百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

聖徳太子様の実像が判ってきてます !!! ~ NHK「歴史秘話ヒストリア ~ 聖徳太子の柩 伝説のその先に」より

2018-02-23 20:13:07 | 日記
 日本は何というマヌケな国でしょうか。通常の法律で対応できるという屁理屈、これも国防という意識の低さを表す指標でしょうね、世界で唯一「スパイ防止法」のない国です。地政学上 世界一 ヤバイ地域に生存してるというに。GHQ が 一週間ほどで 眉に唾して作り上げたらしい日本国憲法の、周りの国は皆な善い国ばかりです とする憲法前文が、何と見事に息づいていることでありましょう。その憲法精神に則(のっと)りますと、スパイしたり攻めてくるような邪悪な国は、この世に存在せずなのでありますからして、スパイにとって日本はウッハウハの天国。国家公務員 地方公務員 学校 マスコミ 民間会社等々、日本の あらゆる 機関・法人に、世界中のスパイが投入されてると考えるは常識でありましょう。特に中国と南北朝鮮 ロシアは、実のところ凄まじいものがあるのではないか と思ってます。

ただ日本をスパイすればするほど、「オーマイガー、日本というのは マヌケだけど 何という いい国なんだろう」と思ってきてやしないでしょうか。何しろ人に迷惑をかけちゃダメなことを基本理念として育ってきてる国民は世界で唯一なのですから。他国におきましては、そんなことは一切 眼中になく、とにかく何をしてもいいから生き延びよ !!! というのが大前提で育てられてきてるようですから、世界の大多数の人たちにとって、たとえ表向きであったとしても、善意に満ちた民 溢れる国が現に在ること自体、本音のところ、驚異的 オーマイガー なことであるに違いないのでは と思ってます。

日本にとって他国のスパイは 憎っくきヤツ。しかし当の本人は、生活のためであっったにしても、祖国を愛する気持は必ず同程度以上持ってるはずでしょうから、そういう意味では、この素晴らしい日本に生まれ育ちながら、あろうことか 日本を貶(おとしめ)ようと勤(いそ)しんでる 人や法人、特に 朝日 毎日 東京新聞 テレ朝 TBS NHK さんなどは、他国のスパイより よっぽど非道い方たちだと思えてきます。

日本の国力を削ぎ落とし、滅亡しないまでも三流国に転落させる最も有効な方法は、何たって 人間を骨抜きにすることです。具体的には、民族や国や公共性に与(くみ)しない根無し草の、手前だけ良ければよいという自己中人間ばかりの民にしてしまうことで、子供たちの教育を預かる文部科学省や教育機関、および個人の思想に息吹きかけるマスコミは、その第一のターゲットとなるは必定。おそらくは現状、相当数 入り込んでると考えるべきでしょう。特に チュウチョウカンロ の息の掛かった人。

そのせいかどうか分かりませんが、ちょうど一年前のことです。文科省が聖徳太子さんを、今後は厩戸王という呼ぶようにするとの発表があったときは、びっくりしました。聖徳太子様は 日本人のアイデンティティそのもの、日本人の精神的な支柱でありますからして、反発があまりに多くあり撤回されまして、今のところ 事なきを得ているのですが、下の産経新聞にあるように、手を変え 品を変え、次の矢が放たれてくるようでありまして、安心できない状況が続いています。

それは、文科省と繋がりのある「日本学術会議史学委員会高校歴史教育分科会」という組織と連携してるらしい、高校や大学の教員らで構成する民間団体「高大連携史学教育研究会」なる組織から、学校で教えるべき歴史用語から、坂本龍馬さん 吉田松陰さん 高杉晋作さん 楠正成さんらの名前を削除し、ウソにまみれた 従軍慰安婦や南京大虐殺 といった言葉を採り入れんとする提案が、為されようとされてるからです。






 本題に入る前、このように長々と述べて参りましたは、理由があります。斯様な歴史教育界の せめぎ合いというか 混乱というか ざわめきのある状況下、聖徳太子さんは実際におられましたです ということを綿密に検証され報道されてる姿勢に、老生は 甚くココロを打たれたのであります。

まして それをして下さったのが、解説者には 大体は左がかった人を起用する、また天皇陛下さんを裁いたりする番組を制作したりする NHK さんですから、余計に嬉しかったかもしれません。が、しかし 最後の画面を見て 思いました。東京の NHKさんでなく、大阪の NHKさんだから 作れたのではないかなぁと。


では当番組、H29.10.13 NHK-G 放送「歴史秘話ヒストリア ~ 聖徳太子の柩」の内容を、老生流アレンジを施し、以下 ご紹介申し上げます。

まず 従来からの私たちの認識に、間違いがあるという指摘から。この絵は 我が国最初の肖像画と言われてる「御物 唐本御影(とうほんみえい) 聖徳太子 及び 二王子像」でして、今まで幾度となく紙幣に印刷されてることから、最も馴染みのある 聖徳太子様のお姿ですが、時代考証的に 3箇所 理に合わないところがあるということです。
        
 ・太子さんの時代は、埴輪(はにわ)で残っているように、高貴なお人は ズボンを履き
  裾をヒモで結んでいる、馬に乗れる格好をしていたはず
 ・やはり埴輪のように 髪型はオサゲのはずなのに、オサゲでなく帽子で髪を隠している
 ・笏(しゃく)という棒を持っておられるが、笏は 凡そ150年後の奈良時代、お役人の
  カンニングメモ用として初めて登場しているはず     ですから、
唐本御影は、聖徳太子様の時代から 150年以上後に描かれた絵であるということとなるのです。



このままでは、聖徳太子様のご存在が危ういです。以下、これを打ち消す事実を 述べて行くこととします。国内情勢を語るとき、いつの時代も世界情勢、とりわけ超巨大で最強なる隣国 中国の認識が欠かせませんが、当時「随」が全土の統一を果たし、今や周辺国も取り込むべく 動きを活発化してきていました。ここで 聖徳太子さんに関する年表を記しておきます。

  574 00  厩戸王子(用明天皇の第二皇子、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女) 生れる
 ( 589     随が中国統一 )
  593 19  摂政となり仏教興隆の詔を発す 四天王寺建立       
  596 23  飛鳥寺の完成
  600 26  第1回 遣隋使
  603 30  冠位十二階の制定
  604 31  十七条憲法制定
  605 31  斑鳩宮へ移住
  607 34  第2回 遣隋使(小野妹子)
  620 46  国記 天皇記 撰修
  622 48  ご逝去  

大阪府立近つ飛鳥博物館 白石太一郎館長さん談「随には たいへんな脅威を感じ、対抗するため 天皇を中心とする中央集権国家の建設を急いだ」。




太子は 仏教思想による国作りを始める傍ら、国家体制が整わない中でも 随との関係を構築すべく遣隋使を派遣。但し対外折衝も未熟であったためか、

「隋書」には、神話を基にした国の生い立ちの口上に、皇帝は 道理に合わないと一蹴した
との記述がある由。但し本件、国内では一切記録なしとのこと。


その失敗を省みて太子は、冠位十二階 および 十七条憲法 を制定後、かの有名な親書持参の
第2回 遣隋使 小野妹子さんを派遣するのです。


「日出るところの天子 書を 日没するところの天子に致す 恙なきや」

皇帝は「無礼な!!!」と激怒した模様ですが、日本のイメージの大幅にアップに奏功、
随は我が国に 使者を派遣するまでになったのです。
 


随からの使者を迎えるにも、国家としての威信を保つためにも、見栄えが大事です。そこで太子は、巨大なインフラ整備に乗り出します。まず大阪難波から飛鳥京に至る大道整備。



大阪 堺市・松原市では、道幅20メートル 現在の片側2車線道路と同じ幅の道路の跡が 発見
されています。



柏原市歴史資料館 安原俊史館長さんによると「太子ゆかりのお寺を結んでいるので、
太子が作られたとすべきでは」と。




大阪狭山市にある日本最古のため池とされる狭山池からは、長さ 69メートルほどの 田畑に
水を引く木の導水管が見つかっていまして、

年輪から、まさに太子様ご活躍の 616年に作られたものと、判明しています。 



さて、では太子様は実際、いったいどんな お姿・お顔 をされていたのでしょうか。
滴翠美術館 東野治之館長さんは、法隆寺金堂の「釈迦三尊像」の光背の裏に書かれている
銘文に そのヒントがあると 看ておられまして、







「尺寸王身」とあるので、太子さんと同じサイズの肖像を作ったということではないか と。



そして、鋳物師の小泉武寛さんの実験によれば、銘文は 後でタガネで彫ったものでなく、
光背と同時に鋳造されている文字であるとの由。


さらに 身長についての検分ですが、

等身大の太子像と伝わる もうひとつの仏像、法隆寺夢殿の「救世観音像」が 178.8 cm
「釈迦三尊像」の方は、座高×2 として 87.5 × 2 = 175 cm と ほぼ一致しているのです。



厩戸皇子が亡くなられた様子は このようでした。
お母上 お妃 皇子 同時でしたので、伝染病と考えられています。









人々の 嘆き 悲しみは、想像つかないぐらい、尋常ではありませんでした。

で お三方とも 同じ墓所に葬られました。埋葬形態は 直径 50メートルの円形状古墳。

所在地は大阪太子町、「叡福寺北古墳 聖徳太子磯長(しなが)陵」であります。



空海 親鸞 日蓮 一遍 さんたちも、石室内を見てられまして

このような ↑ ↓ 空海さんの 観察記録が 遺っております。

下は 明治時代の宮内庁調査で得ている 石の台座の寸法図。




太子様が亡くなられた後の 50年間、↑ 乙巳の変 壬申の乱 ↓ と 騒乱が続きました。


人々は「厩戸皇子(みこ)様がいらしたときは 決して こんなことはなかった!!!」と、皇子を偲ぶ機運が国内中に充満、そして「仏教を中心に国づくりを進めていた厩戸皇子時代にもう一度戻り、皆で やり直そうではないか」ということで、再度、今度は 史上空前のお葬式(セレモニー)を挙行、このとき新調された豪華な柩が運ばれたのではないか。で このとき以降、厩戸皇子ではなく、厚く深い尊崇の念を込め「聖徳太子」と呼ばれるようになったのではないか というのであります。

この説を 半世紀以上に亘り 唱えてらっしゃる先生は、この方



京都橘大学 猪熊兼勝 名誉教授さんでらっしゃいます。

で その証拠もあると言われるのであります。NHK のテレビ番組は、実は このお話を切り口にして展開しておられましたですが、その証拠品とは、太子さんのお墓(大阪太子町 叡福寺)の北西 5km のところにある 柏原市 安福寺さんで 古くから保管されてきているものでして、今回が TV 初公開ということだそうです。







分析すると 7世紀に作られたものであり、明日香あたりの土に漆を混ぜたものを塗った、当時は超高級素材の絹布が、何と43枚も重ねられている板で、同様な構造の板は、斎明天皇・藤原釜足氏の柩に見られるものの、布は絹ではなく麻。そして製作するには 1年以上掛かる代物で、これほどのものが充てがわれる対象としては、聖徳太子さんの柩としか考え付かないということであります。



約95cm の幅も太子さんの柩に一致。そして柩の総重量は何と 100kg にもおよぶとのことです。



これは 間違いなさそうであります。嬉しいです。聖徳太子様が実在してないなんて、とんでもない話。それを斯も見事に打ち消された関係者の皆様、そしてそれを報道して下さった NHK大阪の皆様、本当にありがとうございます。世界史的に見ましても聖徳太子様は、世界のサミットで燦然と輝いておられるお方、日本人の精神的な支柱であられます。このようなお方を、教科書から締め出そうとするヤカラは、国賊であるか、敵対国の回し者としか考えられないと思っています。

本稿 如何に長くなろうとも、我らがココロの支え 聖徳太子様に関わる重大事、必ず仕上げるべく オイラにしては珍しく奮張りました。当ブログ、まだ平成29年度百休賞を発表してませんが、本番組をナンバーワンに据える所存でもありまして、そういう意味からも めっちゃ長いブログが出来てしまったのですが、中身たるや、いつもながらの 乱筆・乱文・乱構成でありまして、でも我慢いただいて最後まで御目通しいただきましたこと、誠にありがたく 厚く御礼申し上げます。深く感謝いたしております。

 < 追 伸 > R1.12.6 記

 R1.11.30 BSフジ『大人が知らない!! 日本史の新常識3』『なぜ変わった? 教科書ミステリー』という番組で、

聖徳太子様ご建立と伝わる 大阪市天王寺区『四天王寺』さんの所有されてる、

普段は見れない たいへん貴重なお宝が三つ 紹介されてますので、ここに留めおきたく存じます。
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毎年2月22日『太子二歳まつり』でしか拝顔できない、2歳で「南無仏」と仰られた所以の
『南無仏二歳像』。

毎年1月22日しか拝顔できない、ご逝去の年齢が所以の『四十九歳摂政像』。





滅多に公開されない 秘宝中の秘宝、太子様ご直筆と伝わる 国宝『四天王寺縁起』、

          26個、太子さんの手形が押されてるとのことです。

何せ、太子様のご直筆であらせられますので、じっくり拝見させていただいて

                 お陰を頂戴できたらと思っています。
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これも国宝になっている、後醍醐天皇の模写された『四天王寺縁起』。

太子様ご直筆の国宝収蔵庫の開錠は、執事 南谷恵敬 勧学部長さんにしかできないそうです。

四天王寺を案内された ↓ 僧侶の河邊啓法さん、および素晴らしいお人柄のお二人、番組を進行なさった 歴史研究家の河合淳さんと 女優の田中美里さん。



 < 追 伸 > R2.2.19 記
 R2.2.17 BS11『新説!所 JAPAN』という番組で、

ご命日である2月22日に 1時間のみ公開されるという、
重要文化財に指定されてる 太子さま像 が紹介されてました。

それは、水戸市『真宗大谷派 善重寺』さん『太子堂』に祀られてる 16歳時の太子様。
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