ゆめ未来     

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巨大おけをたやすな!/竹内早希子

2023年05月15日 | もう一冊読んでみた
日本の食文化を未来へつなぐ 2023.5.15

縦、横2mの巨大木桶復活プロジェクトのお話です。



示唆に富んだ興味深い話題満載。
巨大おけをたやすな!」大変面白く、楽しく読みました。
巨大おけとは、20石・30石の大きさの木桶のことです。



 絶滅危惧種、木桶

 桶の材料は、桶づくり依頼する造り酒屋や醤油屋が木取り商から買って桶師にわたします。桶師は造り酒屋の敷地に出入りして桶をつくります。桶師は出職(でしょく)といって道具を持って全国をわたり歩き、桶づくりの「手間」だけでお金をかせぐしくみでした。
 ご飯を入れるおひつや洗面桶など生活に使う小さな桶づくりは小仕事といい、こんこん屋、とんとん屋とも呼ばれる町の桶屋さんが担当しました。「産湯から棺桶まで」といわれるほど、桶は人が一生を通じてつきあう生活必需品でした。
 明治時代の記録を見ると全戸数の100軒に一軒が桶屋だったことがわかり、これは二つか三つの町ごとに必ず一軒は桶屋があった、という計算になります(小泉和子
編『桶と樽--脇役の日本史』法政大学出版局より)。
 赤ちゃんが産湯をつかう産湯桶、毎日井戸から水をくむつるべ、水桶、たらい、おひつ、食べ物を入れて運ぶ岡持ち、風呂桶(浴槽)、洗面器用の小桶、手桶、棺桶、日常のさまざまな場面で桶が使われていましたから、これだけ桶屋があったのも当然かもしれません。


 高い理想と目の前の現金

 「いよいよ金がない……。どうやってやってくか、こっからが勝負や」
 そんな決意をしたことも何度もありました。
 「やから貧乏には強いなあ。へこたれそうになっても絶対負けない、いう感覚もあるな。
 桶屋に必要なものは「高い理想と目の前の現金」。これを備えた人は、高い理想を追い続けることができる
 藤井製桶所の日常でも、とだえそうな大桶づくり----“桶ハザマの戦い”がくり広げられていたのでした。


 スギは日本の杉である。そして、日本はスギの日本であった。
 (遠山富太郎著『杉のきた道』中公新書)

 この言葉のとおり、木の中でもとりわけ杉は、日本の歴史と深く関わっています。杉がなかったら、日本の歴史や文化は違ったものになっていたかもしれない、といえるほどです。
 北は青森から、南は九州の屋久島まで生えている杉(天然杉の場合)。春先、花粉症に悩まされる人がいるほど、ごく身近に、あたりまえのように存在している杉ですが、じつは世界で日本にしかない固有種です。
 杉の学名(ラテン語でつけられた、世界共通の名前)は「クリプトメリア・ヤポニカ」。クリプトメリアはラテン語で「隠れた財産」、ヤポニカは「日本の」「日本のもの」という意味です。
 日本に杉があらわれたのは、今から一六〇〇万~一七〇〇万年前といわれています。その後、氷期(氷河が発達する寒冷な時期)を生きのび、一万年前ごろに氷期が終わって暖かくなると、太古の日本列島は杉でおおわれました。


 いつでも、そこにあるのは、人です。

 桶づくりの技術は、はるか昔、ヨーロッパからシルクロードを通って、遠くはなれた極東の島国、日本へやってきました。
 「技術を伝えるのは人です。技術の伝播には、必ず人の行き来があります」
 桶や樽の文化史の専門家、石村眞一先生の言葉です。
 中世ヨーロッパの街角で。シルクロードの交差路・中央アジアのサマルカンドで。雪をいただく天山山脈のふもとで。砂嵐が吹き、星が瞬き、馬車にのり、ラクダにゆられ、舟で荒波を越え、当時の日常を生きた名もなき職人の手から手へ、技術は伝えられてきました。
 そうして伝わった木桶は、日本の食文化に欠かせない、醤油、味噌、酒、酢、みりんなどの調味料をつくり、普及させてくれました。
 100年の命をもつ杉の側板(がわいた)と側板を、人々が思いを込めて結び合わせる、木桶。
 同じ時代を生き、一本の桶を通して出会い、つながる人と人。一度は途絶えかけた技術をつないだのは、やはり人でした。


 桶を締めるたがの慣用句

 箍がはずれる 緊張がとけてハメをはずしてしまうこと。それまでの秩序がなくなること。
 箍がゆるむ 秩序がなくなること。緊張がゆるんだり、年をとって鈍くなったりすること。
 箍をしめる ゆるんだ秩序やきまり、気持ちを引きしめること。


 『 巨大おけをたやすな!/竹内早希子/岩波ジュニア新書 』

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