百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

NHK-BSP『新 街道をゆく』『北のまほろば』で取り上げられた民謡『十三の砂山』 & 当庵近く『幻の富士』の ひとつを捉えました

2023-05-19 21:28:47 | 日記

  R5.5.15 NHK-BSP『新 街道をゆく』『北のまほろば』で、竜飛岬にほど近い、オイラがこよなく愛する『十三湊 (とさみなと) 』および『十三 (とさ) 湖』に関する件 (くだり) が、嬉しいことに、原作よか数段増しの重みで構成されてまして、そこで、

H2.5.10 NHKホールで開催された 都はるみさん復帰コンサートで、実はこのコンサートでしか歌われてなくて、オイラが名曲中の名曲と評する『十三湖 (とさ) の雪うた』という歌に挿入されている『十三の砂山』という民謡が、佐々木蔵之介さんの語りと 田中泯さんの朗読と 当地の情景とに、導かれ導き重なりしして 流れたのであります。
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オイラは嬉しくて嬉しくて、早速、佐々氏蔵之介さんの語りから入って、田中泯さんの朗読を経、演奏が終了するまでの音を はるみちゃんの歌の前に置くという、まったく異色 かつ 夢の取り合わせ━━司馬遼太郎さんと はるみちゃんのコラボ━━を実現。よりドラマティックで臨場感あふれる、実際、「我ながら でえれぇエエ作品に仕上がったもんだべ」と、心底 晴れ晴れ自慢できる ”十三湊組曲” を創出。
    
締めには、R5.3.2 NHK-G『SONGS』のラストを飾った 中島みゆきさんの『倶 (とも) に』を据えた、上掲のようなCDを拵えました。

それにしましても みゆきさんの大トリ、見事です。お陰で、より歯応えある CDになりました。

 < 追 伸 > R3.6.16 記
 『十三湖の雪うた』は、H5.8.23 津軽 岩木山 ゆりやま野外劇場『'93 都はるみコンサート ねぷた伝説』でも歌われていることが分かりましたので、当該DVDを購入し鑑賞しました。
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演出的には 目を瞠るものがございましたが、こと 楽曲そのもの(演奏および歌唱)の出来栄えに関しましては、軍配は 1990.5.10『NHKホール』のほうに上がるのでは と思っています。

 < 追 記 > R3.6.26 記(R5.5.30 記事の一部の補足)
 なお、オイラが固執する『十三湖の雪うた』の舞台 十三湖は、13の湖から構成されている湖とばかり思っていましたら、実際に行ってみますと 海と繋がった ひとつの大きな湖でありましたし、南北朝の争いに巻き込まれる、当地一帯を管領として支配していた 安藤一族の争乱を描いた安部龍太郎さんの『十三の海鳴り』という小説の中には、
   
「その姿が着物の袖を広げて迎えてくれるように見えるので、アイヌの人々はこの地を袖(トウサ)と名付けた。やがてその発音に十三の字を当てるようになり、十三湊の地名になった。」という記述があります。


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 当庵近くから望める、いつの日か必ず写真に取り込みたいと念じている 二つの情景があります。それは 北と南方向それぞれで、立ち込めた霧が演出する、今まで数回しか見れたことのない "おらが富士" 。そのひとつ『北の富士』を、R5.5.16 日の出前、捉えることができました。
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このような情景は何も この地に限ったものでなく、山国ニッポン、いたる所に見いだせる光景でしょうから、こんな楽しみを抱いて暮らすのも一興では と お節介 申し上げたき気分にもなってます。


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 <追 伸 > R5.5.20 記
 『十三湊』および『津軽』の美しい景色を再確認したいため、2016.7.21投稿 当ブログ『三十湖大橋の上から日本海と夕日を望む~ 2011-06-16 投稿記事の改訂・復稿版です』を 以下 転載します。

 新潟で一泊しまして、海岸沿いの道を 一路 十三湖(とさこ)を目指しました。この写真は 途中で見えた 鳥海山 ではなかったかと思います。

待ちに待った 春がきました。その嬉しさといったら、ソメイヨシノでは もの足りないのです。もっと大振りで もっと明るく もっと派手でなければ、どうもシックリ こないのです。たぶん。


山家(やまが)住まいの愚生でありますから、海辺の景色は それが日本海でありましたなら、何回見ても何時間見ても 飽きることはありません。下の写真は青森県西津軽郡深浦町の千畳敷海岸だったかと思います。




お岩木山、この地方の方々にとりましては 多分、日本人における天皇陛下さんのような存在ではないだろうかと想像するのですが、ヨソモノのオイラにとりましても、涙がでてくるようなオヤマサンでありまして、昔 出張で青森に来たとき、その用事が済んだ次の日、休みを取って登ったことが憶い起こされます。


   







 十三湖大橋の上から、日本海 夕日 を望む


 最初に聴きましたのは、今や伝説となりましたが平成2年5月10日 NHKホールでの【都はるみ】さん復帰コンサートを中継しましたNHKハイビジョン放送であります。愚生はそれ以来「十三湖(とさ)の雪うた」という歌が 好きで好きで堪らないのです。

この十三湖という処、昔むかし(鎌倉~室町時代)は 全国有数の商業地であったとのことを知らされたりしますと どんどん惹かれだしまして、ついには、遠い祖先がココに住んでいたのではないかと思うようになってまいりまして、連れ合いなどには よくこのように話すのであります。

「俺の先祖はなぁ、サモアへんから舟に乗って北上してきた南方系のアンタたぁ違ぉて、モンゴルからじぁなぁ、カムチャッカ半島を通ったかもしれんが、北海道へ渡って、それでじゃ 十三湊へんに永い間住んどったんじゃねえかと、証拠も何にもねぇんじゃが、この血にじゃ いわば DNA へじゃ じくっと刻まれとるように そんなふうに思えるんじゃ。じゃから俺は 北に憧れるんじゃろう思うし、お岩木山なんか見りゃぁ そりゃぁもう 堪らんようになるんじゃ!」

で、何としても 十三湖に行ってみたい と思うようになったのであります。
    
で、ついに やって来たということであります。見る景色 触れる大気 吸う空気、
どれもこれも まったく違和感なく すぅーっと、我が細胞に 溶け込むのであります。

                 橋の下の河原(かわら)に建っている看板の表示です。
       


                       ↑ お岩木山が写っているのですが。

                   ↑ お岩木山です。
 橋の南端から 北方向を向いた景色です。



                ↑ 吹き付ける風に 松が斜めに立ってます。
道の駅【十三湖高原】で購入した 直径 約15cm 高さ20cm の ナラ材の花台です。重いです。
               
なお この【道の駅】の中年の女性店員の方に 【十三湖の雪うた】を知っておられますかと尋ねましたら、何と何と 知りませんとのこと。オイラはガクッと オナカの力が抜けました。【歌枕】となっている重みや値打ちが 全く分かっておられません。言うなれば、おらがチームのスタープレーヤーを ご存知ないということでありますれば、猛省を促したいと存じます。でも歌謡曲とか一切関係ないオラが在所と違って、【十三】という地名の織り込まれている歌が ワンサとあるとしましたら、話は少し変わってくるのでありまして・・・多分そうなのでありましょう。羨ましい限りです。

十三湖から 青森へ向かう途中に渡った 津軽鉄道線の 踏み切りです。

 
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