Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

父は居る

2013-12-25 23:56:56 | 日々のつぶやき

父の希望通り、葬儀は親族だけのはずだったが、品物を取りに来られたお得意さんから漏れて、知ったお得意さんとご近所さんと私の友人、父の水泳仲間が来られた。

しかし、まだ父の訃報を知り弔問客が、ボツボツと来られる。

これならば、ちゃんと知らせた方が良かったと母と言うが、来られる方もさまざまで、店先で儀礼的に香典だけ渡される方もいれば、霊前でさめざめと泣き思い出を語られる方もいる。そして、呼ばなかったことでお叱りも受けた方もいたが、遠く和歌山から来られた方もいた。

しかし、父のこの半年の事を幾度も話しているうちに、父はそれまで大いに食べ、飲み、昨年までゴルフをし、癌宣告を受けるまでプールに通い、60代70代は友人達とよく旅行にも行っていた。ただ昨年の初夏 ゴルフクラブを2,3本重いと言って女性用に昨年取り替えた。

プールは25メートル泳ぐのがきついと、昨年末から言い出し、事務所の隅のマッサージ機に座りうたたねをよくしていた。多分その頃から、再発していたのだろうと思う。

そんな事を思い出し、父は充分人生を楽しみ、思い残すことは無いのではと思いだした。

葬儀の朝、父の入れ歯を忘れたことに気づき朝早く自宅に戻ると、皮肉にも叔母たちが送ってくれた宍道湖のシジミやウナギが届いていた。何もかも父の生前の姿が思い出され涙があふれて止まらず、喪主として着物を着るのにコンタクトを入れる事が出来なかったが、葬儀場は特殊で非日常的でそこにいると涙も出なかった。

この半年、思うように食べられなかったので、食べたいと言っていた菓子類や缶や瓶を棺に入れられないのでパックのお酒と待ち望んでいた叔母の送ってくれた静岡のメロン、ちょうどその日食べ頃だったのを棺に入れた。入れ歯も必要なので一緒に入れたが、慌ただしく通夜と葬儀は終わった。

死亡届けを出すと、市長からの弔電も来るが、私達は貸金庫に入れっぱなしにして忘れ、これもち父の望み通り、国会議員も地方議員の弔電も読み上げる事は無かった。

世代が代ると、酒を飲む人もなく、母が嫌そうに昔は正月3が日で一升瓶10本飲み干したと言ってたが、20人余り居ても、ビール2本半しか開かなかった。

葬儀場の2日間があったので、忙しくとも悲しみが紛れ、何を見ても涙が止まらないという事は無くなっていたが、ああすればよかったこうすればよかったと、後悔ばかりした。

しかし、仕事に戻り車を走らせていると、左肩後ろにスースーと寒気を何度か感じた。何処か窓に隙間がと思い点検してもそれは無く、そういう時に限ってひやっとすることが多い。

1度目は薄暗くなり反対車線を超えて行こうとするのに歩道の縁石に乗り上げそうになったり、妙に対向車のライトが眩しく、ガードレールにぶつかりそうになったり、2度目は朝だと言うのに何度か追突しそうになったりした。

ああ、父が居る。危ない思いをしてもそれ以上の事は無いがこの世の人ではないので仕方無いのかもしれない。

私と一緒に自分の好きだったお得意さんに行きたいのねと思ったが、ノワタリさんにお聞きすると、

「それもあるが、心配だ。」と、言った。

そして昨晩 夕飯を母と取っていると、「キ~ン、コ~ン。」とチャイムがなる。

庭に出てみると、店のシャッターは床上15㎝まで下りて誰もいないのにセンサーが反応し音がした。

母と顔を見合わせた。口には出さなかったが、父だ!と二人とも思ったに違いない。

また玄関のセンサーライトの時と同じ???、父が何か言いたいのかしら、それともと思い、またノワタリさんにお尋ねした。

「警告って入りました。女二人だから用心するように。それとお父さんは寂しいそうです。」

「でも、昼間はそうかもしれませんが、ずっと母は父の祭壇と一緒の部屋なんですけど。」

「自分の肉体が亡くなって思うようにコミュニケーション出来ないからかしらね~。だんだんお父さんが亡くなられたことを知ってきますからね。経験ありますけど、気を付けてね。」と言われたが、亡くなった友人のむっちゃんの時とはまた違い、体がきつくて起きておれないと言いうことは無いが、左肩が痛く時々左脇まで痛くなる。

それが父によるものかどうかは分からないが。

それと不思議と最近は私の中で亡くなった感じはしない。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 父との別れ | トップ | 大きな前厄 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日々のつぶやき」カテゴリの最新記事