Wake Up !

一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

母屋のリフォーム

2015-11-19 20:57:29 | 日々のつぶやき

 これも必要なことだったと今は思うが, 予定外の事で5月下旬から7月の連休前日まで掛り床下から屋根まで母屋のリフォームを丸々2か月間かかり、二人ともひどく疲れた。

母屋も、亡くなった祖父がずっと昔うちのお風呂場あたりでやくざの出入りで人が亡くなっている事を私に言った事があったが、その祖父もそこで亡くなったのではないが風呂場で意識を無くし、そのまま救急車で運ばれて亡くなった。ここ20年近く使っていなかったので盛り塩と綺麗な水を置いていた。よくこんな状態で無事に暮らせたと思う。

穢れ地で 先祖事もきっちり出来ていないという事はこんな事にも影響するのかと思った。

その時点で、私は来年90歳になる母との二人暮らしである。考えたくはないがいづれ一人暮らしになるのもそう遠くないだろうと思うので、築46年になる母屋のリフォームを私は全くする気は無かった。

しかし、5月の下旬 昨年夏から調子の悪くパイプクリーナーを時々使ってごまかしていたが流しが全く流れなくなり、業者を頼むことにした。なぜかいつもの水道工事と電気工事をされる会社は頼む気がせず、以前私の家をリフォームされた大工さんを頼んだ。

すぐ来られ、外からはダメだった。

母は以前から不満を持っていたらしく、リフォームを言い出したが、流しだけか、水回り全体するかで意見が分かれた。

 その翌日、大工の親方は50代と60代のベテラン大工さんたちを連れてやって来た。

流し台を動かした途端、タイルの壁は何とも言えないものすごい音を立てて全部崩れ落ちて来た。その音を裏の倉庫で聞いていたが何が起きたのかわからなかった。幸い誰も怪我なく安堵したが、

「ここで食事してる最中にタイルが降ってきたら、死にかねんかったな~。」と言われたが、台所はもう使い物にならず、リフォームするしかなかった。

母は台所と茶の間、廊下、洗面所を直す事を決めた。

30年前のリフォームはひどく悪質なものでまるで詐欺まがいだった。それから床をはぐ度、「ちょっと来て。」と呼ばれるたび私達は、ひどく悪質な手抜き仕事に驚き、疲れ果て毎晩ぐったりして早くから休み、時には事務所のシャッターを降ろす事も忘れていた事もあった。

台所の床を剥ぐと、下から30年前の壁の残骸が出て来たがそれはまだ優しいほうで、茶の間の畳の下は塩化ビニールのタイルの上にただ載せただけで隅っこは腐りかけ、そのせいか知らないが母は毎年梅雨頃になると、

「痒い、痒い。」とこぼし、バルサンを焚いたり、畳に針を刺し殺虫剤を入れたりしたが、気休めぐらいで効果はあまりなかった。

それだけでなく、流し前のクッションフロア材の下も腐って落ちる寸前、廊下の下にはなぜか洗面所と流しの汚水が漏れて真っ黒なヘドロ状態で溜っていた。

表面には油が浮きギラギラとし、蛆虫が涌いていて見ただけで、ゾッとした。それでも文句も言わず、長靴を履いて黙々と汲み出された。さすがにお腹辺りに痒みを感じると言われ、殺虫剤を手渡した。

おまけに茶の間の使ってないガラス障子のサイズは小さく、大柄な男性であれば完全に頭を打つような大きさだった。

そこまでくると、もうお手洗いもお風呂も直そうと言う事になった。

よく無事だったと言う事は毎回で、水洗ではあるが男便所と和式の女便所は白アリ一家が食い尽くして、天井までもう食べる木も無くなり引っ越した後で、境の壁を蹴ると、一発で倒れ、柱は紙のように表面だけあり、床も落ちる寸前だったが、体重の軽い小柄な母だけだったので免れていたのだろうと思うが、万が一落ちていたら、軽くてももう寝たきりになってただろうと思う。

「なんでそんな業者を頼んだの?何処よ?」と聞くと、

「近所の○○さんの親戚よ。この家を建てた時の現場監督さんだったけど独立したの…夜逃げしたわ。」と言う。ろくなことをしていないのでうまく仕事が行かなかったのだろうと思う。

お二人の大工さんは昔の職人気質で、毎日朝は7時半過ぎには来られ、夕方も5時まできっちり仕事をされた後、きちんと掃除をしてご挨拶をして帰られた。

母は勤勉な大工さんの仕事ぶりを喜んで、余りにも汚い仕事をさせてしまったと言い、半月経った週末仕出し弁当を振舞った。

が、困った事にすべてが予定外だった為、青写真なしに進めている為キッチンの形をどうするか迷った。私のフォーム前の家のほとんど使っていないL字型システムキッチンを使う事を提案し、寸法を測り、対面型キッチンにする事にした事で、話は前向きになりスムーズに進んだ。その後は 床材やキッチンパネルやクロスや照明器具を決めたりと結構忙しかった。

請け負った大工さんは並行して他の仕事もされていたが、予定していた仕事が施工主がエコポイントを申請してなかなか下りず、丁度手が空いていたのでこの仕事が出来た。後、リフォームだけでなく建築の話もあり今年はずっと詰まっていたので本当にこの時期で良かったと思う。

ある程度希望を伝えると、後は大工さん任せで、あれこれ3人で検討され、有難い事にカウンター下に結構大きい食器入れを作っていただいた。お一人は元々指物大工さんだった。その頃には後二人3,40代の大工さんが2人増えそれぞれ持ち場を替え、湿気の多い床にはコンクリートを流した後、床下用の湿気取の備長炭の袋を敷き詰め、空気抜きの小窓を付けた。

私の町は、数年前に大手の建設会社が数件倒産した為、建材屋まで連鎖倒産してしまい建材店が1件しかなくなっていた。それで、在庫もあまり置いていないので高い。了解を得て 自分でネットで洗面台と便器は買い、快く取り付けてもらったが、ちゃんと間取りを決める前に購入したので、システムバスにする事に決めた時、限られたスペースに買った70㎝幅の洗面台と洗濯機をどう置くかご苦労されたが、それまでの風呂場の向きを替える事で、収まりきぼ通りや掃除用具や小物を入れる可動式の棚まで出来た。

年配の大工さんは

「家は手を入れれば入れるほど、持つ。ここは屋根も外回りもちゃんとしてるし、鉄骨造だから十分使えるよ。」と、言われ、そのうち壊すと思っていたが、その考えを改めた。今では愛着がわいて来たいる。

1か月ほど経ち、1階の仕事が進んでいる時、母は真面目で腕の良い大工さんだからと今度は2階の表の間の床板と畳を直す事を思いついた。2階の表の二間続きの座敷は男性が歩くと響くので気になっていた。

見て頂くと、また驚いた事に今度は構造上の問題があり、1階に柱を2箇所に立てる必要があった。その後2階の床板と畳替えをし、廊下も直した。

不要な物をこの際片づけようと男手があるうちに納戸をかたづけて、思い切って和ダンス、整理ダンス、布団ダンスと合計7つの箪笥と道具入れを捨て隠居から持ち帰った布団やは戦後の物のない時代に作った母の嫁入り布団や不要な物を2トントラックで数回処分してもらった。そうしてやっと落ち着いたと思っていたが、そうは問屋が卸さなかった。

 

 

 

 

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