Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

死ぬかと思った!

2009-09-09 09:09:16 | 日々のつぶやき

1年前の9月22日の夕方の事だった。5時を過ぎて出荷した荷物の追加が来た。平日ならば断るのだが、翌日は祝日で休みなので、気の毒だが運送屋さんに連絡を取って荷物を持って来てもらうことにした。

大急ぎで裏の倉庫から、台車を押しながら全速力で走った。台車はスチール製の頑丈なものでなく、携帯用に車に乗せている軽いアルミ製のものだった。後ろに両脇に細いバネに棒を通して止めてあるものだ。ガシャガシャとアスファルトの上を走っていると音がした。突然、振動で棒がはずれ、荷台の後ろの持ち手が前に倒れ、私もそのまま頭からつんのめるように左側に倒れた。ガツン!と音が頭に響く。こめかみの骨が地面に当たった音だった。眼鏡の柄が外れ、目じりにささり、アスファルとの下の砂利に当たり、路面をこするズリズリという音がした。勢いづいていたので止まらず、路上を台車が傾いたまま走った。眼鏡のレンズの片方は飛んで行き、片方にビシッと言う音とともに傷が走ったのがスローモーションで見えた。

どうなるのだろう?死ぬかも?ヤバイと一瞬思ったが、私は自分で起き上がる事が出来た。すると心配して近づいていた佐川のお兄ちゃんが、「血が出てるけど、大丈夫?」と覗き込んできた。気が付けば、ズボンの左膝の下は破けて血がでている。顔も腕もだ。

自分で鏡を見る勇気は無い。あわてて裏口から台所に入ると、母が「まあ~!お岩さんだね~。」と言いながら、アロエを塗って、保冷剤をタオルの上から当ててくれた。

いつもの近所の接骨院に駆け込むと、30歳過ぎの若い先生は膝をレントゲンで見てから手当てをしてくれた。「良かったね。ちょうど膝のお皿の下で、お皿だったら割れてるよ。顔はどうしようもないから、冷やしてね。あとが残ると大変だから。」と言われた。

3個の保冷剤をローテーションで当てて寝返りする事もできず、翌日もずっと横になった。

24日も起きたものの仕事にはならず、私の顔を見た人はみんなギョッとした表情をした。傷は目じりから顎にかけて3cm巾位のバーコードのような瘡蓋になった。肩も左腕も擦り傷と打ち身になっていたが、それだけでなく首の捻挫を起こしていた。

横になっているのも退屈で、電話番くらいはと事務所に出たが、9月いっぱい接骨院に通うのが仕事のような有様だった。脳外に行き調べてもらったが別に異常は無く、ついでにそこの近くの眼科に目が痒かったので診察に行ったら、医者は顔面の傷と勘違いして「良かったですね。少しずれていて。」と言った。

そうする内に、人が「ハッ!」としたような顔をして見てはいけないものを見たという感じで一瞬そむけるのだが、又しげしげと見直す時の表情が面白く、快感になってきた。なんか良くない想像をしているんだろうな。

それも、毎日アロエをスリスリと塗っていると少しずつ剥がれ落ちてきて、小さくなった代わり赤茶色のラインになり、鏡を見ると少し気になったが、後の処理がよかったからか、大分薄くなった。顎近くは保冷剤の2個が大きくなかった為、満足にあたらなっかったので今でも傷が残った。

ノワタリさんに伝えると、「お酒を止めていたから、これで済んだ。」と言うメッセージを取られた。もし飲んでいたら、どうなったのだろう。知り合いの占い師は60歳くらいまでは体調の変化するときだから、それが無ければ病気をすると又言っていた。(その前年左手首を骨折した時も同じ事を言っていた。)

結局、又2ヶ月間接骨院に通い続けてしまったが、全て、間一髪というところで免れている。見えない力で守られているのを切に感じた。有難い事だ。感謝しかない。

 

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