかで、聡明な女性だったので、何度生まれ変わっても、母のもとに生まれてきたいと思います。

しかし父に対しては、何故この人を選んだのか?
という答えがなかなか見つかりませんでした。

 

答えが見つかったのは、父に認知症の症状が現れ始めてからです。
それまでは常に一定の距離を置いて、接しておりました。

認知症になったことにより私は、父と身近に接することを余儀なくされ、話をきく時間が増えました。
それによって、私は自分がなぜ、この親の元に生まれてきたのかを理解することができました。

父は辛い人生を歩んでいました。

天国にいた私は そのような父の一生を書きとどめておいてあげたいと思い、この両親の元を選んで生まれてきたのでしょう。

 

「辛」(つら)いという文字に 「一」を加えると 「幸」せに変わります。

父の人生に 最後の一本の線を加えることが 私の仕事です。

そう思って 私は父の自叙伝を書き始めました。

それは、昨年のことです。

気持ちは焦るのですが、何をどう書いたら良いのか 糸口が見つからず、資料と共に構想はしばらく眠ったままでした。

 


父が永眠しました

2021-08-02 | ●認知症の父について

こんにちは

あなたを120%輝かせる色を見つける
カラーコンサルタントの琴崎京子でございます。

 

あなたのご両親はご健在でしょうか?

私の父は つい先日、7月26日に亡くなりました。
母は約10年前に他界しています。

この世から両親がいなくなるというのは、心寂しいものでございますね。

 

このブログに、約1年前から亡くなるまでの経緯について 書き残しておきます。

 

昨年の今頃、私は約一ヶ月間つきっきりで、父親の介護をしていました。

肺炎をこじらせて、重篤な病状になった父は、ひと月半入院して治療を受けました。

なんとか持ち直して多少元気が出てくると、強く退院を望むようになりました。
ということで、治療半ばのまま退院し、通院しながら療養するようになりました。

 

その時には「とにかく元気になって欲しい」としか考えていませんでした。

この状態さえ乗り切ってくれたら、また元通り元気になって、長生きしてくれると信じていました。

その気持ちが報われて父は回復し、普通に何でも食べることができるようになりました。

 

私は、自分の自宅に戻りました。
後は私の妹と 私の息子が折に触れ 父の様子をみてくれるようになりました。

一日に4回、訪問介護(ヘルパー)さんに入っていただき、なんとか日常生活をこなしていました。

父は最後まで自分の家に居たがりましたが、認知症の進行で、それはさすがに無理ということになりました。

 

そして、9月。

安芸高田市 美土里町にあるグループホームに入所することになりました。

グループホームというのは、認知症の人たちが集団で生活するスペースです。

寝起きするのは個人の部屋です。
日常生活は、グループ単位で行い、訓練を受けたスタッフの方々が24時間体制で見守ってくださいます。

 

入所するときはとても嫌がり、スタッフの人の協力でなんとか置いて帰るという状況でした。
入所に立ち会った妹と 私の息子は、たいへん辛かったようです。
私はその場に居なくて、二人には本当に申し訳なかったと思っています。

 

「家に帰りたい病」は半年くらい続いたようです。

家族の者の顔をみると里心が付くので、気持ちが落ち着くまで、顔を見に行ってはいけないと言われていました。

そのうえ、新型コロナの感染予防もあり、グループホームへの面会は、すべての入居者に対して不可能となっていました。

 

昨年9月に入所して以来、約半年間は面会ができず、やっと顔を見て話ができるようになったのは、今年の3月頃でした。

その頃にはもう、気持ちも平静を取り戻し、グループホームで穏やかな日々を過ごすことができるようになりました。

毎日、おいしい食事をいただき、四季折々の行事を楽しんだり、歌を歌ったりして、身体も元気になってきました。

ああ、良かった。
私は この平和な日々がしばらく続くと ほっとしておりました。

コロナが収束すれば、みんなで集まって温泉に行きたいとか、大阪の親類を訪ねたいとか・・・
私は計画をたてておりました。

 

しかし、5月の半ばに グルーぷホームから
お腹が痛くてご飯が食べにくいという連絡があり、急遽、胃の検査を受けることになりました。

検査の結果は ステージ3の進行性の胃癌であることがわかりました。

 

その日から なくなる日まで、あっという間に過ぎました。
もう放射線治療には耐えられそうにないので、直すための治療はせず、ただ痛みが出ないようにケアしていただくことになりました。

癌と診断されてから、たった2ヶ月半の命でした。

主治医の言葉によると、死因は、癌というよりむしろ老衰ということでした。
癌の痛みで苦しむこともなく、眠るように穏やかに息を引き取りました。

 

合掌 南無阿弥陀仏


後ろ姿だけ、わずか2秒の面会

2020-11-02 | ●認知症の父について

安芸高田市、吉田町の山と空

父がグループホームに入所して、約ひと月が過ぎました。

こんにちは。
常若美人道を提唱しているカラーコンサルタントの琴崎京子でございます。

この記事は、面会に行った時のことを書いています。
全部で3500字くらいあります。。。長くて ごめんなさい。
親の認知症で困っておられる方の なにかの参考になれば幸いです。

 

面会を断られました

父がどう過ごしているのか心配で、妹と一緒に面会に行くことにしました。

私は介護や看護、老人ホームの事情には まったく疎いのですが、妹はケアマネージャーの仕事をしているので、認知症のことや老人ホームなどの施設のことにも精通しています。

妹はグループホームに、前もって面会の申し出をしたようですが、断られたとのことでした。
それについて、このような不満を口にしていました。

「現在では、コロナがまだ終息していないといっても、広島市内では、ビニールシートを間に挟んだりして、面会は許されるようになった。
それなのに、ここではどうして父に合わせてもらえないのか!?」

グループホーム側の対応が 腑に落ちないようでした。

 

断られたけど とりあえず、行ってみよう!

私はまだ一度もグループホーム楽々苑に行ったことがないので、たとえ面会が許されなくても スタッフの方にご挨拶に行きたいと思いました。

9月の入所の日は 新型コロナの感染予防のために、付き添いを妹と私の息子に任せたきりでした。
とりあえず、会えなくても行ってみようと、妹を誘って、美土里町まで行ってみることにしました。

美土里町は 安芸高田市から車で約20分くらい走ったところにある、山間の小さな町で、限りなく島根県堺へ近いところです。
なだらかな山に囲まれた、緑が美しい町。
楽々苑は、静かで落ち着いた場所に建てられた コの字型の平屋の建物でした。

建物の入り口まで、ホームのお世話をしてくださっているカワノブさんが出てこられ、そこでお話をしました。

カワノブさんは65歳を過ぎた 小柄な女性です。
しかし、体は筋肉質でがっちりしておられます。
看護師を引退された後、誰かのお役に立てればと思い、グループホームのスタッフになられたそうです。
ステキなのは その声で、まるで女子プロレスラーの北斗晶さんみたいです。
北斗さんを ぐっと縮めた感じで、優しくて、強そうです。

ミニ北斗さんではなくて、カワノブさんが言われることには・・・

 

面会お断りの 本当の理由

「今日面会できないのは、コロナのせいじゃなくて、あなたのお父さんの 『家に帰りたい病』が発病するかもしれないからです」

「家に帰りたい病が発病したら、そのあとが大変なんですよ。
外に出て歩き回ったり、落ち着かせるために精神安定剤を飲ませることになったり、お父さんも職員も 平静に戻るまでに、すごい労力を使うのですよ。」と言われました。

 

入所して一ヶ月という時期は 非常に微妙な時期で、入所者は施設に慣れつつあるけど、何か一つのきっかけで、また入所時の状態に逆戻りしてしまうかもしれない可能性をはらんでいるということでした。

さらに、数日前の 父の様子を話してくださいました。
つい先日、雨のひどかった日に、安芸高田市の政治に関するTVのニュースを見て、父がひどく興奮したのだそうです。

古くからの友人である市会議員さんを助けるために、家に帰ると言い張り、誰がなだめても興奮が収まらなかったということです。

安芸高田市では いまだに河合議員の選挙違反に関わった人たちの問題が片付いていません。

雨の中を、家に帰ると言って、ひたすら歩き回る父に カワノブさんは傘をさしかけて、小一時間、いっしょに外を歩いてくださったとのこと。

疲れて足が止まったところで、施設に電話して車で迎えに来てもらったのですよ。という話を聞いて、ただただ頭が下がりました。

「今はまだ会わないで、そっとしておいてほしい。」

その言葉は、カワノブさんの心の底から出た言葉でした。

 

お会いした直後から ずっと気になっていたのですが、カワノブさんの腕には 生々しい傷がありました。
左腕に えぐられたような跡があるのです。

会話の途切れた間合いで、どうされたのですか?とお聞きしたら、昨日、入所したおばあさんに引っかかれたということでした。

皮膚を破り、身に食い込むような、かなり深い傷でした。

家に帰りたい病にかかっている人は、渾身の力で抵抗されることがあるそうです。
このようなことは、決して珍しいことではないと おっしゃっていました。

腕を引くと、もっと傷が広がるから しばらくそのままにしておいたのよと軽く流しておられましたが、カワノブさんを拝みたいような気持になりました。

 

私と妹は 家に帰りたいのは父だけだと思い、他の皆さんも同じように帰りたい思いがあることを忘れていました。

私の父だけが特別でなく、グループホームに入所されている人は みんなそれぞれに自分の歴史がありたくさんの思い出を持っておられます。
長年住み慣れた家を離れることは、その思い出を断ち切るということです。

認知症になり、いろいろなことを忘れていくので、なおさら、家の中に残っている思い出に、しがみつきたいのは当然のことでしょう。

しかし、在宅することが難しいから、家族の者たちは、より人間らしい生活ができるように、グループホームに入れていただく決断をしたのです。

切ないことではあるけれど、それを乗り越えて、ホームを安住の地と思えるようにならないと、本人も家族にも心の平和はおとずれません。

絶対に、父に合わせてもらうように頼むと言っていた妹も 面会できない理由に納得したようです。

 

カワノブさんの 粋な計らい

妹は私と違って お父さん子です。
父とは何かとウマが合い、この数年もしょっちゅう行き来して、病院通いにも付き添っており、父も妹を頼りにしておりました。

その分、妹は思い入れが強くなり、父の心中を考えすぎて、寂しくなってしまうのでしょう。

それを察したカワノブさんの計らいで、父が談話室でくつろいでいる後ろ姿を見せていただきました。

私と妹は 探検隊と化し、談話室に隣接する後ろの部屋の、掃き出し窓からそっと入って、父の様子を伺いました。
テレビを見ている後ろ姿の、頬の辺りが見えました。

見れたのはほんの数秒でしたが、穏やかで、楽しそうな気配が漂っておりました。

美土里町は 標高の高いところにある山間の町なので、気温も低く、冬になると雪が降り積もります。
そうなると外部からは、気軽に行きにくくなります。

一冬かけて 父の家に帰りたい病が収まってくれればよいのですが。

温かくなる頃には、新型コロナも終息し、家族皆で面会し、近くの温泉にでも行けるようになることを祈っております。

88歳の父が、この冬を元気に乗り切れますように。

ではまたね
ごきげんよう


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